地中から飛び出した魚は、フルートを攻撃しそこねて落ちていきました。地面に激突したとたん砦中が激しく揺れたので、敵も味方も一瞬動きが止まります。
地面の上でのたうつ魚を見下ろして、フルートは眉をひそめました。
「ナマズに似てるな……大きさは違うけれど」
黒い魚は丸い頭から長短のひげが突き出したナマズにそっくりだったのです。フルートが故郷で見かけるナマズも、全長が二メートルにもなる大きな魚でしたが、今真下にいるものはその何倍もの大きさがあります。
すると、大ナマズがまた空中に飛び跳ねました。何十メートルも飛び上がって、空にいたフルートとポチに食いつこうとします。
ポチが身をかわすと、大ナマズはまた落ちていきました。地面にぶつかると、砦が再び激しく揺れます。
「ワン、あいつ、地震を起こしてますよ」
とポチは言いました。地面の穴から飛び出してきたし、水がなくても平気で動いているのですから、地中で生きる魚なのに違いありません。
フルートたちに二度もかわされて、大ナマズは怒って激しく暴れました。ひれや尾が地面を打つたびに、砦が大揺れに揺れます。
すると、地上から声がしました。
「そいつを止めてくれ、フルート! このままでは防塁を崩される!」
セシルでした。彼女が乗った馬は激しく揺れる大地の上で懸命に脚を踏ん張っていました。その背後の防塁から、うっすらと土煙が上がっています。できて間もない防塁なので、地震の揺れで緩み始めているのです。崩れたら、そこから敵がなだれ込んできます。
「わかりました!」
とフルートは大ナマズへ突進しました。光炎の剣で切り裂こうとします。
ところが、それより早く、大ナマズが背を向けました。黒い尾がまた飛んで来て、今度はフルートに激突します。フルートはポチの背から跳ね飛ばされました。地面にたたきつけられて何メートルも転がります。
けれども、魔法の鎧を着たフルートは平気でした。すぐに跳ね起きると、剣を構え直します。そこへ大ナマズがまた落ちてきました。地面が大きく揺れて、フルートもよろめきます。
すると、背後からいきなり敵が飛びついてきました。大ナマズを呼び寄せたジブです。
「もらったぞ! 死ね!」
と手にした短剣をフルートの顔に突き立てようとします。
「フルート!」
ポチが助けに行こうとしますが、間に合いません。
すると、ジブが急に動きを止めました。驚いたように目をむいて下を見ます。ジブの腹にはフルートが後ろに突き出した剣が突き刺さっていました。次の瞬間、傷が光と火を吹き、ジブは炎に包まれて燃えていきます──。
フルートは顔を歪めましたが、敵を振り返ることはしませんでした。前方にも敵が大勢いたからです。その向こうにはあの大ナマズもいます。フルートは駆け出し、敵を次々切り払っていきました。湧き上がる悲鳴と炎の中をくぐって、大ナマズへ駆け寄っていきます。
大ナマズは身の危険を感じたのか、丸い頭を地面に突き立てました。ものすごい勢いで体を回転させて穴を掘り、地中に逃げ込もうとします。
「逃がすかよ!」
空を駆けつけてきたゼンが、光の矢を放ちました。魚の背中に命中して背びれを溶かし、大ナマズはまた大暴れします。
また起きた地震にフルートがよろめいていると、ポチが飛んできました。フルートを背中にすくって飛び続けます。
「奴へ!」
とフルートはポチと大ナマズへ突進しました。ナマズの上でポチから飛び降り、墜落しながら剣をナマズの背中に突き立てます。
たちまち大ナマズは激しい光と炎に包まれました。燃えながら消滅していきます──。
炎が消えると、ナマズは跡形もなく消えていました。フルートの姿もありません。フルートはすでに別の戦場へ走っていました。エスタ兵に襲いかかっていたジブに飛びつき、引き剥がして切りつけます。
