フルートとゼンとポチは悲鳴が聞こえた建物へ飛び込みました。
そこは砦を守る兵士の屯所のようでしたが、人の姿はなく、声ももう聞こえませんでした。彼らは建物の奥へ走り、廊下の角を曲がったところで、うつぶせに倒れている人を見つけました。
「大丈夫ですか!?」
と駆けつけますが、ポチがすぐに言いました。
「ワン、だめです。死んでいますよ」
フルートは唇をかんでペンダントから手を離しました。ゼンが倒れていた人を仰向けにします。
とたんに彼らは息を呑みました。それは見知らぬ男性でしたが、異様なほどしわだらけで、骨と皮だけに痩せていたのです。まるでミイラです。
フルートは慎重に観察して言いました。
「兵士じゃないな。この砦で働いていた人かもしれない」
「だいぶ前に死んだのか?」
とゼンに訊かれて、フルートは首を横に振りました。
「そんなに時間はたっていないよ。服が全然傷んでいないし、この人が倒れていたまわりに埃が全然積もっていないからな」
「じゃあ、どうしてこんなに干からびてるんだよ? 砂漠のど真ん中でもなきゃ、こんなふうにはならねえぞ。それに、こいつはさっきの声の奴じゃねえぞ。さっきのは女の悲鳴だったからな」
すると、ポチが男の右肩を示しました。
「ワン、ここを見てください。ほら」
肩に深い穴が二つ空いていたので、彼らは眉をひそめました。
「これが致命傷だったのか。蛇かな」
「いや、蛇の牙よりずっと深くて太いぞ。怪物だな」
「ワン、怪物に体液を吸われたんですね──」
彼らは周囲を見回しましたが、磨き上げられた床と白い壁の通路に怪物の気配はありませんでした。通路に面した部屋も、扉に鍵がかかっていて開きません。
しかたなく彼らは死体を残して通路を進みました。やがて屯所は終わりましたが、渡り廊下の先に別の建物があったので、進み続けます。
別の通路に足を踏み入れたとたん、ゼンが行く手を示しました。
「おい、あれ」
ひとりの男が前方にいて、通路の角から向こう側へ身を乗り出していたのです。先ほどの男と同じような使用人の格好をしています。
男がこちらに気づかないので、フルートは呼びかけました。
「すみません、この城の方ですね?」
男はたちまち飛び上がって振り向きました。大きく見張った目をぎょろぎょろさせてフルートたちを見つめます。
「驚かせてすみません。さっき悲鳴が聞こえましたよね。何があったんですか?」
とフルートが近づこうとすると、男は叫びました。
「く、来るな! 大声を出すんじゃない! あいつに気づかれる!」
フルートはすぐに立ち止まりましたが、ゼンが言い返しました。
「なに言ってやがる。そっちのほうがよっぽど大声じぇねえか」
「ワン、あいつって誰のことですか?」
とポチも尋ねましたが、とたんに男は、うわぁっとまた飛び上がりました。真っ青になって角の向こうへ逃げていってしまいます。
ポチはしょげました。
「ワン、ぼくがしゃべったせいだ。エスタの人たちが怪物に極端に弱いのをまた忘れてました」
「ポチは怪物じゃないよ。でも、とにかく追いかけよう。話を聞かせてもらうんだ」
とフルートたちも駆け出します。
ところが、通路の角を曲がると、もう男の姿はありませんでした。さらに先の角を曲がって行ってしまったのです。フルートたちは後を追い続けます。
すると、角の向こうから絶叫が響き渡りました。男性の声です。
フルートたちは先を争うように角を曲がり、立ち止まってしまいました。
通路の床にまた人が倒れていました。逃げていったあの男ですが、先の男と同じように干からびて、骨と皮のミイラになっていたのです。もちろんすでに息はありません。
少年たちは緊張して周囲を見しました。フルートは剣を抜き、ゼンは弓を握り、ポチも身を低くして、怪物が襲ってきたらすぐに反撃できるように身構えます。
けれども、怪物は現れませんでした。絶叫の反響が消えた通路は、しんと静まりかえっています──。
