セイロスは飛竜部隊を引き連れて、湖の奥に立つバム伯爵の基地をめざしました。
百頭あまりで出撃した飛竜部隊は現在は五十頭ほど、すでに半数まで減っていました。フルートの金の石をうまく利用して、飛竜部隊を回復することには成功しましたが、飛竜はまだ空腹でした。ここまで飛んできた疲労も溜まって、機嫌が悪くなっています。なんとしても基地を取り戻して、飛竜を休ませなくてはなりませんでした。
すると、ギーが横にやってきて話しかけました。
「基地や城は敵に占領されているんだろう? このままじゃ攻撃されるぞ」
「わかっている。誰であろうと私の邪魔はさせん」
とセイロスは強く答えました。フルートたちはすぐ後ろを追いかけてきています。一刻も早く基地に入らなければ、せっかく復活させた飛竜をまた減らされる可能性があったのです。敵が現れたら問答無用で吹き飛ばしてやろう、と考えていると、ククク、と低い笑い声が聞こえてきました。
「ソウダ、問答無用デ殺セ。基地モ城モ敵ゴト吹キ飛バシ、金ノ石ノ勇者ドモモ焼キ尽クシテ消シ炭ニシテヤルノダ。世界中ガオマエニ恐怖シテ、ヒレ伏スゾ」
「消えろ」
とセイロスは言いました。耳元でささやいていたひと筋の髪が、力を失って風に流されていきます。
闇の竜の声が聞こえなかったギーは、自分が消えろと言われたのだと思って面食らっていました。
「お、俺はただ、敵に気をつけたほうがいいと思っただけで……」
と言い訳しながら、しょげた様子で後方に下がっていきます。
セイロスはいまいましく舌打ちして、自分の腕を見下ろしました。手綱を握る手や腕は黒い装備と同化して脈打っていました。水晶の表面に無数のひび割れができて、竜のうろこのようにささくれ始めています。
「加減しなくてはならん」
とセイロスは自分自身に言いましたが、それはかなり難しいことでした。二千年前、彼は自分の抑止力をエリーテ姫に与えてしまったのです。ある程度までならば意思の力で攻撃をコントロールできますが、それを超えれば、闇の竜の力が暴走して彼を呑み込みます。そうなれば彼は闇の竜に変わって世界を破壊しつくしてしまうのです。自分が王となって治めようと考えているこの世界を。
クククク――
どこかでまた闇の竜が嘲笑います。
山の麓に建つ基地が目の前に迫ってきました。他の基地と同様、セイロスが大地から岩を地上に引き出して造り上げた建造物で、山肌と同じ黄色みを帯びた白色をしています。隣に建つバム伯爵の城は赤い石を積み上げて造られていたので、白と赤の対比が目に鮮やかです。
その赤い城の前庭に二百名近い兵士が待ち構えていました。エスタ国王軍なのですが、セイロスたちにはその所属まではわかりません。ただ自分たちの敵であることは明白だったので、セイロスは問答無用で吹き飛ばそうとしました。射程距離に入ったとたん、魔弾を兵士へ食らわせようとします。
すると、兵士たちはいっせいに後退しました。飛竜部隊に矢を射かけることもなく、前庭の一カ所に寄り集まってしまいます。彼らの目はセイロスたちではなく、前庭に立つ二人の人物を見ていました。一人は彼ら国王軍の隊長、もうひとりは細身で丸い眼鏡をかけたバム伯爵の息子です。
隊長は猿ぐつわをはめられ、罪人のように縄で縛られていました。隣に立つ伯爵の息子が、その喉元に短剣を押し当てています。
意外な光景にセイロスは攻撃を思いとどまりました。前庭の上空まで来ると、飛竜を羽ばたかせながら、伯爵の息子に尋ねます。
「人質にしたのか? おまえは何者だ?」
「あなたの忠実な部下であるバム伯爵です」
と息子は落ち着き払って答えました。セイロスの目つきが鋭くなります。
「私が知っているバム伯爵とは違うな。何者だ?」
「バム伯爵の長男のオルゼル・バムと申します。父は先ほど急逝したので、今は私が跡を継いでバム伯爵になりました」
「バム伯爵が死んだだと? 何故だ?」
眉をひそめたセイロスに、新しいバム伯爵はうやうやしくお辞儀をしました。
「怖じ気づいて、あなたの怒りの魔法に触れたのです。父は臆病な男でした。ですが私は違います。私はあなたとあなたの兵のために国王軍の隊長を捕らえ、城と基地を開放させました。彼らはあなた方に手出しできません。どうぞお入りください」
とセイロスと飛竜部隊を招き入れるように腕を振ります。
