ロムド城の鍛冶場でピランから防具を受け取った後、フルートたちは西部を目ざして空を飛んでいきました。フルートはまた金の鎧兜を身につけて、その上から剣を背負っていました。左の腕には細い鏡の盾が光っています。
フルートの後ろから目をこらしていたゼンが、行く手を指さして言いました。
「見えたぞ、シルだ! 変わりねえようだぞ!」
彼らは怪物に襲撃されたというシルを確かめにきたのです。
じきに仲間たちにもシルの町が見えてきたので、ポチが言いました。
「ワン、本当だ。いつもと変わらない感じですね」
ロムド国の西部を街道に沿って流れる水路は、町と周囲の土地を潤して、赤茶けた荒野の中に薄緑の絨毯(じゅうたん)を広げていました。時は四月の後半、春も盛りです。薄緑の絨毯に近づいていくと、若葉を広げる牧草地とこんもりしたリリカの茂みに変わっていきました。あと半月もすれば、荒野は赤や白の鈴のようなリリカの花で彩られるのです。
フルートはポチの上からシルを見つめましたが、彼にも変化のようなものは見つけられませんでした。懐かしい故郷が以前と変わらない姿でそこにあります。
「でも、きっと何かが起きているはずなんだ。泉の長老の結界が闇の怪物に破られたんだから」
とフルートは言いました。泉の長老は世界中の泉と水辺を司る偉大な魔法使いです。フルートたちが世界に旅立ったとき、敵がフルートの故郷の知人友人を人質に取っては大変だから、と自分の泉と森を地の底へ沈めて、ひきかえにシルを結界で守ってくれるようになったのです。
行く手にシルが近づいてきました。町の手前の街道に太い丸太を二本立てた入り口の門があります。シルはとても小さな町なので、周囲に壁や柵はありません。
それでも町の周りへ目をこらしていたゼンが、急に声を上げました。
「おい、ありゃロキだぞ!」
えっ!? とフルートとポチもそちらを見ました。門に近い場所から町の外へ、小さな人影が出ていくところでした。よたよたしながら、何かを引きずっています──。
フルートたちは人影の前に舞い降りました。茶色の髪に質素な服の幼い男の子が、小さな腕を上げて、突然湧き上がったつむじ風と砂埃から顔を守っていました。
「ロキ!」
フルートが呼ぶと、男の子はびっくりしたように腕を下ろして、灰色の瞳をまん丸にしました。
「フルート兄ちゃん! ゼン兄ちゃん! ポチ! みんなどうしてここにいるのさ!?」
「ロキ!!」
フルートたちもまた名前を呼んで駆け寄りました。彼らの小さな友人をしっかり抱きしめたり、足元に体をすりつけたりします。
ロキは北の大地でフルートたちが出会った闇の民の少年でした。姉はロムド城にいるアリアンです。ロキはフルートたちを助けるために一度死に、その後、人間の男の子に生まれ変わってきたのです。闇の民だった頃の記憶を持ったままで……。
「しばらく会わないでいたら、ずいぶん大きくなったね、ロキ」
「おむつはもう外れたか?」
年上の少年たちから話しかけられて、ロキは笑ったりふくれて見せたりしました。
「そりゃ、おいらだってもう四歳だからな。大きくなるに決まってらぁ。おむつはとっくに卒業してるぞ。失礼だな、ゼン兄ちゃん」
四歳にしてはなかなか生意気な口ぶりでしたが、フルートたちは気にしませんでした。しばらくは賑やかに再会を喜び合っていましたが、そのうちに、ロキが引きずっていたものにポチが気がつきました。
「ワン、ミルク壺(つぼ)? そんなものを持って、どこに行くつもりだったんですか?」
ロキは高さが五十センチ以上もある壺をつかんでいたのです。重くて持ち上げることができないので、引きずって運んでいたのでした。
「お父さんやお母さんの手伝いをしていたのかい?」
とフルートが尋ねると、ロキは急に真剣な顔になって言いました。
「兄ちゃんたちはすごくいいところに来てくれたぞ。おいらと一緒に来て手伝ってくれよ」
「手伝うって、乳しぼりをか? そんならフルートのほうがはるかに巧いぞ」
「ワン、でも、ぼくたちは今そんなことをしてる暇は……」
「違わぁ! おいらと一緒に闇虫を退治してほしいんだよ!」
とロキは言って、町の外の荒野を指さしました──。
「えっとさ、おいら、四日前に町の外で闇虫を見たんだ」
フルートに抱かれて町の外を歩きながら、ロキが話し出しました。ロキが引きずっていた壺はゼンが持っています。
