「エラード?」
とメールは繰り返し、ゼンの腕から床に降りながら尋ねました。
「それって、たしかエスタ王の弟の名前だよね? 皇太子はなんでその人になっちゃったのさ?」
ルルもポチに尋ねていました。
「真実の錫は心にやましいものを持つ人を罰して姿を変えるわ。それも魂の形に合わせて姿を変えるのよ。それでどうして皇太子はあんな姿になるのよ?」
「俺に聞くな」
「ワン、ぼくにだってわからないよ」
とゼンとポチは困惑して答えました。本当に、彼らにもどういうことなのかわからなかったのです。
彼らの目の前にいるのは王弟のエラード公でした。エスタの王の座を狙っていた野心家で、ロムドを毛嫌いして金の石の勇者の一行を暗殺しようとし、それに失敗すると今度は偽の勇者の一行を送り込んできたのです。その後、エスタ王に罰せられて、二度と出て来られない辺境の牢獄に入れられたと聞いていました。皇太子がそんな人物に変わってしまった理由がわかりません。
すると、フルートが何かに気がつきました。
「ひょっとして……」
とつぶやくと、床に倒れていた乳母に駆け寄り、ペンダントを押し当てながら尋ねます。
「皇太子の名前は? ぼくたちはずっと彼を皇太子とか殿下としか呼んでこなかったけれど、本当の名前はなんていうんですか?」
乳母は立て続けの出来事と痛みにすっかり混乱していましたが、金の石のおかげで急に体の楽になったので、驚いた拍子に正気に返りました。フルートに質問を繰り返されて、ようやく答えます。
「で、殿下のお名前ですか……? エラードです。謀反を起こした弟君と同じお名前ですが、陛下は殿下にそうおつけになったのです」
フルートは額を押さえました。そういうことか、とつぶやきます。
「おい、なにがそういうことなんだよ、フルート! 俺たちにもわかるように説明しろ!」
「皇太子は弟と同じ名前をつけられたから、弟のエラード公に変わっちゃったってのかい!?」
とゼンやメールが焦れてどなると、フルートは言いました。
「皇太子の正体はエラード公だったんだよ……。エラード公はやっぱりエスタ王の真実の錫で罰せられていたんだ。それが今から四年前。皇太子の歳も四歳。エラード公は赤ん坊に変わって、エスタ王の子どもとして育てられていたんだ……」
一同は唖然としました。目の前に再び現れた王弟を、ただただ見つめてしまいます。
大人の姿に戻ったエラード公は自分の両手をひっくり返しながら眺め、次いで自分の体を見回しました。何かを考えるような顔をしてから、おもむろにフルートたちへ目を向けます。
フルートはとっさに仲間たちの前へ飛び出しました。仲間を守るために剣を握ろうとして、とまどって立ちすくんでしまいます。
目の前にいるのはエラード公でした。ロムドを嫌い、フルートたち金の石の勇者の一行を憎んで、幾度もフルートたちを殺そうとした人物です。
ですが、彼はあの皇太子でもありました。遊んで遊んで、と彼らにせがんだ幼い声が耳の底に残っています――。
すると、エラード公は薄笑いを浮かべました。
「そうか。おまえたちだったのか」
と自嘲するようにつぶやき、フルートが思わず剣を握ったのを見て、また薄笑いをします。
ところが、エラード公はそれ以上フルートには何も言いませんでした。倒れたまま呆然としていたスー公爵とオグリューベン公爵に、おもむろに命じます。
「二人とも、立て」
公爵たちは跳ね起きました。直立不動の姿勢になってから、また信じられないように王弟を見つめます。
そんな二人にエラード公は言いました。
「私は本物のエラードだ。これまで錫によって幼子の姿に変えられていたが、こうして元の姿を取り戻すことができた。そして、見ての通り、兄上は敵によって石に変えられてしまった。これでは国を司ることも軍隊を指揮することもできない」
二人の公爵は、はっとすると、先を争うようにひざまずいて言いました。
「あなた様が陛下に代わって国を司ってください、エラード様! あなた様は王弟です! 陛下に何ごとかあったときに代わるのは当然のことです!」
「国中の領主たちが敵と戦うために兵を起こしております! あなた様が指揮してくだされば、領主も兵士も喜んで戦うことでしょう! どうか彼らの大将となってください!」
スー公爵もオグリューベン公爵も必死で懇願していました。親族を王位継承者にしようという彼らの野望は、エラード公の復活であっけなく吹き飛んでしまったのです。この上は王弟と手を結ぶしか生き残る道はない、と二人は考えたのでした。
エラード公はオグリューベン公爵に言いました。
「私はもう幼い皇太子ではない。そなたも私の大叔父ではなくなった。そなたを特別扱いすることはしないぞ。それでも良いのか?」
声にもまなざしにも王族の迫力があります。
オグリューベン公爵はエラード公にひれ伏して言いました。
「も、もちろんでございます! 私はこの国の忠実なしもべです。この国を守るために、他の領主たちと共に誠心誠意働かせていただきます!」
すると、エラード公はスー公爵にも言いました。
