北の峰のドワーフの村は、山の地下の空洞に築かれていました。
巨大な岩の柱が頭上高く伸びて、半球状になった岩天井を支えています。天井の真ん中にはめ込まれているのは太陽の石です。ドワーフたちが地下でも平気で暮らせるのは、その石が太陽と同じ光で輝いているからでした。ドワーフの村には畑も牧場もあります。
ただ、今は夜の時間帯だったので、太陽の石も薄ぼんやりと光っているだけでした。半月程度の光で村を照らしています。
と、そこへまた地上から振動が伝わって来ました。石の柱や天井が崩れるようなことはありませんが、ぎしぎしと地鳴りがしたので、家々からドワーフが飛び出してあたりを見回しました。誰もが不安そうな顔をしています。
天井を支える柱のひとつの根元に、源の間と呼ばれる部屋があって、村の会議場になっていました。今も七人のドワーフが集まって話し合いをしています。
「北の峰の北側はすでに火の海だ。俺たちには手の施しようがない」
と言ったのはゼンの父親のビョールでした。茶色の髪とひげにがっしりした体格の、いかにもドワーフらしい姿をしていますが、彼は猟師の組頭でした。ほとんどのドワーフは地下で鉱石を掘り出し、それを細工して生活していますが、猟師は洞窟の外で狩りを生業(なりわい)にしています。それだけに、報告する声も深刻でしたが、他のドワーフたちは火事をさほど脅威とは捉えていませんでした。
「火は燃えるものがなくなれば、いずれ消えるだろう。それまでここで待てば良いだけだ」
「それはそうだな。幸いここは一歩も外に出ずとも暮らせる仕組みが整っている。二、三十年出られなくなったとしても、どうということはない」
そう話すドワーフたちは、ビョールよりずっと年上でした。村を治めている長老たちで、全員が長い灰色の髪とひげの老人です。
「だが、我々が外に出られなければ、ロムドの皇太子たちに武器や防具を届けられないではないか。我々はまだ約束の数をすべては届けていないぞ」
と別の長老が言いました。一度約束したことを守り抜こうとするところは、海の王も北の峰のドワーフも同じです。
「火事が消えてからではまずいのか? さすがにこの状況で外に出るのは危険すぎるだろう」
とまた別の長老が言うと、他の長老より少し背が高い老人が応えて言いました。
「それが敵の狙いなのかもしれんな。我々に人間の応援をさせないようにしているんだろう」
この老人はビョールの父でゼンの祖父のグランツでした。今は引退して洞窟で暮らしていますが、昔はやはり猟師だった人物です。
「それに、山が焼き尽くされたら、別の心配が出てくる。我々が利用している地底湖の水は、地表付近の水脈から引いている。地上の草木が一本残らず燃えてしまえば、水脈が枯れて、いずれ我々は水不足に陥るだろう」
とグランツは話し続けました。彼は若い頃に山を離れて世界を旅した経験があるので、他のドワーフより広い知見から話ができるのです。
一番年配の小柄な老人が、杖に寄りかかりながら言いました。
「地上と地下はつながり合っとる。地上が変われば地下も変わるのは当然のことじゃろう。じゃが、今もっとも気がかりなのは山火事ではない。昨日から聞こえてくる──」
そのときまた、ずしん、という地響きが伝わって来ました。岩でできた部屋が揺れて、テーブルの上のカップがカタカタと鳴ります。
思わず上を見上げた一同に、小柄な老人は言いました。
「これじゃ。これは地上から起きているのに、地下深い村まで伝わってくる。地上でどれほどの衝撃なのか、はかりしれんぞ」
「岩でも飛んできているんだろうか?」
「あるいは魔法の攻撃かもしれん」
と長老たちが言うと、ビョールがまた口を開きました。
「俺たち猟師がウサギ狩りのときに使う手かもしれないな──振動で驚かせて、中から飛び出させようとしているんだ」
それを聞いて、長老たちはまたいっせいに話し出しました。それならやはり外に出ないようにしよう、敵もそのうち諦めて立ち去るだろう、という意見が優勢になりますが、ビョールやグランツ、最年長の老人は厳しい表情を変えませんでした。そんな簡単な話ではないという予感がしていたのです。
ビョールは片手で首筋の後ろを撫でています。
そのとき、突然部屋の外が騒がしくなりました。
夜中だというのに大勢の声が響き、人々が走り回る音が聞こえてきます。
「なんだ!?」
ビョールが部屋の扉を開けたとたん、わっと何かが押し寄せて、部屋になだれ込んできました。長老たちが驚いて立ち上がります。
それは無数の花でした。青と白の可憐な花が、羽虫の大群のように後から後から飛び込んできます。
と、高い少女の声が聞こえてきました。
「もう着いたよ! お戻り、星の花!」