「こっちを恐れて逃げたかな?」
とフルートが言うと、ゼンは首を振りました。
「声を聞きつけて襲ってくるような奴が、怖がって逃げるかよ。きっと近くにいて、こっちの様子をうかがってやがるぞ」
「ワン、でもフルートは金の石を持っています。闇の怪物なら怖がりますよ」
彼らがそんな話をしていると、行く手から物音がしました。壁を何かがこすっていくような音に続いて、どさりと何かが倒れる音がします。
ポチはすぐに音のしたほうへ走りました。通路の先の階段を駆け下りながら言います。
「ワン、女の人が倒れていますよ!」
フルートとゼンもそちらへ走り、階段の踊り場に倒れている女性を見つけました。長い髪を結い上げ、スカートにエプロンをしめていますが、先の男性たちのように干からびてはいません。
「ワン、まだ息がありますよ。生きてる」
とポチが言ったので、フルートはすぐにペンダントを押し当てました。たちまち女性が正気に返ります。
それはフルートたちより少し年かさの娘でした。夢から覚めたように身を起こしますが、少年たちたちがのぞき込んでいるのに気づくと、悲鳴を上げて跳ね起きました。
「こ、来ないで! 来ないでよ! あっちへ行って!!」
それは最初に聞いた悲鳴の声でした。彼らに背を向けて逃げだそうとします。
「危ない!」
娘が階段を転げ落ちそうになったので、フルートはあわてて後ろから抱き留めました。暴れてもがく娘に話しかけます。
「大丈夫。大丈夫ですよ。落ち着いて。ぼくたちは敵じゃないです──」
何度も繰り返すと、ようやく声が届いて、娘は暴れるのをやめました。おそるおそる振り向くと、青い瞳でフルートたちを見つめます。
「あんたたち……誰……?」
「ぼくはフルート。こっちは友だちのゼンとポチです。ここで何があったんですか?」
「何って……」
娘はまた恐怖の表情になって、がたがた震えだしました。もつれる舌で答えます。
「み、みんながどんどん死んでいくんだよ……サズゥさんもグンナも、あたしの目の前でしわくちゃになって……そして……そして……」
その場面を思い出したのか、娘はいやぁぁ! とまた悲鳴を上げました。頭を抱え、フルートの腕を振り切ろうともがきます。
「落ち着いて! ここは大丈夫ですよ! 襲ってきたのはどんな怪物なんですか? いつからここにいるんです?」
懸命に話しかけると、娘はどうにかまた少し落ち着きました。震えながら話し続けます。
「あ、あの男たちがいなくなってからだよ。番犬替わりに置いていくって言ったんだ……。どんなのか、あたしは見たことないよ。目に見えないんだ。だけど、いるんだよ」
「見えない怪物なんですね。何の番をさせているんです?」
とフルートはまた尋ねました。娘が「あの男たち」と言うのは、セイロスとギーのことに違いありませんでしたが、すでに飛竜で立ち去ったのに、怪物に砦の番をさせたのが不思議だったのです。また戻ってきて砦を使うつもりなんだろうか、と考えます。
すると、娘は言いました。
「王様の番をさせるためだよ――」
フルートも、ゼンもポチも本当にびっくりしました。
「王様って、エスタ王のことか!?」
「ワン、まだこの砦にいたんですか!? セイロスは連れていかなかったんだ!」
「エスタ王はどこにいるんです!?」
「ち、地下牢だよ」
と娘が言ったので、フルートはさらに尋ねました。
「地下牢はどこですか!? 案内してください!」
すると娘は恐怖で顔を引きつらせました。
「行けるわけないだろ! 番犬がいるんだからさ! あんたたちもすぐにしわくちゃになって死んじゃうんだよ!」
「ぼくたちは大丈夫です。地下牢がわかるところまで案内してもらえたら、あなたもちゃんと逃がします。エスタ王はぼくたちが必ず救出しますから」
「無理だってば! あんたたちに番犬は倒せない! あの男がそう言ってたんだからさ!」
