「勇者フルートの冒険」シリーズのタイトルロゴ

第27巻「絆たちの戦い」

前のページ

5.眠り姫

 「ポポロ……ポポロ」

 椅子に座ったフルートは、傍らのベッドに呼びかけていました。

 そこは渦王の城の中の一室です。城の周囲は森に囲まれていて、木々のざわめきや鳥の声が響いていますが、窓を閉じているので、部屋の中は静かでした。フルートが呼ぶのをやめると、すぐに静寂が戻ってきます。

 フルートはとても優しい声で話し続けました。

「ポポロ、ここは渦王の島だよ。危険も怖い敵もここにはいない。だから、安心していいんだよ……」

 けれども、彼が話しやめると部屋はまた静寂になりました。返事がないのです。

 フルートは溜息をつきました。それでもあきらめずに、また話しかけます。

「ポポロ、聞こえるかい? ぼくだよ。ずっと君のそばにいるんだよ。わかるかい?」

 やっぱり返事はありません。

 フルートはそっと手を伸ばして、ベッドの中の少女の髪に触れました。いつもお下げにしていた髪は、今は編まずに長いままになっていました。かわいらしい顔のまわりを、赤い額縁のように囲んでいます。フルートはそれを優しくなでましたが、やはり反応はありませんでした。ポポロの瞳はずっと閉じられたままです──。

 

 そこへ扉をたたいてゼンとメールが入ってきました。

 ベッドに眠ったままのポポロを見ると、一瞬がっかりした顔をしてから、フルートに話しかけます。

「やっぱり目を覚まさねえんだな」

「全然反応なしかい?」

「量は少ないけど、スプーンで口に運んであげると食事はしてくれるんだよ。でも目を開けない。なんだか目を覚ますことを拒否しているみたいだ」

 とフルートは言ってメールに椅子を譲りました。メールはポポロの手を握って寝顔を見つめます。

 ゼンがフルートに言いました。

「まもなく海王がここに来るらしいぞ。絶対に俺たちのことだな」

 フルートは顔を曇らせました。

「ぼくたちのせいで、渦王が困った立場にならなければいいんだけれど。ポポロがこの状態じゃ、移動することもできないしな」

 すると、メールが憤慨して振り向きました。

「父上を見くびるんじゃないよ! 父上は絶対に友達を見捨てたり放り出したりしないんだよ! たとえ世界中を敵に回したって、ポポロやあんたたちを守るさ!」

「馬鹿、世界中と戦ったりしちゃまずいだろうが。余計に誤解を生むぞ」

 とゼンが言ったので、メールはますます憤慨しました。

「馬鹿とはなにさ! 例えばの話だよ! そんなこともわかんないなんて、ゼンのほうこそよっぽど馬鹿だね!」

 メールの声は部屋中に響き渡りましたが、それでもポポロは目を開けませんでした。

 ゼンは言い返す代わりに溜息をつきました。

「昔話の眠り姫みてえだよな。全然目を覚まさねえんだからよ」

「うん……」

 とフルートは言って黙り込んでしまいました。

 ポポロはベッドの中で毛布に包まれて眠り続けています──。

 

 彼らがこの渦王の島に来たのは、今からちょうど一ヵ月前のことでした。

 ロムドの王都ディーラでセイロスや飛竜部隊と戦っている最中に、闇がらすの霊が乱入してきて、ポポロの正体を暴いたのです。

 セイロスがポポロを捕らえようとしたので、彼らはディーラから撤退するしかありませんでした。その後、フルートは闇がらすの話を必死で打ち消そうとしたのですが、ポポロは思いがけない方法で真実を知ってしまいました。それがあまりにショックだったのか、ポポロは気を失って、それっきり何をどうしても目を覚まさなくなってしまったのです。

 困り果てた彼らは、天空王に助けを求めようと天空の国に向かいましたが、天空の民は彼らを拒否しました。闇がらすが歪めて伝えた真実が、天空の国まで届いていて、闇に関わるものを入れるわけにはいかない、と追い払われてしまったのです。

 幸い、渦王が島にかくまってくれましたが、ポポロがずっと眠ったままなので、彼らは島から身動きがとれなくなってしまったのでした。

 メールがまた話し出しました。

「闇がらすの言ってたことが本当だったって聞かされたとき、あたいはすごく腹が立ったんだよ。そんな重大なこと、どうしてあたいたちに話さなかったのさ! ってね。ポポロだけでなく、ルルにだって大変な秘密があったわけだし。だけどさ──」

 メールはポポロの顔を見つめました。ずっと眠っていても、頬は変わらず薔薇色だし、顔もかわいらしいままです。今にも長いまつげをぱっちり開けて見上げてきそうなのに、彼女はやっぱり目を覚まさないのです。

「生まれ変わる前がどんな人だったとしたって、ポポロはポポロだとあたいは思うんだけど、本人としてはそういうわけにもいかなかったんだろうね。こんなに何もかも拒否しちゃうんだもん。あんたたちが必死で秘密にしていたのもわかる気がするよ」

 二人の少年は思わず顔を見合わせ、すぐに目をそらしてうつむきました。黙っていたことをメールに謝るべきなのか、そうだったんだよ、とたたみかけるべきなのか、それとも何も言わないのが正解なのか、わからなくなってしまったのです。

 部屋の中がまた静寂になります。

 

