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第26巻「飛竜部隊の戦い」

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32.ジャーガ伯爵

 ジャーガ伯爵は自分の軍勢と共に自分の領地へ向かっていました。

 エスタ国は、中央大陸の真ん中に広がる広大な国です。海からは離れていますが、南にそびえるミコン山脈から幾筋もの川が流れてきて大地をうるおすので、麦や野菜やブドウがよく育ちます。南東部には森林が広がっていて、林業や炭焼きが行われているし、鉄鉱石が採れるので製鉄も盛んです。エスタは本当に豊かな国なのです。

 けれども、ジャーガ伯爵の領地はそんな豊かさとは無縁でした。元々彼は裕福な領主でしたが、王弟エラード公に肩入れしたために、四年前の風の犬の戦いの後で領地と財産を没収され、東のはずれに追いやられてしまったのです。

 そこは岩山が多い森林地帯で、耕作には向きませんでした。大規模な牧場も作れないし、木を切り出しても山から麓におろすまでが一苦労、そこから先へ運ぶにも、大きな川がないのでまた苦労するような場所です。もちろん鉄鉱石もこの土地からは採れません。

 結果、ジャーガ伯爵は貧乏生活に転落し、そんな状況に自分を追い込んだエスタ王を恨みながら暮らしていました。王位転覆を謀りながら処刑されなかっただけでも幸運なのですが、それに感謝するような殊勝な人物ではありません。

 

 そんな彼の元へ突然セイロスと名乗る青年が現れ、同盟を申し出たのはひと月ほど前のことでした。

 エスタ王を誘拐して多くの領主を味方につけ、飛竜部隊でロムド国を攻撃する、という作戦を聞かされて、ジャーガ伯爵は心を動かされました。エラード派の領主たちはそもそもロムド国への敵対心が強く、ロムドと懇意にしている今のエスタ王に反感を持っていたからです。

「ロムドを服従させたあかつきには、ロムド東部の豊かな土地を伯爵の領地として与えよう」

 とセイロスが約束したことも、伯爵を動かしました。

 彼は自分の領地にあった古い砦をセイロスの秘密基地として提供し、セイロスにもらった大金で兵士をかき集めて軍隊を編成しました。金に糸目をつけずに装備を調えたので、にわか仕立てでも、非常に立派な部隊になりました。

 体制が整うと、セイロスはエスタ王を誘拐してきて、入れ替わりにジャーガ伯爵と軍隊を王都へ送り込みました。どちらも魔法のしわざです。適当な理由をでっち上げて都を封鎖するのが伯爵の役目でした。そうやって人々の不満や疑問を募らせてから、おもむろに王が誘拐されたことを知らせ、さらにそれをロムドのしわざにして、国中の領主たちを対ロムド戦へ駆り立てる──というのがセイロスとジャーガ伯爵の考えた作戦でした。彼らはエスタ王誘拐の罪をロムドになすりつけようとしていたのです。

 

 ところが今、ジャーガ伯爵は兵をとりまとめて自分の領地へ逃げ帰っている最中でした。切り札にするはずだったエスタ王の誘拐を、金の石の勇者がカルティーナ中に暴露してしまったからです。

 しかも、異国の勇者は、皇太子とその大叔父のオグリューベン公爵を後ろ盾にして、国中の領主たちへエスタ王救出を呼びかけました。完全に先を越された伯爵は、あわててカルティーナから撤退するしかありませんでした。そのままではエスタ王救出部隊の旗頭にされて、セイロスとまともに敵対する羽目に追い込まれたからです。

 けれども、領地に戻ればセイロスから責められるのは間違いないので、伯爵は急いで帰ることもできませんでした。「追っ手を攪乱(かくらん)させるためだ」と言って、わざと遠回りのルートをたどりましたが、いよいよ領地が近づいても、うまい言い訳は見つかりません。セイロスの怒りが恐ろしくて、伯爵の足取りはますます重くなります。

 

 すると、ひとりの歩兵が後方からやってきて、ジャーガ伯爵に呼びかけました。

「殿、失礼いたします! 殿に直接お渡しするように言われて、これをお預かりしました!」

「私に? 誰からだ?」

 伯爵は折りたたまれた書状をいぶかりながら受け取り、差出人を見たとたん顔色を変えました。書状を運んできた兵士に尋ねます。

「こ、これは誰が持ってきた?」

「二本の角がある兜をかぶった若い男です。荒野で声をかけられたのですが、これを受け取ったとたん、姿が見えなくなってしまいました」

 それを聞くと伯爵はますます青ざめ、馬上でぶるぶる震え出しました。

「殿、どうされました?」

「誰からの書状でございますか?」

 と側近たちが驚いて集まってきます。

 伯爵はすぐに我に返ると、邪険に彼らを追い払いました。

「なんでもない、心配するな――! おまえたちはこのまま先に城へ向かえ。私は書状を読んだら追いかける」

 側近たちは今度はとまどいました。

「そんな、殿おひとりを残していくわけには」

「危のうございます」

「全軍に一時停止を申しつけましょう」

 けれども、伯爵は頑として受けつけませんでした。

「心配はいらん。これを読んだらすぐに追いかける。時間が惜しい。おまえたちは先を急げ」

「では自分が殿の護衛をいたしましょう」

 と書状を運んできた兵士が申し出たので、側近たちもしぶしぶ承知しました。伯爵の代わりに部隊を率いて領地へ戻り始めます。

 

