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第28巻「闇の竜の戦い」

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44.アキリー女王

 「陛下、危険でございます! 早くこの場からお逃げください!」

 テト国の大臣のモッラが、アキリー女王に向かって叫んでいました。

 ここはテト国の北の国境に近い場所です。森と牧草地が交互に現れる丘陵地を、衛兵たちが剣を抜いていっせいに走り出しました。家臣たちは女王をかばって逃がそうとしています。

 アキリー女王はふくよかな体を豪華な衣装で包み、同じくらい豪華に飾った象に乗っていましたが、家臣から逃亡を勧められて言い返しました。

「愚かなことを言うでない、モッラ! この状況で何故わらわだけが逃げられるというのだ!」

 それを聞いて、他の家臣たちも口々に言いました。

「あれが目に入りませんか、陛下!?」

「怪物です! しかもあんなにたくさん!!」

「こちらを見つけて向かってきます! 陛下は早くお逃げください!」

 ところが、女王は頑としてその場を動こうとしませんでした。

「むろん見えておる。あの醜悪な姿は間違いなく闇の怪物じゃ。しかも、あの連中は血しぶきで全身を紅く染めておる。連中が来た方向に何がある? ユドの町じゃ。連中はユドの町で殺戮(さつりく)を繰り広げてきたのじゃ! 何故これを見過ごせる!?」

「それは衛兵のすることでございます! 陛下は一刻も早くお逃げください──!」

 と大臣のモッラはまた叫びました。説得する声が悲鳴のようになっています。

「駄目じゃ!」

 と女王はまたきっぱり言って、牧草地で激突しようとする衛兵と怪物を見つめました。

「ユドの住人はわらわが近くにいると知って、わらわに救いを求めて来たのじゃ! そのわらわが、怪物を見たとたん尻尾を巻いて逃げ出したら、今後誰もわらわを頼ろうとはしなくなろう──! わらわは逃げぬ。我が兵が怪物を退治する様を、ここでしっかり見届けるぞ!」

「陛下!!」

 頑固な女王に家臣たちがまた叫びます。

 別の家臣がおろおろしながら言いました。

「で、ですから、遠征に出る軍を陛下がじきじきに見送るのはよろしくないと申し上げたのです! 王都を離れてこのような辺境までおいでになって、何事かあっては大変だと思っておりましたのに──!」

「それも愚かな心配。わらわたちが見送ったのは、闇の軍勢との戦場になっているロムド国への援軍。しかもわらわの兵ではなく諸侯の私兵じゃ。わらわの代わりに戦場へ向かう者たちを、わらわが見送りもせず都の城で安穏としておって、どうして兵たちが勇敢に戦うと思うのじゃ。それはありえぬ!」

「そうはおっしゃいますが、陛下! たくさんの怪物が襲ってきているのですよ!!」

 何をどう説得しても言うことを聞かない女王に、家臣たちは半泣きになっています。

 

 牧草地では衛兵と怪物の戦闘が始まっていました。怪物は全部で二十匹ちかくいるようでした。衛兵はその三倍もいますが、いくら切りつけても怪物が倒れないので苦戦していました。怪物の傷がすぐに回復していくのです。

 悲鳴を上げて倒れていくのは衛兵だけでした。みるみるうちに人数が減って、あっという間に三分の二ほどになってしまいます。

「相変わらず、我が兵は怪物との戦闘が下手じゃ!」

 と女王は腹を立てると、象の上から声を張り上げました。

「怪物とばらばらに戦うでない! 複数で組となって一匹を相手にするのじゃ! 頭を切り落として馬に踏ませよ! 敵も頭がなくなればこちらが見えぬぞ!」

 ところが、その声が怪物の注意を惹きつけてしまいました。

 何匹もの怪物が丘の上の集団を見つけ、象の上でひときわ目立っているアキリー女王に目をつけました。たちまちこちらへ向かってきます。

 家臣たちは悲鳴を上げました。彼らの多くは軍人ではなく文人です。怪物相手に戦うことなど考えられなくて、いっせいに逃げ出します。

 ところが、女王は自分の象を操る象使いに命じました。

「突進して怪物を象に踏ませよ!」

 ひぇっ!? と象使いは目をむきました。彼の象は女王を運ぶためのものであって、戦闘用の象ではなかったのです。

 モッラがその場に踏みとどまって象使いへ言いました。

「女王をお逃がせするんだ! 早く! 早く!!」

 大臣にせかされて象使いは象の向きを変えました。怪物に背を向けて逃げ出します。

「逃げてはならぬ! 戻せ! 留まるのじゃ!」

 女王はどなりつけましたが、象使いは聞きませんでした。一目散にその場から逃げていきます。さすがの彼女も全速力で走る象から飛び降りるような真似はできなくて、座席の手すりにしがみつきます。

