豪商バルバニーズの屋敷で、バム伯爵は長椅子に寝転がって、ルボラス人の召使いにうちわであおがれていました。
そこは立派な部屋の中でした。家具調度はいかにも異国らしいデザインですが、上等な材料が使われていて、バルバニーズの財力を感じさせます。召使いは浅黒い肌に彫りの深い顔立ちの美女で、黒髪を束ね、布を巻き付けたような服を身につけていました。伯爵自身も立派なルボラス風の服を着て、まるで王族のような格好です。
ただ、彼自身は不満たらたらでした。彼をあおいでいる召使いに、ずっと不平を言い続けています。
「私はいつまでここにいなくてはいけないんだ。もう三週間だぞ。確かに待遇は悪くないが、ただここに座って出された食事を食べるだけの生活にはもう飽き飽きだ。あの件はどうなった? おまえの主人はいつここに来る?」
召使いは返事をせず、黙って彼をあおぎ続けていました。美しい顔には特に何の表情も浮かんでいません。
それでも伯爵は文句を言い続けました。他に話し相手がいなかったのです。
「だいたい、わけがわからないではないか。私があの娘の秘密について書き送ったのはサータマン国王だ。それなのに、手紙の件で聞きたいことがある、と私を呼びに来たのはここの主人だった。てっきりサータマン王と関わりがあるものと思って来てみれば、まったく縁もゆかりもないと言う。それでどうして私の手紙のことを知ったのだ? あの娘について話を聞いて、どうしようと言うんだ──?」
先の戦いで、バム伯爵は急死した父親に代わってセイロスに付き従い、飛竜部隊と共にロムド国のディーラまで攻めていきました。ところが、ロムド側の猛反撃に遭い、金の石の勇者たちも空を渡って駆けつけてきたので、とてもかなわないと思っていち早く戦場から離脱したのです。
敵に見つからないように飛竜と一緒に身を潜めていたところへ、聞こえてきたのがあの「声」でした。勇者の仲間の少女が、こともあろうにセイロスの婚約者の生まれ変わりで、セイロスが持つはずの力を今も持っている、というのです。
声は、少女がセイロスの情婦で、勇者の一行と共にセイロスとぐるになって人々をだましている、とまくしたてていましたが、それがでたらめだということはわかっていました。セイロスと金の石の勇者たちは、本気で対立していたからです。ただ、ポポロという少女がセイロスの力の一部を奪っているのは本当だろう、と彼は確信しました。そう考えると、セイロスがここぞという場面で強大な魔法を使わなかったことに、合点がいくのです。
金の石の勇者たちはポポロを守って戦場を離れ、秘密を暴かれたセイロスも、逃げるようにディーラから退却していきました。後に残されたバム伯爵は、残党狩りから逃れてロムドとエスタの国境付近に身を隠し、サータマン王に宛てて手紙を書きました。世界各地に響き渡った「声」の内容は半分は真実であること、セイロスは力の一部をポポロに奪われているために本領発揮できずにいること、ポポロを捕まえて力を取り戻せば、セイロスの能力は完璧になるはずであること──。
サータマン王がセイロスと手を組んで、幾度となくロムド国を攻撃したことは承知していました。そのたびに大きな損害をこうむって撤退してきたので、ポポロの話が真実だと知らせれば、サータマン王はきっと食いつくだろう、と彼は考えていました。詳細を知りたい、と彼を迎えに来るだろうとも思っていました。
ところが、実際に彼を迎えに来たのはサータマン王ではなく、バルバニーズというルボラス国の商人の使いでした。サータマン王に宛てたはずの手紙は、何故かその商人の手に渡っていたのです。
それでも、金貨がぎっしり詰まった袋を渡され、ぜひルボラス国に来てほしいと言われて、彼はその気になりました。大飯ぐらいの飛竜の世話が大変で、資金が底を突きかけていたからです。
使いから伝えられたとおりにルボラス国へ飛び、この屋敷に到着したのが、三週間前のことでした。主人のバルバニーズとさっそく面談して、聞かれるままにセイロスやポポロの情報を話し、彼は賓客として迎えられました。
「すぐにまた貴殿の力をお借りすると思うので、それまでゆっくりなさってください」
とバルバニーズは言ったのですが、それきり伯爵は来客専用の離れに放置され、今日に至ったのでした。
