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第27巻「絆たちの戦い」

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58.脅し

 ポポロが目を開けると、見知らぬ人物が自分をのぞき込んでいました。

 短い黒髪に浅黒い肌、黒い瞳の中年の女性です。

 まったく知らない顔だったのでポポロがとまどっていると、女性は身を起こして誰かを振り向きました。

「目を覚ましましたよ、旦那様」

 その拍子に、赤い布を張り渡した天井が目に入ります。ポポロはどこかの部屋の中にいたのです。

 ここは? と彼女は驚きました。いつの間にこんな場所に来たのか、記憶がまったくありません。自分が何をしていたのか思い出そうとします。

 彼女はフルートたちが青の魔法使いやラクと稽古する様子を眺めてから、メールやルルと散歩に出ました。ハルマスの街を目ざして歩いていると、女の子が湖に落ちたところに出くわしてしまいました。メールやルルが女の子を湖から引き上げ、ポポロは魔法で濡れた体を乾かしてあげました。それで女の子は元気になったのですが、一緒に湖に落ちた猫は息をしていませんでした。ポポロが二つ目の魔法を使うと、やっと息を吹き返して鳴き声を上げました。それを見てポポロは──

 あたしは? とポポロは考えました。いくら思い出そうとしても、そこから先の記憶はおぼろです。

 確か、誰かに後ろから腕を引かれたのです。振り向くと口に布を押し当てられて──

 その後は、やっぱり記憶がありませんでした。気がついたら、見知らぬ部屋にいて、知らない女性がのぞき込んでいたのです。

 彼女はどうやらベッドに寝かされているようでした。目を動かすと、天井に天蓋(てんがい)のように張り渡された赤い布が、壁に沿ってカーテンのように垂れ下がっているのが見えます。

 ここはどこ……? あたしはどうしてこんなところにいるの?

 ポポロは混乱して考えました。一緒にいたはずのルルやメールを呼ぼうとしましたが、声が出ませんでした。起き上がることもできません。全身が沈み込むように重くて、身動きすることさえできなかったのです。

 

 すると、別の人物がのぞき込んできました。豪華な服を着た小柄な老人です。薄くなった髪は真っ白ですが、肌は浅黒い色をしていました。

 ポポロがますます混乱していると、老人が笑顔で話しかけてきました。

「わしの屋敷にようこそ、お嬢さん。わしはバルバニーズだ。お見知りおきください」

 親しそうな顔と声ですが、その目は少しも笑っていませんでした。抜け目なさそうにこちらを見ています。

 ポポロは頑張って起き上がろうとしました。寝ている布団をつかんで体を起こそうとしますが、やはりまったく力が入りませんでした。相変わらず声も出てきません。

「いやいや、無理はいけない。あなたは足かけ三日も寝ていたんですからな」

 と老人が言ったので、彼女は目を見張りました。体は鉛のようですが、目だけは自由に動かせたのです。それを見て、老人はまた言いました。

「大変なご無礼をお許しください。それもこれも、あなたに水入らずでご相談したいことがあったからなのですよ。えぇと、ポポロ様」

 相手が自分の名前を知っていたので、ポポロはまた驚き、ぞっとしました。老人の目は獲物を見る蛇のようでした。この人は自分の敵だ、と直感します。

「レムーネ!」

 ポポロはとっさに眠りの呪文を唱えました。いえ──唱えたつもりでした。

 けれども、魔法は発動しませんでした。声が出なかったからです。ポポロの全身は相変わらず鉛のように重くて、動くことも声を出すこともできません。

 すると、先の女性がまた顔をのぞかせて老人に言いました。

「この娘、今、魔法を使おうとしましたよ。薬が半分残っているから使えませんでしたけれどね」

 ふん、と老人は急に不機嫌になりました。

「生意気に抵抗しようとしたのか。小娘のくせに。自分がどういう状況か、わからんようだな」

 丁寧な口調などかなぐり捨てると、のしかかるように身を乗り出して、ポポロの胸ぐらをつかみます。

 ぐい、と引き起こされて、ポポロはひどい目眩に襲われました。体にまったく力が入らないので抵抗することもできません。

 そんな彼女に老人は言いました。

「目を開けろ! おまえがどこにいるのか、確かめてみるがいい!」

 老人が乱暴に揺すぶるので、彼女は吐きそうになりました。けれども、胃の中が空っぽだったので、吐くこともできません。やめて……と言おうとしますが、やっぱり声が出ませんでした。唇も口の中も、かさかさに乾いてしまっています。

