「見えたわ! フルートたちよ!」
アリアンが声を上げたので、キースとゾとヨとグーリーはいっせいに駆け寄りました。
ここはロムド城のキースとアリアンの部屋でした。アリアンがのぞく鏡に、金の石の勇者の一行を乗せた花鳥が映っています。鳥は雲が白く輝く空を飛んでいました。彼らの下にはエメラルドグリーンの海が広がっています。
「ポポロがいるゾ! フルートたちと一緒だゾ!」
「ホントだ、ポポロだヨ! 元気そうだヨ!」
と小猿の姿のゾとヨは宙返りして喜びました。黒い鷹になったグーリーも、ピイピイ! と甲高く鳴いて翼を打ち合わせます。
「南大陸を脱出したから、鏡に映るようになったんだな。ここはバルス海か」
とキースも言って、さらに勇者の一行を観察しました。彼らは花鳥の上で何かを話していて、ポポロもそこに加わっていました。声までは聞こえてこないのですが、時折笑いながら和やかに話し合っています。
どうやらポポロをさらったのはセイロスじゃなかったようだな、とキースは考えました。フルートたちがポポロの救出のために南大陸へ向かって、まだ二日しかたっていません。セイロスと対決したにしては短すぎたし、彼らの様子も激戦の後のようには見えなかったからです。
すると、鏡の中の映像が急に揺れて見えなくなりました。驚いて振り向くと、アリアンが泣きだしていました。
「ポポロがセイロスにさらわれたかもしれないと聞いて、とても心配だったの……。私はポポロやメールと一緒に魔王に捕らえられたことがあるから。力をしぼり取られて悪用されて……。ポポロがまたあんな目に遭っていたらどうしようって思っていたのよ……」
「うん、どうやら大丈夫だったようだね」
とキースは言って、そっとアリアンを抱き寄せました。小刻みに震えている背中を撫でてやります。
一方、ゾとヨは喜んで跳び跳ね続けていました。鏡が見えなくなってしまったので、口々に言います。
「キース、オレたち、王様たちに知らせてくるゾ! フルートたちがポポロを助けたって教えるゾ!」
「みんなポポロを心配してたヨ! 聞いたらきっと安心するんだヨ!」
「そうだな。知らせは早いほうがいい。彼らは南大陸を出てこっちに向かっている、と陛下に伝えてくれ。グーリー、ゾとヨを乗せていってくれるかい?」
ピイ!
グーリーも張り切って返事をすると、さっそく二匹の小猿を背中に乗せました。キースが魔法で開けた扉から外の通路へ出て行きます──。
再び扉が閉まって部屋に二人きりになっても、アリアンはまだキースに抱かれていました。アリアンはもう泣きやんでいましたが、キースのほうが彼女を離したくなくなっていたのです。
とはいえ、知らせを聞たロムド王たちがここに来るかもしれなかったので、それ以上のこともできません。しかたなく、キースはあたりさわりのない話をしていました。
「それにしても君の千里眼は本当にすごいよね。バルス海は相当広いのに、フルートたちがいる場所を的確に見つけ出すんだから……。ぼくだってある程度は遠くが見えるし、ポポロもその気になればどこまででも見通すことができるらしいれど、君のように、なんのあてもない広い場所から見つけ出すことはできないからなぁ」
「あてはあるのよ、一応」
自分が得意とすることに話題を振ってもらったので、アリアンはちょっと笑顔になりました。
「フルートたちは南大陸から戻るときには空を飛んでくるはずでしょう? その時には決まって上空の強い風に乗るから、ロムドに向かうのに都合の良さそうな風を見つけて見張っていたの。当たったわ」
「いや、それもやっぱりすごいことだよ。忍耐力も必要だしね」
とキースは言って、さらに強く彼女を抱きしめました。やっぱり彼女にキスをしたくてたまりません──。
すると、アリアンが急に息を呑みました。突き放すようにキースから離れて顔をおおってしまいます。その両手の間から長い角が伸びていました。指先には黒い爪も伸びていきます。
一方、キースのほうも驚いて立ちすくんでいました。どういうわけか──まだ何もしていなかったのに──彼の頭の両脇にもねじれた角が伸びていったのです。指先には鋭い爪が、口の両端からは牙の先が、背中には大きな黒い翼も現れます。
気がつけば、薄緑色のドレスや青と白の聖騎士団の服は、漆黒に変わっていました。彼らはいきなり闇の民の姿に戻ってしまったのです。
「どういうことだ……?」
キースは驚き、顔から手を離したアリアンと見つめ合いました。彼女も額には一本角が伸び、瞳は血のような色になっていました。
「人間の姿にするキースの魔法が打ち消されたのよ。でも、どうして?」
「どこかから闇の力が流れ込んできているんだ。どこだ!?」
彼らはあわてて周囲を見回しました。ここは幾重もの魔法で守られたロムド城の中の部屋です。そこへ外部から闇の力が流入しているとなれば、ただごとではありません。ひょっとして──と不吉な想いにかられてしまいます
すると、アリアンが壁の鏡を指さしました。
「キース、あれ!」
振り向いたキースも、ぎょっと息を呑みました。普通の鏡に戻って部屋を映していたはずの表面に、真っ黒い霧のようなものが渦巻いていたのです。渦の中心は闇の色に染まっていて、奥を見通すことはできません。
「鏡を乗っ取られた! 下がれ!」
とキースはアリアンに言って、自分は前へ走りました。その鏡はキースが彼女のために魔法で出したものでした。自分の魔法で作り出したものなら、自分で消すことができます。剣を抜き、魔力を込めて鏡をたたき割ろうとします。
