その日の午後、ハルマスの砦から闇の森へ向かって、大部隊が出陣しました。砦の東の門が開け放たれて、隊列を組んだ兵士たちが大勢出ていきます。
彼らは様々なところから参戦しているので、所属する国や領地ごとに揃いの防具や目印を身につけていました。
先陣を切っていく大部隊は銀の鎧兜に緑のマントのロムド正規軍です。騎兵部隊も歩兵部隊も、一糸乱れず進んで行きます。その先頭を馬で行くのは、大きな体にいぶし銀の防具をつけたオリバンと、白い鎧兜を着たセシル、そして濃紺の鎧兜のワルラ将軍でした。ワルラ将軍には副官のガストと従者のジャックが従っています。
「いよいよ敵に反撃できますね。楽しみだ」
とジャックが言ったので、ガスト副官が注意しました。
「張り切りすぎると思いがけず命を落とすぞ。そもそも、我々の目的は敵の目を惹きつけることだからな」
ジャックはふてぶてしい顔に憮然とした表情を浮かべました。
「もちろんそれは承知しています。でも、今まで敵の居場所がわからなかったから、砦を攻められっぱなしで手の出しようがなかったんですよ。今度はこっちから一矢報いることができるってんで、俺たちはみんな張り切っているんです」
そのやりとりにワルラ将軍が振り向きました。後ろに続く部下たちがジャックと同じように意気込んでいるのを見て、満足そうにうなずきます。
「よし、闇の敵相手に精一杯暴れてやれ。連中が復活できないほど徹底的にな。こちらの戦闘が激しければ激しいほど本隊はやりやすくなるんだ」
そう言われてジャックも後ろを見ました。
ロムド正規軍の後ろにはロムドの諸領主の軍隊が続いていました。防具の色はまちまちですが、それぞれが自分の領主の紋章の入ったマントや上衣をはおっています。正規軍と領主軍を併せたロムド軍は、総勢一万五千を超しています。
その後も門から兵士が続々出てくるので、ジャックは思わず苦笑しました。
「これが実は本隊じゃないっていうんだから詐欺(さぎ)ですよね。まったく、あいつらしいや」
ジャックが「あいつ」と言っているのはフルートのことでした。ジャックはフルートの幼なじみなのです。昔フルートをいじめてばかりいた悪童が、今では将軍の従者になって戦っています……。
次に門から出てきたのは、揃いの赤いマントのメイ軍でした。騎兵と歩兵合わせて三千名ほどの軍勢で、セシルの弟のハロルド王子が指揮をしています。王子は鎖帷子(くさりかたびら)に鎧兜を着込み、腰に剣を下げ、手には鮮やかな赤い鞭を握っていました。鞭にはメイ国の紋章が刻まれています。
「いよいよだ。いよいよ敵を撃退できる」
とハロルド王子も意気込んでいました。戦いで敵に圧勝して、その成果を手土産にメーレーン王女に求婚しようと考えているのですから、いやでも気合いが入ります。
そんな彼のすぐ後ろに従っているのは、白い鎧兜の騎兵部隊でした。見るからに体格の良い戦士たちの中で、その集団だけは小柄で細身な者が目立ちます。ナージャの女騎士団でした。
「あまりお焦りになりませんように、殿下。この戦いは大がかりな陽動なのです。殿下が最近学んでいらっしゃる兵法を発揮する機会は、これから必ず訪れます」
と副隊長のタニラが注意を促しました。彼女だけは男のように大柄で、南方系の浅黒い肌をしています。
「わかっている」
とハロルド王子は言いましたが、はやる表情はそのままだったので、本当にわかっているのかどうか怪しいところでした。
タニラは部下の女騎士を二、三名こっそり呼びつけると、王子のそばから離れないように命じました。彼女たちは隊長のセシルから王子を守るように言いつかっていたのです──。
メイ軍に続いて出てきたのはザカラス軍でした。こちらも騎兵部隊と歩兵部隊が連なっていて、総勢二千名ほどいましたが、騎兵のほうが数が多いのが特徴的でした。隊の中ほどにいる騎兵や歩兵は普通の鎧兜に国王や領主の紋章が入ったマントをはおっていますが、先頭にいる騎兵は全員が黒い鎧兜を身につけていました。勇猛なことで有名なザカラス正規軍です。
正規軍の騎兵たちには、すぐ前を行くメイ軍がよく見えていました。指揮官のハロルド王子が白い防具の女騎士に囲まれているので、陰口を言い始めます。
「見ろよ。メイの王子様は女たちに囲まれているぞ」
「宮殿だけでなく、戦場でも後宮をお作りになるとはたいしたもんだな」
「闇の敵が出てきたら、女たちと一緒に黄色い悲鳴を上げて逃げ出すんだろう」
男の兵士しかいないザカラス軍は、男性偏重の気質が強いので、女騎士団やそれを率いるハロルド王子をあまり快く思っていないのです。