そこへ背後から三体のジブが飛びかかってきました。フルートは気配を察して身をかがめ、体勢を崩した敵の足元に切りつけました。三体が光と炎に包まれます。
「おっと、やるな」
その獅子奮迅ぶりにゼンはあきれながら感心しました。普段は敵にも情けをかけてしまうようなフルートですが、本気で戦えばとんでもなく強いのです。
「ほんとにすごいわ。なんだか吹っ切れたような戦い方ね」
とルルも驚き感心します。
その間にも、フルートは次々敵を倒していました。彼の行く先々で光と炎が湧き起こります。
すると、一行の頭の中に、突然ポポロの声が響きました。
「大変よ! 南からも敵が来るわ!」
「南!?」
フルートもポチも、ゼンもルルも、驚いて思わず南の方角を振り向きました。ハルマスの南にはリーリス湖が広がっています。敵は船を持っていないので、そちらから攻めてくることはないと思っていたのですが──。
空の高い場所で青い花鳥が羽ばたいていました。その背中からポポロがまた言いました。
「敵の一部が湖を泳いで侵入しようとしてるのよ! 湖の中が黒く見えるの! きっとあれは敵よ!」
「まずい!」
とフルートは言いました。ハルマスは東西と北を防塁で囲まれていますが、南には湖があるだけで、敵の侵入を防ぐものはなかったのです。大きな湖を泳ぎ切れば、容易に侵入されてしまいます。
「ワン、乗ってください!」
ポチが舞い降りてきたので、フルートはまた飛び乗りました。追いついてきたゼンやルルと一緒に、花鳥がいる場所まで上昇していきます。
花鳥の上ではメールとポポロが湖を指さして話し合っていました。フルートたちが来たので言います。
「ほら、あれ!」
「湖ん中が真っ黒く見えるだろ!? 水面に波も立ってるしさ! あれ、みんな敵だよ!」
メールたちが指さす先の湖に、黒い帯のようなものが見えていました。まるで湖の岸へ押し寄せる黒い波のようです。
それが敵の集団だとすれば、何万という数なのに違いありません。いくらゼンが光の矢を放ち、フルートが光炎の剣で切りつけたとしても、これだけの敵を倒すのは不可能でした。しかも、砦の中にもまだ敵は大勢いるのです。
「フルート!」
ポポロが懇願するように言いました。自分に魔法を使わせてくれ、と言っているのです。フルートは唇を噛み、湖や砦を見渡しました。新しい闇王のイベンセはまだ姿を見せていません。けれども、どこかに身を潜めているとしたら、きっとポポロが魔法を使い切った瞬間を狙っているでしょう。どうしよう。どうしたらいい? 迷ってしまって、とっさには決断ができません──。
そのとき、ゼンが言いました。
「おい、船が出て行くぞ!?」
えっ、とフルートたちは湖を見直し、何隻もの船が船着き場を離れて行くのを見ました。リーリス湖に軍艦はありません。出て行くのはすべて帆を張った小さな木造船です。
「やだ! あれで闇の軍勢と戦うつもりなの!?」
「武器もないんだろ!? 無理だよ!」
彼らは青くなって湖へ飛びました。すぐに船の甲板に立つ人々が見えてきます。それは、ハルマスを守るために残る、とフルートたちに話していた漁師や船長たちでした。船は十数隻いて、どの船にも複数の男が乗っています。
ゼンが目をこらしてまた言いました。
「漁師たちだけじゃねえ。ヤダルドールの連中もいるぞ」
そんな! と一行はまた驚きました。
武器の運搬、湖側の防衛……きっとできることがあるはずだ、と彼らに話したのはフルートでした。それを真に受けて、無謀にも敵に向かっていったんだろうか、とフルートはますます青ざめます。
「ワン、止めないと!」