ところが、霧の渦の奥から声が聞こえてきました。
「キース、そこにいるな?」
中年の男の声でした。デビルドラゴンやセイロスの声ではありません。
キースは剣を止めました。眉をひそめ、いぶかしく聞き返します。
「その声……ひょっとして、闇王か?」
そんなまさか、と思ったのですが、声は答えました。
「そうだ、キース。我が十九番目の王子、ウルグの息子よ」
キースは鏡の前から大きく飛び退きました。衝撃に全身が総毛立ち、背中の翼は羽根が逆立ってひとまわり大きくなります。
その翼の陰にアリアンをかばって、キースはどなりました。
「いまさらぼくたちになんの用だ、闇王! ぼくたちはもう闇の国には戻らないと言ったはずだぞ!」
自分の父親に対して、キースは非常に厳しい口調でした。実際、父親だと思ったことなど一度もないのです。闇王の実験のために、人間の母との間に生まれた子ども──それがキースです。
闇王は今も闇の国にいるようでした。それを鏡がつないでいるのですが、つながりは不安定でした。鏡の表面が明暗を繰り返し、渦巻く黒い霧も遠ざかったりまた近づいたりしながら揺れ動いています。
霧が遠ざかった瞬間を狙って、キースがつながりを断とうとすると、奥からまた闇王が言いました。
「慌てるな。おまえたちを連れ戻しに来たわけではない」
キースとアリアンはまた驚きました。それならば何故ここに、と考えます。
霧がいっそう激しく揺れ動くようになりました。渦が乱れ、声が聞き取りにくくなってきます。
「……の王位継承者はすべて死んだ……残った……はイベンセだけ……が、新たな闇王だ……」
たちまちキースは顔色を変え、意味がわからずにいるアリアンに言いました。
「イベンセはぼくのきょうだいだ。ぼくより年上だが、王位継承権は十番目くらいだったはずだ。それなのに次期闇王に決まるなんて──。まさか、他の王位継承者を手にかけて成り上がったのか!?」
「……そうだ……」
闇王の声は相変わらず揺れ動きます。
キースは顔をしかめ、アリアンにまた話しました。
「覚えているだろう? ぼくたちが闇の国から脱出するときに、追っ手をまくために通った幽閉の獄。王位継承権がある王子や王女はみんな、闇王によってあそこに閉じ込められていたんだ。王座を狙わないようにね……。でも、イベンセはそこから脱出して、ほかのきょうだいを皆殺しにしたんだ」
それから、キースは鏡に向かってまた言いました。
「ぼくはウルグだし、闇の国は捨てたから、闇の国の王位継承にはまったく関わりがない! それなのに、どうしてそんなことを教える!?」
「奴が地上に向かったからだ……親衛隊と多くの……や怪物を引き連れていった……」
キースとアリアンはまた息を呑んでしまいました。何故!? と同時に叫んでしまいます。
「闇の国は地上と戦争を始めようというのか!? それは大昔から禁止されてきたはずだぞ! どうして止めない!?」
「闇王の決定だ……私には、止められない……」
キースたちはまたいぶかしい顔になりました。
「何を言ってるんだ。闇王はおまえ自身じゃ──」
言いかけて、キースは目を見張りました。王位継承者が幽閉の獄の外へ出たときに何が起きるのか、改めて思い出したのです。その継承者は他の継承者を殺し、父である闇王も倒して、新たな闇王の座につくと言われていました。
「やられたのか、闇王!?」
と思わず聞き返すと、声が答えました。
「私はもう……闇王ではない……王……はイベンセだ……」
そのとき、キースはようやく気がつきました。鏡の中の霧や声が揺れ動くのは、つながりが不安定だったからではありません。話している闇王自身が死にかけていたのです。
キースは動揺しました。父が死にかけているとしても、最初から親子の情などないのですから、特に思うことはありません。ただ、新たな闇王になったイベンセが軍勢を率いて地上に向かったというのは、放っておけない事態でした。もっと詳しい話を聞く必要があります。
まだ死ぬなよ、とキースは念じながら、今にも途絶えそうな声へ尋ねました。
「何故こんなことになった!? イベンセはどうやって獄を脱出したんだ!?」
けれども、返事はありません。闇王! とキースが必死に呼ぶと、ようやくまた声が聞こえました。
「奴らに……気をつけろ……。闇の国は、地上があってこそ成り立つ……。だが、奴らは、その地上を……」
また声が途絶えました。鏡の中の霧の渦が次第に遠ざかっていきます。
けれども、闇王の声がまた聞こえました。何故か皮肉っぽく笑うような口調になって言います。
「闇王だったこの私が……地上へ去った息子に忠告するとは……な。信じがたい話だ……だが……」
闇王の声はひとりごとのようでした。キースではなく自分自身に話しているのです。
「地上のものや……内に光を持って生まれた闇のものが……そうすることが、私はずっと不思議だった……。何故、そんなことをする? その想いはどこからやってくる……? いくら考えても、解くことはかなわなかった……。だが、今ならば、それも少しわかる気が……いや、それも……所詮は誤解……」
それきり、闇王の声は聞こえなくなりました。壁の鏡から黒い霧が遠ざかって消え、次の瞬間には、鏡自体が砂のように崩れて、音もなく消えていきます。
地下の彼方にある闇の国で、闇王は消滅していったのでした──。