とたんに前から鋭い声が飛んできました。
「今しゃべった者たち、出てこい!」
ザカラス皇太子のトーマ王子でした。まだ少年なのに大人顔負けの厳しい表情で正規軍をにらみつけています。
正規兵が思わずたじろぐと、トーマ王子は言い続けました。
「敵をあなどるのも許しがたいが、味方をあなどるのはもっと許しがたい! 女騎士団を指揮しているというので、メイの皇太子をあなどるのか! メイの女騎士団が男にも勝る優秀な戦士だということを知らないのか!? 思い込みで味方をそしる愚か者は我が軍には不要! 今すぐザカラスへ帰れ!」
怒ってどなりつけるトーマ王子の姿は、祖父のギゾン王譲りで、なかなかの迫力でした。さすがのザカラス正規兵も恐れて後ずさり、進軍が止まって渋滞が発生してしまいます。
すると、補佐役のニーグルド伯爵が駆けつけて、あわてて王子を取りなしました。
「殿下、彼らの指揮を陛下から任されたのは私でございます。彼らの失言は私の監督の不行き届き。いかなる罰も私がお受けいたしますので、どうかお怒りをお収めください……」
トーマ王子は伯爵を冷ややかな水色の目で見ました。厳しい声のまま言います。
「では、彼らにきつく言い渡せ。今後、いかなる内容でも味方への誹謗(ひぼう)中傷は許さない。次にこんな真似をした者は、即刻軍から追放し、ザカラスの家族親戚も連帯で処罰する。いいな!」
「承知いたしました」
処罰の内容は厳しいのですが、とりあえず今回はおとがめなしになったので、伯爵はほっとしながら頭を下げました。ザカラス軍は騎兵も歩兵も皆青ざめて黙り込んでいます。そのくらいトーマ王子の迫力は強烈だったのです。
メイ軍も騒ぎを聞きつけて立ち止まっていました。自分たちが侮辱されたと気づいた女騎士の中には、ザカラス軍をにらみつける者もいましたが、タニラとハロルド王子に促されると、また進軍を再開しました。前が動き出したので、ザカラス軍もまた進み始めます。
すると、シン・ウェイがトーマ王子に馬を並べて言いました。
「さすがだな。それにちょっと意外だったぞ」
「何が?」
トーマ王子の声はまだ尖っています。
「あっちの王子を擁護するようなことを言ったからだよ。恋敵(こいがたき)のはずだろう?」
トーマ王子は思わず真っ赤になると、すぐに青年をにらみつけました。
「シンでなければ不敬罪で追放するところだぞ──。ハロルド王子は勇敢な人物だ。闇の大蛇が襲ってきたときにも、逃げずにいち早く反撃を命じたのだからな。侮辱されていいはずがない」
そのとき、メイ軍の先頭からハロルド王子もこちらを振り向きました。トーマ王子と目が合うと、黙って一礼してまた前に向き直ります。具体的なやりとりは聞こえていなくても、ザカラス軍で何が起きていたのか、ちゃんと察しているのです。
そんなハロルド王子の態度がいやに大人びて見えて、トーマ王子は口を尖らせました。怒って家来をどなりつけた自分が急に子どもっぽく思えて、ますます不機嫌になってしまいます。
そんな自分の気持ちをなだめるように、トーマ王子は鎧の胸当てから一枚の紙切れを取り出しました。馬を歩ませながら眺め始めます。
シン・ウェイは思わず肩をすくめました。王子が見ているのはメーレーン王女からの手紙などではありません。彼が渡した古代ユラサイ文字の音読表だったのです。ユラサイの呪符を使うのに必要なことばを覚えるためのものでした。
王子が低い声で発音の練習を始めたので、シン・ウェイは黙ってそれに付き添いました。質問されたら教えるつもりでしたが、王子はひとりで熱心に発音の練習を続けています。王子は意外なくらい覚えが早かったのです。
「そろそろ王子に使えそうな呪符を準備しておくか」
と青年はそっとつぶやきました──。
出陣する連合部隊のしんがりはエスタ軍でした。総勢六千を超す大軍ですが、国王軍と領主軍が入り混じっていて、防具もマントもばらばらでした。エスタ軍には傭兵(ようへい)も多いので、装備を統一することができないのです。ただ、隊列はきちんとしていて、それぞれが所属する王や領主の旗印に従って前進していました。騎兵も歩兵もいるのは他国の軍と同じです。
エスタ軍を指揮しているのはシオン大隊長でした。前と後ろに延々と連なる軍勢を馬上から眺めて、彼も心の中でひとりごとを言っていました。
「いよいよだ。ついに我々は真の敵と戦うのだ。我が国に風の怪物を送り込み、国王陛下を石にまでして我が国を支配しようとした闇の竜と──。ジズ、この戦いの噂はおまえのところまで届いているか? 私はエスタとこの世界を守るために出陣するぞ。私の隣におまえが馬を並べていないことだけが、本当に残念だ」
