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第27巻「絆たちの戦い」

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35.ハルマス・2

 翌日の早朝、フルートはひとりだけで仮の作戦本部を抜け出して、ハルマスの中を歩いていました。

 朝日はまだ顔を出していませんでしたが、空はもうすっかり明るくなっていたので、周囲がよく見えました。暦の上ではこの日から三月ですが、夜の間に少し雪が降ったので、石畳の道もそれ以外の場所も、さらりと白くなっています。

 フルートが歩いていたのは、湖の岸に沿って東西へ延びている道でした。以前はここにぎっしりと貴族の別荘や店が建ち並んでいたのですが、今は数え切れないほどの建物が建設中でした。工事中の建物は石造りや木造ですが、その間に無数の天幕が張られていました。

 天幕には援軍の兵士たちがいるんだな、とフルートは考えました。軍隊でよく見る組み立て式の天幕だったのです。工事しやすいように、現場のすぐそばに駐屯しているのでしょう。やがて天幕の真ん中でひるがえるエスタ軍の旗に出会って、やっぱり、と考えます。

「できるだけ早く宿舎を完成させなくちゃいけないな」

 とフルートはひとりごとを言いました。

 ハルマスには、王都ディーラと違って、魔法の障壁がありません。火矢や投石で攻撃されたら天幕はひとたまりもないので、頑丈な建物を兵舎にする必要があったのです。

 セイロスはどんなふうに攻撃してくるだろう、とフルートは考え続けました。どこを攻めてくるだろう、とは考えません。セイロスの今までの狙いはロムドの都ディーラでしたが、すでに三度も撃退されています。ディーラを陥落させるにはデビルドラゴンの力を完全に使いこなせなくてはならないはずだし、そのためには、ポポロから抑止の力を奪い返さなくてはならないのです。ポポロを狙って、ここへ攻めてくるのはまず間違いありませんでした。

「だから、どう考えても最前線は危険なんだよな……」

 とフルートはまたひとりごとを言って、溜息をつきました。なんとかポポロに残ってもらえる方法はないだろうか、と考え込んでしまいます。それを考えたくて、フルートはこっそり宿舎を抜け出してきたのです。が、いくら考えても、ポポロが自分を追いかけてきて、またあの魔法をかけてしまう場面しか浮かんできませんでした。フルートも相当頑固なのですが、ポポロはやっぱりそれを上回っています。

 

 ところがその時、フルートの背後で低いうなり声が上がりました。一瞬、フルートは熊でも現れたかのかと思いましたが、それは人間の声でした。

「見つけたぞぉ、報奨金!」

 同時に大きな手がフルートの足首をがっしりつかみます。

 フルートはぎょっとして思わず背中の剣に手をかけ、足をつかんでいる大柄な男を見て、目を丸くしました。

「……オーダ?」

 男は道ばたの天幕から上半身だけを出して、フルートを捕まえていましたが、そう言われて首をねじりました。冬でも日焼けした顔で、にやりと笑って言います。

「もちろんそうだ。ずいぶん待たせやがって。ここに同盟軍の砦が建設されると聞いたから、てっきりいると思って来てみれば、同盟軍総司令官殿はまだ到着していないと言いやがる。怠慢だぞ。どこに姿をくらませていた」

 すると、オーダの天幕から大きな白いライオンものっそり出てきました。フルートを見るなり、ガオン、と嬉しそうに吠えて飛びついたので、フルートは尻餅をついてしまいました。

「そうだ、吹雪。フルートを逃がすなよ。こちとら約束の報奨金をもらわなくちゃいけないんだからな。しかも四倍だ」

 とオーダも天幕から這い出して立ち上がります。休んでいたからでしょう。いつもの黒い鎧兜ではなく、布の服の上に厚手の上着をはおった格好です。

 すると、周囲の天幕からもわらわらと兵士たちが這い出てきました。あっという間にオーダやフルートを取り囲んでしまいます。

「今、部隊長殿はフルートと言ったよな?」

「本当に金の石の勇者が来たのか?」

「こいつが? 本物なのかい、隊長?」

 彼らはエスタ軍の辺境部隊の兵士でした。部隊長のオーダに似て、柄はあまり良くありません。

 オーダは笑って部下たちに手を振りました。

「ああ、そうだ。いいから、おまえらはもう少し寝てろ。俺は今、超大事な話をしようとしているんだ。なにしろ、ダントス伯爵領襲撃の報奨金が棚上げにされてるんだからな。結果は大成功だったんだから、四倍だぞ。このまま踏み倒されてたまるか」