とポチが言いました。泳いでくる敵の軍勢と漁船の間にはまだ距離がありますが、このまま船が沖へ向かえば、間もなくまともに遭遇してしまいます。
ところが、船は不思議な動きを始めました。
敵がいる南へ向かうのかと思ったのですが、舳先の向きを変えて、東や西へ進み始めたのです。同時に船の上で男たちが忙しく動き出しています。
「何をするつもりだ?」
ゼンが目をこらし続けていると、ポポロが急に嬉しそうな声を上げました。
「あれ、魔法の道具よ!」
「魔法の道具!?」
「どれ!? どれのことさ!?」
ルルやメールに聞き返されて、ポポロは船を指さしました。
「ほら、甲板の上からロープみたいなものを湖に落としているでしょう? あれに光の魔法がかけてあるのよ!」
けれども、そう言われても仲間たちにはまだ、それがなんのための道具なのかわかりませんでした。船が何をするつもりなのかもわかりません。見守っている間に、船はさらに東西へ移動していきます。
すると、船が出て行った船着き場のあたりから、突然剣のぶつかり合う音が聞こえてきました。馬に乗った誰かが、闇の敵と戦っていたのです。リーンと鈴を振るような音が響いて、闇の敵が霧散していきます。
「ありゃオリバンだぞ!」
「あら、ほんと。いつの間に? さっきまで、もっと中のほうで戦ってたわよね」
勇者の一行が驚いている間に、オリバンはまた闇の敵を倒しました。聖なる剣はすぐに闇の敵を消滅させますが、敵はかなりの数なので、いくら倒してもきりがないように見えます。
「手助けに行こう!」
とフルートは仲間たちと急降下しました。オリバンへ殺到する敵を後ろからなぎ払っていきます。
ルルも唸りながら飛んで、風の刃で敵を切り払いました。その背中からゼンは光の矢を連射します。
花鳥は青から白に変わってオリバンの前に舞い降りました。防御力の高い翼を広げて、敵からオリバンと馬を守ります。
背中からメールが尋ねました。
「大丈夫かい、オリバン!? 怪我ないかい!?」
「ああ、大丈夫だ。ちょうど良い。おまえたちもここを手伝え」
とオリバンが答えたので、手伝う? とメールとポポロは驚いてしまいました。ここはただの船着き場です。桟橋に太いロープが二つの山になっていますが、船は出て行ってしまったので、この場所で手伝うことはもうないように見えます──。
オリバンは話し続けました。
「ここにあるのは結界の網(あみ)だ。これを湖に張り渡して陸の防壁とつなげば、湖側にも防壁が完成する。ハルマスの漁師たちが湖に張りに行ったが、両端を防壁につなぐ者がいなかったのだ」
結界の網、とメールとポポロはまた驚いて、桟橋の上を眺めました。積まれていたのはロープではなく網だったのです。山から網が伸びて湖の中に沈んでいます。
ポポロはそこから湖上の船に次々目を移して言いました。
「本当だわ。この網はずっとつながっているのね。それを船で運んで、湖の中に広げているんだわ」
「じゃあ、湖に一直線に網を張ろうとしてるのかい!? それで敵を防ぐんだ!? すごい!」
とメールがますます驚くと、オリバンは言いました。
「これを運んできたのはヒムカシの妖怪たちだ。オシラという妖怪の占い師に言われて、船の中で作り上げてきたらしい。防壁が完成したら湖側にも張ってハルマスを囲むことになっていたのだが、その前に敵が攻めてきた。妖怪たちの宙船は避難者を運んでいってしまったし、網を張り渡すことができなくなって困っていたら、ヤダルドールの男たちとハルマスの漁師たちが協力を申し出てくれた。私はここで網の端を守っていたのだ」
そういうこと! と少女たちは納得しました。メールがポポロに言います。
「早くゼンを呼んどくれよ! こういうのはゼンの出番だよ!」
ポポロが呼びかけると、ゼンはルルと一緒にすぐにやって来ました。同じ声を聞いてフルートとポチもやってきます。