「私はこの姿に戻って、幼子だった頃に聞いて理解できなかったことを理解できるようになった。そなたは孫娘を兄上の側室に送り込み、王子が誕生したら皇太子の私を暗殺するつもりだ、と噂されていた。それは真実なのか?」
スー公爵も真っ青になってエラード公の前にひれ伏しました。
「ととと、とんでもございません! それは口さがない連中の悪意ある噂でございます! わ、私がそのような大それたことを企むなど、絶対に――!」
実際には暗殺を企んでいたとしても、それを認めるわけにはいかないので、死にものぐるいで否定します。
エラード公は二人の前に立って言いました。
「よし。では、本日から私は兄上に代わってエスタ王となる。二人はただちに国中の領主に出兵を呼びかけるのだ。準備が整い次第出撃するぞ」
「エラード殿下――いえ、陛下、兵を呼び集めるためにお知らせください。 敵はロムドでしょうか?」
とスー公爵が聞き返しました。エスタ国の人間の中には、根強いロムドへの不信感があります。
エラード公ははっきりと答えました。
「いいや、敵はセイロスという魔法使いだ。奴はロムドを拠点とするために繰り返し攻めているが、ロムドの抵抗が激しいために、強力な飛竜部隊で攻め込もうとしている。ロムドが落ちれば、次の目標は間違いなくエスタになる。この男を倒さなければ、我が国に平和は訪れん」
「承知いたしました!!」
スー公爵とオグリューベン公爵はまたエラード公にひれ伏すと、すぐに跳ね起きて部屋を飛び出していきました。スー公爵の魔法使いも、すっかり毒気を抜かれた顔で、後を追って出ていきます。
「さて、今度はおまえたちの番だな」
とエラード公が、フルートたちを振り向いたので、勇者の一行は思わず身構えました。仲間の前に立つフルートの横にゼンが飛び出してどなります。
「こんちくしょう! 皇太子がてめえだとわかっていたら、あんなことはしてやらなかったんだぞ!」
ゼンは幼かった皇太子にせがまれて肩車をしてやったのです。
「あなたはポポロたちを殺そうとしたんでしょう!? そうとわかっていたら、私だって面倒は見なかったわよ!」
とルルも牙をむきます。
エラード公はまた薄く笑いました。
「そう言うな。私だって、今の今まで自分が何者だったか忘れていたのだからな」
その声が居丈高(いたけだか)な調子から穏やかなものに変わっていたので、一行は驚きました。
公はそれ以上は何も言わずに部屋の真ん中へ歩いて行きました。石像のように直立しているエスタ王を黙って見つめます。
すると、公は目をつぶりました。大きく吐き出した息と共に、閉じたまぶたの間から涙があふれ出します。大粒のしずくが公の頬を次々と流れ伝っていったので、フルートたちはまた驚きました。先ほどの幼い皇太子と同じように、エラード公も泣いているのです。
こういう場面でも遠慮のないメールが公に尋ねました。
「なんで泣くのさ? 自分を小さくしたエスタ王を恨んでるんじゃないのかい?」
エラード公は目を閉じたまま首を振りました。
「思い出したのだ……。四年前、兄上に謀反を働いた罪で引き出された私は、真実の錫を握らされて赤ん坊に変わってしまった。それが私への罰だった……。私は本物の赤ん坊と同じように何も考えることができなくなったが、それでも周囲の様子は見えていたし、声や物音は聞こえていた。兄上は私を見て泣いていた。そして、私を抱き上げて言ったのだ。『赤子に変わるとはさすが我が弟。おまえは私の皇太子として、もう一度最初から生き直せ。そして、成人した暁には、今度こそ本当の立派なエスタ王になるのだ』と……」
フルートとゼンとポチは思わずどきりとしました。セイロスの呪いから解放されるために、エリーテ姫から生まれ変わってきたポポロを連想してしまったのです。少女たちのほうは呆然とエラード公の話を聞いています。
公は目を開けると、エスタ王の石の頬に触れました。さらに思い出す口調になって話し続けます。
「昔から、私は第二王子ということで周囲から差別されていた。皇太子の兄上は誰からもちやほやされるのに、私は両親からもないがしろにされた。兄上より優れているところを見せようと勉学や武芸の鍛錬に励んだが、本気で認めてくれる者はいなかった。この国では王と皇太子だけが重要で、王弟には存在の意義さえなかったのだ。だから、いつしか私は兄上に代わって自分がエスタ王になることを考え始め、一時は本当に兄上をなきものにしようとした……。だが、そんな私が罰せられて赤ん坊になると、兄上は私を遠ざけるどころか、我が子として育ててかわいがってくださった。良き乳母、良き家庭教師を私につけ、『民を守れる良い国王となれ。おまえならきっとなれる』とことあるごとにおっしゃって。国王の意味も自分の立場もまだ理解できないほど幼かった私に……」
エラード公は流れる涙を拭おうとしませんでした。エスタ王の肩を抱いて話かけます。
「兄上、兄上は私の気持ちをよくご存知だったのだ。最初から……私が裏切るずっと前から……。兄上……!」
