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第26巻「飛竜部隊の戦い」

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76.逆転

 若いバム伯爵は与えられた飛竜に乗ってセイロスに従ってきましたが、エスタからロムドへ抜ける谷の出口で敵の迎撃に遭い、必死に逃げ回っていました。

 ユラサイ人の竜使いたちは鞍も手綱もつけない竜を自在に操りますが、バム伯爵にはそんな芸当はできません。鞍の上で身を伏せ、振り落とされないように手綱を握りしめているのがやっとです。

 その真上を大いしゆみの矢が飛びすぎていったので、彼は震え上がりました。

「ど……どうしてだ!? どうして彼らはこんなに飛竜に対抗できるんだ!? こっちは空を飛んでいるんだぞ!? あの大きな矢はなんなんだ……!?」

 彼は湖の戦いで大いしゆみを見ていなかったので、その威力に度肝を抜かれていました。矢も跳ね返すほど丈夫な皮膚を持つ飛竜が、銛(もり)に刺された魚のように、串刺しにされて墜落していくのです。

 飛竜部隊全体はギーの銅鑼とセイロスの命令に従って隊列を組み直し、谷の出口に向かって飛び始めていましたが、バム伯爵はそこに加わることができませんでした。竜が彼の言うことを聞かなかったのです。ただやみくもに攻撃から逃げ回ります。

 すると、行く手で突然角笛が響いて、新たな敵が姿を現しました。出口に向かっていた飛竜部隊に投石機の攻撃が始まります。続いて弓矢の攻撃も始まったので、軽装の竜使いたちが矢を食らって飛竜から落ちていきます――。

「まずいぞ、これは! どうしたらいいんだ? 彼は何をしている!?」

 バム伯爵があせって振り向くと、セイロスは行く手の攻撃をにらみつけていました。普段は泰然としている彼が、怒りをあらわにしています。その背後で巨大な影がざわりとうごめいたので、伯爵はぎょっとしました。影は目をこらすと見えなくなりますが、視線をそらすとまたうごめきながら現れます――。

 

 そこへセイロスの命令が聞こえてきました。

「全軍後退! 谷の中程まで戻れ!」

 間にどれほど距離があっても、セイロスの声ははっきりと聞こえます。

 ああ、やっぱり、と伯爵は考え、ちょっとほっとしました。さすがのセイロスも敵のこの猛攻には前進をあきらめるしかなかったのです。気がつけばあの影も見えなくなっています。

 行く手から飛竜部隊が引き返してくると、彼の飛竜も自分からそこへ加わりました。最後尾にギーがいたので、伯爵は声をかけました。

「どこまで退却するんですか? 私の城まで戻って態勢を整え直すほうが良いのではないでしょうか?」

 一応先輩には敬意を払って尋ねると、ギーは、ふん、と馬鹿にしたように笑いました。

「退却だって? セイロスはそんなことは命じていないぞ。セイロスは後退しろと言っただけだ。きっと、あれを使うつもりだ」

「あれとは?」

 と伯爵は聞き返しましたが、ギーはもう答えてくれませんでした。前を行く飛竜部隊に大声で呼びかけていたからです。

「急げ! 全速力でここから離れるんだ! 巻き込まれるぞ!」

 竜使いたちは伯爵と同じように、いまひとつ意味がわからずにいるようでしたが、飛竜のほうは猛スピードで飛んでいました。まるで何かに怯えて逃げるような勢いです。谷の中にはセイロスが乗った飛竜だけがぽつんと残されます。

 すると、意外なことが起きました。あれほど激しかった攻撃がぴたりとやみ、山から谷へ大勢の兵士たちが駆け下りてきたのです。銀の鎧兜のロムド兵でした。その中には大きな鳥にまたがったドワーフたちも混じっています。

 なんだ? と伯爵が振り向いて眺めていると、セイロスが地上へ手を突きつけました。そこへ黒い霧のようなものが集まって渦を巻き始めます。

 キィィッと飛竜たちが鳴き声を上げました。怯えた声です。

「急げ!」

 ギーがまた叫びます。

 