 ところが、そこへカリカリと扉をひっかく音が聞こえてきました。外から少年の声がします。

「ワン、ぼくです。ここを開けてください」

 ポチの声でした。ゼンがすぐに扉を開けに行くと、銀の首輪を巻いた白い小犬が入ってきました。部屋の中を見回して言います。

「ワン、みんなここにいたんですね。ちょうど良かった」

「あん? 何がちょうどいいんだ?」

 とゼンが聞き返していると、小犬の後ろから茶色い長い毛並みの雌犬が入ってきました。首にはやはり銀の首輪を巻いています。

 部屋の一同は歓声を上げました。

「ルル!」

「やっと元気になったか! おまえも長かったな!」

「もう大丈夫かい?」

「ええ、もう大丈夫よ」

 とルルは少女の声で答えました。ルルとポチはもの言う犬なのです。少し恥ずかしそうな声になって話し続けます。

「心配かけてごめんなさい。その……思いもしなかったことを聞かされたから、ずっと考えを整理していたのよ」

 フルートはかがみ込んでルルの頭や背中をなでてやりました。

「びっくりしてショックを受けるのは当然だよ。ぼくたちのほうこそ、ずっと黙っていてごめんよ。知らないままのほうがいいと思っていたんだ……」

「そうね。確かにものすごくショックだったわ。私が本当は、その──闇大陸に棲んでいたハーピーだった、なんてね」

 とルルはちょっと口ごもりながら言いましたが、心配そうな顔をするフルートやゼンたちを見ると、穏やかな声で続けました。

「もう大丈夫よ。私が闇大陸で何をしていたか、ポチに教えてもらったの。すごく詳しく聞かせてもらったけど、どんなに思い出そうとしても全然思い出せないのよ。確かに私は何度も翼に変わってしまったし、パルバンの荒野に大きな砂の山がある光景も一度だけ見えた気がしたけれど、それっきりよ。夢だったみたいに、もう全然思い出せないわ──。だからね、私はこう思うことにしたの。パルバンにいたハーピーはハーピー、犬のルルの私は私。たとえ私がハーピーだったとしても、今の私はもう、まったくの別人なんだって。ううん、犬だから別犬だわ。ね、そうでしょう?」

 そして、ルルは犬の顔で笑いました。ポチがぺろりとその顔をなめると、ぺろぺろとなめ返します。それは確かに犬のしぐさそのものでした。

 ゼンはうなずきました。

「その通りだよな。だいたいハーピーとルルじゃ性格が全然違わぁ。あっちは無邪気で素直だったけどよ、ルルはしょっちゅう怒ってばかりの怒りん坊──いてぇ!」

 ルルが怒ってゼンの脚にかみついたので、ゼンは悲鳴を上げて飛び上がりました。

 フルートは苦笑しながらルルをなだめました。

「昔がどうだって、ルルはルルだよ。ぼくたちの大事な友達だ。またこうして元気になってくれて、本当に嬉しいよ」

「そうそう。ルルだってポポロだって、あたいたちにはずっと今まで通りのルルとポポロなんだからさ」

 とメールも言います。

 

 とたんにルルは真顔になりました。フルートの腕の中から抜け出してベッドへ駆け寄ります。

「ポポロがあれからずっと目を覚まさないって聞いたから、いつまでも悩んでなんていられないって思ったのよ。本当に一度も起きないの?」

「一度もだよ。一ヶ月間、ずっと寝てるのさ」

 とメールは言って椅子から立ち上がりました。代わりにルルが椅子に飛び上がり、ベッドに前足をかけて伸び上がります。

「ポポロ! ポポロ、起きて!」

 けれども、幼い頃から姉妹のように育ったルルが呼びかけても、やっぱりポポロは目を覚ましませんでした。ひょっとしたら、と期待していた仲間たちは、その様子にがっかりしました。どうしたらポポロを深すぎる拒絶の底から引き上げられるんだろう、と考え込んでしまいます。

 ところが、ルルはポポロの匂いを嗅ぎ回り、ポポロに鼻面を押しつけてから、仲間を振り返りました。

「やっぱりよ。魔法の匂いがするわ」

 魔法? と仲間たちは驚きました。

「ワン、それって、ポポロが自分に眠りの魔法をかけちゃったってこと?」

 とポチが聞き返すと、ルルは頭を振りました。

「ポポロの魔法の匂いじゃないわ。それに、この子はこう見えて本当はすごく強いのよ。私でさえこうして立ち直ってきたのに、私よりもっと長く立ち直ってこないなんて変だもの。眠りの魔法をかけられているんだわ」

「でも、あのときポポロの近くに魔法をかけるような奴なんていたかい? 確かにディーラには魔法使いが大勢いたけどさ、ポポロはアーペン城で倒れたんだよ」

 とメールが首をかしげると、フルートが、はっとしました。

「ひょっとして、セイロスのしわざか!? 奴はポポロを捕まえようとした! あのとき、彼女に魔法をかけていたのか!?」

 気づかぬ間にポポロに危害を加えられていたことに、激しい怒りと後悔が湧き上がってきて、思わず歯ぎしりしてしまいます。

 ところが、ルルはまた頭を振りました。

「これは闇魔法の匂いじゃないわ。光の魔法よ。それに、私はこの匂いを知ってるの。どうしてポポロにかけたのか、よくわからないんだけど……お父さんの魔法の匂いなのよ、これ。間違いないわ」

 困惑するような雌犬のことばに、仲間たちは唖然としてしまいました──。

2020年6月15日
素材提供素材サイト「スターダスト」へのリンク