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第28巻「闇の竜の戦い」

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第2章 四天王

5.追っ手

 ハルマスの反撃で負傷したジオラ将軍は、闇の軍勢と共に退却していきました。

 巨大な水牛にしがみついて走り続け、森をいくつか抜けたところでやっと停まります。

 振り向けば、部下の兵士たちが後を追って必死で逃げてくるところでした。その後ろに敵の追っ手がなかったので、将軍はようやく安堵します。

 すると、猛烈な悔しさがこみ上げてきました。肩にくらった魔法の稲妻のせいで、彼の体はまだ半分麻痺したままです。いったいこれはなんだ!? といまいましく考えます。敵の人間が「中庸の術」と言ったのは聞きましたが、彼はこれまでそんな魔法を知らなかったのです。

「王に知らせなくては」

 と将軍はつぶやきました。強力な防御魔法でも防ぐことができない魔法の存在は、まったくの想定外です。闇王に知らせて対策を立てなくてはならないし、この傷も癒やしてもらわなくてはなりませんでした。稲妻の傷は、いくら時間がたっても、いっこうに治る気配がなかったのです。

 そうこうするうちに、部下たちが彼の元に集まり始めました。ドルガ、トア、ジブ、どの階級の兵士も息を切らし、打ちのめされたように呆然としていました。防御できない未知の魔法に、誰もがショックを受けたのです。

 ジオラ将軍はいまいましく舌打ちすると、自分を運んできた水牛を大きな杖に変えました。それで動かない半身を支えると、近くにいたドルガたちに言います。

「わしは王に報告するために、先に本陣に戻る。おまえたちは兵をとりまとめて追いかけてこい。途中でまた何度か転送するから、それぞれの扉を閉め忘れるな」

 はっ! とドルガたちは声を揃えて返事をして、四本の腕で敬礼をしました。闇の兵士は上官の命令にはよく従います。逆らえば呪いをかけられたり、魔法で処罰されたりするからです。いつか自分が将軍になったら全軍を思いのままに操ってやる、と胸に野望を抱きながら、今は従順に命令を守ります。

 将軍は荒れ地に魔法陣を描いて、大地に入り口を開けました。杖をつきながらひとりで降りていきます──。

 

 後に残ったドルガたちは話を始めました。

「追っ手の人間はいやにあっさり引き上げていったじゃないか。得体の知れない魔法を使ううえに、竜まで使っていたというのに」

「ああ、俺もそう思った。もうちょっとこちらを攻撃しても良かったはずだ」

「すると、これは罠か?」

「可能性はあるな。俺たちをわざと逃がして、後をつけるつもりかもしれん」

 闇の民も馬鹿ではありません。フルートたちの動向に不自然さを感じて、ハルマスの方角を眺めます。

 けれども、そちらは続々と逃げてくる闇の兵士でいっぱいでした。人間の姿は見当たりませんが、彼らは油断しませんでした。部下のトアたちを呼びつけて命じます。

「敵が後をつけてきているかもしれん。周囲をよく探せ。部隊は整列させて点呼だ」

「はっ!」

 今度はトアたちがいっせいに返事をして命令に従いました。自分の部隊を整列させて点呼すると、最初の小隊に付近の捜索を命じます。

 命じられたのは下級兵のジブたちでした。翼を持たないので、歩いて周囲の捜索を始めます。木立の陰や枝の上、茂みの中、岩陰、小川の中までのぞき込みます。その間にも闇の兵士が次々と逃げてくるので、その顔も確かめていきます。

 

 すると、突然ひとりのジブが声を上げました。

「そこにいるのは誰だ!?」

 言うが早いか、離れた茂みへ魔法を撃ち込みます。

 とたんに茂みが燃え上がり、中から小さな黒い生き物が飛び出しました。飛び跳ねながら叫びます。

「ヨ──ヨヨヨヨ!」

 それがちっぽけなゴブリンだったので、他のジブはいっせいに笑いだしました。魔法を撃ち込んだ仲間をからかいます。

「大層な敵を発見したな! お手柄じゃないか!」

「そうだそうだ。ゴブリンといえど油断はできないからなぁ」

「これで昇進は間違いないな! ゴブリンで昇進するから、ゴブリン・トア殿だ!」

 もちろん軍にそんな名称の階級はありません。

 からかわれたジブは真っ赤になりました。まだ若かったので、むきになって言い返します。

「なんでそんなに騒ぐんだ! ゴブリンなんて虫けらと同じで、どこにでもいるじゃないか!」

「それはわからんぞ。敵が放ったゴブリンかもしれん」

 ジブのひとりがまたからかい、他の仲間がどっと笑います。

 若いジブは身震いすると、ゴブリンを吹き飛ばそうと手を向けました。

 とたんにまた仲間の揶揄(やゆ)が飛びます。

「いいぞ! 敵のゴブリンを倒して俺たちを助けてくれ!」

 若いジブは、かっと赤くなり、その拍子に手元が狂いました。すぐそばで草が燃え上がったので、ゴブリンは、ヨ! と悲鳴を上げて、どこかへ逃げてしまいました。たちまち見えなくなります。

