冬の夕日が雲を鈍い紅色に染める頃。
フルートたちは空を飛んで、エスタ国のアーペン城まで来ていました。ポポロが大事なものを忘れたと言ったからです。
アーペン城はエスタの領主オグリューベン公爵の出城ですが、兵士の大半は公爵と共に出陣していたので、城の守りは手薄になっていました。ポチと花鳥は見張りの死角から近づいて屋上に舞い降り、難なく城内に入り込んでしまいました。
仲間たちの先頭に立っていたのはポポロでした。口を一文字に結んだまま、何も言わずに階段を降りていきます。
そのすぐ後ろをついて行きながら、フルートはずっと気がかりでいました。ポポロの足取りには迷いがありません。ここで幼い皇太子だったエラード公を守ってきたのですから、城に慣れているのは当然かもしれませんが、それにしても積極的に見える歩き方です。普段はあんなに引っ込み思案なのに、と思うとまた漠然とした不安がわき上がってきます。
一方、メールは歩きながら考え込んでいました。先ほどはフルートの説得に押し切られてしまいましたが、時間がたつに従って、また疑問が頭をもたげてきたのです。ポポロやフルートをちらちら見ながら、言いかけてはやめることを繰り返しています。
後ろに続くゼンはそんなメールの様子に気づいていましたが、あえて気がつかないふりをしていました。「あれはいったいどういうことだったのさ？」などと質問されたら、なんと説明したらいいのかわからなかったからです。
ポチは最後尾を歩くルルのことを心配していました。ルルはうつむいたまま何も言わずに歩いています。その胸の内がまた不安と恐れでいっぱいになっていることを、ポチは感じ取っていました。自分がセイロスの魔法で翼に変わってしまったことを思い出しているのです。そんな彼女になんと言ったらいいのか、ポチもわからずにいました。
ぎくしゃくとした沈黙に包まれながら、一行は階段を降り続けます……。
やがて、ポポロは地下一階までやってきて足を止めました。分厚い扉が行く手をふさいでいます。
仲間たちはとまどいました。そこは彼らにとって、とても大事な場所だったのです。
ポチが言いました。
「ワン、石にされたエスタ王がいる部屋じゃないですか。ポポロはここに用事があったんですか？」
「ええ、そうよ」
とポポロは答えると、振り向いて言いました。
「ゼン、扉を開けてちょうだい」
「俺が？」
「ええ。鍵がかかっているんですもの」
ゼンはとまどい、確かめるようにフルートを見ました。
フルートのほうもポポロの意図がわからなくて面食らっていましたが、しかたなくうなずき返しました。そうするしかなかったのです。
そこでゼンは扉に手をかけました。ちょっと力を込めただけで、たちまち鍵や蝶番ごと扉を引きはがして、入り口を開けてしまいます。
ポポロは部屋の中に入りました。
外側は質素な地下室という様子だったのに、中は分厚く上等な絨毯が部屋いっぱいに敷き詰められ、壁には美しい織物がカーテンのように張り巡らされていました。部屋の中央に彫刻のようなエスタ王が安置されています。ただ、それ以外には何もありませんでした。ポポロが言う忘れ物らしいものも見当たりません。
「忘れ物っていうのは、なんだったんだい？」
とフルートはまた尋ねました。ひょっとしたら、ちぎれて消滅した姿隠しの肩掛けの残骸がどこかにあって、それを取りに来たんだろうか、と考えていたのですが、それもありません。
ポポロはまっすぐエスタ王のそばへ言って、石になった王を見ました。エスタ王はあまり背が高いほうではありませんでしたが、ポポロのほうがもっと小柄なので、見上げる格好になります。
白く堅い石の顔を見つめながら、ポポロは言いました。
「あたしが言っていた忘れ物というのはエスタ王よ……。このままにしてはおけないもの」
それはその通りでした。エスタ王は石にされても生き続けていましたが、セイロスの強力な闇魔法が体の芯まで石に変えてしまったので、長い間このままでいたら、やがて死んでしまうのです。
「ワン、元に戻す方法は二つしかありませんでしたよね。石にする魔法をもっと強力な魔法で打ち消すか、魔法をかけたセイロスを倒すか──」
とポチは言って、思わずフルートを見ました。フルートは本気でセイロスと一騎討ちをしましたが、闇がらすの乱入で勝負をつけることができなかったのです。フルートは黙って唇をかんでいます。
するとゼンが急に身を乗り出しました。
「ひょっとして、エスタ王を天空の国に連れて行こうってのか？ 天空王ならエスタ王を元に戻せるかもしれねえもんな」
「あ、そっか……。この世でセイロスに対抗できるくらい強力な魔法使いって言ったら、天空王くらいしかいないよね」
とメールも納得しましたが、とたんにルルが反論しました。
「無理よ！ 闇魔法にかかったものを天空の国に運び込めるはずがないじゃない！ 番人の金虹鳥（きんこうちょう）に追い払われるわ！」
けれども、ポチは言いました。
「ワン、ぼくらならきっと金虹鳥の目を盗んで運び込めるよ。エスタ王をゼンが抱えて、そのゼンをぼくが運ぶ。金虹鳥が来たら、ルルやメールが注意を引けばいいんだ」
「そんなことしたら、みんな罰せられるったら！」
「じゃあ、エスタ王をこのままにしておくってのかよ？ 本当に死んじまったらどうするつもりだ！ 天空王は地上に降りてくることができねえんだから、こっちから運ぶしかねえろうが！」
とゼンに責められて、ルルは困った顔になりました。
「で、でも──だって──」
天空の国には天空の国のルールというものがあったのです。
ところが、ポポロはそんな話し合いには加わりませんでした。エスタ王を見つめ続けています。その表情があまり真剣だったので、フルートはまた不安になってきました。
「ポポロ……？」
すると、彼女はやっと振り向きました。仲間たちへ言います。
「あたしがやるのよ。エスタ王を元に戻してみるわ」
一同はとまどいました。ポポロは以前にもエスタ王を元に戻そうとしたのですが、力及ばなくて、魔法を跳ね返されてしまったのです。
「もう一度やってみるの」
とポポロは話し続けました。
「前回よりもっと力を込めて、全身全霊でやってみるわ。あたしの力の限界の限界まで引き出して……。あたし、今まで心のどこかで、セイロスの闇魔法にはかなうはずないって、ずっと思い続けていた気がするの。だってセイロスはデビルドラゴンそのものだし、あたしはただの天空の国の魔法使いだしって。だけど……」
話していることはとても力強い内容でしたが、ポポロの声は妙に静かでした。こんなときにいつも見せていた、不安そうな表情もしていません。
フルートは急に胸騒ぎを覚え始めました。自分の心臓の音が、まるで警鐘のように耳に響き出します。
フルートはあわてて言いました。
「今日は無理だ、ポポロ。君はロムド軍と女騎士団の馬が空を走れるようにするのに、今日の魔法を二つとも使い切ったじゃないか。明日にならないと魔法は使えないよ」
すると、ポポロは何故だか笑いました。自分のことばを確かめるように、ゆっくりと言い続けます。
「それでも、やってみるのよ。ひょっとしたら、あたしは自分に制御をかけていたのかもしれないんだもの。自分で自分が信じられなかったから。だから、あたしは自分の力を信じてみるの。あたしにはできるかもしれないって。だって、だって……あたしは、セイロスの力を持ったエリーテなのかもしれないんだもの」
そう言って、彼女は痛々しいほど透き通った笑顔を見せました──。
