岸辺にハルマスの砦を抱えるリーリス湖は、空を映して青く輝いていました。
穏やかな日射しが降り注ぐ春の昼下がりです。シードッグのシィは湖面に上半身を出して、のんびりひなたぼっこしながら浮いていました。
するとそこへ風の犬になったポチが飛んできてシィに話しかけました。
「ワン、こんにちは、シィ。いい天気だね」
「あっ、ポチさん、こんにちは!」
とシィはすぐに返事をしました。シードッグに変身すると下半身が魚になるので、魚の尾を振って喜びます。
ポチは彼女の頭上を飛び回りながら話し続けました。
「ワン、ペルラは? 湖の中?」
「ええ。湖の中の防御網を見回ってます。ペルラに用事ですか?」
「うん、フルートたちが岸で待ってるんだ。悪いんだけど、呼んできてもらえるかな」
「わかりました。連れていきますから、岸で待っててくださいね」
シィの巨大な体が湖に潜っていきます──。
五分後、海の王女のペルラがシィに乗って湖岸にやってきました。砂浜にフルートたち勇者の一行が立って待っていたので、シィの頭から飛び降りて言います。
「みんな勢揃いね。どうしたの?」
「ユギルさんから今朝、占いの結果が知らされたんだ。君たちにも知らせておいたほうがいいと思って」
とフルートが答えたところへ風の音がして、ビーラーに乗ったレオンも降りてきました。彼らもフルートたちに呼ばれたのです。
「それはエルフの血を引いているという占者のことだな?」
「あら、それなら信憑性がありそうね。どんな結果が出たの?」
とレオンとペルラに訊かれて、フルートは話し続けました。
「闇王のイベンセが東のイシアードという国に潜伏していて、間もなくこちらへ出撃してくるんだ。それと同時に、西のほうからもサータマン王が軍勢を率いて攻めてくる。サータマン軍の第一陣はすでにミコン山脈を越えようとしているらしい。地上を移動しているのにかなり速いから、疾風部隊と呼ばれる騎馬隊が先陣になっているんだと思う」
「なるほど、闇王軍と連動してハルマスを挟み撃ちしようとしているわけか。そのサータマン軍に闇の軍勢は含まれているのか?」
とレオンがまた尋ねました。
「わからない。セイロスが一緒にいる可能性は高いんだけれど、奴の存在は占いに現れないからね」
「そうか……。闇の敵が混じった敵なら、ぼくたち天空の民が撃退できるけれど、人間だけの部隊だったらぼくたちは参戦できないぞ」
とレオンが言ったので、ペルラが聞き返しました。
「どうしてなの? 人間なんて天空の民の敵じゃないはずでしょう? ほとんどの人間は魔法が使えないんだから」
「契約だよ。天空の民は地上の人間とは戦えないんだ。人間の世界に関わることになってしまうし、そもそも力に差がありすぎるからな。ぼくたちが戦えるのは、闇の敵や怪物だけなんだ」
「でも、それじゃポポロは? 彼女だって天空の民なのに、地上の人間と戦っているじゃない。どうしてポポロはいいのよ?」
「それはもちろん、彼女が金の石の勇者の仲間だからだよ」
どうしてこんな簡単なこともわからないんだ、というようにレオンが答えたので、ペルラはたちまちふくれっ面になりました。
「あたしは海の民だもの。そんな取り決め、わからないわよ。海の民は人間と戦えるんだし」
「そうなのか?」
とゼンに訊かれて、メールは肩をすくめました。
「まあね。海の民をさらった海賊の島を父上が攻撃して、住人をひとり残らず殺したこともあるよ。津波でさ」
気性の激しい海の民らしいエピソードです。
フルートは落ち着いた声で言いました。
「人間の兵士ならハルマスにも本当に大勢いる。もしサータマン軍が人間だけの部隊だったら、彼らが戦うよ。レオンは東から闇王軍が迫ってきたら、他の貴族たちを呼び戻して対抗してくれ」
「わかった」
とレオンが答えます。
すると、ペルラがフルートに尋ねました。
「あたしは? あたしは何をすればいいのよ?」
「ペルラには引き続き湖の見張りを頼む。闇の軍勢なら光の魔法の防御網で防げるけれど、人間の敵が船で湖を越えてきたら防ぎきれないんだ」
