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第28巻「闇の竜の戦い」

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59.避難

 ベヒモスがこちらへやってくると聞かされて、ドワーフたちは動揺しました。

 ずしん、ずしん、と繰り返される地響きは、確かにこちらへ近づいてきます。ベヒモスの足音です。

「このままじゃ見つかるぞ! 隠れよう!」

「隠れたって火にまかれるぞ! 山を下りるんだ!」

「そうだ、急げ!」

 パニックになって山を駆け下ろうとする村人に、ビョールがどなりました。

「そっちじゃない! こっちだ!」

 そのまま背を向けて山の斜面をまた登り出します。

 混乱して立ちすくむ村人へ、猟師たちも言いました。

「お頭についていくんだ!」

「大丈夫だ! 火事になんて巻き込まれないからな!」

「ほら、急げ急げ! 怪物が来るぞ!」

 猟師たちに周りからせかされるので、村人たちは山を登り続けるしかありませんでした。急な斜面が続きますが、元気な年代の集団なので、かなりの速度で進んでいきます。

 空からその様子を見守りながら、ルルが言いました。

「本当に、どこへ行こうとしてるのよ!? ベヒモスが来て火を吹いたら、このあたりも火の海になるわよ!」

 足音が次第に近づいてくるので、心配のあまり怒ったような口調になっています。

 メールが言いました。

「たぶん、本当に大丈夫なんだよ。みんなは王様のところに行こうとしてるんだ」

「え? ドワーフに王様なんていた?」

 とルルが驚くと、ゼンが言いました。

「ドワーフの王様じゃねえ。森の王様だ──。そら、見えたぞ。あれだ」

 風向きがまた変わって行く手の煙が薄れていました。煙の切れ目に見えてきたのは、太い枝をいっぱいに広げた巨大な樹でした。周囲の森から突き出るように、こんもりした高い梢をのぞかせています。

 ひと月あまり前、ゼンとメールはこの王様の樹の前で婚約式をして、樹から目に見えない婚約指輪をもらっていました。先ほどメールが左手を挙げてゼンに見せたのは、その指輪がはまった指だったのです。

「ずいぶん大きな木ね!」

 と目を丸くしたルルに、ゼンは話し続けました。

「北の峰で一番古い樹だ。山の森全体を見守っているから、俺たちは王様の樹と呼んでる。親父たちはあそこに行こうとしてるんだ」

「でも、樹でしょう? 火が来たら燃えちゃうわよ!?」

 とルルは言いました。当然の心配です。

 けれども、メールが耳を澄ましながら言いました。

「王様の樹が呼んでるんだよ……急いでこっちに来いって。あたいたちだけじゃないよ。このあたりの動物たちみんなを呼んでるんだ。きっと、助けようとしてくれてるんだよ」

「でも、これって地上の木でしょう? そんな力あるの?」

 ルルはやっぱり半信半疑です。

 

 そのとき、ずしん、とすぐ近くで地響きがして、山の西の端から怪物が顔をのぞかせました。角のないサイのような頭がぬぅっと現れ、巨大な目で山のこちら側をのぞきます。

「ベヒモスよ!」

「でけぇ!」

 ルルとゼンが同時に叫びました。メールは思わず息を呑んでしまって、声が出せませんでした。

 ベヒモスは本当に巨大な怪物でした。山の半分ほどもある体をしていて、ずしんと一歩進めば体の前半分が山の陰から現れ、ずしんともう一歩進めば、後ろ半分が見えるようになります。これまでゼンたちが見てきた怪物の中で一番大きかったのは、闇の森の上空に現れたクンバカルナの顔でしたが、それに勝る大きさです。

 ベヒモスは完全にこちら側へやってくると、またぎょろりと目を動かしてゼンたちを見ました。森の上を飛んでいたので、さえぎるものがなにもなかったのです。

 見つかった! と彼らは緊張しました。ゼンが光の矢をつがえますが、距離があるのでまだ射ることはできませんでした。ルルは攻撃されたらかわしてベヒモスに接近しようと身構えます。

 ところが、ベヒモスはすぐに目をそらしてしまいました。金の石の勇者がやってきたらすぐ知らせるように、とランジュールに言われていましたが、ルルに乗ったゼンが金の鎧兜を着ていなかったので、これは金の石の勇者ではないと判断して無視したのです。

 代わりに怪物はドワーフを探し始めました。闇犬がドワーフを逃がしてしまったら、ベヒモスがドワーフをひとり残らず焼き殺すように、とランジュールからは命令されています。闇犬が一匹残らずいなくなっているので、ドワーフたちに逃げられたのだろうと考えて探し回ります。

 けれども、ベヒモスには森の中を進むドワーフを見つけることができませんでした。ビョールが木々の濃い場所を選んで進んでいたからです。ベヒモスは一帯を森ごと焼き払うことにしました。ブフン、と鼻から火と煙を噴くと、改めて息を大きく吸い込みます。

「させるか!」

 ゼンがルルと急降下して矢を連射しました。十数本の矢がすべてベヒモスに命中しましたが、怪物はまったく意に介しませんでした。矢が刺さった場所の皮膚は消滅したのですが、大きすぎてまるでダメージになりません。消えた皮膚もすぐ元に戻ってしまいます。