「旦那様、そんなに揺すぶると首が折れます」

 と女性が言ったので、老人はやっとポポロを振り回すのをやめました。

「目を開けて見ろ!」

 と、また命令してきます。

 

 ようやく目眩が治まってきたので、ポポロは薄目を開けました。コートを着た自分の体と、その下のベッドが目に入ります。少しも力が入らない体は、まるで大きな人形のようでした。周りを見回したくても、顔を上げることもできません。

 すると、老人が彼女の顔を乱暴につかんで引き上げました。強制的に顔を動かして、赤い布を張り巡らした部屋を見せます。

「ここはルボラスにあるわしの屋敷だ。おまえの居場所は誰も知らない。ここには消滅の布という魔法具が張り巡らしてあるからな。おまえをどうするも、わしの自由なのだ──。だが、わしはこう見えて平和主義者だ。手荒な真似は好まないし、おまえたちとも友好な関係を結びたいと思っている。おまえの主(あるじ)をここに呼んでもらおうか。そうすれば、わしはおまえたちを大歓待しよう」

 ポポロはまた目を見張りました。主と言われても誰のことなのかわかりません。わけがわからなくて、恐ろしさでいっぱいになってしまいます。

 ポポロが返事をしないので、老人はますます厳しい声になりました。

「貴様はことばがわからんのか!? 早くセイロスという男を呼べ──!」

 ポポロは息が止まりそうになりました。何故自分がこんなところにいるのか、ようやく理解したのです。

「顔色が変わったな? やはり居所を知っているな。さあ、早く呼ぶんだ。痛い目に遭いたくなければ急げ!」

 老人は状況を都合良く解釈して迫り、またポポロを揺すぶりました。ひどい目眩に襲われて、ポポロは目をつぶってしまいました。魔法を使って脱出したいのに、相変わらず声が出ません。呪文を唱えられなければ、魔法は発動しないのです。

「強情だな! 小娘が!」

 と老人はわめいてポポロを投げ捨てました。ベッドにたたきつけられて、ポポロはまた息が止まりそうになります。

 

 老人は控えていた中年の女を振り向きました。

「こいつをちょっと撫でてやれ。なんとしても、こいつに主を呼ばせるんだ」

 短い黒髪の女は首を傾げました。

「薬の残り半分がだんだん切れます。もう一度使うほうがいいんじゃありませんか?」

「いらん! 見てわかっただろう。こいつはろくな魔法が使えん。強大な力を持つ魔法使いだなど、とんだ買いかぶりだ。それなのにわしは抗魔法服を着込んできたりしたんだぞ。まったく馬鹿を見たわい」

 老人は服の下に着た薄い鎧のようなものをちらりと見せると、すぐにまたポポロを指さしました。

「どんな方法を使ってもかまわん。こいつにセイロスを呼ばせろ」

「痕が残ってもかまわないんですか?」

 と女は言って、ちろりと舌なめずりをしました。まるで餌を目の前にした猫か何かのようなしぐさです。

「かまわん。おまえの得意なやり方で言うことを聞かせろ」

 と老人がお墨付きを与えます。

 女は、ふふっと楽しそうに笑うと、老人に代わってポポロにのしかかりました。ベッドに埋もれて上げられなくなっていた顔を引き上げ、しげしげと見て言います。

「かわいい顔してるわよねぇ。こういうのを見てると、あたしは無性に傷つけたくなるのよ。ほら、あたしはこの通り不美人だから、綺麗な顔やかわいい顔をふた目と見られない醜女(しこめ)に変えてやるのが楽しくて……」

 その手にはいつの間にか長い鉄の棒が握られていました。先端には焼けて真っ赤になった鉄の塊がついています。焼きごてです。

 それをポポロに見せながら、女は言いました。

「おでこは当然として、次はどこにしてほしい? 右目がいいかしら、左目がいいかしら? それともその赤くてかわいらしい唇にジュッと当ててもらいたい? 二度と口が開けなくなるわよ」