 オーダはとにかく報奨金にこだわっていますが、フルートは返事をすることができませんでした。巨大なライオンの吹雪がのしかかって、顔をなめ回していたからです。

 兵士たちがまた天幕に引っ込み、吹雪がオーダに呼び戻されると、フルートはやっと話ができるようになりました。まだ尻餅をついたまま、オーダを見上げます。

「そういえば報奨金を渡す機会がなかったね……もちろん払うよ。約束通り四倍だ。遅くなってごめん」

 とたんに周囲の天幕からいっせいに歓声が上がりました。辺境部隊の兵士たちが中で聞き耳を立てていたのです。

「寝てろと言っただろうが!」

 とオーダは部下たちをどなりつけると、フルートを手招きしました。

「ここじゃ落ち着いて話せないな。来い、フルート」

 一応、総司令官のフルートのほうがずっと上官なのですが、オーダはそんなことにはまったく頓着しませんでした。フルートの返事も待たずに湖のほうへ歩き出したので、フルートも急いで立ち上がって後を追いかけました。吹雪がその後からついてきます。

 

 湖畔には狭い砂浜が広がっていて、明け方の冷え込みで砂が凍っていました。水際では小さな波が寄せては返しています。普通、湖に波は立たないのですが、リーリス湖は大きな湖なので、湖面を吹き渡る風で波が起きるのです。

 白く凍った砂をざくざくと踏みながら、オーダはフルートに尋ねました。

「で? このハルマスに来たのはおまえだけか? 他の連中はどうしてる。特にあのお嬢ちゃんは?」

「みんな一緒に来てるよ。もちろんポポロも一緒さ」

 とフルートは答え、先を歩くオーダの背中が安堵したのに気がつきました。

 けれども、オーダは振り向くことなく話し続けました。

「それなら、ここの連中を集めて、訓示ってやつをたれたほうがいいぞ。自分たちの王様に命令されて援軍に来てるが、おまえらのことを疑ってる連中もけっこういるからな。特にポポロの評判はひどいもんだ」

 フルートは苦笑しました。

「知ってる。ここに来る前にも、噂を払拭するのに、ディーラの入り口の門から城まで派手に行進して見せたんだ」

 オーダは、ちらっとフルートを振り向きました。

「ここの連中に行進は効果ないぞ。なにしろみんな兵隊だ。行進は見飽きてるからな」

 意外にも、オーダは真剣な顔をしていました。闇がらすが吹聴した噂の影響を、本気で心配してくれているのです。

 フルートが思わず返事に詰まると、オーダはまた前を向いて、いつもの調子に戻りました。

「まあ、俺たち辺境部隊には必要ないがな。俺たちは金で動く傭兵だ。おまえが報奨金さえきっちり支払えば、雇い主の悪口なんぞ誰も言わなくなる」

「オーダたちの雇い主は、ぼくたちじゃなくてエスタ王だろう?」

 とフルートはあきれ、ちょっと考えてからまた言いました。

「ハルマスに集まってる兵士たちを納得させなくちゃいけないんだな。ぼくたちが味方だっていうことを──」

「正真正銘、光の戦士だってことをだ」

 とオーダがまた振り向いて、にやりとします。

 

 その時、吹雪が頭上を振り仰ぎました。日が昇って青くなってきた空を見て、ウォン、と吠えます。

 フルートたちがそちらを見ると、風の犬や花鳥に乗ったゼンとメールとポポロが飛んでくるところでした。たちまち砂浜に降り立って、駆け寄ってきます。

「こんなところにいやがったな、フルート!」

「ワン、勝手にひとりで抜け出さないでくださいよ! 心配したじゃないですか!」

「あら、本当にオーダね。ポポロの言うとおりだわ」

「こんなとこで二人で何してたのさ!?」

 一気に湖畔が賑やかになります。

 別に何もしてないよ、偶然オーダと再会して話していたんだ──とフルートが説明しようとすると、ゼンが遮って言いました。

「ああ、そんなのはどうでもいい! 一大事だ! ハルマスに闇の怪物が現れたぞ!」

 フルートはぎょっとして、思わずポポロがそこにいるのを確かめました。セイロスがポポロを奪おうと怪物を送り込んできたのでは、と考えたのです。

 ポポロは首を振りました。

「セイロスは来てないわ。あたしもルルも、そこまで強い闇は感じてないから。でも、ハルマスの東で工事をしていた人たちが襲われたのよ! 殺された人もいるわ!」

 フルートは青ざめ、朝日がある方角を振り向きました──。

2020年8月18日
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