「あれ?」
光の通り道から出たとたん、レオンが声を上げました。
目の前には白い道があって、道に沿って家がたくさん建ち並んでいました。家はどれも緑の生け垣に囲まれ、赤や青や緑の屋根が空に向かって尖っています。屋根のてっぺんでは風見鶏が回っていましたが、色や形は家によって違っていました。
レオンは頭をかきました。
「おかしいな。ポポロの家の庭に出口を開いたつもりだったのに。目測を誤ったかな」
「でも、ポポロの家はすぐそこだよ。ほら、あの赤い屋根に銀の風見鶏の家がそうだ」
とフルートは言って歩き出しました。仲間たちも後に続きます。
ところが、目的の家の前まで来ると、彼らはそれ以上進めなくなってしまいました。見えない壁が目の前に立ちはだかっていたのです。
レオンは納得してうなずきました。
「家を障壁で囲んでいたから、中に出られなかったんだな」
「ワン、でもどうしてこんなこと──」
とポチが言いかけたとき、どこからか真っ黒な液体が飛んできて、ポポロの家にばしゃりとかかりました。正確にはポポロの家を囲んでいた障壁にかかったのです。とたんに鼻が曲がりそうなほどの悪臭が漂いました。
「な、なんだこれ!?」
ビーラーが驚いて顔をしかめていると、今度はどこからか大量のゴミが飛んできました。またポポロの家の障壁にぶつかって、下に落ちます。そこにはすでにおびただしい量のゴミが、壁のように積み重なっていました。たくさんの虫や蛇、カエルなどもうごめいています。
「なんだ、これは!?」
とレオンも声を上げ、フルートは真っ青になりました。闇がらすの声は、この天空の国にも届いてしまいました。それを信じた天空の国の住人が、魔法でポポロの両親に嫌がらせをしているのです。
「馬鹿げている! 天空の民がこんな──こんな卑怯で恥ずかしい真似をするなんて!」
レオンは真っ赤になって身震いしました。即座にゴミへ手を突きつけて呪文を唱えます。
「レドモエシヌーリクオ!」
すると、積み重なった汚物や気味の悪い生き物が、白い光に包まれて浮き上がりました。次の瞬間にはものすごい勢いでどこかへ飛んでいきます。
「みんな送り主に返してやった! これでも天空の民のつもりか! 恥を知れ、恥を!」
とレオンはまだ怒っていました。ポポロの家のまわりはすっかり綺麗になり、代わりに町のあちこちから悲鳴や叫び声が聞こえてきます──。
レオンは改めて障壁に向き直りました。
「中に入るぞ。ケラーヒ!」
短い呪文と共にレオンは歩き出しました。もう障壁に遮られることはありません。レオンの魔力のほうがポポロの両親の魔力より強かったのです。フルートたちは、そんな彼を頼もしく思いながら後に続きました。
ポポロの家の庭の様子は、以前訪ねたときとほとんど変わりありませんでした。庭の入り口から家に向かって小道が延びていて、両脇に低い生け垣があります。玄関の前に生えている大木は、番人の木のラホンドックです。
ところが、ラホンドックがたくさんの枝を垂れ下がらせて、しおれたようになっていたので、フルートとポチは驚きました。
「ラホンドックが元気がない!」
「ワン、どうしたんだろう!? 病気かな!?」
ラホンドックは家の番人なので、敷地に良からぬ者が侵入すると、自分から枝を動かして追い払うのですが、そんなことなどできそうにないほど弱っています。
「悪意の魔法から家と住人を守って、弱ってしまったんだ。障壁は物理的な魔法を防げるけれど、悪意は防げないからな」
とレオンが言ったので、フルートたちは絶句してしまいました。闇がらすが歪んだ真実を伝えてから一ヶ月。その間、この木は天空の国の至る所から飛んでくる悪意を一身に浴びて、枯れかけていたのです。
「かわいそうに」
フルートは首からペンダントを外しました。効くかどうかわかりませんでしたが、金の石をラホンドックに押し当ててみます。
すると、力なく垂れ下がっていた枝がたちまちぴんとなって、次々に持ち上がっていきました。茶色っぽくなっていた梢が鮮やかな緑色になって、木の葉がざわざわと風に揺れ始めます。
