「ワン、見えた! あれがきっとジャーガ伯爵の城ですよ!」
と風の犬になったポチがフルートとゼンに言いました。ジャックにフルートの身代わりを任せた彼らは、広大なエスタ国を横切るように飛び、東の国境に近いジャーガ伯爵の領地までやって来たのです。
行く手にはごつごつした岩山と、山を途中まで包み込むように広がる森林がありました。森のすぐ上の岸壁に、ぽつんと城が建っています。
「小せぇ城だな。しかも古いぞ」
とゼンが遠慮もなく言いました。
「ワン、ジャーガ伯爵は、エラード公に肩入れしたせいでエスタ王に左遷させられましたからね。こんな山奥だし、城を直すお金もなかったんですよ、きっと」
「金に困っていたしエスタ王に恨みもあったから、そこをセイロスにつけ込まれたんだな」
とフルートは言って溜息をつきました。セイロスに復讐の夢を託しても、そのために命を落としてしまっては、どうしようもありません。
同じことを考えていたらしいゼンが言いました。
「こういうのをなんとかって言ったよな。えぇと、うまい話にゃ裏があるじゃなくて……」
「ワン、人を呪わば穴二つ、ですか? 結局自分もひどい目に遭うんだから」
「セイロスは信用するな。要するにそういうことさ」
とフルートが言い切ります。
岩山の中腹の城が近づいてきます――。
ところが、城の目前でポチがいきなり上昇しました。その下を数本の矢が飛び過ぎていきます。崖に面した正面の壁に細長い通路があって、数十人の弓兵がずらりとこちらを狙っていたのです。
「お、あんなところから攻撃できるのかよ。空から来る敵を攻撃する場所か?」
とゼンが驚くと、フルートが言いました。
「真下の森に城に続く道がある。そこから攻めのぼってくる敵を防ぐための場所だろう。ポチ、矢をかわして近づけるか?」
「ワン、城の後ろに回ってみます」
とポチは空を大回りして城の背後の山に向かいました。岩肌ぎりぎりの場所を飛びながら城に近づこうとします。
けれども、城壁の目の前まで来ると、そこにも弓を構えた兵士たちがいて、矢を射かけてきました。ポチが急上昇しても、その後を追うように矢を放ち続けます。
「馬鹿野郎! こんな方向に撃ったら矢が自分に落ちてくるぞ!」
とゼンが敵の心配をします。
フルートは城壁の上に現れた兵士の数をざっと数えました。
「およそ百。さっきの場所と合わせて百五十人くらいはいるな。カルティーナの都を包囲していた兵士たちが、全員城の守りについているんだ」
「ワン、セイロスが中で指揮しているんでしょうか? だとしたら、魔法にも用心しなくちゃいけませんよ」
「飛竜部隊がいたら、そいつらも出てくるかもしれねえな」
そこでポチは空中に立ち止まりました。矢が届かない場所から城を眺めますが、セイロスや飛竜部隊が中にいるかどうか確かめることはできません。
すると、フルートが言いました。
「城の中に突入しよう。セイロスがいれば必ず出てくる」
仲間の少年たちは思わず目をむきました。相変わらず、見た目によらず過激なフルートです。
ゼンは肩をすくめました。
「ポチ、一番手薄そうなところに行け。俺の弓のほうが射程距離は長いから、俺の矢で敵を散らしてやる」
「ワン、了解」
とポチは大きく旋回して、一番敵が少ない東側の城壁に舞い降りていきました。ゼンは彼でなければ引くことのできない強弓に一瞬で弦を張り、百発百中の矢をつがえます。
ぱしゅっ。
引き絞られた矢が弓を離れ、ジャーガ伯爵の城へ飛んでいきました。城壁の上にそびえる見張り塔に命中すると、木製の屋根をこっぱ微塵に砕き、石積みの壁まで半分吹き飛ばしてしまいます。
「ワン、すごい!」
ポチが矢の威力に感心すると、ゼンはつまらなそうな顔をしました。
「城が古くてボロなだけだ」
とまた矢を放ちます。今度の矢は石積みの城壁に大穴を空けたので、近くの兵士たちが泡を食って逃げ出しました。降り注ぐ石のかけらに、頭を抱えている兵士もいます。
「よし、あそこから中に入るぞ」
とフルートが言ったので、ポチは壁の大穴に向かいました。兵士たちは弓矢で阻止しようとしますが、ゼンが次々と矢を放ったので、あわてて散っていきました。ゼンが慎重に狙っているので、矢は兵士には当たりません。
ポチは大穴から城の中に飛び込みました。フルートとゼンがポチの背中から飛び降ります――。
そこは広間でした。と言っても広さはさほどではなく、壁はむき出しの石積み、床には古ぼけた絨毯が申しわけ程度に敷かれているだけです。人の姿はありません。
ざっとそこを見渡したフルートは、すぐに後ろを振り向きました。彼らが飛び込んだ大穴から、外の兵士がなだれ込んできたのです。襲いかかる剣を剣で受け止め、跳ね返して退けます。
すると、犬の姿に戻ったポチが耳を立てました。
「ワン、廊下からも来ますよ」
大きな木の扉の向こうから、駆けつけてくる足音が聞こえてきたのです。