「そんなのはお安いご用だけど、見張りだけ? ここに来てからずっと防御網を確かめてきたけど、あの網をあと数センチ湖面から浮き上がらせることができたら、船も侵入できなくなると思うわよ」
「なるほど。それじゃ妖怪軍団が戻ってきたら、さっそくそれを実施──」
と言いかけたフルートの背中を、レオンがつつきました。もったいぶった様子で丸眼鏡を押し上げて言います。
「君は時々、頭がいいのか悪いのかわからなくなるな。妖怪が戻ってくるのを待たなくたって、すぐにできることじゃないか」
とたんにペルラがレオンに飛びつきました。
「そうね! あなたなら魔法で防御網を改良できるんだわ! 来てよ! さっそく取りかかりましょう!」
とレオンの腕をぐいぐい引いて湖に入っていこうとします。
「ちょ、ちょっと待てって! 泳ぐ魔法をかけさせろよ!」
レオンのあせる声と白い魔法の光が上がり、二人は湖に消えていきました。シィもあわててまたシードッグになって追いかけていきます。
レオンとペルラがあっという間にいなくなってしまったので、フルートたちは呆気にとられてしまいました。
「なんつぅか、騒々しい奴らだな、本当に」
「ワン、ゼンは人のことを言えないと思うけど。いつだってメールと騒々しいじゃないですか」
「んだとぉ──!?」
軽く喧嘩になりかけたゼンとポチをよそに、メールは苦笑いで湖を見ていました。
「海の民の女はさ、すごく情熱的なんだよ。好きになった男からは絶対離れたくないんだ」
「あら、それって!」
「そういうことなの……!?」
とルルとポポロは目を輝かせました。
「レオンはああ見えてかなり照れ屋だからなぁ」
とビーラーはぼやくように言って、後足で顎の下をかきます。
「とりあえず、今できる守りはこれで充分かな」
とフルートは湖を見てつぶやきました。こちらは最初から最後まで敵との戦闘を考え続けています。
すると、急にすぐ近くから野太い男の声がしました。
「やあ、皆様方はこちらにお揃いでしたか。湖を見て何をなさっておいででしたかな?」
青い長衣の大男の武僧──青の魔法使いでした。今まで誰もいなかった砂浜に、杖を片手に立っています。
勇者の一行は、わっと彼に駆け寄りました。
「青さん!」
「いつの間に闇の森から帰ってたんだよ!?」
「ワン、魔法軍団や妖怪軍団も一緒ですか?」
少年たちが口々に尋ねると、いやいや、と武僧は首を振り返しました。
「戻ってきたのは私だけです。他の者たちはまだ闇の森で残党退治を行っております。ロムド城の白から連絡が入りましたからな。闇王はイシアードに潜伏しているし、サータマン王はハルマスに向かって出陣したというではありませんか。これは一刻も早く戻らなくては、と思い、後を大司祭長と天狗殿に任せて飛び戻ったのです」
「白さんから──」
「ワン、ユギルさんがロムド城にも知らせたから、青さんにも連絡が行ったんですね」
とフルートやポチは納得しました。が、伝わっている情報が微妙に真実と違っていることには、誰も気がつきませんでした。サータマン王の軍隊の目的地が王都ディーラであることは、ユギルとロムド王とリーンズ宰相の三人の胸だけに納められているのです。
「青さんがハルマスに戻ってきたんなら、なおさら心強いよね」
「そうね。青さんは人間だから、人間とも戦えるし」
とメールとルルが話し合ったので、青の魔法使いは、何のことだろう? という顔をしてから、また言いました。
「援軍は私だけではありませんぞ。陛下がディーラからも応援を送ってくださったそうです。もう間もなく──そら、到着だ」
言っているそばから、北の門の方角で角笛の音が響きました。長く、短く短く、長く。重要な人物の到着を砦に知らせます。
フルートは武僧を見上げました。
「誰が応援に来てくれたんですか?」
「行けばわかりますよ。まいりましょう」
と武僧は答えて、いかつい顔をほころばせました──。