「おいら、今まで町のこんな近くで闇の生き物を見たことはなかったんだ。前に兄ちゃんたちと退治した闇の花だって、町からもっと離れた場所に現れてたのに、闇虫は町のすぐそばだったんだ。で、その直後に怪物が群れで襲ってきたんだよ」
フルートたちは、はっとしました。それは偶然とは思えない出来事です。
ロキはフルートの腕の中で話し続けました。
「兄ちゃんたちも知ってるかもしれないけどさ、闇虫ってのはたちの悪い生き物なんだ。なにしろ闇の生き物のくせに平気で光の魔法を食うからな。このシルは光の魔法で守られてる場所なんだろ? 前にユギルさんから聞いたことがあるぜ。それなのに闇虫が現れて、怪物が襲ってきたってことは、光の守りが闇虫に食われたってことだよな? 怪物は天空の国の魔法使いが飛んできて退治してくれたけどさ、もしか闇虫がまだ生き残ってたら、また増えて守りの魔法が食われるかもしれないって思って、探しに出てきたんだ」
「おまえひとりでか? 父ちゃんや母ちゃんには言わなかったのかよ?」
とゼンが聞き返すと、ロキはとても四歳には見えない皮肉っぽい笑い顔になりました。
「言ったって全然信じないさ。おいらは変な子どもってことで通ってるからな。みんなおいらの好きにはさせてくれるけど、おいらの話を本気で聞いてくれる奴なんて、誰もいないんだ。他の子たちもおいらには近づかないし──」
ついロキが口を滑らせたことばを、フルートが聞きとがめました。
「他の子たちが近づかない? どうして?」
ロキは抱かれたまま肩をすくめました。ひどく大人びた顔で空を見上げます。
「ロキのままで生まれ変わってきた罰、だろうなぁ。ほんとはこんなの、あっちゃいけないことなんだぜ。生まれ変わったら、まっさらな魂になって、新しい人生を一から生き直さなくちゃいけないのに、おいらは闇の民のときの記憶をそのまま持ってきちゃったから……。おいら、体は四歳の子どもだけど、魂は闇のロキのままで歳を取ってるから、中身はもう十四歳くらいになってる。他の子たちはみんな、なんとなくそれを感じてんだよ。自分たちと違う、変な子だって。だからおいらには近づかないんだ。しょうがないさ」
そう言って、ロキはまた肩をすくめました。確かに、四歳の子どもにはとても見えないしぐさです。
けれども、フルートたちが何も言えなくなっていると、ロキは急にいたずらっぽく、へへへっ、と笑いました。
「ま、あれこれ詮索されないから、おいらとしてはかえって気楽だけどな。それに、今は周りから浮いてても、大人になればもう年の差なんて関係なくなるもんな。それまでうまく乗り切ってけばいいだけなんだ──。そんな顔するなよ、兄ちゃんたち。これはおいらが自分で決めて選んできた道なんだから。おいらは兄ちゃんたちの手伝いがしたくて記憶を持ってきた。ちっちゃなロキじゃ、できることもたかがしれてるけどさ、それでも、ちょっとくらいは役に立ってるんじゃないかと思うんだぞ」
「ワン、それはそのとおりですね。今だって、こうして闇虫を見つけてシルを守ろうとしてくれてるし」
とポチが言ったので、ロキはますます得意そうな顔になりました。フルートとゼンも、つられて笑顔になります。
すると、ロキが突然頭を下げてフルートの顔をのぞき込みました。意外なくらい真剣な目になって、フルートに言います。
「でも、ポポロ姉ちゃんは違うよな? 闇がらすがそこいら中にポポロ姉ちゃんの正体をふれ回ったから、おいら、ぴんときたんだけどさ。でも、姉ちゃんがなんとかって昔の人の生まれ変わりだったとしたって、姉ちゃんの魂はまっさらになって、そのときの記憶なんてもう全然ないんだ。敵の大将なんか最初から全然関係ないんだからな」
フルートは目を見張りました。ポポロがエリーテ姫の生まれ変わりであることをまともに心配されて、すぐには返事できなくなってしまいます。
ゼンが苦笑しました。
「ったく、相変わらず小生意気な奴だな。心配いらねえよ。俺たちもポポロもそんなことは気にしてねえからな」
「フルート兄ちゃんも?」
とロキがまたのぞき込んできたので、フルートも苦笑いしてしまいました。
「気にならないって言ったら、それは嘘だな。だって、現にセイロスはポポロを狙って、隙さえあれば連れ去ろうとしてるからな。でも、ポポロは最初からポポロで、それ以外の誰でもない。ぼくたちはそう思ってるし、ポポロ自身もそう言っている。ぼくは、ポポロとエリーテ姫は別な人なんだと思っているよ」