 すると、背後で大きな悲鳴が上がりました。女王が振り向くと、大臣のモッラが血しぶきを上げて倒れていくところでした。その傍らに怪物が立っていました。人のような体に狼の頭、前足には血塗られた爪が伸びています──。

「モッラ!!」

 と女王は叫びました。大臣が地面に倒れ込むと、怪物がのしかかって食いつこうとします。

「させぬ!」

 と女王は叫んで中指の指輪を引き抜きました。女王ともなれば、自分の身を守る道具のひとつや二つは常に身につけています。一度指輪を強く握りしめてから投げつけます。

 すると、指輪は矢のような勢いで飛んでいきました。大臣を食おうとしていた人狼の頭に命中して吹き飛ばします。

 女王はまた象使いに言いました。

「象を止めよ! モッラを救出するのじゃ!」

 けれども象はやっぱり走り続けます──。

 

 すると。

 彼らの行く手にいきなり怪物が姿を現しました。

 大きな狼の頭に毛むくじゃらの体の人狼です。その額に女王の指輪がめり込んでいました。怒りに血走った目で女王をにらみつけると、また姿を消します。

 次に現れたとき、怪物は刃のような爪で象の前足に切りつけていました。

 ばおぉぉぉ!!!

 象が悲鳴を上げて前のめりに倒れ、象使いも女王も背中から投げ出されました。

 地面にたたきつけられた女王の上に、金銀宝石で飾り立てられた座席が降ってきました。重たい座席に挟まれて、女王は身動きがとれなくなります。

 そんな彼女へ人狼が迫ってきました。女王は護身の指輪をもうひとつ投げようとしましたが、腕が座席に挟まれて動かせませんでした。腰から下も座席の下敷きになっているので、抜け出すことができません。

 象使いのほうは倒れた象の下敷きになって意識を失っていました。身動きひとつしません。

 女王は顔を歪めました。こんなとき金の石の勇者たちがいれば……と考えましたが、もちろん彼らはここにはいませんでした。勇者たちはロムド国のハルマスで戦っているのです。

 人狼が牙をむいて彼女に襲いかかりました。むっと血なまぐさい息が押し寄せてきます──。

 

 ところが、一瞬風がそよぎ、怪物の頭がいきなり体から離れました。何かが人狼の首を切り落としたのです。狼の頭は地面に転がりましたが、体は倒れませんでした。女王の目の前に落ちた頭が目をむいてどなります。

「俺様の邪魔をするのは誰だ!? 出てこい! 食いちぎってやる!」

 闇の怪物は首を切られたくらいでは死なないのです。

 ところが、その頭に鋭い鎌のようなものが降ってきました。串刺しにされた頭は、ぽーんと高く放り上げられ、次の瞬間炎に包まれました。同時に体のほうも何かに吹き飛ばされ、地面にたたきつけられたところで燃え上がります。

 人狼があっという間に倒されたので、女王が驚いていると、ひゅうっとまた風が吹いて白いものが丘の上を横切っていきました。透き通った蛇のような長い体に大きな犬の頭と前足──風の犬でした。背中に少年が乗っています。

 風の犬と少年は大臣のモッラへ飛んでいきました。白い光が湧き上がって収まると、モッラがひょっこり立ち上がります。

 女王は座席に挟まれたままその様子を見ていました。大臣がたちまち元気になったので、思わず言います。

「フルート! フルートか──!?」

 すると、風の犬が引き返してきました。巨大な白い犬の顔を女王に近づけて言います。

「今、フルートと言ったな? 彼らを知っているのか?」

 それは青年の声でした。ポチの声ではありません。背中に乗っていたのもフルートではありませんでした。短い銀髪に丸い眼鏡、黒い服を着た少年です。

「急にどうしたんだ、ビーラー?」

 と少年に聞かれて風の犬が答えました。

「この人が今、フルートを呼んだんだよ。知り合いらしいな」

「本当か? 奇遇だな」

 と少年は言いながら片手を女王へ向けました。口の中で何かをつぶやくと、彼女にのしかかっていた座席が宙に浮いて離れました。とたんに傷口が開いて血が噴き出しますが、白い光が彼女を包むと、あっという間に傷は消えてしまいました。破れた服や血の痕さえ消えて元通りになってしまいます。

 

