ロムド城では、避難を呼びかける角笛が響く中、ロムド王が執務室に近いバルコニーに出て、外を見ていました。
城の中庭には荷物を抱えた人々がひしめいていて、城の召使いに誘導されながら、城の地下室に避難していきます。ロムド城も周囲の住人の避難場所になっているのです。
城に逃げ込んだ人々は比較的落ち着いていますが、都全体からは叫び声や怒鳴り声、潮騒のようにうねるざわめきなどが聞こえていました。恐怖と不安がディーラを包んでいるのです。
前回、セイロスが率いる飛竜部隊がディーラに大きな打撃を与えてから、まだ三カ月も過ぎていませんでした。闇魔法に破壊された城の尖塔もやっと修理が終わったばかりです。人々が怯えるのは当然のことでした。
ロムド王は厳しい顔で城壁の彼方を眺めました。セイロスと飛竜部隊はそちらから迫ってきています。ずっと敵の襲来に備えてきましたが、本当に都を守れるかどうかは、一番占者のユギルにさえ読むことができません。
そこへ通路の向こうから取り次ぎ役の下男がやってきました。後ろには道化の姿のトウガリがついてきています。
トウガリはベランダに出ると、ロムド王へ大袈裟なお辞儀をして、流れるような口上を始めました。
「偉大にして賢く我が国の太陽のような存在であられる国王陛下、同じロムド城の中に住まいながら、陛下とトウガリめはしばらくのご無沙汰でございました。この大変な状況の中、陛下はいかがお過ごしかと考え、ご心労にお弱りになっておいでならば、このトウガリめの芸で少しでもお元気になっていただこうと参上いたしましたが、陛下は普段通りの落ち着きぶり。さすがは大陸にも名高いロムド国王陛下であられると、トウガリめは心より感服いたしております。先ほどは王妃様とメーレーン王女様にもお目にかかってまいりましたが、お二人とも避難してきた民衆の対応にご尽力されておいでで、王族なのに少しも偉ぶらないそのお姿に、またまたトウガリめは感激の涙をぽとりとこの細い膝に――」
そこまで話したところで、取り次ぎ役の下男はようやく階段を下りていきました。
王と二人きりになったので、道化はすぐに口調と話を変えました。
「陛下、都の貴族の一部に造反の動きです。自分の領地が飛竜部隊に襲撃されたら、抵抗せずに明け渡して味方につくように、と自分の領地へ伝書鳥を飛ばしたのです」
ロムド王はいっそう厳しい顔つきになりました。
「この状況を恐れて自分だけ助かろうとする者が出てくることは予想していた。だが、それを実行されては、国内に飛竜部隊の拠点を与えることになってしまう。その貴族とは誰だ? どのくらいの数が造反を企んでおる?」
「首謀格が三名、その者たちが誘いかけていた貴族が四、五名ですが、すでに宰相殿にお知らせしたので、間もなく警備隊に逮捕されることと思います。領地への早鳥も魔法軍団の協力で回収しました。ただ、首謀格の貴族たちは、サータマンに追放された昔のロムド貴族と裏でつながっているようです。おそらくサータマン王の差し金か入れ知恵ではないかと――」
ロムド王は思わず溜息をつきました。
「イシアード王に力添えをして飛竜部隊を編成させたのもサータマン王だ。舞台裏からこの戦いを有利に運ばせようと働きかけている」
「御意。故に、この戦いを長引かせることは絶対に避けるべきだろうと思います。サータマン王に攻め込む隙を与えてしまいます」
王と道化間者が深刻な表情になっていると、王の執務室からリーンズ宰相が出てきて呼びかけました。
「陛下、ユギル殿がお伝えしたいことがあると申しております。執務室にお戻りください。トウガリ殿もご一緒に」
宰相と一緒に護衛の兵士たちが出てきたので、トウガリはまた道化口調に戻りました。
「これはこれは。一番占者殿に芸をお目にかけて、占いの疲れを癒やしてもらえとのご命令でしょうか? それならばトウガリめは喜んでご同行させていただきましょう」
とおどけた様子でお辞儀をしてみせます。
ロムド王は護衛の兵士たちに、部屋の外で見張るようにと命じます――。
執務室には占者のユギルだけでなく、キースとアリアン、鷹のグーリーと小猿のゾとヨが一緒にいました。
「そなたたちも来ていたのか」
とロムド王が言うと、キースたちが返事をするより早くゾとヨが答えました。
「アリアンがもう透視できなくなったんだゾ」
「だから、みんなで王様のところに来たんだヨ」
「透視ができなくなった? 何故だ?」