ポチが足元でくん、と鼻を動かして尻尾を振りました。フルートから真実を話している匂いがしたからです。ポチ自身も、パルバンで出合ったハーピーと自分が好きなルルは、別人だと思うようになっていました。どこをどう突き合わせても、エリーテやポポロを一生懸命守ろうとしていること以外、共通するところがなかったからです。
よかった、とロキは安心したように笑いました。大人びた表情が消えて、年相応な笑顔が広がります。
と、ロキがまた急に表情を変えました。伸び上がって叫びます。
「いた! 闇虫だ!」
指さす先に黒い虫の集団がいました。背中に生きた目玉が貼り付いた、カブトムシのような甲虫です。地面に何十匹も寄り集まって、まばたきを繰り返しながらうごめいています。
「本当にいやがったか。あそこでなにしてるんだ?」
とゼンが言うと、ロキが金切り声を上げました。
「魔法を食べてるに決まってんだろう! 闇虫の餌は光の魔法なんだから!」
「泉の長老の結界を食べているんだな」
とフルートも言いました。彼らの目には見えませんが、その場所に結界を張るための魔法がかけてあって、それを闇虫が食べているのです。
「闇虫を切ったり潰したりしちゃダメだぞ! そんなことしても闇虫は死なないし、切ったら切っただけ数が増えて手に負えなくなるんだ! 潰したら一度に何十匹にもなるぞ! その中に灯り油が入ってるから、そいつをかけて燃やすんだ!」
とロキが壺を指さしたので、ゼンが呆れました。
「こいつの中身は油だったのか。よくそんなもん持ち出せたな……。心配ねえ。こっちには光の武器があるし、フルートの金の石だってあるんだからな」
「逃げられたら、また増えて厄介だ。金の石でいっぺんにやっつけよう」
とフルートは言ってペンダントを引き出しました。光れ! と言ったとたん、魔石が輝いて周囲を金に染め、闇虫を消滅させていきます──。
すると、黄金の髪と瞳の金の石の精霊が姿を現しました。闇虫がいたあたりを眺めて言います。
「どうやら泉の長老は不在らしいな。闇虫が食い破った痕を修繕した様子がない。このままにしておくと、また敵が侵入するかもしれないから、結界を強化しておくぞ」
精霊の少年が地面に手を押し当てると、今度は地面から金の光が湧き上がって、地面の上に広がっていきました。光が薄く立ち上がり、光の壁のようにシルの町を取り囲んで、すぐにまた見えなくなっていきます。
金の石の精霊が姿を消したので、フルートたちは、結界が強化されたのだと知りました。とりあえず、これでシルは大丈夫そうでした。
フルートたちはロキを町の入り口まで送り届けると、そのまま飛び立って帰路につきました。中まで入ると、町の人たちに囲まれてすぐには離れられなくなりそうだったからです。小さなロキだけが町外れで彼らを見送ってくれました。
「ワン、お母さんやお父さんに会えなかったのは残念でしたね」
とポチが言ったので、フルートは答えました。
「しかたないよ。家は町の反対側だし、これ以上ハルマスを離れているのは心配だしね」
「ま、ロキに会えただけでも良かったよな。元気そうで安心したぜ」
とゼンが言いました。小生意気のなんのと言っていても、ゼンもやっぱりロキがかわいいのです。
フルートは行く手を見ながら言いました。
「守ってやりたいよな、ロキたちを──。せっかく人間になってこの世界に生まれ変わってきたんだ。平和な世界で幸せに育って、大人になっていってほしいよ」
「だな。もちろん他の連中にもみんな幸せになってほしいんだけどよ。ロキには特にそう思うぜ。ちびのくせに一生懸命だもんなぁ」
「ワン、そのためには闇の軍勢やセイロスに勝たなくちゃいけないですね」
フルートは自分の鎧に手を触れました。
「そうだ。そのためには早くこの戦いに決着をつけなくちゃいけないんだ。できるだけ早く──この防具をぼくが着ていられるうちに」
それは先を心配している声ではありませんでした。強い決意の声です。ゼンとポチがうなずき返します。
春の空には夕暮れの気配が漂い出していました。乾いた空に薄くかかった雲が、ほのかに赤く染まり始めています。
ハルマスの砦へ。仲間たちが待っている作戦本部へ。
少年たちは全速力で向かっていきました──。