「セイロスが? どうしてだよ。怪物なんて、俺たちは数え切れないくらい倒してきたぞ」
とゼンがむっとすると、娘は何故か目の前のフルートの腕をぎゅっとつかみました。
「あんたに番犬は殺せないからだ、ってあの男は言ったよ。あんたは優しすぎる勇者だから、絶対に殺すことができないんだって」
フルートは、えっ? と娘を見直しました。そばかすが浮いた顔に青い瞳の娘は、何かを言いたそうにフルートを見上げています。
「それはどういう意味……」
とフルートが尋ねようとしたときです。
娘は急に唇を半開きにすると、ぐっとフルートに顔を近づけてきましたキスをしようとするように、口に口を近づけてきます。紅を塗ったような唇の奥に何かが見えました。濡れた黒い舌のようなものが、半開きの口からせり上がってきます――。
とたんにフルートの胸元で光が爆発しました。金の石がいきなり強く輝いたのです。フルートと娘を吹き飛ばしてしまいます。
フルートは階段を転げ落ちそうになって、手前にいたゼンに受け止められました。娘のほうは踊り場の壁にたたきつけられます。
「何やってやがんだ、金の石。浮気を止めるにしてはやり過ぎだぞ」
とゼンは驚きましたが、フルートはすぐに振り向きました。
「違う! 怪物はあそこにいるんだ!」
視線の先、倒れた娘の口から黒い何かが顔を出していました。するすると伸びていくと、先端がふくれてぱっくりと二つに割れます。そこには鋭い二本の牙がありました。まるで目のない黒い蛇が娘の口から現れたように見えます。
「ワン、あの人自身が怪物だったんだ!」
と言ったポチの前に金の光が湧き上がって、小柄な少年に変わりました。黄金をすいて糸にしたような髪を揺すって言います。
「違うな。彼女は人間だ。怪物は彼女の中に寄生している。だから、さっきぼくを押し当てても平気だったんだ」
久しぶりに姿を見せた金の石の精霊に、ゼンは言いました。
「えらくご無沙汰だったじゃねえか。全然出てこねえから、留守なのかと思ってたぞ」
「ぼくはずっとフルートと一緒にいたじゃないか」
と精霊はちょっと不満そうに言い返すと、すぐにまたいつもの無表情に戻って続けました。
「あれは闇の怪物だ。ただ、人間の中にいる間は闇の気配を出さなかったし、ぼくの光も届かなくなっている」
「引き離して退治する方法はないのか?」
とフルートは尋ねました。怪物に切りつけたいのですが、近づくとたちまち娘の口の中に戻ってしまうので、攻撃ができません。
すると、精霊の少年の横に今度は赤い光が湧き上がり、炎のようなドレスを着た長身の女性に変わりました。願い石の精霊です。
「退治する方法はある。その娘を殺せば怪物は娘から出てくるだろう。そこでとどめを刺せばいい」
と精霊の女性に言われて、少年たちは顔をしかめました。
「ワン、それじゃあの人を助けられないじゃないですか!」
「殺すしか方法はねえのかよ!?」
口々に文句を言いますが、精霊たちは平然としたままでした。精霊と人間とでは、心のありようが違っています。
「だから奴はぼくに倒せないと言ったのか……」
とフルートは歯ぎしりします。
その間に娘はふらふらと立ち上がり、フルートのほうへ歩み出していました。その口からはまた黒い蛇のような怪物がせり出し、牙のある口をぱっくりと開けています。フルートを狙っているのですが、フルートが少しでも剣を使うそぶりを見せると、さっと口の中に戻っていってしまいました。金の石が光を放っても同様でした。一瞬で娘の中に戻ってしまうので、聖なる光は届きません。
すると、娘はフルートへ手を伸ばして、涙をこぼしました。
「助けてよ……あの男があたしにタネを飲ませたんだよ……。怖いよ、助けて……」
娘の手がフルートに触れそうになったので、ゼンとポチは叫びました。
「気をつけろ、フルート!」
「ワン、つかまっちゃだめですよ!」
フルートはすぐに身をかわしました。頭を下げて娘の腕の下をかいくぐり、娘の背後に回ります。
