「見えました。同盟軍は闇の軍勢と戦闘の真っ最中でございます」
ハルマスの砦の北、王都ディーラのロムド城でそう言ったのは、一番占者のユギルでした。輝く長い銀髪に浅黒い肌、彫りの深い顔立ちに青と金の色違いの瞳の、見目麗しい青年です。
そこはロムド王の執務室でした。テーブルに占盤を置いて座るユギルを囲むように、ロムド王とリーンズ宰相、白の魔法使い、キース、それにエスタ城の鍛冶屋の長のピランが集まっています。ピランは背がとても低いので、テーブルを挟んだ反対側の椅子に立っていました。引きずりそうなほど長い灰色のひげに金属のように光る緑色の服のノームの老人です。
金の冠をかぶったロムド王がユギルに聞き返しました。
「戦っているのは誰だ? 勇者たちか? オリバンたちも一緒か?」
「ハルマスに駐屯する部隊の半数以上が出撃しております」
と占者は答えました。まだ三十代前半の若さなのに、離れた場所の様子を占って語る声は、ひどく年とった人物のように厳かです。
「具体的にはどの部隊でしょう?」
と尋ねたのはリーンズ宰相でした。ロムド王の女房役を五十年も務めている重臣です。
「戦闘はハルマスの砦の東から闇の森にかけて、四カ所で勃発(ぼっぱつ)いたしました。最もハルマス寄りで戦っていたのはヒムカシの国の宙船ですが、こちらの戦闘は終結したようで、船は砦に戻りつつあります。船に乗っていたのはヒムカシの妖怪たちですが、河童殿も同乗されていたようです」
魔法軍団の部下の名前が出てきたので、白の魔法使いがうなずきました。白い長衣を着て淡い金髪を金の髪飾りで束ねた女神官です。
「他の三カ所では誰が? ずいぶんあちこちで戦闘が起きているんだな」
とキースが言いました。長い黒髪に甘い顔立ちの彼は、先の闇王の十九番目の王子です。
「東の街道から闇の森へ向かう途中で戦闘中なのは、同盟軍の本隊です。ロムド軍、メイ軍、ザカラス軍、エスタ軍が一団となって、闇の敵と戦っているようでございます。オリバン殿下やワルラ将軍もここにおいでです」
とユギルは言い、占盤の黒い表面を見ながら、さらに話し続けました。
「闇の森の上では、ヒムカシの妖怪軍団のどなたかが敵の集団と戦闘中です。勇者殿たちは、闇の森の上空から非常に強力な魔法を使って、敵の本陣を発見したようでございます。本陣に直行して戦っておいでです」
「やっぱり本陣は闇の森にあったんだな。グーリーが調べてきた通りだ」
とキースが言うと、白の魔法使いが眉をひそめました。
「今のお話だと、青が戦闘に加わっていないようですが、青は殿下と共に本隊にいるのでしょうか?」
と青の魔法使いの所在を尋ねます。
ユギルは首を振りました。
「青の魔法使いとヒムカシの妖怪の多くは闇の森にいて、勇者殿の後を追って本陣に突入しようとしています。また、ユラサイの術師の大半はハルマスに残留です」
「敵が隙を突いてハルマスに攻めてくることを用心したのか」
とロムド王がフルートの意図を察します。
部屋の中の人々がユギルと話している間、ノームのピランは椅子の上に立ったまま、机の占盤を見ていました。丸い石の板は黒くつややかに磨き上げられ、線や文字のようなものが刻み込まれています。それを横から斜めからとさんざん眺めてから、ふぅむ、と唸って口を開きます。
「ダメだな。占盤が言うことはさっぱりわからん。象徴とやらもわしには見えんしな。ユギル殿でなければ、これを使って味方の様子を知ることはできんということだ」
「失礼ながらそれは当然のことかと、長殿(おさどの)。ユギル殿はロムド城の一番占者です」
とリーンズ宰相が言うと、ピランは椅子の上でぴょんぴょん飛び跳ね始めました。
「ああ、そうだとも! 当然だとも! 占いの道具は占者に今や未来を見せるために存在しているんだからな! だが、占者じゃないわしらには見えん! それが不便だと言ってるんだ!」
怒ったような言い方に、ユギルは我に返った顔になりました。年相応の若い声になって言います。
「わたくしの占盤も、完全に戦場の様子が見えているわけではございません。闇の軍勢は強い闇の気配としか感じられないので、味方の象徴から今何が起きているかを推理しているのでございます。以前、敵の飛竜部隊がディーラに攻めてきた際に、長殿がお使いになった遠見の石のように、その場面をじかに見られるわけでは──」
「それだ!!」
ノームの老人がいきなり大声を上げたので、部屋の人々は思わず飛び上がりそうになりました。
「そ、それだって、何が?」
とキースが聞き返すと、老人は椅子の上で足を踏みならしながらわめき続けました。
「わしはあの遠見の石を改良したんだ! あのとき、石に映った景色をキースが拡大して皆に見られるようにしただろう!? あの機能を持った拡大装置も作り上げた! 遠見の石を使えば、ロムド城からでも戦場の様子がわかると言ってるんだ! そんなこともわからんのか!」
鍛冶の名人の老人は、魔石を使った魔法の道具を作ることに長けていたのです。
キースは老人の怒りを受け流して、大袈裟に感心してみせました。