珍しい料理も美しい召使いも、一週間もたてば飽きてしまいます。ポポロの件がどうなったのか、その後セイロスがどこでどうしているのか、そんな情報もまったく入ってきません。
ポポロを捕らえてセイロスに引き渡すことで、セイロスの腹心に昇格しようともくろんでいる彼には、なんとも歯がゆい状況でした。飛竜で中央大陸に飛び戻って様子を見てきたいとも思うのですが、彼の飛竜が屋敷のどこにいるのかわかりません。しかも、彼が離れを出ようとすると、警備兵から止められて、また戻されてしまうのです。
「これじゃまるで軟禁されているようなものじゃないか」
とバム伯爵は文句を言い続けました。言わなければ頭がどうにかなりそうでした。
「私はいつまでここにいればいいんだ? 例の件はどうなった? バルバニーズはいつまたここに来るんだ?」
何度尋ねても、側仕えの召使いは黙ってうちわを動かしているだけです──。
ところが、そこへ男の召使いがやって来て、バルバニーズの来訪を知らせました。
バム伯爵は急に元気になって長椅子に起き上がりました。
「そうか! やっと来たか!」
傍らのテーブルに置いてあった眼鏡をかけると、椅子に座り直して待ち構えます。
そこへ本当にバルバニーズがやって来ました。バム伯爵はまだ若くて長身ですが、バルバニーズは小柄で、いかにも抜け目なさそうな顔つきの老人でした。着ている服は国王の衣装のような豪華さです。
バルバニーズが手を振ると、側仕えや案内役の召使いが、さっと部屋からいなくなりました。体の大きな護衛が二人、邪魔が入らないよう部屋の入り口に立ちます。
バルバニーズは伯爵の前の席に座ると、すぐに話し出しました。
「大変お待たせしました、バム伯爵。本日は良い知らせをお持ちしましたぞ」
伯爵は仏頂面をしていましたが、それを聞いて、たちまち顔つきを変えました。身を乗り出して聞き返します。
「というと? もしや──」
「はい、あの娘を捕らえることに成功しました」
伯爵を思わず手をたたきました。
「素晴らしい! なにしろ別の大陸にいるから、相当大変だろうと思っていたのだが! さすがはルボラスきって実力者だ!」
「伯爵殿からお褒めにあずかり恐縮です」
とバルバニーズは言いました。自分の息子より若い伯爵相手に、非常に丁寧な態度です。
伯爵はすっかり機嫌を直しました。
「それで? あの娘──ポポロはどこに捕らえてあるのですか?」
「この屋敷に連れてきてあります。それもこれも、伯爵が娘について詳しく知らせてくださったおかげです。一日に二回しか魔法が使えないというので、魔法を使い切ったところを狙って、眠り薬でさらわせました。あとは配置しておいた飛竜で一気にここまで。占いよけの魔法具に捕らえたので、有名なロムド国の占者にも、ここを見つけることはできませんでした」
「素晴らしい! 文句なしだ!」
と伯爵はますます喜び、また身を乗り出しました。
「捕まえた後も油断は禁物です。敵は非常に力があります。少しでも油断すれば、たちまちポポロの居場所を見つけて飛んでくるでしょう」
「それは心配ありません。消滅の布で囲まれた部屋に閉じ込めてありますからな。今はもう存在しない大地の一族が残した、大変強力な魔法の道具で、占いよけの魔法具にも使われていたのです。見つけられる心配は絶対にありません」
ユギルやフルートたちの実力を知らない老人は、断言して胸を張ります──。
伯爵はそわそわしながら話し続けました。
「ポポロを見ることはできますね? 私は彼女の顔を知っている。確かにそうだと確かめなくては」
「それはもちろん。ただ、間違いはないはずです。さらった後、仲間がその名前を呼んで探し回っていたそうですから。で、いよいよ次の段階に入るわけです」
とバルバニーズは言って、こちらも身を乗り出しました。抜け目のない目で伯爵を見上げて続けます。
「あなたが言うとおり、わしはあの娘を捕まえました。さっそくセイロスという男を呼んでいただけますかな」
にこにこと上機嫌だった伯爵は、それを聞いて急に真顔になりました。え? と老人を見直します。
「セイロスを呼ぶだって?」
「そうです。あの娘を捕らえても、セイロスがいなくては、話にならないでしょう」
何を今さら、というように老人が答えます。