 すると、谷川から突然水柱が上がりました。高く高く吹き上がって、セイロスが乗る飛竜にまで届きます。

 驚いた飛竜は空中でセイロスを振り落としてしまいました。そのままその場から逃げ出します。

 ああっ、とバム伯爵は思わず目をつぶりましたが、おそるおそるまた目を開けてみると、セイロスはまだ空中に浮いていました。その背後にまたうごめく影が現れています。

 それは巨大な竜でした。飛竜ではありません。長い首をうねらせながら、四枚の翼を羽ばたかせ、セイロスの体を支えています。

 セイロスが地上をにらみつけると、魔弾が飛び出していって谷川に命中しました。うわぁっという悲鳴と共に何かが川から飛び上がります――。

 そのとき、伯爵が乗っている飛竜が谷の角を曲がりました。セイロスも影の竜も谷川も、すべて山の陰になって見えなくなってしまいます。

 あの影はなんだったんだろう? と伯爵は身震いしながら考えました。どう考えても現実のものとは思えません。魔法で呼び出した竜のようにも見えません。もっと強大でもっと禍々しい何かが、セイロスに取り憑いているのです。

「とすると、あれは……」

 と伯爵がつぶやいたとき、背後の山陰で爆発が起きました。

 振り向いた一同が見たのは、広がりながら空を焦がしていく黒い光でした。浮いていた雲が蒸発して消え去り、続いて山が音を立てて崩れ出します。山の斜面が雪崩や土砂崩れを起こしたのではありません。谷を作っていた山そのものが、まるで積み上げすぎた砂の山が崩れるように、形を失って崩れていったのです。曲がり角の岩の壁が崩壊して、視界が広がります。

 

 そこはもう谷ではありませんでした。

 両脇の山がすっかり崩れ、谷を埋め尽くしていました。その先には雪が降り積もった平原が見えています。

 空にはセイロスが浮いていました。背後にはまだ巨大な竜がいて、四枚翼で羽ばたいています。

 呆然としているバム伯爵に、ギーが得意そうに言いました。

「これがセイロスの最強魔法だ。町でも山でも跡形もなく吹き飛ばすことができるんだぞ」

 いや、これは……と伯爵は心の中でつぶやきました。吹き飛ばしたと言うより、消滅させたと言うほうがぴったりの惨状が広がっていたからです。地上は粉々に崩れた岩で埋め尽くされていて、他には何もありません。焼け焦げた木や死体さえ、ひとつも残っていないのです。絨毯や大きな鳥で飛び回っていた敵も爆発に巻き込まれたようで、もうどこにも見当たりませんでした。うつろな荒野を砂埃混じりの風が吹き抜けていきます。

 すると、セイロスが振り向いて言いました。

「来い」

 とたんに空の鞍をつけた飛竜が、伯爵の横を抜けて飛んで行きました。セイロスが乗っていた飛竜です。

 セイロスが飛竜の背に戻ると、その背後から四枚翼の竜が消えていきました。それを見てギーがまた言います。

「今のはセイロスが時々呼び出す竜だ。守護竜ってやつだな。すごい力でセイロスを守っているんだぞ」

 ギーの声は自分のことのように得意げです。

 いや違う、そうじゃないだろう、とバム伯爵はまた心の中で言いましたが、それを口に出すことはできませんでした。眼下には崩れ落ち、瓦礫に埋め尽くされた荒野が広がっています――。

 

 飛竜部隊が合流すると、セイロスは真っ先にバム伯爵を呼びつけました。黒い魔法や四枚翼の竜を目の当たりにした彼へ尋ねます。

「どう思った、伯爵」

 相手の本心を見透かそうとする口調です。

 伯爵は思わず身をすくませました。返事の仕方ひとつで即座に自分の命がなくなると直感します。彼はこの世のものではない凶悪な存在と向き合っているのです──。

 ところが、その瞬間、彼の中で恐怖と何かが逆転しました。どういうことか自分でも分かりません。ただ、恐ろしさに萎縮して働かなくなっていた頭が突然動き出し、急速に回転して、たちまちひとつの結論を弾き出したのです。

 伯爵は大きな息をひとつすると、うやうやしく頭を下げて答えました。

「すばらしい逆転です。セイロス様が秘めておいでのお力も素晴らしい。これだけの力があれば、ロムド国も世界もたちまちあなたのものになるでしょう。心から感服いたしました。ぜひこれからも私を配下にお加えください」

 彼はセイロスの闇の力に従っていくことを決めたのです。

 ふふん、とセイロスは面白そうに笑いました。

「いい根性だ。よかろう、この先も従ってこい──。ギー、出発だ。銅鑼を鳴らせ」

「わかった!」

 離反などは夢にも考えないギーが、即座に銅鑼を打ち鳴らしました。乾いた音が瓦礫の荒れ野に響きます。

 セイロスはバム伯爵とギー、それに四十頭あまりになってしまった飛竜部隊を従えて、ミコン山脈からロムド国南部の平原へと飛び出していきました。彼らが一路目ざすのは、幾度となく落とし損ねてきた王都ディーラでした――。

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