「それは素晴らしいな、長殿! 戦場は闇王の管轄だから、アリアンも透視できなくて悔しがっていたんだ! 遠見の石が使えるなら、離れていてもディーラからフルートたちを応援できるかもしれないな!」
「おう、そうだとも、そうだとも! そういうことだ!」
ノームの老人はたちまち機嫌を直すと、どこからか、丸い石を二つ取り出しました。よく磨かれた白っぽい石の球で、片方がもう一方よりひとまわり大きいサイズをしています。老人は小さいほうの球を掲げて話し続けました。
「こっちを戦場に浮かべておくとだな、こっちの石にそれが映し出されて、さらに拡大されるという仕組みだ。その他にも改良は加えたからな。以前は都のすぐ外あたりまでしかつながらなかったが、今じゃ闇の森だって楽々つながるはずだ。遠い戦場の様子もすぐわかるぞ」
素晴らしい!! と部屋の中の人々は本気で絶賛しました。
「さっそく殿下にお届けいたしましょう! 殿下はいずれ勇者殿と合流されるはずです!」
と白の魔法使いが進み出ました。自ら届けに行こうとしたのです。
すると、ユギルがロムド王に向かって言いました。
「恐れながら、陛下、そのお役目をわたくしにお申し付けいただけませんでしょうか?」
「ユギルが?」
とロムド王は驚きました。他の者たちもびっくりしてユギルを見てしまいます。一番占者が王のいる城を離れて戦場へ行くというのは、通常では考えられない行動です。
けれども、ユギルは頭を下げ、いっそううやうやしい口調になって言い続けました。
「その遠見の石があれば、誰もがわたくしの占いより正確に戦場の様子を知ることが可能でございます。また、万が一、都に闇の敵が迫った場合には、アリアン様やキース殿がいち早くお気づきになります。城にはユラサイの占神殿もいらっしゃるので、きっと陛下のお力になってくださることでございましょう」
「いや、しかし、ユギル殿が城を離れてしまっては守りが──」
と女神官は反対しようとしましたが、ユギルは考えを曲げませんでした。
「青の魔法使い殿が魔法軍団の半数を率いて出撃している今、白の魔法使い殿や他の魔法軍団が城を離れるのは、城の守りの上で、本当に心配なことでございます。その点、わたくしであれば今この城を離れても都に不安はない、と占盤も申しております。陛下、どうぞわたくしにお申し付けくださいませ」
丁寧すぎるくらい丁寧な口調で話して、ユギルはまたロムド王を見ました。その整った顔が一瞬ひどく真剣な表情を浮かべます。
それでも他の者たちは占者を止めようとしましたが、ロムド王は少し考えてから言いました。
「良かろう。長殿が作った遠見の石をオリバンや勇者たちの元へ届けるのだ。必要があれば、彼らの助けとなってやれ」
「御意」
とユギルはすぐに王の前にひざまずきました。長い銀髪が床の上に流れ広がってきらめきます。
「準備ができたら、わしの仕事場に石を受け取りに来い。そのときに設置の仕方を教えるからな」
とピランも言いました。ユギルは老人にも頭を下げると、旅の支度をしに部屋を出て行きました。それで会議は終了となったので、白の魔法使いやキースも自分の持ち場へ戻っていきます。
「どれ、わしも石の最終確認をするか──」
とピランも部屋を出ようとすると、ロムド王に引き止められました。
「長殿、この件はユギルから頼まれたことなのか?」
ノームの老人は目を丸くして振り向きました。
「なんでそんなことを思ったんだ? あんたの占者は、そんなことは一言も言わなかっただろう」
ロムド王は穏やかに答えました。
「わしもユギルとの付き合いは長い。あれがあんな表情をしたときには、必ずどこかに危険が迫っているのだ。あれが行かなければ取り返しがつかなくなるような重大な危険がな。長殿が遠見の石を改良したと知って、それを届ける形で駆けつけようとしているのだ」
王の話に顔色を変えたのはリーンズ宰相でした。
「で、では、殿下に命の危険が迫っているというのですか!? それとも勇者殿たちに!?」
「わしにはそこまではわからんよ。あんたたちの占者も、そこまでは話そうとしなかったからな」
とピランは肩をすくめると、まだ手に握っていた二つの石を眺めました。
「だが、どっちにしても、これが必要になるような戦況になる、ということなんだろう。これで戦闘の様子を見ていれば、ロムド城から援軍を送り出すタイミングもわかるんだからな」
ロムド王はうなずきました。この城にはまだ魔法軍団やロムド正規軍の半数が残留しているのです。
「長殿がこの城にいてくださって本当に良かった」
とロムド王が感謝すると、ピランは、かっかっと甲高く笑いました。
「わしはわしが作った物たちが戦いでどう活躍するか見たいだけだ。だが、それもエスタ王がわしをここに残していってくれたおかげだ。で、そのエスタ王は勇者の坊主たちに命を救われているし、坊主たちはロムド王、あんたからずいぶん助けられている。要するに、巡り巡ってお互い様ということだな」
「確かに」
とロムド王は答えました。一瞬王の顔にも笑みが浮かびますが、すぐにそれは消えてしまいました。
「頼むぞ、ユギル」
オリバンやフルートたちの手助けに向かおうとしている占者に、王はそっとつぶやきました──。