すると、花はいっせいに向きを変えて、また部屋の外に出て行きました。後を追って飛び出した長老たちは、花でできた水色の大蛇に遭遇して仰天します。
ただ、ビョールだけはすぐに気がついて言いました。
「これはメールだな!? ゼンもいるのか!?」
「いるぜ、親父。じっちゃんも長老たちもいたな。きっとここだと思ったんだ」
とゼンが大蛇の背中から飛び降りてきました。続いてメールも降りてきて、長老たちに言いました。
「乱入してごめんね。勢いがついてたから、すぐには停まれなくてさ」
「ははぁ。このお嬢さんがゼンの婚約者の海のお姫様か。ビョールが言っていたとおり、ゼンにはもったいない美人だな」
とグランツが言ったので、メールは目を丸くし、ゼンは赤くなって怒りました。
「なんだよそれ! じっちゃんでも言っていいことと悪いことがあるぞ! 親父も! そんなこと言ってたのかよ!」
「本当のことだろう」
とビョールがぶっきらぼうに言い、長老たちも、いや確かに、と同意したので、ゼンは憮然としました。それを見て長老たちは笑い出します。
すると、花蛇からルルも飛び降りてきました。そのまま世間話に突入しそうな一同に言います。
「ねえ、そんなことより早くなんとかしなくちゃいけないんじゃないの? 山は大火事だし外には──」
ところがそこへまた騒ぎが聞こえて来ました。とぐろを巻いている花蛇の陰から、誰かがわめいたのです。
「なんだ、この山みたいな花は!? お頭! お頭はいないのか!? 大変だぞ──!」
「グードだ」
とビョールが言いました。同じ猟師の仲間だったのです。ダチョウのような走り鳥に乗ったドワーフが、蛇の横をすりぬけて現れます。
「いたんなら返事してくれ、お頭! 山の北側の火事の様子を見てきたんだ! とんでもない奴がいたぞ!」
とんでもない奴? と他のドワーフたちが驚くと、ルルがむくれたように言いました。
「それ、私が今話そうとしていたことよ。外に敵がいるの。それが山を揺すっているのよ」
「敵だと? では、火事も敵のせいだというのか?」
と長老たちがまた驚くと、グードと呼ばれたドワーフは鳥から飛び降り、勢い込んで話し出しました。
「すさまじくでかい怪物だ! そいつが山に体当たりしてるんだよ! 形は象に似てるんだが鼻は長くないし、もっともっとでかい! 立ち上がると北の峰の半分くらいもあるんだ!」
一同は愕然としました。いくらなんでも大きすぎる、と誰もが思いましたが、そのときまた洞窟が大きく揺れたので、青ざめて岩天井を見上げます。
ゼンがグードに尋ねました。
「そんなでかぶつ、どこにいたんだよ? 俺たちは山の北側と東側を飛んだけど、んな目立つ奴は見なかったぞ」
「北西の裏口から出たら、そこにいたんだよ! あわてて逃げ戻ったら、裏口を攻撃してきたんだ!」
ゼンたちが通ってきたのとは別の場所にも裏口があったのです。
「裏口を攻撃してきた?」
とビョールが顔色を変え、ゼンも舌打ちしました。
「敵に入り口を知られたな。間もなくここに攻めて来るぞ」
「何故だ!? ここはドワーフの村だぞ! ドワーフを攻撃して、なんの得があると言うんだ!?」
「そうだ! それにそんな巨大な怪物がどうやって通路に入ってくると言うんだ!」
と長老たちが反論したので、ゼンは渋い顔で答えました。
「ここが俺の故郷だからだよ。怪物を送り込んでるのは闇王だ。フルートやメールの故郷も怪物に襲われてる」
「海ではリヴァイアサンっていう巨大な蛇が暴れているそうよ。海の王たちが戦ってるわ」
とルルも言います。
すると、メールが急に思い当たった顔になりました。
「ねえさぁ……ひょっとしたら、あたい、外の怪物の名前を知ってるかもしんない。ベヒモスかも」
ベヒモス? と一同は聞き返しました。誰もが初耳の怪物です。
「うん。あたいも実物は見たことないけど、リヴァイアサンと対になってる怪物で、ものすごく巨大だって話なんだ。海のリヴァイアサンに対して、陸のベヒモスって言われてるよ。カバに似てるって言われてるけど、だとしたら象にも似てるかもしんない」
「それは火を吹くのか?」
と長老のひとりが尋ねました。
「それはわかんない。けど、闇王に操られてる怪物なら、火も吐くんじゃないかな」
ビョールはたちまち険しい顔になりました。
「グード、みんなを集めろ。北西の通路を──」
そのとき、また騒ぎが起きました。村の住人たちが悲鳴を上げたのです。
「怪物だ!」
「怪物が入ってきたぞ──!」
しまった! と一同は思いました。声のするほうを振り向きますが、大きな花蛇が居座っているので、直接見ることができません。
「花蛇、花にお戻り!」
とメールが言うと、大蛇は崩れて青と白の花絨毯になりました。視界が開けて村が見渡せるようになります。
村の外れの岩壁に口を開けた通路から、怪物が姿を現すところでした──。