 そこへ、騒ぎを聞きつけて上官のトアが飛んで来ました。厳しい声で尋ねます。

「どうした! 敵を見つけたのか!?」

 ジブたちはいっせいに背筋を正しました。

「いいえ、隊長殿」

「いたのはゴブリンでした」

「ゴブリンだと?」

 上官がみるみる怒りの表情になったので、ジブたちは震え上がりました。

「大馬鹿の屑どもが!! 真面目に探さんと貴様らをゴブリンに変えてやるぞ!!」

 上官の大目玉に、全員が泡を食って捜索を再開します──。

 

 軍勢から少し離れた場所で、ゴブリンは草むらに隠れて、ほっと息をつきました。黒い猿にも似た小犬くらいの怪物です。大きな目をぐるりと回すと、もぞもぞと体を動かして、ヨ──とつぶやきます。

 そこにいたのは、双子ゴブリンの片割れのヨではありませんでした。ヨに化けたグーリーです。この姿が一番敵に怪しまれないと考えて変身したのです。

 先ほどジブたちが話していたように、ゴブリンは闇の民がいる場所にはどこでも出現する小さな怪物でした。力もないので、闇の民はネズミか虫のようにゴブリンを無視します。ただ、ゴブリンはことばをしゃべるのに、グーリーはヨ、ヨ、と鳴くことしかできませんでした。捕まって問いただされたら、ごまかすことができなかったので、無事に逃げられて安心します。

 草むらに潜みながら、グーリーはヨとゾがロムド城で話していたことを思い出しました。

「闇の民はオレたちゴブリンを馬鹿にしているんだヨ。だから、オレたちが近くにいても気にしないんだヨ。いつだってゴブリンは無視なんだヨ」

「でも、油断はできないんだゾ。闇の民はオレたちゴブリンを食ったりしないけど、時々ペットの餌にゴブリンを狩ることがあるからだゾ。オレたちを捕まえて、いじめて殺すこともあるゾ」

 闇の民が自分より弱いものに非常に残忍なことは、グーリーも承知していました。いくらゴブリンに化けていても、捕まればただではすまないのです。

 グーリーは首を伸ばして、草むらの間からそっと軍勢を眺めました。

 先ほどまで雑然としていた集団が、今はきちんと整列して上官の命令を待っていました。まだ逃げてくる兵士はいますが、数は減っています。もうじき出発しそうなので、グーリーはそろそろとまた軍勢に近づいていきました。草むらから岩陰へ、また草むらへと移っていきます。

 すると、捜索隊がこちらへやってきました。先ほどとは別のジブたちです。

 グーリーはとっさに近くの木に飛びつき、根元にかじりつきました。夢中で木の根をかじる真似をします。

 捜索隊がグーリーに気づきました。血の色の目でグーリーを一瞥(いちべつ)して言い捨てます。

「なんだ、ゴブリンか」

 それだけでした。また別の方面の捜索に行ってしまいます。

 

 そこへトアが捜索隊に召集をかけました。部下の報告を聞いて、上官のドルガへ報告します。

「怪しいものは周囲に見当たりませんでした」

「こちらもです。追っ手はないようです」

「こちらの方面にも追っ手は見当たりませんでした」

 誰もゴブリンを見かけたことなど報告しようとはしません。

 ドルガたちはまた話し合いを始めました。

「追っ手はなしか。我々の思い過ごしだったか」

「敵の本隊は砦から出てこなかった。砦の中に重要なものがあったのか?」

「ああ、そういえば、なんとかいう人間の女を捕まえるのが目的だ、と将軍がおっしゃっていたな」

「砦の中で守っていたから、追ってこなかったわけか」

 その女が金の石の勇者の仲間で、彼らの攻撃を防ぐために花鳥で最前線に飛び出していたとは、誰も想像もしません。

 この時点で、部下の兵士はほとんど集結していました。戦闘前より一割ほど数が減っていましたが、それは戦死したと見なして、ドルガたちは撤退を決めました。

「出発!」

「本陣に引き上げるぞ!」

 上官の命令で軍勢が動き出しました。地面に開かれた入り口が狭いので、順番に退却を始めます。

 グーリーはそっとまた前へ出ると、整列する闇の軍勢のすぐ横に隠れました。見つからないように気をつけながら、少しずつ前進して入り口に近づきます。

「ぐずぐずするな! 急げ!」

 ドルガに言われてジブたちは急ぎ足になりました。小隊ごとに入り口へ駆け込んでいきます。

 その足元に、ちょろりとグーリーは駆け込みました。兵士たちの黒い脚と一緒に地面の穴に飛び込みます。

「うん?」

 退却を見守っていたドルガが怪訝(けげん)そうに目を向けましたが、グーリーはもう部隊と一緒に穴に入ってしまって、姿が見えなくなっていました──。

2021年4月22日
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