エラード公はエスタ王の胸に突っ伏しました。その姿が、エスタ王にすがって泣きじゃくる幼い皇太子とだぶって見えて、フルートたちは何も言えなくなってしまいました。石になったエスタ王は冷たく立ちつくすだけです。
やがて、エラード公はようやくエスタ王から離れました。涙を拭うと、部屋の片隅に座り込んでいた乳母に話しかけます。
「兄上の側室だったブリジットに、私の母親役は荷が重すぎた。ブリジットに代わって私を育ててくれたことに、心から感謝する。感謝のついでにお願いだ。皇太子の正体がこのエラードだったことを誰にも言わないでほしい。皇太子は流行病(はやりやまい)にかかって寝込んでしまったことにして、あなたも皇太子の部屋から出ないようにしてほしいのだ。頃合いを見計らって、皇太子は亡くなってしまったことにする。だが、その真相も永遠の秘密だ」
「は、はい……」
乳母はまだ半分夢でも見ているような顔で返事をしましたが、エラード公が重ねて頼むと、急にしゃんとして立ち上がりました。
「承知しました。殿下の秘密は堅くお守りします。どんな姿になられても、殿下は私の大事な皇太子殿下でいらっしゃいますから。どうぞご安心ください」
乳母が笑顔になったので、エラード公も笑い顔になりました。
「ありがとう。それでこそ私の乳母だ――」
乳母も部屋を出て行って、後にはエラード公と勇者の一行が残るだけになりました。
まだ何も言わない一行に、エラード公は苦笑しました。
「やはり信用してもらえないか……。私は本気で兄上を元に戻したいと考えているのだ。むろん、我が国を足がかりにして大陸征服を企むセイロスも許すわけにはいかん。おまえたちと協力したいと本心から思っているのだが、それでも信用できないか?」
あったりまえだろう! とゼンがどなり返そうとすると、フルートが遮りました。エラード公がまだ握っていた真実の錫を見ながら言います。
「それは心にやましい思いを持っている人を罰して姿を変えます。だから、あなたは赤ん坊の姿に変わった。でも、もう一度錫を握ったら元に戻ったということは、あなたの罰はもう終わっていたってことだ。あなたはもう姿が変わったりしない。あなたが本心から言っていることを、錫が証明しています」
エラード公はほほえみました。
「信用してくれてありがとう。感謝する」
それを聞いたゼンが、けっ! と吐き捨てたので、メールは肩を押しつけました。
「いつまでも疑ってるんじゃないよ。味方は多いほうがいいに決まってるんだし、エスタ王を戻すのには急がなくちゃいけないんだからさ」
それでもゼンは不機嫌なままでした。エラード公をにらんで言います。
「俺はてめえが俺たちを殺そうとしたことを忘れてねえからな。セイロスを倒せばエスタ王は元に戻る。そうしたらてめえはどうするんだよ? エスタ王には誰がなるんだ?」
「むろん兄上だ。私は兄上の偉大さにはかなわない。今度という今度はそれを痛感した。私はこれからもずっと王弟のままでかまわん」
とエラード公は答えました。真実の錫を握ったままですが、その姿は変わりません。
疑い深いゼンもとうとう信用するしかありませんでした──。
フルートは全員へ言いました。
「よし、それじゃさっそく行動を開始しよう。エラード公が新しい王になったからには、今まで協力を申し出てこなかった領主たちも、こぞって協力を申し出てくるぞ。国内の領主の大半が味方に変わるはずだ」
「ワン、セイロスの仲間になったエラード派の領主だけは難しそうですけどね」
とポチが言うと、エラード公が答えました。
「私がこちらへ戻るよう直々に呼びかけてみる。それでもだめなときには、敵として戦うしかない」
割り切っている声です。
フルートは話し続けました。
「セイロスは味方の領地に飛竜部隊の中継基地を作ろうとしている。そこの領主は、いくら参戦を呼びかけても応じることはできないはずだ。つまり、呼びかけに応じるかどうかで、セイロスに協力しているかどうか見極めることができるんだ」
「わかった。かつて私に従っていた領主たちに早鳥を飛ばして、協力を呼びかけよう。そのためにも私はエスタ城に戻らなくてはならない。敵味方の見極めがついたら、即刻兵を率いて出撃することにする」
「よろしくお願いします」
とフルートが頭を下げると、エラード公はその肩をつかんで、ぐっと引き起こしました。
「私ひとりに任せるな。オグリューベン公爵と共に領主たちを集めてきたのは金の石の勇者だぞ。おまえがいなくては従わない領主たちも多いのだ。一緒にエスタ城に来い」
相手に有無を言わせない口調は、どこかロムド皇太子のオリバンを思い出させます。
「あたいたちにもエスタ城に来いって言うのかい?」
とメールが聞き返すと、エラード公は今度はにやりとしました。
「当然だ。おまえたちは私を守る役目だったのだろう? それは続けてもらわなくてはな」
「こんなにでかくて強そうになったら、もう守る必要なんかねえだろうが」
あきれて思わずぼやいてしまったゼンでした――。