巨大な黒い羊が突進してくる様子は、ハルマスの砦からも見えていました。
北の防壁の上の武僧たちはいっせいに身構えました。
「来るぞ!」
「近づけるな!」
彼らは武神カイタの神殿で修行を積んでいる魔法戦士でした。力のある魔法を繰り出すには肉体も鍛えなくてはならない、と信じて訓練を重ねているので、誰もがはち切れそうなほど逞しい体つきをしています。
その中でもひときわ大柄で見事な体格の男がいました。他の武僧たちは白い上下の武僧服を着ていますが、この大男だけは青いズボンと長衣を着込んでいます。ロムド城で四大魔法使いのひとりに数えられている、青の魔法使いでした。元はミコンの武僧だったので、古い仲間たちと一緒に砦を守っていたのです。
ミコンの武僧長が全員に命じました。
「羊を止めるぞ! 圧伏!」
武僧たちはいっせいに、だん、と足を前に踏み出しました。腰を落とした姿勢で両手を前に突き出し、見えない壁を押さえるような姿勢になります。
すると、突進する羊の速度が急に鈍り始めました。魔法の力に押し返されているのです。蹄の音を立ててしゃにむに進んできますが、速度はますます落ちて、ついには先へ進めなくなってしまいます。
羊は唸り声を上げ、地面に蹄をめり込ませてあがきましたが、見えない力を振り切ることはできませんでした。武僧たちが気合いを込めると、ずずっと後ずさりを始めてしまいます。
羊は苦しそうに頭を振り、オレンジの目で防壁に居並ぶ武僧たちを見ました。彼らが自分を押しとどめているのだと気づいたのでしょう。口を開けて破壊の鳴き声を食らわせようとします。
そこへ防壁から鳥のように飛んできた人物がいました。青の魔法使いです。
「させませんぞ。羊はおとなしくメーと鳴いていればよろしい」
と言って、手にした杖で羊の鼻面を思い切り殴り飛ばします。
羊は大きくのけぞって後足立ちになりました。杖に込められた魔法で吹き飛ばされたのです。攻撃の好機に武僧長がまた命じます。
「押せ押せ! 羊を転倒させろ!」
防壁の武僧たちが気合いと共にいっそう魔力を強めます──。
「人間の分際で生意気な!」
と猛スピードで飛んで来たのはジオラ将軍でした。羊が押し返されているのを見て駆けつけたのです。
青の魔法使いはすぐに将軍へ飛びましたが、将軍が大剣で切りつけてきたので、こぶだらけの杖で受け止めました。すると、将軍の別の腕が長剣を突き出してきました。おっ、と魔法使いが脚を上げて靴で剣を受け止めると、そこへさらに槍が突き出されてきます。青の魔法使いには防ぎきれません。
そこへフルートとポチが追いつきました。途中で将軍に追い越されたのです。ポチが身をひるがえし、フルートが将軍の槍を光炎の剣で切り払います。
とたんに槍の柄が燃え上がったので、将軍はそれを放り出しました。闇の槍が燃えながら消滅していきます。
その隙に青の魔法使いが動きました。将軍の大剣を受け流し、将軍が体勢を崩したところへ、体を反転させて蹴りを食らわせます。
光の魔法を込めた蹴りを食らって、ジオラ将軍は大きく吹き飛びました。すぐに翼を羽ばたかせて空中に止まります。
「生意気な人間どもめ!」
と将軍は長い筒のようなものを構えました。先ほど魔法の弾をフルートへ撃った武器です。
「危ない!」
とフルートが青の魔法使いをかばって前に飛び出します。
すると、将軍の長筒がいきなり光って消えました。銀色の矢が命中したのです。花鳥がこちらへ駆けつけてくるところでした。弓を構えたゼンがフルートへどなります。
「こいつは俺たちが引き受けた! おまえは羊をやれ!」
青い花鳥が将軍へ襲いかかっていくのを見て、フルートとポチは向きを変えました。将軍の窮地に地上からトアやドルガが飛び上がっていましたが、青の魔法使いが応戦を始めたので、そちらは任せて地上へ急降下します。
そこにはバロメッツの羊がいました。防壁の武僧軍団に魔法で押されて、後足立ちのままもがいています。
フルートは羊の背中へ光炎の剣を突き立てました。黒い長い毛は積み重ねられた羽毛のように柔らかく、フルートとポチはその中にめり込んでいきました。剣の周囲で毛が燃え上がります──。
ド……カアァァァァァン!!!!!