 一行が行く手の森の中へ消えていくと、伯爵は護衛に残った兵士に言いました。

「急いでここを立ち去るぞ。どこでもいい。早急に城から離れるんだ。良い行き先を知らないか?」

 兵士は意外な命令に目を丸くしました。

「殿は城にお戻りになるのではないのですか? 部隊は先に行きましたが」

 伯爵は思いきり顔をしかめました。

「これがどんな書状だと思っているんだ!? 差出人はあの男だぞ! 絶対に我々の失敗をとがめる内容だ! 戻れば何をされることか――! いいから、近くの村へ行って目立たない服を手に入れてこい。それに着替えたら出発だ!」

 兵士は主君の意図を理解すると、あきれたように頭を振りました。

「やれやれ、嘆かわしい。城の主である殿様が、自分の家来や兵士を囮(おとり)にして、自分の保身を図るとは……。こんな卑怯者を殿様にした連中はいい迷惑じゃな」

 兵士は何故か老人のような口調になっていましたが、怒りと恐怖で混乱した伯爵は、その不自然に気づきませんでした。なんだと!? と気色ばみ、馬上で剣を抜いてどなります。

「兜を脱いでそこに直れ! 主君に逆らった不敬罪で処罰してくれる!」

 けれども、兵士は落ち着いた顔のままでした。

「いいから、まずその書状を読んでみんかね。次の行動を決めるのは、それからでも良かろう」

 やっぱり老人のような口調です。

 

 伯爵は兵士に、逃げるなよ、と念を押してから書状の封を切りました。広げて文面に目を通します。

 と、その顔が意外そうな表情に変わりました。何度も読み直して、さらにいぶかしい顔になっていきます。

「いったいどういうことだ? この私に、ロムドの軍門に下って、知っていることを洗いざらい話せとは。あの男は何を考えているんだ……?」

 あまりに意味不明な内容だったので、伯爵は首をひねり続け、突然はっと兵士を振り向きました。

「これはセイロスからの書状ではないな!? 貴様が書いたのか!?」

「やれやれ、やっと気づいたかね。お殿様は卑怯な上に頭の巡りも悪いようじゃな。だからセイロスなんぞにだまされるんじゃ」

「な、な、なにぃ――!?」

 伯爵が真っ赤になって切りつけようとすると、兵士はひらりと飛びのいて、鋭い目でにらんできました。老人の声で言います。

「ほい、もういいぞ。本当の姿に戻るんじゃ」

 すると、伯爵が握っていた書状がいきなりふくれあがり、手からこぼれ落ちました。たちまち膝の上がずしりと重くなります。

 見るとそこに書状はもう見当たらず、代わりに銀の鎧兜を着た若い兵士が座っていました。仰天した伯爵につかみかかり、一緒に馬から転げ落ちます。

 伯爵は落馬した拍子に剣を手放してしまいました。先の兵士が駆け寄って剣を蹴飛ばすと、若い兵士は伯爵に馬乗りになり、二、三発殴って押さえ込んでしまいました。若い兵士は大柄で力も強かったので、伯爵にはとても抵抗できなかったのです。

 

 若い兵士はもうひとりの兵士を振り向いて、にこりと笑いました。

「うまくいきましたね。ジャーガ伯爵をまんまと生け捕りましたよ」

「そうじゃな。おまえさんの協力のおかげじゃ」

 と言っているうちに、兵士の姿が変わっていきました。深緑色の長衣を着て長い樫の杖を持った、背の高い老人になります。

 老人は伯爵にかがみ込むと、杖を突きつけて言いました。

「わしが誰かわかるかな、ジャーガ伯爵?」

 いかにも魔法使い然とした姿に、さすがの伯爵も気づきました。

「ロ、ロムドの魔法使いか……」

 とたんに若い兵士がどなりました。

「ただの魔法使いじゃねえ! ロムドの四大魔法使いのおひとりの深緑殿だ!」

「そして、書状に化けていたのが、ワルラ将軍の秘蔵っ子のジャックじゃ。まんまとわしらの罠にはまってくれたの。さあ、書状に書いてあったとおり、人質になってわしらと一緒に来てもらおうか」

 深緑の魔法使いにそう言われて、ジャーガ伯爵はぐうの音も出なくなりました。そんな伯爵をジャックが手早く縛り上げて、猿ぐつわもかませます。

「ほいほい。それじゃあ、わしらもこんな場所はさっさと離れるとしようか。ここはセイロスがいる場所に近すぎるからの。奴に気づかれたら大ごとじゃ」

 魔法使いの老人は口笛で二頭の馬を呼ぶと、伯爵を荷物のようにジャックの馬に積み込み、自分たちも馬にまたがりました。伯爵の部隊が進んでいったのとは反対の方角へ駆け出します。

 彼らが行く荒れ地には冷たい風が吹いていました。通りかかる旅人はなく、もちろん先へ行った軍隊が戻ってくるようなこともありません。

 誰にも気づかれないうちに、深緑の魔法使いとジャックはジャーガ伯爵を連れ去ってしまいました。

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