「よっしゃ」
とゼンは扉へ走りました。勢いよく蹴飛ばすと分厚い扉がはずれ、今まさに飛び込んでこようとしていた敵兵と一緒に吹き飛びます。
「行けるぞ、フルート!」
とゼンが呼んだとき、フルートはちょうど四、五本の敵の剣を同時に受け止めたところでした。
「わかった!」
と言いながら力任せに剣を押し返し、よろめいた敵の間に飛び込んでいきます。
フルートが舞うように剣をふるうと、敵の剣が次々と手から離れて吹き飛ばされました。武器をなくした敵は、戦えなくなって大きく後ずさります。
一方ゼンは先に廊下へ飛び出しましたが、倒れた扉と味方を乗り越えて、新たな兵士が押し寄せてくるのを見て、ふん、と笑いました。
「こんな狭いところに大勢で来やがって。それじゃ剣も使えねえだろうが、阿呆め」
ゼン自身は弓矢を背中に戻していました。無造作に敵の中へ飛び込むと、素手で敵兵を捕まえ、持ち上げて他の兵士の上へ投げ飛ばしてしまいます。折り重なった敵の上に、また別の敵を投げ飛ばします。
ポチは戦闘をフルートとゼンに任せて、廊下の先を眺めていました。同時に匂いをかぎながら言います。
「ワン、これだけ暴れてもセイロスは現れないし、匂いもしない。ということは、セイロスはいないのかな……」
そのつぶやきをゼンが聞きつけました。
「なんだ、ポチ? セイロスはここにいねえのかよ?」
と言いながら敵をまた捕まえて投げつけます。詰めかけていた敵の兵士たちは、衝撃で折り重なるように倒れました。後ろのほうで無事だった敵兵は、あわてて廊下の端の階段まで撤退します。
そこへ広間からフルートが出てきました。
「セイロスはいたか!?」
とフルートにも訊かれて、ポチは答えました。
「ワン、気配が全然しないんです。もしかしたら、ここにはいないのかもしれません」
フルートはちょっと眉をひそめると、隣のゼンに目で合図しました。同時に広間から飛び出してきた敵兵をかわして、剣で剣をたたき落とします。承知したゼンは、すぐにその兵士を捕まえました。腕を後ろ手にねじり上げて尋ねます。
「おい、セイロスはどこだ?」
兵士は悲鳴を上げました。腕をねじ切られそうな怪力に、すぐに答えます。
「と、殿様はここにはいない! どこに行かれたかわからないんだ!」
「殿様ってのはジャーガ伯爵のことか? そんなら聞かなくてもわかってらぁ。そうじゃなくてセイロスのほうだ。ジャーガ伯爵とぐるになってエスタ王を誘拐しただろうが」
とたんに捕まった兵士だけでなく、まわりを取り囲んでいた兵士たちまでが、ざわっと動揺しました。信じられないように顔を見合わせます。
「ワン、この人たちはみんな、伯爵たちがエスタ王を誘拐したのを知らなかったみたいですよ」
とポチが鼻をひくひくさせながら言ったので、フルートはますます眉をひそめました。
「ということは、エスタ王はここに捕らえられていたんじゃないんだな。セイロスもここにはいない。とすると、セイロスがいる場所にエスタ王がいるんだ」
そこでゼンはまた手に力を込めました。
「おい、セイロスはどこだって聞いてんだよ! 長い黒髪に紫水晶の防具の、顔はいいくせにやたらと陰険で横暴な野郎のことだ!」
問い詰められた兵士は、痛い! 腕がちぎれる! と叫び、ゼンが力を緩めると冷や汗を流して答えました。
「お、おまえたちが言うのはあの魔法使いのことだろう。防具の色は紫じゃなく黒だったが……。俺たちがあの男を見たのは一度きりだ。俺たちを魔法でカルティーナのすぐ近くまで送り込んだんだ。奴自身は山の上の砦にいると言っていた」
「それはどこですか?」
とフルートが話に割り込みました。
「細い山道の、峠をいくつか越えた先にある古い古い砦だ。もう何十年も使われていない砦なんだが、殿様がそこを奴に貸し与えて……」
「ワン、どっちの方角ですか? よくわからないな」
とポチが言ったので、ゼンは兵士をひょいと担ぎ上げました。鎧兜を着た大の男を少年が軽々と肩に乗せたので、他の兵士たちは仰天します。
「こいつに砦まで道案内させようぜ。俺が運ぶからよ」
「ワン、わかりました。行きましょう」
ポチが身を伏せると、その体が一気にふくれあがりました。犬の輪郭が消えて、ごうごうとうなる風の獣に変わります。同時に通路に猛烈な風が巻き起こったので、兵士たちは立っていられなくなりました。その場に伏せて、兜を飛ばされないように押さえます――。
やがて、風がぴたりとやんで、あたりは静かになりました。
こわごわ頭を上げた兵士たちは、城の中からフルートたちが姿を消していることに気がつきました。ゼンに捕まった兵士も見当たりません。後に残されたのは、壁に大穴を空けられ、扉を吹き飛ばされた広間と廊下です。
「ど、どうなっているんだ……?」
とひとりの兵士が言いましたが、それに答えられる仲間は誰もいませんでした。