轟音と共にいきなり羊が大爆発しました。
激しい煙と熱風が広がり、周囲のものを吹き飛ばして炎に巻き込んでしまいます。
ジオラ将軍と戦っていたゼンたちも爆風を食らいました。火と煙に巻かれて何も見えなくなってしまいます。
けれども、爆風と炎が通り過ぎると、空中に白い繭(まゆ)のような球体が現れました。鳥の翼が生えていて、羽ばたきながら浮いています。花鳥が防御力の高い白い花で繭を作って、ゼンやメールたちを守ったのです。
花鳥が繭から鳥に戻ったので、ゼンたちにもあたりの様子がよく見えるようになりました。
爆発は本当に突然だったので、周囲にいた闇の軍勢はほとんど身を守ることができませんでした。吹き飛ばされて絶命したり、重症を負って倒れてうめいたりしています。そんな惨状が、羊のいた場所を中心に百メートル以上も広がっているのです。
爆発はハルマスの防壁にも襲いかかっていました。羊を押さえるのに魔法を使っていたおかげか、闇の軍勢ほど被害は甚大ではありませんが、それでも何人もの武僧が負傷してうずくまっています。防壁もいくらか損傷したようでした。
バロメッツの羊が跡形もなく吹き飛んでいたので、勇者の仲間たちは驚きました。
「なんでこんなことになるのさ!? バロメッツの羊って、やられると爆発するのかい!?」
「そんなの聞いたことないわよ! 光炎の剣のせい!?」
「おい、フルートたちはどこだ? 見当たらねえぞ!」
「今探してるわ……! バロメッツは体の中が全部毛でできてるから、それが一気に燃えて爆発みたいになったのよ……いた!」
ポポロが歓声を上げて地上を指さしました。舞い上がった土煙がおさまっていく中に、金の光に包まれたフルートがいたのです。胸に小犬になったポチを抱いて守っています。ふたりとも怪我はなさそうでした。
そこへ北の方角から大勢の声が聞こえてきました。
爆発の周囲の敵はほとんどが死んだり重症を負ったりしていましたが、砦に近づけずにいた軍勢はまだ無傷だったのです。魔法で爆発から身を守っていたジオラ将軍が命令しています。
「壁にほころびができたぞ! 突入しろ! 敵の基地を制圧するんだ!」
おぉぉぉぉ!!!
