翌日、ハルマスの砦は本当に完成しました。
ハルマスが貴族たちの保養地だった頃に比べると、半分以下の面積でしたが、東と北と西は防塁と防壁で囲まれ、南側はリーリス湖に守られています。人外の敵が空や地中から襲ってくる可能性があるので、そちらにはロムド兵や魔法軍団が目配りしていました。特に空に対しては、ディーラにもある大いしゆみや高射魔砲があちこちに配置されています。
街中には軍事施設だけでなく、病院も完成していて、医者や修道女たちが働き始めていました。戦闘が始まれば軍事病院として機能するのです。神の都ミコンからは、経験豊富な魔法医たちが明日にも到着する、という連絡が入っていました。
ザカラス国やメイ国からも近々援軍が到着する運びになっています。
この状況に、フルートは工事に携わった人々をハルマスから避難させることにしました。彼らは非戦闘員です。敵が攻めてきたら、戦うことはおろか、身を守ることもできないのです。さらに、彼らが宿舎にしていた建物を、増えていく援軍の兵舎にする必要がありました。
彼らは妖怪たちが操る宙船でディーラへ送られ、そこで工事の報酬を受け取って、故郷へ戻ることになりました。六隻の宙船が、いっぱいに人々を乗せて、次々飛び立っていきます。
ただ、兵士ではないのに、砦に残ることを選んだ人たちもいました。
カルドラ国のヤダルドールから、恩返しのためにはるばるやって来た男たちもそうでした。ディーラへ避難するように勧めるフルートたちへ、首を振って言います。
「俺たちが一番困っていたときに助けてくれたのは、あんたたちだったんだからな。今度は俺たちの番なんだ」
「戦闘以外にも人手は必要だろう。荷運びでも馬の世話でもなんでもするから、このままここで手伝わせてくれ」
元々このハルマスに住んでいた漁師や船乗りたちも、避難しようとしませんでした。
「わっしらの故郷はこのハルマスでさぁ。それを捨てて逃げることなんかできません」
「わっしらの船は空は飛べんが、湖を渡ることができます。きっとお役に立つこともあるはずです。わっしらもこのままハルマスにいさせてくだせえ」
その中には、以前フルートたちを乗せてくれた船の船長もいました。彼らは勇者の一行が自分たちを闇の敵から守ってくれたことも、ハルマスの再建に尽力してくれたことも知っていたのです。
今日もフルートたちと一緒にいた天狗が、フルートたちに言いました。
「ヒムカシには『情けは人のためならず』という諺(ことわざ)がある。誰かのために行った親切が、巡り巡っておのれに帰ってくる、という意味だ。おまえたちがこれまでしてきたことが、今おまえたちのところへ帰ってきている。素直に受け取るんだな。それはおまえたちが世界に結んできた絆(きずな)だ」
きずな……とフルートたちは繰り返しました。人と人との強い結びつきを象徴することばです。
「ぼくたちはただデビルドラゴンを倒したくて、その方法を世界中に探していただけだったんです」
とフルートがとまどうと、ゼンは肩をすくめました。
「でもよ、俺たちが行く先々でいろんな奴らを助けてきたのも本当だよな。困ってる奴らを見ねえふりなんか、できなかったんだからよ」
それが彼らのこの五年あまりの旅でした。見返りを求めていたわけではないのですが、確かに彼らは世界中で誰かを助けて、そこの人々と絆を結んできたのです。
目の前に横たわるリーリス湖では、最後の宙船が飛び立とうとしていました。船室にも甲板にも人をぎっしりと乗せて、湖面から空へ浮き上がっていきます。
すると、船底からしたたる水が突然霧のような水煙に変わって、船体を包み始めました。その状態で空高く上っていくと、宙船はひとかたまりの雲のように見えるのです。地上の人々を驚き怪しませないための機能でした。