と王が顔色を変えたので、アリアンは申し訳なさそうに答えました。
「巨大な闇が迫っているからなのです、陛下。私の鏡はまだ離れた場所を映すことができますが、そこに闇の手が伸び始めているんです」
「ご承知の通り、ぼくたちの力の源は闇だ。セイロスが強烈な闇を発しながら迫ってくるから、闇の力を使っていると捕まって取り込まれる危険があるんだよ」
とキースも言います。
黒髪に緑のドレスのアリアンと、黒髪に白と青の聖騎士服を着たキース。見るからに美しく清らかな姿の二人ですが、その正体は闇の民の娘と闇の国の王子です。
すると、小猿のゾとヨが急にあわて始めました。全身の毛を逆立て、ぴょんぴょん飛び跳ねながら叫びます。
「ままま、まずいゾ、まずいゾ!」
「おおお、オレたち、姿が変わるヨ――!」
言っているそばから小猿の姿が溶けるように消えて、ぎょろりと大きな目玉のゴブリンが現れました。グーリーもピィ! と甲高い声をあげると、鷹から黒いグリフィンに変わってしまいました。グリフィンが巨大なので、執務室の中はたちまち窮屈になります。
キースが人差し指で自分の頬をかきながら言いました。
「ぼくの変身魔法より、外から伝わってくる闇の力のほうが強くなってしまったんだ。セイロスはもうすぐそこまで来ているぞ」
そう言うキース自身も頭の両脇にねじれた角が現れているし、アリアンも額に一本の角が伸びていました。アリアンは自分の顔を両手でおおいますが、長い角を隠すことはできません。
すると、執務室の片隅でテーブルに向かって座っていたユギルが言いました。
「わたくしの占盤にセイロスや飛竜部隊は映りません。魔法軍団や四大魔法使いにも、闇に隠れた敵を魔力で見つけることは不可能です。よほど近くまで迫らなければ、敵を捕らえることができないのですが、キース殿たちのおかげで敵の接近を知ることが可能となっております。陛下、都の外で住人の避難誘導に当たっている兵士たちを呼び戻し、配置につくようご命令くださいますように」
「いよいよか」
とロムド王は言い、リーンズ宰相に命じました。
「外にいる者たちを都に退避させよ。避難の陣頭指揮はゴーラントス卿だ。ただちに都の中の警備につくように伝えるのだ」
宰相は了解してすぐに部屋を出て行きました。まもなく角笛の吹き方が変わり、退避を知らせるせっぱ詰まった音色が響くようになります。
都全体を包む不安なうねりが、いっそう高まっていきます──。
ロムド王はキースに尋ねました。
「敵がやってくるということは、勇者やオリバンたちの防衛線が敵に破られたということだ。彼らは無事だろうか?」
とたんにキースは顔を曇らせました。アリアンが、はっとしたように手の中から顔を上げ、グーリーは彼女に頭をすり寄せます。返事にためらったのです。
ところが、ゾとヨはそんな雰囲気にまったく気づきませんでした。ゴブリンの姿で小猿のように飛び跳ねながら、口々に言います。
「オレたち見たゾ、見たゾ!」
「オリバンやセシルがいる砦のほうで、ものすごい爆発が起きたんだヨ!」
「爆発からものすごい闇が伝わってきて、それっきりアリアンは鏡が使えなくなったんだゾ!」
「あれは絶対にセイロスのしわざなんだヨ!」
爆発――とロムド王やトウガリが青ざめると、テーブルからまたユギルが言いました。
「確かに、殿下たちがおいでになる南の国境の砦とは、数日前から連絡が取り合えなくなっております。ですが、勇者殿や殿下たちが敗れてこの世から去ったとしたら、この世界を闇から救えるものは誰もいなくなってしまいます。世界はたちまち闇に呑み込まれていくはずですが、占盤にそのような未来は現れておりません。占盤はただ、この戦いは五分と五分、勝利と敗北のどちらへ傾くかわからない、と知らせております。むろん戦闘の内容や結果を予言することは非常に困難ではございますが、少なくとも、勇者殿や殿下たちが今もご無事であることだけは、確かだろうと存じます」
ロムド王もすぐに気を取り直してうなずきました。
「そうであるな。彼らがたやすく闇に敗れるはずはない。彼らは光の戦士なのだから」
けれどもそれは確信を持って言っているというよりは、そうあってほしい、と願う声でした。
緊急退避を知らせる角笛は繰り返し鳴り響きます。
ディーラは大きなざわめきに包まれ、あわてて避難してきた人々がしかるべき場所に隠れると、あたりはしん、と静寂に包まれました――。