「あれ? リーリス湖に灯りがついてますよ?」
とポチが空を飛びながら背中のフルートとゼンに言いました。
彼らはシルの町からハルマスの砦に戻ってきたところでした。すでに日はとっぷりと暮れて、空には星がまたたいていますが、砦にはあちこちでかがり火が焚かれ、建物にも灯りがともって、全体が明るく光って見えます。それが砦の夜の姿なのですが、その向こうのリーリス湖の岸辺にも、明るく輝いている場所があったのです。
「船着き場じゃねえな。砂浜に大勢が集まってるぞ」
と夜目の利くゼンが言ったので、ポチとフルートは急に心配になってきました。
「ワン、こんな時間に? 何かあったんじゃないですか?」
「誰かが湖で溺れたのかもしれない! 行こう!」
ところが、彼らが湖の岸へ飛んでいくと、仲間の少女たちの元気な声が聞こえてきました。
「やった! ちょうど帰ってきたよ!」
「間に合って良かったわ……!」
「ぎりぎりだったわね!」
人混みからメールとポポロが手を振り、ルルが尻尾を振っていました。さらにその近くにオリバンやセシルや竜子帝までが立っています。岸辺を照らしているのは、兵士たちが掲げる松明(たいまつ)でした。何十もの炎が砂浜と水面を赤く染めていますが、事故があったわけではなさそうでした。
「いったい何事?」
と少年たちが岸に降りていくと、メールが飛びついて湖を指さしました。
「父上が来たんだよ! 今、海に戻ろうとしてたんだ!」
湖の沖から灯りに照らされる岸に向かって、小舟のような戦車が近づいてくるところでした。戦車を引くのは二頭のホオジロザメです。青い髪に青いひげ、緑がかった青い長衣の渦王が手綱を握っています。
「ワン、本当だ!」
「どうしたんだよ、渦王!?」
「あなたがこんな内陸まで来るなんて……!」
と少年たちが水際へ駆け寄ると、渦王のほうでもさらに近づいてきました。リーリス湖は面積が広いので湖面に小さな波が立つのですが、戦車が水面を渡っていくと、波がさらに大きくなります。
すると、波の中から一匹の大きな魚が飛び出してきました。しぶきを松明の明かりにきらめかせて宙を舞い、また湖に飛び込みます。
「マグロくん!?」
とフルートたちはまた驚きました。彼らの友だちの魔法の魚だったのです。
マグロは渦王の露払いをするように岸へ近づいてきて、少年たちに言いました。
「お久しぶりです、ゼン様、金の石の勇者様、ポチ様。今日は渦王様のお供でこちらに参りました」
「本当に久しぶりだよな。でも、ほんとに何事だ? 渦王がリーリス湖に来るなんてよ」
とゼンが聞き返すと、マグロは急に深刻な声になって答えました。
「東の海に大変な怪物が出現したのです。海王様が軍勢を率いて戦っていらっしゃいますが、渦王様もこれから出陣されるのです」
怪物!? と少年たちは渦王を見ました。海には海の怪物が棲みついていて、時々暴れたり船を沈めたりしますが、度が過ぎればすぐに海の王に懲らしめられました。海王と渦王が二人がかりで戦わなくてはいけない怪物とは、尋常ではありません。
渦王が重々しく言いました。
「そなたたちは聞いたことがあるか。リヴァイアサンという怪物だ」
残念ながら、内陸育ちのフルートやゼンはその怪物を知りませんでしたが、物知りの小犬だけは背中の毛を逆立てました。
「ワン! それって、ものすごく巨大な海蛇でしたよね!? 確か、世界の海の半分くらいの大きさがあるって聞いたことがあるけど」
そんなに!? とフルートとゼンが仰天すると、渦王が言いました。
「それは人間たちの間の噂だな。さすがにそこまで巨大ではない。だが、非常に大きくて凶暴な怪物であることは確かだ。海王が全軍で当たっても及ばないので、わしも軍勢を率いて加勢に行くのだ」
すると、メールが口を挟んできました。
「リヴァイアサンはものすごく丈夫なウロコをもってるから、武器も魔法も跳ね返しちゃうんだよ。あんまり凶暴だから、海底の地下深くに封印されていたんだけど、誰かがそれを解放したんだ」
それって、と少年たちが顔を見合わせると、渦王がまた言いました。
「実を言えば、わしはそなたたちの加勢に来るつもりだったのだ。わしが率いるのは海の軍勢だが、海でなくても戦うことができる戦士もいる。そういう者たちで選抜隊を編成してこの湖に送り出そうと、泉の長老にも来ていただいて、準備を整えていたのだ。だが──」
シルの町に泉の長老が不在だった理由もわかって、フルートたちはまた顔を見合わせてしまいました。
「あの、それじゃ泉の長老は……?」
「海王と共にリヴァイアサンと戦っている。だが、それでもかの海蛇を押さえ込むことはできん。わしが加勢に行くしかないから、そなたたちに一言、詫びを言いにきたのだ」