 女王が驚きながら立ち上がる間に、少年は象と象使いも魔法で癒やしていました。象が立ち上がると豪華な座席がその背中に戻ります。そちらもすっかり元通りです。

 それを見て女王は言いました。

「その強力な魔法……そなたはポポロの仲間か!?」

「ポポロも知っているのか。とすると、他の仲間たちのことも知っているんだな? ぼくはレオン。天空の国の貴族だ。あなたは誰だ?」

 と少年は言いました。

「わらわはこのテトの国を統べるアキリー女王。金の石の勇者たちとは旧知の仲じゃ」

「へぇ、女王様かぁ。偉い人だったんだな」

 と風の犬が言いましたが、ことばに反して女王に敬意を払う様子はありませんでした。レオンという少年のほうも同様で、女王に対してまったく普通の口調で話し続けます。

「ぼくたちもフルートたちの知り合いだ。彼らに頼まれて、闇の怪物を退治しているんだ。ここはもう終わりだな。全部片付いた」

 なに!? と女王が周囲を見回すと、丘の上で何匹もの怪物が倒れて燃えていました。牧草地の真ん中では山のように積み上げられた怪物が勢いよく燃え上がっています。元気になった大臣のモッラや象使い、牧草地で戦っていた衛兵たちが、突っ立ったまま、ぽかんとそれを眺めています。

 女王も呆気にとられてしまいました。

「いつの間に怪物を退治したのじゃ! 魔法のしわざか?」

 レオンという少年は風の犬の上で肩をすくめました。

「いや、強力な兵がそばにいるのさ。あなたたちには見えないけれどね」

 それが先ほど人狼を突き刺したのか、と女王は納得しました。目にも止まらぬ素早さで二十匹もの闇の怪物を退治してしまったのですから、大変な兵士です。

 レオンが飛んで離れていこうとしたので、女王は呼び止めました。

「待たれや! これからどこへ行くのじゃ!?」

 風の犬が立ち止まり、少年が振り向きました。

「いろいろなところへだよ。敵が闇の怪物を大陸各地に出現させたんだ。このテトの国にもあちこちに怪物が現れている。それを退治するんだよ」

「あちこちに!? それはまことか!」

 と女王は青ざめました。彼女は城を離れて遠征軍の見送りに来ていたので、国内各地を怪物が襲撃していることを、まだ知らなかったのです。

「それでは、そなたを引き止めるのは愚かなこと。怪物退治をよろしく頼む。わらわの民を助けてたもれ」

「助けるさ。それがぼくたちの役目だからね」

 とレオンは答えると、あっという間に飛び去っていきました。白いユラサイの竜のような風の犬が、空の彼方へ遠ざかっていきます。

 

 その姿が見えなくなると、女王は家臣たちを振り向きました。強い声で言います。

「敵が闇の怪物を国内に送り込んでおる! 金の石の勇者が援軍に魔法使いを送ってくれたようじゃ! 伝令、城へこのことを知らせよ! 衛兵は整列じゃ!」

 女王の命令を聞いて、家臣たちがあわてて動き出しました。ある者は馬に飛び乗って王都の方角へ駆け出し、ある者は牧草地の衛兵のほうへ走ります。

 大臣のモッラも女王に駆け寄って言いました。

「本当に命拾いをいたしました! 陛下、早く象にお乗りください! このうえは少しでも早く城に戻りましょう!」

 象使いも元気になった象を引いてやってきます。

 女王は首を振って言いました。

「城に戻る前に、まずユドの町の確認じゃ! 闇の怪物がまだ残っているかもしれぬ。衛兵をただちにユドへ向かわせるのじゃ!」

 陛下!! とまた困り果ててしまった大臣に、アキリー女王はかんで含めるように話し続けました。

「諸侯はわらわの命令で私兵と共にハルマスへ向かった。その領地の町や村が怪物に襲われたのじゃ。わらわが領主たちに代わって領地の住人を守り、被害があれば支援の手を差し伸べるのは当然であろう──。怪物に襲われて助けを求めている他の町や村にも救援部隊を派遣じゃ! 被害を早急に調べ、支援を始めるのじゃ! 急げ!」

 女王の周囲に集まっていた家臣たちは、ははっ! といっせいに応えました。女王の命令を遂行するために、またそれぞれに動き出します。

 ようやく象の上に乗った女王は、ハルマスがある北の方角を眺めました。

「わらわはそちらへは行けぬ。わらわが戦場へ行ったところで、なんの役にも立たぬからな。代わりにわらわは、わらわにできることをする。テトを、世界を、闇から守ってたもれ。頼むぞ」

 勇者の一行を思い浮かべてつぶやく女王を、象がゆっくりと運び始めました。行き先は闇の怪物に襲われたユドの町です。

 風の犬の名残のような風が丘の上を吹きすぎ、牧草地を渡って行きました──。

2021年8月12日
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