城の上を飛び越えて城下町に出たカラスは、教会の尖った屋根の上に留まりました。
屋根のてっぺんからは空の様子がよく見えます。飛竜に乗ったセイロスとギーが、風の犬や花鳥に乗った勇者の一行とにらみ合っていました。オリバンやロムド兵の騎馬隊がそれを取り囲んでいます。
視線をもっと遠くへ向ければ、セシルに率いられたナージャの女騎士団が、飛竜部隊を探して空を走り回っていました。数騎の女騎士が地上に駆け下ると、隠れていた飛竜が空に飛び立ち、たちまち取り囲まれて撃墜されてしまいます。
頭をかしげてその光景を見ていたカラスが、黒いくちばしを開きました。
「やぁれやれ、面白くない状況だなぁ、これは」
と若い男性の声で言います。
「このままじゃあの男に勝ち目はない。結局あのでかい魔法を使うしかないから、使って街も人も勇者たちも吹き飛ばして、それでおしまいだ。つまらない。それはつまらないぞぉ――カカカァ」
笑うようなカラスの鳴き声が混じります。
そこへ鳩羽が姿を現しました。肩には小さな少女が座っていて、まっすぐカラスを指さします。
「いた! あれよ!」
鳩羽がたちまち攻撃魔法を繰り出しました。少女も白い柳の杖をカラスに向けます。
カラスは屋根を飛び立ちました。セイロスとフルートたちがにらみ合っている場所へ、まっすぐ向かっていきます。
「行かせちゃダメ!」
と少女が言ったので、鳩羽は飛び上がりました。次の瞬間には空の中に現れて、カラスの行く手をふさぎます。
少女がカラスを見据えて言いました。
「やっぱりこの世のものじゃないわね! 何者よ! 正体を現しなさい!」
「おっとぉ。それはもう少し後にさせてもらおうかなぁ。カカカカァァ」
カラスはまた笑って、少女が繰り出した魔法の網をかわしました。さらに上空へ飛んでいきます。
「あれは本当にランジュールじゃないのか? なんだか雰囲気が似ている気がするぞ?」
と鳩羽は首をかしげましたが、少女は急かしました。
「早く! あいつを倒すの! 上に行かせちゃダメなのよ!」
その騒ぎに上空にいたオリバンが気づきました。すぐに剣を抜いて駆け下ってきます。
「敵か!?」
と言うが早いか、大剣でカラスを真っ二つにします。
ところがカラスは無傷でした。オリバンの剣をすり抜けて、さらに上へと飛んで行きます。
驚くオリバンに鳩羽たちが追いついて言いました。
「殿下、あいつに剣は効かないわ!」
「あれの正体は幽霊らしいのです」
「幽霊だと? では――」
ランジュールか? とオリバンも言いかけたとき、空の上で戦いが動き出しました。セイロスを乗せた飛竜とフルートを乗せたポチが近づいていきます。双方が手に握っているのは一撃必殺の魔剣です。
「行け、フルート!」
「今度こそ、そいつを倒しなよ!」
と勇者の仲間たちが声援を送っています。
カラスはそちらに向かって飛んでいきます――。
「ギー、私の後ろへ下がれ」
とセイロスが言ったとたん、それまで飛竜の首元で手綱を握っていたギーは、セイロスの後ろに移動させられていました。飛竜の手綱を放してしまったのですが、飛竜は今まで通り前進を続けていました。セイロスの意思がそのまま伝わっているように、敵に向かって飛んでいきます。
フルートもポチに言いました。
「ポチ、真っ向勝負だ。このまままっすぐ」
「ワン、わかりました」
とポチは答えて、近づいてくる飛竜に自分から接近していきました。二本の剣が振り上げられます。真っ正面からぶつかり合おうとします。
ところが、そこへカラスが飛び込んできました。黒い翼を広げて、けたたましく鳴き出します。
「カカカカァ、カァカァカァ!!!」
フルートもセイロスも突然の闖入者(ちんにゅうしゃ)に驚きました。ポチと飛竜も思わず勢いを落とします。
すると、ポチが首をひねりました。
「あれ、こいつ……」
そこへ下のほうから少女を担いだ鳩羽が飛び上がってきました。
「勇者殿、気をつけて! それはただのカラスではありません!」
えっ、とフルートがカラスを見直すと、少女が柳の杖を振りました。
「邪悪な霊! ここから立ち去りなさい!」
けれども、カラスは少女の術をひらりとかわしてしまいました。
「邪悪な霊? じゃあ、ランジュールなのか?」
とギーも言いましたが、セイロスが答えました。
