「順調だな」
飛竜で空を飛びながら、セイロスがつぶやきました。
眼下には雪におおわれた森が広がり、行く手には雪をいただいた山々が連なっています。そんな景色の中をセイロスは百頭あまりの飛竜を引き連れて飛んでいました。
一月の空は人が凍死するほどの寒さですが、セイロスも飛竜の乗り手たちもマントをはおった程度の軽装でした。セイロスが飛竜部隊全体に魔法をかけたので、人も竜も寒さを感ずに悠々と飛んでいきます。
すると、すぐ後ろにいたギーがセイロスに話しかけました。
「順調で何かまずいのか? セイロスはユーゴー男爵の基地で敵に囲まれていたけれど、俺たちが駆けつけて、あっという間に敵を壊滅させたじゃないか。おかげで無事にセイロスと合流できたし、被害もまったくなかったんだから、順調で最高のはずだろう」
ギーはセイロスのひとりごとに不満そうな響きを聞き取ったのです。
セイロスは答えました。
「あの程度の敵は飛竜の力を借りなくても壊滅できた。問題は連中だ。連中はエスタにいて、すでに我々の侵攻を把握している。それなのに行く手に現れないことが不自然なのだ」
ギーは飛竜の上で肩をすくめてしまいました。
「いい加減、金の石の勇者の連中を気にするのは忘れろよ、セイロス。前回だって、連中を意識しすぎてロムド城を落とし損ねたじゃないか。飛竜部隊は世界一速い軍隊だ。金の石の勇者だって、俺たちに追いついたり先回りしたりできないんだよ」
楽天的なギーを、セイロスは冷ややかに振り返りました。
「ジャーガ伯爵は味方の領主の名を連中に白状した。だからユーゴー男爵の基地に敵が攻めてきたのだ。我々の行き先は敵に知られている。しかも、連中は我々同様に空を飛べる。必ず我々が向かう場所に先回りしてくるぞ」「だけど、連中はたった四人で、しかもまだ子どもじゃないか。そんな連中が飛竜部隊に何ができるって言うんだ。絶対に買いかぶりだぞ、セイロス」
ギーはあきれながら説得しましたが、セイロスは返事をしませんでした。行く手を見据えたまま飛び続けます。
すると、後ろに従っていた飛竜部隊から一頭が抜け出して先頭にやってきました。背中の男は鞍も手綱もつけない竜の上に立って、脚の動きと体の傾きだけで竜を操っています。里を解体されてセイロスに拾われ、飛竜部隊の兵士として雇われた裏竜仙境の住人でした。セイロスに並んで話しかけてきます。
「俺たちはどこに向かっているんだ、大将? 西に向かって攻めるとあんたは言ったが、方角が違っている気がするんだが」
「南にあるアンリ伯爵の領地に向かっている。飛距離に限界があるから、一気に西に向かわずに、基地を中継しながら進んでいるのだ」
とセイロスが答えると、裏竜仙境の男は不満そうな顔になりました。
「それならそうと最初に言っておいてくれ。あんたは、自分に従え、と言っただけで、どこをどう進むのかも、どんな敵がいるのかも、俺たちに全然教えてくれないじゃないか」
「最終目的地はちゃんと教えただろう。ロムド国の王都のディーラだ」
とギーが口を挟みましたが、裏竜仙境の男は不満顔のままでした。地上を指さして話し続けます。
「見ろ。降りる場所もない森が、さっきからずっと続いている。こんなところをうろうろして、飛竜が疲れて飛べなくなったら大ごとだ。森に墜落したら、翼が破けて飛び立てなくなるんだからな」
男の不満は地上の様子に対する不安からも来ているようでした。
「心配はいらん。その前に次の基地に着く」
とセイロスは答え、まだ何か言いたそうな男を、手を振って追い返しました。
男がしぶしぶ後方へ下がっていくと、飛竜に乗った仲間がいっせいに集まってきました。男も女もいて、全員が裸竜に無造作に立っています。裏竜仙境の住人たちです。空を飛びながら話し合いを始めます――。
その様子に、ギーは眉をひそめました。
「彼らをつけあがらせないほうがいいぞ、セイロス。飛竜の扱いに長けているのはいいんだが、どうも自信過剰だからな。俺たちの言うことを聞こうとしない」
「自信があるなら、それだけの働きをしてもらうだけだ」
とセイロスはそっけなく答え、その話題はそれきりになりました。
一行はその後も風を切って飛び続け、日暮れが近づいて空が暗くなり始めた頃、ようやく目ざすアンリ伯爵領に到着しました。
残光に弱々しく照らし出された領地は、ほとんどが深い森におおわれていましたが、一段高くなった台地の上に石造りの立派な砦が建っていて、灯りに明々と浮かび上がっていました。飛竜部隊の中継基地です。裏竜仙境の乗り手たちが、ほっとして歓声を上げます。
「やれやれ、夜になる前に無事に着けて良かった」
とギーも安心しましたが、セイロスは厳しい表情のままでした。
「基地にネズミがいる」
ネズミ? とギーが聞き返そうとしたとたん、地上の基地からいっせいに矢が飛んできました。基地の中から大勢の兵士が飛び出して攻撃を仕掛けてきたのです。
飛竜たちは矢をかわしました。空中で大きく反転したのですが、背中の乗り手を振り落とすようなことはありません。
「敵だ、セイロス! 基地が占領された!」
と叫んだギーに、セイロスは冷静に答えました。
「あわてるな。今回も敵は少ない。しかも、ここにも連中はいないようだ」
