一方、セイロスが秘密基地にしている砦では、セイロスがひとりで椅子に座り、目の前に立つ女性を見据えていました。質素な格好をした中年の女で、エプロンを締め、腕には買い物かごをさげています。
彼女はセイロスがエスタの首都カルティーナに送り込んだ密偵でした。砦で働いていた下女なので、下働きの格好にはまったく違和感がありません。
女はセイロスの前にいるのに、何故か目の前の床を眺めていました。セイロスのほうでもそれを当然のように見ています。女は実体ではなかったのです。彼女自身はカルティーナにいて、映像だけがセイロスの前に映し出されていました。女のほうにもセイロスの映像が小さく見えているはずでした。
「連絡が遅いぞ。その後、都はどうなっている?」
セイロスから厳しい声で尋ねられて、女は肩をすくめました。
「しかたないよ、旦那様。あたしは都のお屋敷の下働きに入ったから、まわりにいつも誰かがいて、旦那様に連絡できないんだから。今日は奥様におつかいを言いつかったんだ」
教養のない女なので、敬語もろくに使えません。
セイロスは舌打ちをこらえると、それで? と促しました。
「ロムド国の金の石の勇者が、皇太子殿下やオグリューベン閣下と一緒に国王様を助けに行くっていうんで、都はどこでもその噂でもちきりになってるよ。たくさんの領主たちが自分の兵隊を連れて参加するみたいだ。都のまわりにも兵隊さんがたくさん集まってきてるよ」
「その情報は前回も聞いた。具体的になんという領主が参加してきているのだ?」
とセイロスが尋ねると、女は首をかしげました。
「そこまでは……。あたしは生まれも育ちもゼレだから、都の殿様たちの名前はよくわからないんだよ」
セイロスは渋面になりました。感情を抑えて質問を続けます。
「ではエスタ城の様子はどうだ。国王軍の動きは?」
「お城にはロムド国からの軍隊が到着したみたいだね。ロムドの兵隊たちは、都の外じゃなく城の中に招かれたって。ロムドの将軍も一緒だっていうんで、かなり評判になってるよ」
「ロムドは将軍を投入したか。勇者どもも一緒にいるのか?」
「金の石の勇者のことかい? さあ? よくわからないなぁ」
とうとうセイロスは舌打ちしました。都に密偵を送り込むに当たって、できるだけ怪しまれないように、砦の下働きの女を選んだのですが、彼の知りたがっていることをよく理解していなかったので、報告を聞いてももどかしさが募るばかりでした。
すると、女は思い出したようにまた話し山しました。
「そういえば、ロムドの将軍の軍隊と一緒に、魔法使いも到着したらしいよ。都の中で見慣れない長い服を着た男を見るようになったって、みんなが話して――あれ、あそこにも茶色い長い服の人がいる。こっちに来るね」
不思議そうな顔をした女の近くから、別の人物の声が聞こえてきました。
「失礼、そこのおかみさん。そんなところで、何をひとりごとを言っているんだね?」
中年の男の声です。
セイロスはまた舌打ちをすると、女に向かって手を振りました。女は突然白目をむくと、その場に崩れるように倒れました。その姿が薄れて消えていってしまいます――。
ちょうどそこへギーがやってきました。女が倒れて見えなくなっていったので、セイロスに尋ねます。
「今のは都に偵察に出した女じゃないか。どうかしたのか?」
「ロムドの魔法使いに目をつけられた。こちらの居場所を突きとめられてはまずいので、始末をしたのだ」
とセイロスは苦々しく言いました。貴重な偵察でしたが、いたしかたありませんでした。もちろん女の生命を惜しんでいるわけではありません。
ギーは驚いた顔をしましたが、それ以上は追求せずに自分の報告を始めました。
「ジャーガ伯爵の軍隊が伯爵の城に戻ったぞ。ところが、伯爵自身は途中で書状を受け取って残ったらしい。後から追いつくと言っていたのに、いつまでたっても追いかけてこないそうだ」
セイロスは顔つきを変えました。
「ジャーガめ、さては逃げたな! 書状というのも口実だろう。姑息な真似を!」
ところがギーは首を振りました。
「それが、知らせの兵士はおかしなことを言っているんだ。書状はセイロスが書いたもので、俺がそれを届けたと言うんだ。俺もおまえもそんな覚えはないのにな。何かの間違いだろうと言ったんだが、絶対にそうだと言い張るんだ」
とたんにセイロスは何も言わなくなりました。怒っていたことも忘れたように考え込んでしまいます。
「セイロス……? おい、セイロス、どうした?」
ギーが面食らっていると、セイロスは顔を歪めて、いまいましそうな表情になりました。椅子から立ち上がり、マントをはねのけてどなります。
「ジャーガは敵の手に墜ちた! あいつのしわざだ――! 間もなくここに来るぞ! ギー、おまえはイシアードへ飛べ! 私は味方にした領主たちの領地へ飛んで、急ぎ砦を作る。私からの合図が来たら、ただちに飛竜部隊と出撃するのだ!」
「では、いよいよロムドを攻撃するんだな!?」
ギーが急な展開に驚きながら確認すると、セイロスはいっそういまいましそうな顔になりました。
「本当ならエスタ国内にもっと味方と砦を増やしておきたかったが、しかたない。今を逃せば好機を失う」
「人質は? エスタ王はどうするんだ?」
とギーに訊かれて、セイロスは舌打ちしました。
「当初の作戦は成り立たなくても、人質としては使えると思って生かしておいたが、この状況で連れ歩くのは足手まといだ……。やむを得ん。見張りをつけておく」
セイロスは何故か急に気が進まない様子になると、出て行くギーを見送りました。部屋に自分だけになると、背後をにらんで言います。
「貴様の兵隊を一匹貸せ。見張りにする」
すると、誰もいないはずの場所から、ククク、と笑い声が返ってきました。
「一匹ナドト言ワズ、何百、何千、何万匹デモ貸シテヤロウ。オマエガ望ムナラバナ」
「一匹で充分だ」
セイロスがにべもなく答えると、それきり背後から声は聞こえなくなりました。
部屋の中にいるのは彼ひとりきりです。
ふん、とセイロスは鼻を鳴らすと、改めて自分自身へ言いました。
「予定より早まったが、先手を打たれたわけではない。私が行けば、砦は一晩で完成するからな。飛竜部隊に追いつけるのはあの連中だけだが、連中もあの人数で飛竜部隊と戦えるわけはない。しかも、今回の飛竜の乗り手は裏竜仙境の人間だ――。勝てる。今度こそロムド城を都ごと消滅させて、あいつらの拠点を潰してやる」
セイロスは部屋を歩き出しました。次の瞬間には姿がかき消えます。
空っぽになった部屋の中、磨き上げられた大理石の床が静寂だけを映していました――。