よく見れば、国王軍の兵士たちは誰も武器を持っていませんでした。彼らの隊長を人質に取られたので、反撃することもできなくて、一カ所に寄り集まっているだけです。
ほう、とセイロスは言いました。改めて観察するように新しいバム伯爵を眺めて言います。
「ずいぶんと気が利くようだな。おまえの望みはなんだ」
「あなたに使っていただくことです。あなたは世界の王になれる偉大な方だ。そのお手伝いをするために、私をあなたの片腕としてお雇いください」
ところが、セイロスが返事をするより早く、話を聞いていたギーが飛び出してきました。伯爵の目の前に急降下してどなります。
「セイロスの片腕は俺だぞ! 俺がセイロスを守っているんだ! 貴様なんか必要ない!」
敵意をむき出しにする相手に、若い伯爵は笑顔になりました。
「あなたがギー殿ですね。セイロス殿にはとても強くて忠実な部下がいるのだと、父から聞かされていました。ですが、人には腕が二本あるではないですか。あなたはセイロス殿の大事な右腕でしょう。私のことは左腕にしてほしいと言っているのです」
ギーは目を丸くしました。彼は右利きだったので、右腕のほうが左腕より上に感じられたのです。まんざらでもない気持ちになって、怒りを削がれてしまいます。
セイロスは若い伯爵をじっと見据えて言いました。
「貴様が父親のように裏切らないという証拠はどこにある。貴様が国王軍と手を結んで、我々を罠にはめようとしている可能性もあるぞ」
射貫くようなまなざしにも、伯爵は動じませんでした。隊長をぐいと引き出し、短剣をさらに強く喉元に押し当てて言います。
「あなたがお望みならば、この場でこの男を殺してみせましょう。父と同じように、裏切った瞬間に命を奪う魔法を、私にかけていただいてもかまいません。私は父のように、仕える君を間違えて零落(れいらく)したくはないのです。父はあなたを信じ切れなかったが、私はあなたを信じます。あなたは世界の王となれる方だ。あなたがその野望を実現した暁には、私にもこの世界の一部を与えてください。あなたに代わってその領地を治めましょう――。もちろん、報償はギー殿の次でかまいませんので」
ギーがまた機嫌を損ね始めたことに気づいて、伯爵はそんなことを言い添えました。なかなか目端が利く人物です。
ふん、とセイロスは笑いました。実際のところ、すぐ後ろにフルートたちが迫っているのですから、飛竜部隊をこんな場所でぐずぐずさせるわけにはいかなかったのです。その場で決断すると、伯爵に言います。
「よし、おまえを私の部下として雇ってやろう。基地の入り口を開けろ」
「開門!」
伯爵が即座に呼びかけると、城に隣接した白い基地で両開きの扉が開いていきました。城の家臣たちが待機していて、主の命令に従ったのです。
飛竜部隊は次々に入り口をくぐって基地に入っていきました。五十頭近い竜がすべて中に入ると、再び扉が閉まります。
ただ、セイロスとギーの飛竜だけは後に残りました。飛竜部隊が基地に入ったのを見届けてから、おもむろに向きを変えます。
そこへ勇者の一行が到着しました。
隊長が人質にされているのを見つけて、フルートが叫びます。
「その人を放せ、セイロス! そしてぼくと勝負しろ!」
「そんな暇はない」
とセイロスは答えると、さっと大きく片手を振りました。すると、ひとかたまりになっていた国王軍の兵士たちが宙に浮き上がり、強風に吹き飛ばされたように、勢いよく城から飛び出していきました。城は山の麓の崖の上に建っていたので、兵士たちが断崖を小石のように落ちていきます。
「危ない!!」
フルートたちは急旋回しました。墜落する兵士たちを助けるために崖へ飛びます。
若い伯爵は呆気にとられてそれを眺めていましたが、そんな自分をセイロスが見つめているのに気づいて尋ねました。
「この男はどうしましょうか?」
と隊長をまた突き出してみせます。
「そいつも落としておけ」
とセイロスが言ったので、彼はためらうことなく隊長を前庭の端まで引っ張っていって、城壁の間から突き落としました。その下は切り立った崖でした。途中で猿ぐつわが外れたのか、隊長の悲鳴が足元に遠ざかっていきます。
「よかろう」
とセイロスは言って城に舞い降りました。ギーもそれに続きます。
新しくセイロスの部下になった伯爵は、うやうやしい物腰で彼らを城に招き入れました――。