大隊長が考えているのは、軍人になってエスタを守るという夢を一緒に追っていた幼なじみのことでした。彼らは一度は同じエスタ軍に所属したのですが、貴族の身分が高くなかったジズのほうは、優秀だったにもかかわらず国の重要な場所に配置してもらえず、上司とトラブルになったあげくに軍を辞めてしまったのです。その後、ジズは王弟エラード公の刺客になり、フルートたちとも縁ができたりしたのですが、さらにその後は行方知れずになっていました。今も彼の行方はわかりません。
実を言えば、ジズははるか西にあるカルドラ国のセイマという港街で、情報屋が集まる酒場の亭主になっていました。フルートたちもそのことは知っているのですが、ジズから口止めされていたので、シオン大隊長には伝えられていなかったのです。カルドラ国の住人もジズの手助けでハルマスに応援に来ていたのですが、その事実も大隊長は知りませんでした。
「おまえと共に戦いたかったな、ジズよ……」
戦場まではまだまだ道のりがあります。シオン大隊長は感傷に浸りながら馬を進めていきました──。
一方、連合部隊の後ろには兵站(へいたん)部隊がいました。兵士たちの食糧や武器の予備などを運ぶ運搬係で、直接戦闘には関わりませんが、非常に重要な役割を担っている部隊です。ここに所属するのは砦で働く一般の男たちでした。連合部隊が大人数なので、兵站部隊も千名以上いて、馬車や荷車で重い荷物や武器を運んでいきます。
その兵站部隊を後ろから警護しているのは、エスタ軍の辺境部隊でした。率いているのは隊長のオーダです。彼の馬の横を白いライオンの吹雪が歩いています。
ここは軍勢の最後尾ですし、なにしろオーダの部隊なので、隊形などはないに等しい状態でした。兵士は全員が馬に乗っていますが、てんでばらばら、広がれるだけ広がって進んでいます。
ただ、それは兵站部隊を守るのには都合の良い陣形でした。兵站部隊は荷物が重くて遅れがちになるので、それを後ろから囲むような格好になっています。
「ここはもう行軍の尻尾だからな! 敵さんもこの辺までは来ないと思うが、もし襲ってきたら、抵抗しないでさっさと逃げろよ! 戦って倒そうとか馬鹿なことは考えるんじゃないぞ!」
オーダが大声でそんなことを言うので、部下たちは呆れました。
「いいのかい、隊長、俺たちがそんなことを言ってて?」
「敵の本陣に総攻撃を仕掛けるんだろう? 手柄を立てなかったら褒美(ほうび)ももらえないじゃないか」
元は半端者の寄せ集めだった辺境部隊ですが、隊長のオーダが輪をかけていい加減なので、最近は部下たちのほうがまともなことを言うようになっています。
オーダは、ふん、と鼻を鳴らしました。
「馬鹿言え。向こうは切っても刺しても死なない闇の民だぞ。命がひとつしかない俺たちがまともに戦って勝てるか。だいたい、この行軍がおかしい。こんな真っ正面から激突して大戦闘を繰り広げるような攻め方を、あいつがするわけないんだからな」
「あいつってのは金の石の勇者のことか、隊長?」
「おう、そうだとも。あいつはとにかく戦闘が嫌いだからな。いつも、できるだけ小さい戦いにして最小限の被害ですむ方法を考えるんだよ──。俺たちには知らされてないが、これは絶対に陽動だぞ。どこかで本当の攻撃が準備されてるんだから、下手に戦って怪我なんぞしたらつまらない、と言ってるんだ」
はぁ、と部下たちは言いましたが、あまり納得している声ではありませんでした。そんな話をするのに、彼らの隊長は相変わらず前進を続けているからです。
それを尋ねると、オーダはにやりとしました。
「ま、フルートは金払いだけはいい奴だからな。手柄を立てりゃ相応のご褒美がもらえるんだから、命は大事にしながら、チャンスがあったら活躍しようや。そうすりゃ、またご褒美四倍ってのも夢じゃないだろう」
「なるほどね」
部下たちはやっと納得すると、前より少しだけ真剣に進軍していきました。彼らの後ろにはもう軍勢はありません。
オーダは行く手を見ながらひとりごとを言いました。
「あいつらはこの行軍に加わっていなかったからな。どこでどんな作戦を練っているのやら……。俺の出番もちゃんと作るんだぞ、フルート」
いい加減なように見えて、実は密かにやる気でいるオーダです。
それぞれの想いを胸に、軍勢は東へ進んでいきました。やがて道に行き当たると、いったん北上して森や林を抜け、今度は南東へ向かいます。
その彼方に、闇の森がありました──。