司令室の中と窓の外に突然現れた集団に、一同は驚きました。
窓の外に浮いている男女は風の犬に乗っていますが、司令室の中に来た人々は自分の脚で立っていて、傍らに一頭ずつ犬を従えていました。その犬たちが風の犬に変身するのです。
レオンの足元にいた白い犬が口を開いて話し出しました。
「本当に、呼ぶのが遅すぎるよ、君たちは。こっちはいつでも出動できるように、準備万端整えて待っていたのに、いつまでたってもぼくたちを思い出さないんだから」
「ワン、ビーラーたちは地上を助けに来るつもりでいたの?」
とポチが白い犬に駆け寄って訪ねました。ポチとビーラーはいとこ同士なのです。
「もちろん。天空王様からの命令で、要請があったらすぐ降りられるように待機していたんだよ。それなのに──」
ビーラーの声には恨めしそうな響きがありました。よほど待たされていたようです。
ポポロとルルは、自分たちの故郷から大勢が駆けつけてきたので、とまどっていました。
「貴族全員……が来てくれたんですか? 天空王様のご命令で?」
「でも、天空の国の貴族は地上の出来事には関われないはずでしょう? 地上の戦いは地上の人々に任せなくちゃいけないことだから」
「特例中の特例事項が起きているんだ! 貴族だって関われるに決まっているだろう!」
とレオンがまたどなりました。ひどく腹を立てていて、まだフルートの胸ぐらをつかんだままでいます。その剣幕がすごいので、フルートは何も言えません。
すると、司令室に現れた中のひとりが進み出てきました。中年の痩せた男性で、レオンと同じように眼鏡をかけています。
マロ先生! とポポロたちは言いました。天空城の学校の教師で、彼らとも馴染みの深い人物です。
マロ先生は彼らにうなずき返してから、部屋の全員を見回し、さらに宙に浮いている遠見の石へ目を向けて一礼しました。
「初めてお目にかかります、ロムド国王と王を守る皆様方。我々は天空の国の貴族たちです。地上から助けを求められたら救援に向かうように、という天空王様のご命令によりやってきました。これより天空王様から皆様方にお話があります──」
遠見の石の向こうで急に、がたがたと騒がしい音が響いてきました。誰かがひっくり返ったような音でした。あわてふためくピランの声が聞こえてきます。
「天空王だと!? 天空王が地上にやってくるというのか!? 信じられん! そりゃ本当か!?」
マロ先生は姿が見えない相手へ落ち着き払って答えました。
「天空王様は地上に降りることはできません。光の力が強すぎるため、地上の均衡を崩してしまわれるからです。これからおいでになるのは天空王様のうつし身です──」
そのことばが終わらないうちに、銀の光と共に部屋の真ん中にひとりの男性が現れました。光のような銀の髪とひげに黒い星空の衣の天空王です。ただ、その姿は半分透き通っていました。体を通して向こう側の景色や人々が透けて見えています。
とたんに人々は言いようのない感情に襲われました。恐怖にも似た畏れ(おそれ)が湧き上がってきて、天空王を見ていられなくなります。オリバン、セシル、ワルラ将軍、ユギルまでが床に膝をついて天空王へ頭を下げます。
遠見の石の向こうのロムド城でも、人々が同じ行動を取っているようでした。息を殺すような静寂が石から伝わってきます。誰もが天空王にひれ伏しています。
ただ、フルートたち勇者の一行だけは別でした。天空王はうつし身でも太陽のようにまぶしく光り輝いていましたが、平気でそれを見上げて話しかけます。
「助けに来てもらえたのはありがたいけどよ、どうして俺たちが遅いと怒られなくちゃいけねえんだ?」
「だよね。助けに来れるなら、さっさと来てくれれば良かったのにさ。あと、ちょっとまぶしすぎないかい?」
とたんに遠見の石の向こうでまたひっくり返る音がしました。ば、罰当たりがぁ! と叫ぶピランの声が聞こえてきます。
「これはすまなかったな」
と天空王が輝きをぐっと抑えたので、穏やかなその顔がよく見えるようになりました。自分を見上げている勇者の一行と、ひれ伏したまま顔も上げられない一同を見ながら、穏やかに話し続けます。
「先ほどルルも言ったとおり、我々天空の民は地上の出来事に関わることができない。これは遠い昔の契約で決まったことだ。ただ、地上から助けを求められたら、天空王の許しを得て地上へ助けに行けることも取り決められているのだ。そしてもうひとつ。地上の世界は光と闇のバランスの上に成り立っている。故に、地上に闇の勢力が強まれば、それに見合うだけの光の勢力が地上に加わることができるのだ。現在、地上の世界は闇へと大きく傾いている。だから、天空の国からも応援が来ることができたのだ」
フルートはレオンに胸ぐらをつかまれたまま、目を見張りました。少しの間考えてから聞き返します。
「つまり、闇王のイベンセが闇の軍勢を地上に連れてきたり、闇の怪物に各地を襲撃させたりしたから、天空の国からも貴族たちがやって来たってことですか? 光と闇のバランスを取るために?」
「世界は常にそのバランスの上に成り立っている。天空の国と闇の国の間に存在する地上は特にそうなのだ。地上に強い闇が出現すれば、それに匹敵するだけの光も出現する。これは、世界の創始から繰り返されてきた理(ことわり)だ」
苦手な理ということばを久しぶりに聞かされて、げっ、とゼンが声を上げます。
ひざまずいて頭を下げていたユギルは、艶(つや)のある床の上に浮かんできた象徴を見ていました。
地上を表す広がりの中、とある場所に闇が次第に集まって、巨大な闇が生まれようとしました。ところが、それに応えるように新星のような三つの光が現れると、闇を打ち砕いたのです──。