闇の軍勢は雄叫びを上げてハルマスへ押し寄せました。今まで砦を守っていた武僧軍団には負傷者が出て、防御力が落ちています。防壁の土台に爆発で亀裂が入っているのも見えます。軍勢は勢いづいて前進しました。仲間の屍(しかばね)を踏みつけて突撃していきます──。
すると、フルートがすっくと立ち上がりました。背後から敵の軍勢が迫っていましたが、かまわず砦へ呼びかけます。
「出ろ、飛竜部隊!」
それに応えて砦から飛び立ったのは、何十頭もの飛竜でした。背中にはユラサイ兵が乗っていますが、その後ろにそれぞれもうひとりずつ人を乗せていました。白や灰色の服と頭巾を身につけ、口元を布でおおった男女──ユラサイの術師たちです。
飛竜部隊の先頭には、単独で飛竜に乗った竜子帝とリンメイがいました。
竜子帝が命じます。
「敵を砦に近づけるな! 術師たち、攻撃するのだ!」
術師たちはいっせいに術を使い始めました。炎や光、剣や槍といったものが空中に生み出されては、敵へ飛んでいきます。
そんな中、竜子帝たちと入れ替わるように、すうっと一頭の飛竜が出てきました。背中には頬に大きな傷がある青年と、黄色い服と頭巾の術師が乗っています。他の兵士は鞍と手綱をつけた飛竜に乗っていますが、青年は裸竜に無造作に立っていました。食魔払いのロウガと術師の長(おさ)のラクです。
他の術師たちが敵に攻撃を始めたのにラクが動かないので、ロウガは尋ねました。
「あんたは攻撃しないのか?」
「わしらの狙いは敵の将軍だ。行ってくれ、ロウガ」
とラクは言って、懐(ふところ)から呪符を取り出しました。ユラサイの術師は呪符と呼ばれる呪文の紙を読み上げることで、術を発動させるのです。
ロウガは体の重心を移動させて竜を操り、ジオラ将軍へ向かいました。
将軍のほうでも気がついて向き直ります。
「そんな貧弱な竜と魔法で我々に勝つつもりか! 愚かな人間どもめ!」
嘲笑う将軍へラクは呪文を唱えました。呪符が輝く稲妻になって、将軍へ鋭く飛んでいきます。
将軍は笑いながら腕を一本かざしました。その手の先に黒い光の壁が広がります。闇の障壁を張ったのです。障壁は分厚く、本物の金属の盾のように黒光りしています。
ところが、ラクの稲妻は障壁を難なくすり抜けました。そのまま将軍の右肩に深々と突き刺さります──。
「やったわ!」
とリンメイが歓声を上げました。
「これが我がユラサイの中庸(ちゅうよう)の術だ! 闇の魔法では防ぐことができぬ術だぞ! 思い知ったか!」
と竜子帝も勝ち誇って言います。
ジオラ将軍は空から地上へ落ちました。
いつもならば負傷しても自分の魔法ですぐ治せるのですが、稲妻の傷は消えませんでした。体の中に留まった稲妻に体がしびれて、体の右半分を動かすことができません。
将軍の周囲でも、術師の術を食らった闇の兵が次々倒れていました。上級兵のトアやドルガも、術の攻撃にはまったく歯が立たなかったのです。闇の軍勢はみるみる数が減っていきます。
ついに将軍は言いました。
「退却──退却だ!」
自分自身は飛ぶことも歩くこともできないので、魔法で呼び出した水牛にしがみついて逃げ出します。
司令官の将軍が真っ先に離脱したので、闇の兵たちも逃走を始めました。砦に向かって突進していた敵が、我先にと退却していきます。
その光景をメールとゼンとポポロは花鳥の上から眺めていました。
「逃げてく逃げてく!」
「やっとだな。にしても、ユラサイの術は闇の連中によく効くぜ」
「光の魔法とも闇の魔法とも違う体系で発動しているからよ……」
花鳥の背中には負傷したルルも横たわっていました。そこへフルートがポチと飛んできて金の石を使ったので、ルルの傷も治ります。
「なかなか来られなくてごめんよ。痛かったね」
とフルートが謝ったので、ルルは、あら、と言いました。
「このくらい、なんでもないわよ。戦いの最中に私のほうに来たりしたら、かみついて追い返したわよ」
「ワン、ルルなら本当にやりかねないな」
とポチが言ったので、仲間たちは思わず笑ってしまいました。なによ! と怒ったルルも、すぐに一緒に笑い出します。
地上では敵が逃げ去っていました。途中まで後を追っていた飛竜部隊が、竜子帝の命令で引き返してきます。
「これで作戦通りなのだな」
と竜子帝が話しかけてきたので、フルートはうなずきました。
「うん。あとはグーリーの活躍に期待だよ」
彼らは戦闘が終わった地上を眺めました。グーリーは砦の外に身を潜めていたのですが、すでに闇の軍勢を追いかけていったのか、どこにも見つけることはできませんでした──。