その様子を眺めていた金の石の精霊が、おや、という顔をしました。フルートが武器を背中に戻していたのです。右手がロングソードと炎の剣の間で迷うように揺れています。
「確かに、炎の剣を使えば、娘もろとも怪物を焼き尽くすことは可能だな」
と願い石の精霊が冷ややかに言いましたが、フルートはなかなか剣を握ろうとしませんでした。魔剣と普通の剣の間で迷い続けています。
娘はまたフルートに迫っていました。伸ばした手がフルートを捕まえそうになります。
「こんちくしょう!」
「ワン、フルート、逃げて!」
ゼンとポチは飛び出し、娘に後ろから飛びかかろうとして跳ね飛ばされました。見えない力に跳ね返されたのです。
「フルート!!」
ゼンたちが叫ぶ中、娘はフルートの左腕を捕まえました。体をせり出し、口を大きく開けます。
中からまた黒い蛇が飛びだしてきました。ふくれあがり、牙をむいてフルートに襲いかかります。
とたんに、迷っていたフルートの手が向きを変えました。剣ではなく、首にかかったペンダントをつかんで外したのです。金の石を怪物に突きつけようとします。
ところが、石が光るより早く、怪物はフルートの腕を呑み込みました。鎧を突き抜けて牙が突き刺さってきたので、フルートが悲鳴を上げます。
「やべぇ!」
「ワン、血を吸われる!!」
ゼンとポチはまた娘に飛びつこうとして、再び跳ね返されてしまいました。娘をフルートから引き離せません。フルートの顔が急激に青ざめていきます――。
すると、フルートは怪物に呑まれた自分の腕を見据えました。痛みに顔を歪めながらも、はっきりと言います。
「光れ、金の石!!」
とたんに、うごめいていた怪物がぴたりと動きを止めました。すぐにその喉元がふくれて金色に光り出します。光は明るくなっていって、怪物の喉元にいくつものほころびを作りました。穴から漏れ出た光が蛇のような体を照らし、黒い霧に変えていきます。フルートが握っていた金の石が、怪物の体の中で輝いているのです。
ついに怪物はフルートの腕を吐き出しました。娘の口へ逃げ込もうとします。とたんに金の石は激しく輝きました。びりびりと周囲の壁が震え、ひびが走って漆喰のかけらが落ちてきます。
その光も収まると、あとには金の石を突き出した格好で立つフルートと、光から顔をそむけたゼンとポチ、そして、踊り場にまた倒れた娘が現れました。二人の精霊はフルートのそばに立っていました。蛇のような怪物はもう見当たりません。
願い石の精霊はおもむろにフルートの肩をから手を離しました。
「怪物を捕まえるのに、わざと腕を食らわせたのか。いかにもフルートらしい」
すると、金の石の精霊が言い返しました。
「あれくらいの怪物なら、ぼくひとりでも消滅させられたぞ。でもまあ、いかにもフルートらしいというのには同感だ。彼女の中から怪物は消滅した。彼女は無事だ。フルートもね」
フルートは怪物に体液を吸われたのですが、金の石のおかげで干からびるようなことはなかったのです。フルートは鎧の籠手(こて)を確かめていましたが、牙の痕は残っていませんでした。
「闇の触手に近い怪物だったんだな」
とフルートはつぶやきます。
ゼンはそんな親友の頭を小突きました。
「いつもいつも心配させるんじゃねえ。危なっかしいことばかりしやがって――。で? この後はどうするんだ?」
「ワン、エスタ王は地下牢に捕まっているって、その人は言ってましたよ」
「馬鹿野郎。んなのは怪物に操られて言ってたことじゃねえか。嘘に決まってる」
「えぇ、そうですか?」
「そうに決まってる!」
言い合いになったゼンとポチに、フルートは言いました。
「やっぱり地下牢に行ってみよう。ただ、その前にこの人を起こさないとな。他にも怪物が番をしていると大変だから、砦の外に出てもらおう」
そう言うと、フルートは倒れている娘に金の石を押し当てました――。