 ついにベヒモスが火を吐きました。巨大な赤い炎が森を呑み込んで燃え上がります。

 

「ああっ!」

 メールは悲鳴を上げて耳をふさぎました。火に包まれた木々の悲鳴が響いてきたのです。ゼンは、こんちくしょう、と唸って歯ぎしりします。

「みんなは!? どこにいるの!? 助けないと!」

 ルルが焦ると、ゼンは歯を食いしばったまま、山の斜面を指さしました。

 ごうごうと音を立てて燃えだした森の中で、一カ所だけ、燃えていない場所がありました。森から頭ひとつ大きい王様の樹がある場所です。周囲はもう火の海になっているのに、そこだけは何故か火が及んでいません。

 ルルは驚きました。

「王様の樹が守ってるの? どうして?」

「あの樹は森の王様だからだ──」

 ゼンはそれだけを言うと、ルルをそちらへ向かわせました。ベヒモスは山の他の場所へ火を吐き続けていました。空を飛ぶゼンたちのことは相変わらず無視です。

 王様の樹の上まで行くと、急に空気がひやりと涼しくなってきました。巨木が霧に包まれてけむっています。

 やっと少し落ち着いたメールが、泣き笑いするような顔で言いました。

「王様の樹が葉っぱから霧を出して火を防いでいるんだよ……。すごく大きい木だから、根も深いとこまで届いて、地面の中の水を吸い上げてるんだ」

 さらに近づいていくと、四方に広がった枝の葉という葉から雨のようなしずくが降っているのも見えました。しずくが樹の周囲の地面を濡らして延焼を防いでいます。巨木の下の安全地帯にはドワーフたちが避難していました。数え切れないほどの獣や鳥たちも、王様の樹の下に逃げ込んで炎を避けています。

 ゼンたちは王様の樹の下へ向かいました。雨のようなしずくの中に飛び込むとルルの変身が解けてしまうので、すぐ外側の湿った地面に降り立ち、緑の屋根の下に駆け込んでいきます。

 

 ドワーフたちはしずくに濡れながら一カ所に寄り集まっていました。周囲を取り囲む火の海と、その合間に見え隠れする巨大なベヒモスに怯えて震えています。

 ゼンは、そんな一同に強く言いました。

「んな顔すんなって! あのでかぶつにいよいよ反撃するんだからな! 俺たちの山をこんなにされたんだ。ただでおくかよ!」

「だ、だが、反撃なんてどうやってするんだ……!?」

「あんな山みたいに大きな生き物と、どうやって戦うのさ!?」

 と村人たちが反論してきました。悲鳴のような声です。

「心配ねえ。なにしろ、フルートが立てた作戦だからな!」

 とゼンは自信を持って言い切ると、ビョールを振り向きました。

「親父、おしゃべり石はちゃんと持ってきてんだろう?」

「もちろんだ」

 とビョールは首から紐で下げていた布袋を持ち上げました。中には遠くへ声を伝えるおしゃべり石が入っています──。

 それでも、村人たちにはこれから何が始まるのかわかりませんでした。村と北の峰を救うためだ、と急いで呼び集められ、言われるままにここまでやってきたので、作戦についてはまだほとんど聞かされていなかったのです。

「親父、頼む」

 とゼンに言われて、ビョールは布袋へ呼びかけました。

「聞こえるか? こちらの準備は整ったぞ」

 一瞬沈黙が訪れました。

 誰もが息を詰めて見守ったので、周囲の物音が急に大きく聞こえるようになりました。ごうごうパチパチと森が燃えていく音です。燃え尽きた木が倒れていく音も聞こえてきます。

 すると、袋の中の石から返事が聞こえてきました。

「驚き桃の木山椒の木! やぁれ、えらくまた待たせたじゃないか! こっちはもうとっくに準備万端だ! 待ちくたびれてお茶からキノコが生えてきたぞ!」

 甲高い男の声に、ゼンとメールは思わず笑い、ルルも尻尾を振りました。彼らがよく知っている人物──ジタン山脈にいるノームのラトムの声だったのです。

「洞窟から出るのに時間がかかった」

 とビョールが答えました。ぶっきらぼうなくらいの口調ですが、ラトムはまったく気にしませんでした。

「こっちにはジタンのノームとドワーフが勢揃いしてるぞ! うちのかみさんもそばにいて張り切っている! みんなで歌を歌えばいいんだったな!? 合図をしてくれ! 一緒に歌うぞ!」

 それを聞いて、ドワーフの村人たちは顔を見合わせました。彼らも長老たちから、地上で歌を歌うように言われてきたのです。ただ、それがなんのためなのかはわかっていませんでした。いったいどういうことだろう、とまたビョールを見ます。

 すると、ビョールが答える前にゼンが言いました。

「ラトム、こっちの声は聞こえてるな!? 大地の呼び歌だ! わかってるよな!?」

「驚き桃の木、ゼンもいたのか! もちろんわかっているぞ! ノームとドワーフでまた呼び出すんだろう!? 俺たちの聖獣のサラマンドラをな!」

 はるか遠いジタン山脈の地下から、ラトムは元気いっぱいにそう言いました──。

2021年9月29日
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