少年たちはまたびっくりしました。渦王は、大事な出陣を前に、わざわざフルートたちに謝りに来てくれたのです。
「んなこと、気にするこたぁねえだろうが。海が大変なんだからよ」
とゼンが言うと、渦王は大真面目で答えました。
「そういうわけにはいかん。わしたちはそなたたちに、闇の竜を倒すために海の軍勢を率いて参戦する、と誓ったのだからな。その契約は今も生きている。リヴァイアサンを倒したら、必ずそなたたちの加勢に来よう」
海の王は一度誓ったことを決して破らないのです。
「あたいたちのほうこそごめんよ、父上。海が大変なことになってるのに、手伝いに行けなくてさ」
とメールが言いました。どれほど凶悪な怪物が海で暴れていても、彼らはこの戦場を離れるわけにはいきません。
すると、何かを考え込んでいたフルートが、急に空へ呼びかけました。
「レオン、聞こえるか!? 手が離せるならここに来てくれ!」
え、レオン? と一同が驚いていると、夜空に風の犬と少年が現れました。空から浜辺に舞い降りてきて言います。
「どうしたんだ、急に? 渦王も──? 何があったんだ?」
フルートはレオンにざっといきさつを話してから言いました。
「君たちのおかげで地上の怪物はかなり退治できた。まだ根絶はできていないだろうけれど、これまでのような人数はいらなくなるはずだ。天空の軍勢の半分に海の応援に行ってほしいんだよ」
これを聞いて驚いたのは渦王でした。たちまち厳しい顔になって言います。
「それはならん。これは海の領分の戦いだ。空の手助けは不要だ」
勝手に援軍を頼もうとするフルートに腹を立てたのでしょう。夜の湖の上に急に黒雲が湧いて、低く雷の音が響き始めます。
けれども、フルートは動じませんでした。
「これは海だけの戦いじゃありません。このタイミングでリヴァイアサンが現れるなんて、あまりにもできすぎだ。これは絶対に敵が仕掛けてきたことです。目的はおそらく海の軍勢の足止め。あるいは戦力をそぎ落とすこと。長引けば長引くほど被害は大きくなる。そうなる前に、天空の軍勢の力も借りて、一気に怪物を倒すんです」
すると、そこにオリバンがやってきました。それまで少し離れた場所でやりとりを聞いていたのですが、我慢できなくなって加わってきたのです。
「海の王に対して僭越(せんえつ)だが、私もフルートに同感だ。敵は我々を倒すために、同盟国の各地に攻撃を始めた。おそらく海辺でも何かを企んでいるのだろう。怪物で海辺の町を襲うのか、あるいは津波でも引き起こすつもりか──。その計画に海の軍勢が邪魔になるから、怪物を送り込んできたのだろう。できるだけ速やかに、徹底的に怪物をたたいて、敵の手を封じたほうが良い」
話を聞くうちに、渦王の顔がまた険しくなっていきました。今度はフルートたちではなく、闇の敵へ怒りだしたのです。手にしていた三つ叉の矛(ほこ)でドン、と戦車の底を突くと、空のレオンに向かって言います。
「良かろう! 天の軍勢に加勢を願う! わしたちと共にリヴァイアサンを倒してくれ!」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
とレオンはあわてて言いました。彼は優秀な魔法使いですが、天空の軍勢の指揮官というわけではなかったからです。事実上の指揮官を急いで呼びます。
「マロ先生、来てください! 海の王からの支援要請です──!」
数名の天空の貴族と共にやってきたマロ先生は、レオンから話を聞くと、渦王に言いました。
「状況はわかりました。フルートたちが言う通り、怪物は闇の軍勢が仕向けたものと思われます。早急に支援部隊を編成して海へ向かいましょう」
「かたじけない」
渦王が感謝をすると、たちまち天空の貴族たちが姿を消していきました。大陸の各地に散って怪物退治をしている仲間を呼び集めて、海への援軍を編成しようというのです。
レオンも後を追いかけようとすると、まだ残っていたマロ先生に言われました。
「レオンは残留だ。このハルマスに留まって支援をしなさい」
すると、渦王も言いました。
「奇遇だな。わしも、微力だが、わしたちの代わりに手助けをする者を連れてきたのだ」
とたんに湖からまたマグロが飛び跳ねました。
ああ、なるほど──とフルートたちが納得した瞬間、尖った少女の声が響きました。
「失礼だわ、叔父上! あたしは微力なんかじゃないわよ! あたしだって、れっきとした海の戦士なんだから!」
マグロの背中で海の色のドレスがひらめいていました。青い瞳に長い青い髪の美少女が乗っています。
「ペルラ!?」
とフルートたちとレオンはいっせいに声を上げてしまいました──。