この場面をユギルは以前にも見たことがありました。今回の戦いの始まりの始まり、黒い霧に包まれた闇の神殿で闇の卵が育ち、そこから闇の竜が生まれようとしたときのことです。金の石の勇者になったフルートが田舎町のシルからやってきて、ゼンやポチと共に神殿に乗り込んで卵を破壊したのです。
このときにも闇と光のバランスが取られていたのか、とユギルは考えました。闇の竜のような強大な闇が誕生しようとしたから、金の石の勇者という光の存在も地上に現れたのです。
その後、影の存在となった闇の竜は、地上と世界の果ての間を往来しながら、自分の依り代を見つけては魔王に変え、少しずつ世界に闇を増やしていきました。一方、それに対抗するフルートたちも、世界中を旅して仲間を増やし、光に味方する勢力を増やしていきました。これもまた闇と光のバランスだったのです。
そして、ついに闇の竜は自身であるセイロスをこの世に復活させ、闇の軍勢と共に地上を襲撃しました。それに対して、勇者の一行を中心にできあがったのが同盟軍です。今そこに天空の国の貴族たちも加わって、名実ともに光の軍勢となりました。
闇が強まれば光も強くなる。またその逆もしかりで、光が強くなれば闇も濃くなっていく。それが世界の本質、理であるのだとしたら、この戦いはどう決着するのだろう──。ユギルはそんなことを考えました。磨かれた床にこの戦いの結末を占おうとしますが、変化の激しい戦争はうつろう未来を万華鏡のように揺らしていて、結末を見せようとはしませんでした。勇者の一行がどうなるのかも、占いには現れてきません……。
マロ先生が天空王に話しかけていました。
「こうしている間にも闇は地上を襲撃し続けております。出撃したいと思いますので、ご命令を願います」
それを聞いて、やっとレオンがフルートから離れました。天空王のうつし身の前で、ビーラーや他の貴族たちと一緒に姿勢を正します。
ところが、天空王は言いました。
「命令を下すのは私ではない。そなたたちはすでに光の同盟軍に加わっている。同盟軍の司令官であるフルートの命令に従うのだ」
フルートは驚き、仲間たちはいっせいに彼を振り向きました。オリバンたちも伏せていた顔を思わず上げてしまいます。
フルートはレオンたちを見渡し、さらに窓の外に勢揃いしている貴族たちを見ました。全員の目はフルートを見ていました。命令を待っているのです。
フルートはとまどいを振り切ってうなずきました。彼らに向かって言います。
「闇の怪物に襲われている町や村を助けてください。襲撃されている場所は中央大陸中に散っていて非常に広範囲だし、怪物の数も一万を超えていると言います。とても困難ですが、あなたたちにしか頼めないんです。お願いします」
すると、ビーラーが呆れた顔になりました。
「もっと堂々と命令すればいいだろう。本当に腰が低い司令官だな」
「ぼくたちは天空の国の貴族だぞ。何も準備しないで来たと思うのか?」
とレオンも言うと、手招きするように片手をちょっと動かしました。
とたんに彼の隣に背の高い人のようなものがあらわれました。鎧のような白くつるりとした体に細い手足、のっぺりした顔には大きな赤い目が二つあります。
「戦人形(いくさにんぎょう)だ!」
と勇者の一行は言いました。大変な戦闘力を持つ魔法仕掛けの人形です。
すると、部屋にいる他の貴族たちの横にも同じような人形が次々姿を現しました。色は青や赤や緑と様々ですが、やはり鎧のような体と大きな赤い目をしています。さらには窓の外の貴族たちの周囲にも、無数の戦人形が現れました。一瞬姿を見せては消え、次の瞬間には別の場所に現れることを繰り返します。
「ワン、戦人形を連れてきたんですか!? みんなが!?」
とポチが驚くと、マロ先生が答えました。
「戦人形は二千年前の光と闇の戦いで、闇の軍勢と戦うために作り出されたものだ。その後、消魔水の井戸の底で眠りについていたが、世界でまた光と闇の戦いが始まったときには、目覚めて戦いに加わることになっていたんだ。そのときがついにやって来たのだよ──」
オリバンたち戦人形を知らない者たちには、なんのことかさっぱりわからない話でしたが、勇者の一行にはそのすごさが理解できました。なにしろ戦人形は様々な攻撃力を持つ上に、あらゆる魔法を跳ね返すのです。闇の怪物にも絶大な威力を発揮することでしょう。
「よろしくお願いします」
とフルートはまた言いました。やっぱり偉そうな命令はできない司令官です──。
天空の国の貴族と風の犬と戦人形からなる天空軍は、いっせいに飛び立っていきました。司令室にいたマロ先生やレオンたちも窓の外へ転移し、風の犬に乗って飛んでいきました。戦人形はもう見えなくなっていましたが、主人のそばにいるのは間違いありません。
まだうつし身で立っていた天空王が、フルートに向かって言いました。
「私自身は戦闘に加わることはできない。私が加われば、地上の勢力は大きく光に傾く。その結果、地上にさらに強大な闇を生んでしまうのだ。だが、私はいつもそなたたちを見ている。光の力を結集させなさい。それこそが闇に打ち勝つ唯一の手段になるだろう」
フルートはうなずきました。天空王が「闇の竜に打ち勝つ」ではなく「闇に打ち勝つ」と言ったことには気づきましたが、そのことには触れませんでした。天空の国でも、闇の竜を倒す方法は金の石の勇者が願い石に願うことしか知られていないのです。何も言わずに金の石をそっと握りしめます──。
天空王が音もなく姿を消すと、銀の光の輝きが薄れていって、司令室はまた元の状態に戻りました。