「ワン、本当に元気になった!」
「金の石は木を癒やすこともできたのか!?」
ポチやビーラーが驚いていると、レオンが言いました。
「さすがにそれは聞いたことがないな。ただ、悪意の魔法は闇の想いに近いから、聖守護石が浄化したのかもしれない。それで木が元気を取り戻したんだろう」
聖守護石というのは、フルートの金の石の本当の名前です。
「カイとフレアを悪意から守ってくれてありがとう」
とフルートが木の幹に触れて呼びかけると、太い枝がざざざと動いて、フルートやレオンや犬たちを家のほうへ押しやりました。中へ入れ、と言うのです。
「ありがとう、ラホンドック」
フルートたちはまた感謝をして、ポポロの家の中へ入っていきました──。
家の中は、しんと静まりかえっていました。玄関から家の奥まで幅広の廊下が続いているのですが、灯りが足りないのか、薄暗く沈んで見えます。
「ワン、前に来たときにはもっと明るかったのに」
とポチが言って心配そうに匂いを嗅いでいると、奥のほうから声がしました。
「私たちはこっちよ。どうぞ、入っていらっしゃい」
ポポロのお母さんの声でした。いつもと変わりない、落ち着いた調子です。フルートたちは、ほっとしながら声がした部屋に入っていきました。
そこは居間でした。大きなテーブルがあって、椅子にポポロのお母さん──フレアが座っています。彼女は赤い長い髪を結い上げ、ブラウスとスカートの形の星空の衣を着ていました。黒い生地の中に星のきらめきを抱いた、天空の魔法使い専用の服です。
部屋の中で顔を合わせたとたん、フレアも少年たちも互いに見つめ合ってしまいました。相手の顔をまじまじと見てから、ビーラーが口を開きます。
「本当にフラーだったんだな。闇大陸で会ったときには、全然想像もしてなかったけれど」
「フラーというのは、昔、天空王様の親衛隊として働いていたときの呼び名なのよ」
とフレアは穏やかに答えました。大きな瞳の優しい顔は、娘のポポロによく似ています。
ポチは首をかしげました。
「ワン、ぼくたちが過去の闇大陸でおばさんたちに会ったのは、今から十六年以上も前のことです。その後もおばさんたちはぼくたちと何度も会ったのに、ぼくたちだと気がつかなかったんですか?」
「思い出せなくなっていたのよ。理(ことわり)に記憶を隠されてしまっていたみたいね。あれがあなたたちだったと思い出したのは、ついこのあいだよ。まだ三ヶ月もたっていないわ」
「ぼくたちが闇大陸に行って戻ってきたときに、理も記憶を解放したのか」
とレオンが賢く推理します。
「フレア、カイは? いないんですか?」
とフルートは尋ねました。いつの間にか、ポポロの両親を名前で呼ぶようになっています。
フレアはまた穏やかにほほえみました。
「いるわ。そっちの奥の部屋で待っているわよ。もちろん、あなたたちがどうしてここに来たのかもわかっているわ。でもね、カイと会って話すのはフルートだけにしてほしいの。カイがそう希望しているから。いいかしら?」
少年たちは顔を見合わせてしまいました。何故フルートだけが、と思ったのですが、問題はポポロに関わることなので、フルートが呼ばれるのは当然のようにも思えました。
「わかりました。ぼくだけで会います」
とフルートが答えると、フレアはうなずき、レオンと犬たちに言いました。
「あなたたちはここで待っていてね。お茶とお菓子を出すから、闇大陸で姿を消した後どうしていたのか、教えてちょうだい。あなたたちが急に消えてしまったから、私もカイも、あなたたちを闇大陸の精霊だったんだと思い込んだのよ」
「ワン、姿は見えなくなっても、ぼくたちはずっと一緒にいたんですよ──」
説明を始めたポチの声を背後に聞きながら、フルートは居間から出て行きました。また通路に出ると、奥の薄暗がりに横の部屋から灯りが洩れています。そこがカイの待つ部屋でした。
フルートはためらうことなく奥の部屋に入っていきました。