基地の屋上や前庭には百名近い兵士がいましたが、空にいる飛竜部隊に届く武器といえば長弓しかありませんでした。風の犬に乗った勇者の一行も姿を現しません。
ところが、竜使いの男女数名がまたセイロスのもとへ飛んできて、口々に言いました。
「なんとかしてくれ! このままじゃ基地に降りられないじゃないか!」
「さっきと違って周りに岩がないから、攻撃もできないぞ!」
「竜たちが腹を空かせて俺たちに食いつきそうなんだ」
「それって言うのも、あんたたちが竜に人間の味を覚えさせたりしたからだよ――!」
けれども、どんなに騒ぎ立てられても、セイロスは冷静なままでした。
「竜を抑えるのはおまえたちの仕事だ」
と言い切り、改めて地上へ目を向けます。
敵の兵士は基地の建物の屋上や前庭から矢を射かけていました。飛竜の腹部は丈夫なので矢が刺さる心配はないのですが、翼の皮膜は薄くて、破られれば墜落する危険があります。しかも、日が落ちれば飛竜は目がよく見えなくなります。悠長に構えている余裕はありませんでした。
「しかたない。急ぐか」
とセイロスはつぶやくと、基地を見据えたまま言いました。
「おまえの兵隊を貸せ。基地を解放する」
竜使いの男女は意味がわからなくて面食らった顔になりました。
「え、なんだって、セイロス?」
とギーも尋ねますが、セイロスは答えませんでした。ただ基地を見下ろし続けています。
その髪が風にあおられたように、ざわりと揺れました。兜の下からマントの上に流れていた髪が、黒い翼のように広がります――。
すると、基地から突然大きな悲鳴が上がりました。兵士たちが何故かいっせいに攻撃をやめて、あたりを走り始めます。走る方向はてんでばらばらです。
「な、なんだ……?」
ギーや竜使いたちが驚いていると、地上の兵士が急に姿を消し始めました。夕暮れの薄闇が降りてきているので、よく見えませんが、黒い影のようなものが基地の中を駆け抜けていました。影が兵士に迫ったと思うと、兵士の姿がいきなり見えなくなるのです。
じきに悲鳴はやみ、基地はしんと静まりかえりました。敵の兵士はひとり残らず消えていました。もう矢も飛んできません。
「降りるぞ。今夜はここで駐屯だ」
無造作に降下していくセイロスに、一行はあわててついていきました。基地に降りても、やはり敵は現れません。
「連中はどこに行ったんだ?」
「あの影みたいなのはなんだったの?」
竜使いたちは薄気味悪そうに基地の中を歩きまわり、ぎょっと足を止めました。暗くなった前庭にかがり火が燃えていましたが、その光が照らす中に、空っぽの鎧兜が転がっていたのです。防具は、まるで見えない人間が着ているように、人の形になっていました。弓や矢筒もすぐそばに落ちています。
「中身はどこに行ったんだ……?」
とひとりが言い、彼らは薄ら寒そうに顔を見合わせました。どこを探しても、基地の中に敵は見つかりません。
そのとき、基地の裏手からまた、うわぁっ! と大きな声が上がりました。続いてつんざくような牛や豚の鳴き声が聞こえてきます。
彼らが仰天して駆けつけると、そこには巨大な囲いと小屋があって、囲いの中に数え切れないほどの牛や豚がひしめき合っていました。小屋の中からは鶏のけたたましい声も響いてきます。
柵の前では飛竜から降りた若者が腰を抜かしていました。柵の中を指さして言います。
「あ、あれ……あれ……」
指さす先に得体の知れない黒い影がありました。地面を素早く走っては牛や馬に次々おおいかぶさります。
すると、影の中で家畜は悲鳴を上げながら小さくなっていきました。まるで影に呑み込まれていくようです。形が完全になくなると、影は地面に落ち、また次の家畜へ走ります。
「ば、化けものだ!!」
一行が逃げだそうとすると、それと入れ替わるようにセイロスがやってきました。走り回る影を一喝します。
「去れ! それは貴様の餌ではない!」
そのとたん影は薄れて消えました。後には数え切れないほどの家畜だけが残ります――。
呆然とする一行に、セイロスは何事もなかったように言いました。
「これが飛竜たちの今夜の餌だ。餌をやったら休ませろ」
そこへギーが基地の建物から出てきて、セイロスへ話しかけました。
「アンリ伯爵がどこにも見当たらない。どこかに捕まってるんじゃないかと思って捜したんだが、これが落ちていただけだった。逃げたのかもしれないな」
と誰かを縛っていたらしいロープと脱ぎ捨てられた服を持ち上げて見せます。服は領主が着るような立派なものでした。
裏竜仙境の一行は思わずまた顔を見合わせましたが、セイロスは、ふん、と鼻で笑っただけでした。
「明日は夜明けと同時に出発する。次に向かうのはダントス伯爵領の基地だ」
と話しながら、ギーと一緒に建物へ向かいます。
扉を開けると中から灯りが洩れて、暗くなった地面に二人の長い影が落ちました。
とたんに竜使いたちは飛び上がってしまいました。セイロスの足元から伸びる影の中に、赤い二つの目が現れて、ぎょろりとこちらを見たからです。同時に、ククク、と誰かが笑うような声が聞こえた気がしました。ばさり、と翼が羽ばたくような音も――。
けれども、扉が閉じると影は消え、赤い目も見えなくなりました。セイロスがギーと共に建物に入っていったのです。
声も出せずに立ちすくんだ一行の後ろでは、牛や豚たちが騒がしく鳴き続けていました。