港から見送っていたメールが、急に、あっと声を上げて船へ手を振りました。
「湖で猫と溺れて、あたいたちが助けた子だよ! 船の上からこっちに手を振ってた!」
ポポロもすぐに遠い目になって言いました。
「ほんと、確かにあの子だわ! あのときの黒猫を抱いてるし、お母さんもそばにいるわ!」
猫を連れた少女の母親は、ハルマスの工事のために集められた飯炊き女だったので、安全な故郷へ戻っていくのです。
「みんな避難が間に合ったのね。良かった」
とルルも尻尾を振って見送ります。
猫の少女だけでなく、船に乗った大勢の人々が見送る人々へ手を振っていました。フルートたち金の石の勇者の一行を見つけて、歓声を上げたり、大声で武運を祈ったりする人々もいます。
船は雲に包まれながら、ゆっくり上昇していきます──。
ところが、作戦本部がある北の方角から、いきなり角笛の音が響きました。たちまち数が増えて、けたたましく響き渡ります。
「警報!?」
一同が驚いていると、一匹の妖怪が空を飛んできて彼らの前に舞い降りました。天狗とよく似た姿をしていますが、顔も手足も翼も黒くて顔の真ん中にくちばしがあります。天狗の仲間のカラス天狗でした。勇者の一行と天狗へ息せき切って言います。
「敵襲だ! 東のほうからものすごい数の怪物がやってくるぞ!」
彼らは息を呑みました。
天狗がカラス天狗に尋ねます。
「敵はどのくらいの数だ!? どんな連中がやってくる!?」
「とても数え切れない! あたりを真っ黒に埋め尽くして、こっちに向かってくるんだ! 空を飛んでくる奴らもいるぞ!」
「闇の軍勢だ! 空飛ぶ敵もいるのか!」
天狗は大きな目玉をぎょろりとさせると、宙船を示してフルートに言いました。
「今すぐあれを呼び戻せ、勇者! 他の船はすぐには戻れん! あれが最後の一隻だし、妖怪たちもかなりの数が船に乗り込んでいる! あの船だけでも呼び戻して、敵を迎え討つんだ!」
「そんな! あの船には避難する人たちがいっぱい乗ってるじゃないのさ!」
とメールが反論すると、天狗はたたみかけるように言い続けました。
「空を飛ぶ敵には空を飛ばなければ立ち向かえん! 今、ここにいる中で空を飛べるのは、わしとカラス天狗が数人と空飛ぶ獣が数匹だけだ! とても間に合わん!」
「地上から迫る敵は本当に数えきれません! 地面の中から湧き出すみたいに、次々現れてくるんです!」
とカラス天狗も訴えます。
「ちきしょう、闇の国から出てきてやがるな!」
「ワン、どうします、フルート!?」
とゼンとポチが言いました。メールとポポロとルルは上昇を続ける宙船を見上げます。船は避難する人々を大勢乗せているのです──。
フルートはきっぱりと首を振りました。
「船は戻しません! 敵はぼくたちが迎え討ちます!」
馬鹿な! と天狗やカラス天狗は反論しようとしましたが、フルートはそれを無視して仲間たちに言いました。
「敵は宙船を狙うかもしれない! 彼らを守るぞ!」
「俺たちはどうしたらいい!?」
「わっしらは!?」
とヤダルドールの男たちやハルマスの船長たちが尋ねてきました。
皆さんは安全な場所に避難を──とフルートは言いかけ、彼らの表情を見て言い直しました。
「皆さんはオリバンの指示に従ってください! 武器の運搬、湖側の防衛……きっとできることがあるはずです! ぼくたちは先に行きます!」
「わかった!」
「任せてくだせえ!」
男たちは勇んで指令本部へ駆け出しました。自分の船へ向かっていく船長たちもいます。
角笛はけたたましく響いていました。そんな中、宙船は上昇を続けています。
「行くぞ! 船を守って敵を撃退するんだ!」
とフルートは言うと、変身したポチに飛び乗って空に舞い上がりました──。