「違うな。奴とは気配が異なる。何者だ? 邪魔をするなら容赦なく消滅させるぞ」
セイロスがにらみつけると、カラスは空中で羽ばたきました。カカカァァ、とまた笑うように鳴くと、急に大きくなり始めます。翼が長く広くなり、頭も体がふくれあがり、脚が伸びていきます。
と、その姿は人間に変わりました。黒い羽根の服に濡れたような黒髪の青年です。ただ、その両腕だけはカラスの翼のままでした。羽ばたきながらフルートとポチを振り向きます。
「やあ、久しぶりだな、勇者の坊や」
とからかうように笑ってみせます。その顔には入れ墨のような模様がありました。意外なくらい整った顔立ちです。
フルートとポチは声を上げました。
「おまえは――!」
「ワン、やっぱり闇がらすだ!」
やりとりを聞きつけたメールとゼンが首をかしげました。
「闇がらす? どっかで聞いたような……」
「俺もだ。どこで聞いたんだ?」
すると、ゼンの下からルルが言いました。
「忘れちゃったの!? 昔フルートに願い石があるって大騒ぎした闇の鳥よ!」
「そうよ。フルートを食べれば願い石を手に入れられるって吹聴して、ものすごい数の闇の怪物を送り込んできたじゃない!」
とメールの後ろからポポロも言います。
ああ、とメールたちは思い出しました。
「そういや、いたね、そういう迷惑なヤツ。でもさ、あたいは直接見たことはなかったんだよ」
「俺もだ。そうか、あいつが闇がらすか。どうしてまた現れたんだ──?」
フルートとポチは闇がらすをにらみつけました。
「今頃なんの用だ? おまえがそそのかした闇の怪物は、もう全然現れなくなっているぞ」
「ワン、フルートを食べたって願い石は手に入りませんからね。いくら欲深い闇の怪物だって、いずれはそれに気がつくんです」
カラスの青年は黒い翼の肩をすくめました。
「ああ、そうそう。噂なんてのは、そういうものだからなぁ。火に油を注ぎ続けないと火が消えていくように、ひっきりなしに騒ぎ立ててやらないと、せっかくの噂もいつの間にか立ち消えになるんだ。でも、しかたないだろう。騒いでやりたくたって、俺は死んで黄泉の門の前にいたんだから」
「おまえは死んでいたのか――」
とフルートたちは驚き、願い石を狙う闇の怪物が次第に減っていった理由を、やっと知ることになりました。
青年はまた黒い肩をすくめました。
「そういうこと。でも、心残りがありすぎて、死ぬに死ねなかったからね。黄泉の門の向こうに行かないようにがんばっていたら、思いがけない支援者が現れて、俺をこの世に連れ戻してくれたのさ」
「思いがけない支援者?」
とまたフルートたちはまた驚きました。いったい誰のことなのか、想像がつきません。
「うふふ。支援者ってのはボクのことさぁ」
と言いながら姿を現したのはランジュールでした。
ただし、フルートたちの目の前にではありません。ランジュールがいるのは、ディーラからかなり離れた郊外の空でした。周囲にはフルートたちはもちろん、オリバンたちや女騎士たちもいません。
チチッ。
ランジュールの肩で化け蜘蛛のアーラが鳴くと、ランジュールは憮然とした顔になりました。
「こんなところで名乗りを上げてどぉするんだってぇ? しょぉがないじゃないかぁ。都の周りにはあの幽霊専門のお嬢ちゃんが障壁を張ってて、ボクを入れないよぉにしてるんだからさぁ。でも、カァカァちゃんの声はすっごく通るから、ここにいてもよく聞こえるよねぇ」
うふふふ、とランジュールは笑いました。相変わらず女のような笑い方です。
「カァカァちゃんをこの世に連れ戻したのはボクたちだけどさぁ、カァカァちゃんを黄泉の門に送ったのも、このボクなんだよねぇ。あんまり生意気だったから、懲らしめるのに心臓をキュッとね。うふふ、おかげでカァカァちゃんはボクの言うことには絶対服従。黄泉の門にしがみついて、ぜぇったい向こう側には行かない、ってがんばってたから、根性を見込んで連れ帰ってあげたってわけぇ」
すると、アーラがまたチチチ、と鳴きました。
ランジュールはにやりと笑い返します。
「まぁねぇ。役に立ちそうだから連れてきたってのが正解だけどねぇ。さぁてカァカァちゃん、一世一代の見せ場なんだから、がんばるんだよぉ。ここからしっかり見届けてあげるからさぁ」
幽霊の青年と幽霊の大蜘蛛は、空にふわふわと浮かびながら、ディーラの都を眺め続けました――。