北の峰は夜の中で燃えていました。
山をおおって低く流れる煙がほの赤く光って揺らめいています。
煙がこちらへ流れてきたので、ルルはあわてて高度を上げました。煙の上を飛びながら山へ向かいます。
やがて雲のような煙が切れると、下りの斜面が現れました。山頂を飛び越してしまったのです。煙の根元の闇に炎が赤い染みのように光り、燃える木々を影絵のように浮き上がらせています。
「峰の北側か。ドワーフの洞窟の入り口とは反対側だが……」
とゼンが厳しい声でつぶやきました。ゼンたちドワーフ猟師にとって、北の峰は全体が大切な狩り場です。それが炎の中で焼けていくのですから、心穏やかでいられるはずはありません。
「どうするの? 煙が南へ流れているから、今は洞窟に近づけないわよ。風向きが変わるのを待つ?」
とルルが尋ねると、ゼンは歯ぎしりしました。
「んな待ってられるか! 俺が言う場所へ降りろ! 裏口から入るぞ!」
そこでルルはゼンが指示する場所へ降りていきました。山の東側の森の中です。炎はまだそのあたりには届いていませんが、パチパチと木が弾けて燃える音がひっきりなしに聞こえていました。風が吹くたびに火の粉も飛んできます。ここで火事が起きるのは時間の問題かもしれません。
メールがつらそうに顔を歪めました。
「木や花の悲鳴でいっぱいなんだよ。火をすごく怖がってる──」
「それは山の獣たちも同じだ」
とゼンが低い声で言いました。彼らの足元の森を、数え切れないほどの生き物が逃げ惑っていたのです。みんな北から迫ってくる火から逃れようと、必死で走っています。
「闇の軍勢が火を放ったのかしら? それとも火を操る怪物のしわざ?」
とルルは言いましたが、火事が山の尾根の陰になってしまったので、そこからでは火元の様子はわかりませんでした。
すると、急にメールがまた言いました。
「誰かが呼んでる!」
「逃げ遅れてるのか!?」
とゼンは顔色を変えましたが、メールは山の中腹を指さしました。
「あっち! 人じゃないよ、花があたいを呼んでるんだ!」
「そんな、今は花よりドワーフの洞窟に──」
とルルが言いかけましたが、ゼンは思い当たった顔になりました。
「いや、まずそっちに行ってくれ。たぶんそいつは……」
ルルがそちらへ飛ぶと、流れてくる煙の合間に崖が見えてきました。崖の上に白と青の花が咲いているのが、夜の中でもはっきり見えます。
「星の花じゃない! ってことは、ここって前にメールが星の花の鳥で舞い降りた場所?」
「そうさ! あたいが使ってる星の花はここから来たんだよ! 良かった、無事だったんだ」
とメールは言うと、崖の上の花へ手を差し伸べました。
「おいで、星の花。ここは危ないかもしれないからね。あたいと一緒においでよ」
優しい呼びかけに星の花が浮き上がるように茎を離れ、いっせいに飛んできました。ルルに乗ったメールとゼンの周りに水色の渦を作ります。
へっ、とゼンが笑いました。
「こんな時だが、頼もしい味方ができたな」
星の花は聖なる花なので、闇の敵には絶大な効果があります。
「ねえ、王様の樹は大丈夫かな?」
とメールが尋ねました。前回メールとゼンが北の峰に来たときには、星の花の他に、森の主のような王様の樹とも会っていたのです。
ゼンはまた厳しい顔になりました。
「あの樹は山の南側にあるから、今はまだ無事だろうな。いつ火が回るかわかんねえが、今は見に行く余裕はねえ。洞窟の裏口に行くぞ」
うん……とメールはうなずいて森を眺めました。王様の樹はひときわ大きな木なのですが、暗いし煙が濃く流れているので、メールには見つけられませんでした。どうか無事で、と心で祈って、見えない指輪がはまった左の薬指を押さえます──。
ドワーフの洞窟の裏口は、山の麓に近い斜面にありました。
小さな崖の下に木々に隠れるように鉄の扉があったのですが、取っ手も呼び鈴もついていないので、ルルが心配しました。
「これ、どうやって開けるのよ? 魔法の扉なの?」
「似たようなもんだ。ここのドワーフにしか開けられねえ仕組みになってんだよ」
とゼンは言うと扉の横の岩壁に手を当てました。すると、黒い岩肌が手の下でぼうっと光って、すぐにまた暗くなっていきました。それと同時に扉が左右に開いて、奥に通路が現れます。
通路の手前から奥のほうへ次々灯りがついて行くのを見て、ルルもメールも目を丸くしました。
「やっぱり魔法の通路なのね。よくできてるじゃない」
「あたいたちじゃ開けられないようになってんだね」
「正確には魔法じゃなくてドワーフの技術を使った仕組みだ。だが、今はそんな話はいい。急ごうぜ。ここからドワーフの村までは二キロ以上あるんだ」
「あら、それじゃ私がまた風の犬になる?」
と犬に戻っていたルルが言いましたが、ゼンは首を振りました。
「曲がりくねってるし、かなり狭いところもあるんだ。万が一、敵が侵入したときのための用心だ。ルルで飛んでいくと頭をぶつけるかもしれねえ」
通路は硬い岩をうがって作られていました。天井や壁に頭をぶつけたら相当痛そうです。
「じゃあ、星の花に運んでもらおうよ」
とメールは言って、さっと腕を振りました。彼らの後ろであたりを照らしていた星の花が、ザーッと音を立てて飛び出し、通路に流れ込んで生き物に変わりました。青と白の花が入り混じった水色の大蛇です。
「蛇か。確かにこういう場所は得意そうだな」
とゼンはまた笑って、メールに続いて蛇に乗りました。ルルは助走をつけてから蛇の背中に飛び乗ります。
「お行き、花蛇! あたいたちをドワーフの村まで連れてっておくれよ!」
メールの声に、蛇は動き出しました。曲がりくねった岩の通路を、水の流れのように下り始めます──。
と、そのとき、ずしんと地響きがして通路が揺れました。メールが悲鳴を上げてゼンにしがみついてしまったので、蛇が動きを止めます。
「なに、今の? 地震?」
ルルが言ったとたん、また地響きがしたので、メールはいっそう強くゼンにしがみつきました。最近はよほど平気になったのですが、元々彼女は地下が大の苦手なのです。地響きで通路が崩れそうな気がして、怖くて顔が上げられません。
そんな彼女の背中をぽんぽんとたたいて、ゼンは言いました。
「ここはめったなことじゃ崩れねえよ。どえらく丈夫な岩盤に作ってあるからな。それにこれは地震じゃねえ。何かが外にいやがるんだ」
「何かって、怪物!?」
とルルは振り向きましたが、裏口の扉はもう閉じていたので、外に何がいるのか、通路の中から見ることはできませんでした。
「も、戻って確かめるかい?」
とメールがようやく顔を上げました。地震ではないとわかっても、まだ青い顔をしています。
いや、とゼンは答えました。
「外にいるのは間違いなく敵だ。扉を開けて裏口に気づかれるとまずい。村へ急ごう」
メールを抱いていないほうのゼンの手は、首筋の後ろを撫でていました。強い危険が迫っているのです。
「わかった……。花蛇、急いでおくれ! ドワーフの村まで全速力だよ!」
メールの命令に、花でできた水色の蛇は、ほとばしって流れる川のようにまた進み出しました──。