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第27巻「絆たちの戦い」

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第2章 眠り姫

4.海岸

 ごつごつした岩が重なり合う海岸に、波がしぶきを上げて打ち寄せていました。陸に近い海はエメラルドグリーンですが、沖に向かうにつれて鮮やかな青に変わり、水平線で抜けるような青空につながります。うねる波が銀のなめし革のように光っています。

 メールは森の中から海岸へ走り出ると、勢いをつけて海へ飛び込みました。岩だらけの危険な場所ですが、魚のように身をくねらせながら岩の間に潜ると、そのまま見えなくなってしまいます。

 すると、こんな場所を好む人魚が三人、ひょっこり姿を現しました。長い金髪に美しい顔、上半身は裸の若い女性ですが下半身は大きな魚の尾の、おなじみの魔物です。意味ありげにうなずき合うと、岸辺の岩に上がり込み、くすくす笑いながら海を見つめます。

 やがて海中からメールが上がってきました。海面から顔を出すと、ぶるっと頭を振って、束ねた長い緑の髪から水気を飛ばします。気の強そうな表情をしていますが、顔立ちはびっくりするくらい美人です。

 そこへ待ち構えていた人魚たちが話しかけました。

「渦王(うずおう)の鬼姫様。こんなところで何をしてるの?」

「島にとんでもない悪魔を連れてきちゃったんですって?」

「こわぁい。島が壊されて沈んじゃうんじゃないの? そうしたら、鬼姫様も渦王も、みぃんな海の底で暮らすしかないわね」

 人魚は玉を転がすような声で口々に言いました。聞く者の心を絡め取る魔力がある声ですが、メールにはそんなものは効きません。海の色の目でにらみ返して言います。

「あたいたちは海の底でも平気さ。それにポポロは悪魔なんかじゃないよ。いい加減なことを言ったら承知しないからね!」

 メールが怒ったので人魚は喜びました。

「あらあらあらぁ、悪魔でしょう? みんなそう噂してるわよ」

「そうそう。こわぁい悪魔の竜の奥さんを連れてきたって。それなら、奥さんもやっぱり悪魔の竜だわ」

「鬼姫も渦王もかなわないわよねぇ。みぃんな竜に丸呑みされちゃうわ」

 丸呑み、丸呑み、と人魚たちは面白がってはやし立てました。そんな意地悪な声さえ音楽のように美しく響きます。

 

 メールはますます腹を立てて言い返そうとしましたが、急にそれをやめました。ふん、と鼻で笑って言います。

「そぉら、あんたたちの怖いのがやってきた。早いとこ逃げたほうがいいよ」

「あらぁ、あたしたちの怖いのってなぁに? あたしたちは渦王の嵐だって平気よ」

「そうよ。海の奥深くまで潜ってしまうもの。全然平気だわ」

「槍だって弓矢だってあたしたちには届かないもの。怖いものなんて何もないのよ。残念でした」

 人魚たちは口々に言って笑いさざめきました。魚の尾で海面を何度もたたいたので、しぶきがメールにかかります。

 メールは片手でしぶきを遮りながら言いました。

「いいから、あんたたちの後ろを見てみなよ」

「なぁに、後ろって?」

「鬼姫様ったら、また悔し紛ればっかり──」

 笑いながら振り向いた人魚たちは、すぐ後ろにゼンがいたので、飛び上がって驚きました。ゼンは岩場に仁王立ちになって彼女たちをにらんでいます。

 きゃーっと人魚は悲鳴を上げて海に飛び込みました。そのまま泳いで逃げ出します。

「この馬鹿人魚ども! 誰がなんだと!? もういっぺん言ってみろ!」

 ゼンはどなって足元の大岩をぐわっと持ち上げました。人魚たちに向かって投げつけたので大波が立ちます。岩は当たりませんでしたが、人魚たちは後ろも見ずに全速力で逃げていきました。あっという間に姿が見えなくなってしまいます。

「ちっくしょう。俺を見るとすぐ逃げるようになりやがって」

 ゼンが悔しがっているところへ、海からメールが上がってきました。

「そりゃそうさ。みんなゼンに怖い思いをさせられてるもんね。うるさくなくなって、ちょうどいい感じだよ」

「いいや。あの連中は海のあちこちで悪い噂ばかりばらまいてやがるからな。そのうちに、とことん懲らしめて思い知らせてやる」

 ゼンはまだ腹の虫が収まらずにいましたが、メールが手に海藻の束を握っているのに気がつくと、機嫌を直しました。

「ポポロのために採ってきたのか」

「うん。これと一緒に煮てとろみをつけると、ポポロも食べてくれるからね。この海藻はこの岩場でしか採れないんだ」

「そうか。ご苦労さん」

 とゼンがねぎらいます──。

 