話を聞くと、ゼンは言いました。
「わかった。網の端を防壁につなぎゃいいんだな。俺が片方やるから、もう一方はメールがやれ。花鳥を使えばできるだろう」
「あいよ。じゃあ、あたいはこっちの端っこをやるよ」
「俺はこっちの端だな」
メールは花鳥で、ゼンは自分自身で、二つの山からロープの端をつかむと、また空に舞い上がりました。湖の東西の岸に接した防壁のはずれを目ざして飛んでいきます。彼らが遠ざかっていくと、それに合わせてロープのような網も桟橋から湖にどんどん引き出されていきます。
「ぼくたちは彼らを援護しよう」
とフルートもポチと飛び立とうとすると、オリバンに引き止められました。
「待て、おまえはここだ。先ほどから人違いされて迷惑この上なかったのだ」
「人違い?」
誰に? とフルートが聞き返そうとしたとき、迫っていた敵の中から、一体のジブが飛び出してきました。
「俺の剣にかかって死ね、金の石の勇者!」
ところが、ジブが斬りかかって行ったのはフルートではなくオリバンでした。オリバンに剣で打ち返されてよろめいても、すぐにまたオリバンへ斬りかかっていきます。
オリバンはそれを聖なる剣で消滅させると、フルートを振り向きました。
「見ての通りだ。私は金の石の勇者ではない、と何度言っても、この連中はわからんのだ。責任持ってなんとかしろ」
「なんとかって……」
フルートは困惑しましたが、また他の敵がオリバンに襲いかかっていったので、間に飛び込んで剣をふるいました。オリバンの剣のような音はしませんが、代わりに敵が光と炎に包まれます。
その光を見て、空からトアが急降下してきました。
「いたな、金の石の勇者だな!?」
とフルートに槍を繰り出します。槍の先端が顔を狙っていたので、フルートがとっさに腕で防ごうとすると、金の石が輝きました。トアとその近くにいたジブたちをまとめて溶かしてしまいます。
「ワン、フルート、大丈夫ですか?」
とポチは心配しました。金の石を使ってしまったので、フルートが苦痛に顔を歪めていたからです。
「うん、大丈夫……それより、今ので敵はぼくがここだと気がついたようだ。集まってくるぞ」
フルートの言うとおり、金の光を目にした闇の敵が、いっせいにこちらへ向かい始めていました。金の石の勇者を殺せば親衛隊の階級が上がるので、敵も本気なのです。あっという間に百体を超す敵が群がってきます。
フルートはオリバンに言いました。
「すみません、オリバンを逃がす余裕がなくなりました。空に逃げると、結界の網を敵に奪われるかもしれないし」
すると、オリバンは馬の上から、じろりとフルートをにらみました。
「馬鹿者。誰がここから逃げたいと言った。おまえに間違われて迷惑だと言っただけだ。この連中はハルマスから排除しなくてはならん。向こうから集まってきてくれるのは好都合だ」
と言うと、襲いかかってきた敵を切り捨てます。フルートが金の石を使ったのに、敵の目には相変わらずオリバンのほうが金の石の勇者に見えているようでした。
フルートはポチから飛び降りて言いました。
「君は敵を攪乱させてくれ。一度にこちらに殺到してこないように。ぼくはオリバンとここで戦うから」
「ワン、わかりました。気をつけて」
ポチが敵の集団に飛び込んで風でなぎ倒し始めます。
そこから飛び出して向かってきた敵を、フルートはオリバンと一緒に倒しました。光炎の剣がひらめき、聖なる剣が涼やかに鳴るたびに、敵は次々消滅していきます。
そうする間に、桟橋の網の山はどんどん小さくなっていきました。網の端を持ったゼンと花鳥が岸の防塁に近づいているのです。
ハルマスは魔法の防御で包まれようとしていました──。