伯爵はますます真剣な顔になりました。
「だが──では、セイロスは今もどこにいるのかわからないというのか? まさか」
「わかりません。わしは大陸の主要な場所に大勢の間者を置いていますが、最近はどこからもセイロスの情報は入ってきていません。行方知れずです。だから、あなたに呼んでほしいと言っているのです。あなたはセイロスの片腕なのでしょう?」
ちらりと非難する響きが混じりますが、伯爵は気がつきませんでした。信じられないように言い続けます。
「彼もあの声は聞いたのだ。ポポロの正体を知ったというのに、まだどこにも姿を現していないというのか? そんな馬鹿な」
「セイロスを呼ぶことはできないのですか? 彼の片腕だというのは嘘だったのですかな?」
老人がはっきりと非難する口調になったので、伯爵はむきになって答えました。
「嘘ではない! ポポロが彼の力を持った婚約者だというのも本当だ! だから、今頃は必死で行方を捜し回っているだろうと思ったのだが──」
「セイロスのいそうな場所はわからないのですか? 彼の城はどこです?」
「わからない。セイロスは亡国の皇太子だから、自分の城は持っていないのだ」
「話にならん!!」
老人はいきなりどなってテーブルをたたきました。その剣幕に伯爵は思わず飛び上がります。
「あんたは娘を捕らえれば、絶対にセイロスを味方にできる、と言ったのだぞ! 娘は捕らえたが、それをどうやってセイロスに知らせるのだ!? 娘はここに預かっている、と吹聴するか!? セイロスが来る前に敵が奪い返しに来るではないか! なんと詰めの甘い話だ!」
うわべだけの丁寧さを捨ててどなりちらす老人に、伯爵はすっかりうろたえてしまいました。しどろもどろになりながら言います。
「わ、私が直接探してこよう──わ、私はセイロスから信頼の厚い部下だ。私が行けば、セイロスのほうで私を見つけるだろう。ひ、飛竜はどこだ──?」
老人は、じろりと伯爵を見ました。
「飛竜? 誰の飛竜のことだ」
「むろん私のだ! ここに到着したときに、貴殿に預けたではないか!」
「ああ、それなら、厩(うまや)で暴れて手に負えない、と世話係が言ったので、専門の飛竜屋のギルドに引き渡した。能力は高かったから、案外いい値で売れたぞ」
平然とそんなことを言う老人に、伯爵は真っ青になりました。
「売れた? 私の飛竜を売り払ったというのか!? 何故そんなことをした! あれは私の竜だぞ! 何の権利があって──!」
「では、この三週間のあんたの滞在費を、耳を揃えて支払ってくれるかな? この離れの宿泊代と、飲食代と衣服の賃料と側仕えの使用料と……。あんたはエスタ国の貧乏領主なんだろう? 飛竜でも売らなければ、とても支払えないと思うが」
「な──そ、それは貴殿が私を歓迎して──!」
「この世に無償のサービスなんてものはない。それを無邪気に信じるとは、あんたは商売人にはまったく向かんな、伯爵様」
バム伯爵を思いきり嘲って、バルバニーズは部屋を出て行きました。伯爵は慌てて後を追いかけましたが、大柄な警備兵に部屋に押し戻されてしまいました。
「くそっ! なんて……なんて……!」
だまされて飛竜を巻き上げられたのだとわかって、伯爵は悶絶しそうなほど怒りました。閉じられた扉をたたき、外に出せ! 竜を返せ! とわめきますが、扉は開きませんでした。側仕えだった女もやって来ません。
離れという名の監獄に、彼は知らない間に閉じ込められていたのでした。
一方、離れから母屋に戻ったバルバニーズは、やってきた部下に言いました。
「あの男は使えん。自分をセイロスの腹心だと言っていたが、大嘘だな。使いものにならなくて見捨てられたんだ。サータマン王があの男からの手紙を一読しただけで捨てたと言うから、興味を持って回収したが、こういうことだったのか──。あの男からは聞くべき話もすでに聞いた。始末しておけ」
国を牛耳るほどの商人ともなれば、陰で山ほど悪事を働いています。顔色をかえることもなく命じます。
部下が承知して離れていくと、彼はさらに考え続けました。バム伯爵が使えないとなれば、自分の力でどうにかしてセイロスを呼び出さなくてはならないのです。
「……あの娘に呼ばせるか」
バルバニーズはそうつぶやくと、屋敷の奥へ足を向けました。