 彼らがいるのは、南の海に浮かぶ渦王の島でした。渦王は西の大海を治める王で、メールの父親です。目の前は見渡す限りの海と空ですが、背後の島には緑の濃い森が広がっています。

 メールが岩場に座ったので、ゼンも隣に腰を下ろしました。メールは花のように色とりどりの袖なしシャツにうろこ模様の半ズボン、ゼンは薄茶色のシャツを袖まくりして暗い緑のズボンをはいています。メールは細身で長身ですが、ゼンはそれより背が低くて大人のようにがっしりした体格をしていました。半分ドワーフの血を引いているので、かなりの怪力の持ち主です。人魚たちはそれをよく知っているので、ゼンを見たとたん一目散に逃げていったのです。

「人魚どもめ、ポポロにひでぇこと言いやがって。どうにかして、あの連中の二枚舌を引っこ抜いてやらねえと」

 思い出してまた腹を立て始めたゼンに、メールは溜息まじりで言いました。

「闇がらすの声がこんなに遠くまで届いてたなんて、思いもしなかったよね……。海だけでなく、天空の国の住人まで聞いたっていうんだからさ。どれだけ広がっていたんだろ」

「ああ。おかげで俺たちは天空の国から門前払いだもんな。渦王が島に迎え入れてくれたから良かったが、そうでなかったら、俺たちはどこに行ったらいいのかわからなかったぞ」

「父上はあんたたちに変わらない友情を誓って、いつでも島に歓迎するって言ったからね。海の王はどんなことがあったって約束は破らないんだよ」

 とメールが得意そうに言います。

 けれどもゼンは両手を組んで考える顔になりました。

「渦王は俺たちを信じてくれた。だが、海王はどうだろうな? どうやら今日明日にもこの島に来るらしいぞ」

「あたいたちの噂を聞いたんだね。伯父上もあたいたちを信用してくれると思うんだけど……うぅん、どうだろ。わかんないな」

 メールも自信のない顔になってしまいました。渦王は快く彼らを受け入れてくれたのですが、島に住む者たち全員がそうだったわけではないのです。渦王の怒りが恐ろしいので、人魚のように露骨に悪口を言う者は少ないのですが、海で、空で、森の中で、彼らを見てひそひそと話し合う姿はよく見かけていました。

「海の民の連中も薄情だぜ。謎の海の戦いや海の王の戦いで、あれだけ一緒に戦ったっていうのによ。俺たちが闇の民か何かみたいな目で見やがって」

 とゼンがぼやくと、メールは急にむきになりました。

「それは違うよ、ゼン! あたいたちを怖がってるのは、あの頃まだ子どもだった若い海の民さ! ほら、知ってるだろ? 海の民は寿命が短い分、歳を取っていくのが早いんだ。あのとき一緒に戦った海の民は、みんなあたいたちを信じてくれてるさ。でも、その後で大人になった連中は、あたいたちのことがよくわからないんだよ」

 ゼンは手を組んだまま、肩をすくめました。

「まあ、それはそうか。ギルマンたち半魚人はみんな、俺たちを信じると言ってくれたもんな」

「半魚人は逆に長生きなんだよ。魚や海鳥たちだって、あたいたちを覚えてる子たちは信用してくれてるよ」

 とメールは海の仲間たちを一生懸命弁護します。

「それでも、早いとこ、この状況をなんとかしなくちゃいけねえよな──」

 とゼンは言って背後を振り向きました。ぎっしりと生い茂った木や茂みに隠されて見えませんが、森の奥には渦王の城があります。

 

「ポポロのところに行こっか」

 とメールは立ち上がりました。手招きするように空中で手を振ると、ざぁっと雨のような音が湧き起こり、森からたくさんの花が飛んできました。色とりどりの虫か鳥の群れのように、彼女のまわりを飛び回ります。

「そんなに大勢で来なくていいんだよ。この海藻をお城の台所に届けてほしいだけなんだからさ」

 とメールは言いました。普段は気の強そうな顔が、集まってきた花にはとても優しくほほえんでいます。

「みんな、おまえのことが好きだって言ってんだよ。役に立ちてえんだろ」

 とゼンも笑って立ち上がりました。

 メールは、ありがと、と花たちに感謝しながら海藻を託しました。メールの母は森の民の姫だったので、母と同じように花使いができるのです。花たちは雲のように寄り集まった上に海藻を載せると、たちまち森の奥へ飛んでいきました。

「どれ、本当にポポロとフルートのところへ行こうぜ」

 とゼンは言うと、メールと一緒に海岸から森へ歩き出しました──。

2020年6月12日
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