「口はやめろ。セイロスを呼べなくなる」

 と老人が待ったをかけたので、女は口を尖らせ、すぐにまたにんまりしました。

「それじゃ、顔は後からってことにして、まず体からいきましょうか。奴隷の焼き印の定番、背中がいいわね。旦那様も見ていて楽しいでしょうし」

 女が手放すと、焼きごてはそのまま空中に浮きました。その状態でも先端はちんちんと赤く焼けています。

 恐怖で目を見開くポポロに、女は笑いながら言いました。

「あたしも魔法使いなのよ、お嬢ちゃん。お仕置き専門のね。さあ、悲鳴を上げて楽しませてちょうだい。お仕置きはあたしの生き甲斐なんだから──」

 女の手が伸びてきました。ポポロのコートをはぎ取ろうとします。

 ところがどんなに頑張っても襟元の結び目がほどけませんでした。ボタンも外れません。まるで鎧か何かのように、コートはポポロの体にしっかりまとわりついています。

「魔法具を着ているのね。でも無駄よ」

 と女は言って手をかざしました。コートを脱がせようと呪文を唱えますが、とたんに、ばん、と音を立てて突風が起きました。ポポロのコートが女の魔法をはじき返したのです。部屋を取り囲んでいた赤い布が激しくはためき、宙に浮いていた焼きごても吹き飛ばされます。

 焼きごては、こともあろうに、バルバニーズのほうへ飛んでいきました。突風に思わずよろめいた彼の頭をかすめて、薄い白髪と頭皮をジュッと焼いていきます。

 老人は悲鳴を上げて頭を抱えました。女があわてて駆け寄って呪文を唱えると、すぐに火傷は消えましたが、髪は復活しませんでした。頭の真ん中に筋状のはげが残ります。

 老人は顔を真っ赤にすると、焼きごてをひっつかんでベッドに迫りました。

「この、人質の分際で──!」

 とポポロの胸元に押しつけようとしますが、また焼きごてが弾き飛ばされました。部屋に巡らした赤い布に絡まって床に落ちます。

「体は魔法具に守られてるの。じゃあ、こうだわね!」

 女がどこからか革紐を取り出してポポロの首に巻き付けました。力を込めて締め上げていきます。魔法のコートも身につけていない部分までは守れなかったのです。

 ポポロは必死で手を動かし、首に食い込んでくる紐をつかみました。ようやく手が動くようになったのです。紐を引きはがそうとしますが、力が入りません。たちまち息が苦しくなってきます。

「さあ、あんたのご主人を呼びなさい」

 と女は締め上げながら言いました。

「もっとも、呼びたくないって言うならそれでもいいけどね。あたしはまだまだ楽しみたいんだから」

 ポポロは首を振りました。セイロスはもちろん、フルートたちを呼ぶことさえできないのです。助けて、助けて──! 心の中で叫ぶことはできても、声にはなりません。

「殺すな。大事な人質だぞ」

 と老人がまた言ったので、女は締め上げるのをやめて、ふん、と身を起こしました。

「しかたないですね。じゃあ、今度はちょっと刻ませてもらいますよ」

 女が手放すと革紐がしゅるりとポポロの首から外れました。生き物のように動いて、今度はポポロの右手首に絡みつきます。その反対側はベッドの柱に絡まりました。さらにもう一本革紐が現れて、左手首も柱につないでしまいます。

 手を動かせなくなったポポロに、女は短剣を見せびらかしました。

「やるなら、やっぱり顔よね。そこは魔法具に守られてないんだから。さあ、今度こそ素敵な顔になってもらうわよ、お嬢ちゃん」 

 短剣がひらめいて、ぶつりと音がしました。ポポロの左のお下げが切られたのです。ポポロが声にならない悲鳴を上げます。

「次は頬だね」

 と女は言うと、いきなりポポロの口に指を突っ込みました。反射的にポポロが歯を食いしばると、口の端へ短剣を差し込んで頬を切り裂こうとします──。

 

 そのとき、部屋の外からゴゴゴゴ、と地響きのような音が聞こえてきました。部屋の壁に何かが外からぶつかったらしい音がして、部屋に振動が伝わります。

 老人と女が驚いてそちらを振り向くと、突然赤い布が激しくはためきました。部屋の扉が開いて風が吹き込んだのです。

「どうした、衛兵! ちゃんと閉めておけと──」

 と老人が言いかけたとき、赤い布が再びはためきました。炎のように部屋中で揺れて舞い上がります。

 それと同時に二匹の風の獣が飛び込んできました。一匹には金の防具の戦士が、もう一匹には少年と少女が乗っています。

「いたよ!」

 と少女がポポロを指さして叫びました。少女は不思議な緑色の髪をしています。

 金の鎧の戦士は風の獣で突進すると、ポポロにのしかかっていた女に飛びかかりました──。

2020年10月23日
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