ロムド城の一室で、ユギルはテーブルの占盤と向き合っていました。
部屋には彼の他には誰もいません。ユギル自身も占盤に両手の指先を載せたまま、身動きひとつせずにいます。それはまるで椅子に座った秀麗な彫刻のようでした。暖炉の炎が時折たてるぱちぱちという音だけが、部屋の中に響いています。
ところが、ふいにユギルは顔を上げると、部屋の扉へ呼びかけました。
「開いております。どうぞお入りください」
今まさに扉をたたこうとしていた家来が、驚いた顔で扉を開けました。その後ろからロムド王とリーンズ宰相が入ってきます。
ロムド王がユギルに話しかけました。
「占いの最中であったか? そうであれば出直してくるが」
王から直々に気遣われて、占者は微笑しました。
「大丈夫でございます。ちょうど一区切りがついたので、これからご報告にあがろうと考えていたところでございました」
「一区切りついた! では、何か新たな事実がわかったのですね!?」
とリーンズ宰相は身を乗り出しました。同行してきた家来は心得て部屋を退出していきます。
ユギルは頭を振りました。
「全体の大まかな情勢がつかめただけでございます。宰相が期待されるのは敵に関する新たな情報でございましょうが、残念ながらそれはエスタ国をおおう闇の陰に隠されております」
「いいや、全体の状況を把握することは重要なことだ。話して聞かせよ」
とロムド王は言って椅子に座りました。占盤が載ったテーブルを挟んでユギルと向かい合う格好になります。ユギルの部屋の椅子はそれで全部だったので、宰相は王の後ろに立ちます。
占者はまた占盤に目を向けました。青と金の色違いの瞳は、他者には見えない象徴を追って、現実ではない場所を見つめています。
「勇者殿を示す金の光がエスタ国の北西部にあって、エスタ国内を広く照らしております。勇者殿のすぐそばにいるのは銀の光と星の光。ゼン殿とポチ殿でございます。勇者のお嬢様方を示す象徴は、勇者殿たちから少し離れた場所に隠れるようにしながら、大切な何かを守っておいでです。勇者殿たちとの間に強い絆の光が見えておりますので、勇者殿の作戦に従ってのことと思われます」
「大切な何かというのは? ポポロ様たちは何を守っているのでしょう?」
とリーンズ宰相が聞き返すと、ロムド王が答えました。
「勇者たちは包囲されたエスタ城から皇太子を救出している。引き続き皇太子を敵の手から守っているのだろう」
ユギルは王へ一礼しました。
「ご明察のとおりと存じます。勇者殿たちがエスタ皇太子を保護したために、エスタ国中の領主たちがいっせいに勇者殿の陣営に加わっております。皇太子を守ることで自分たちの地位や名声を確保しようとしているのですが、それにしても非常に大きな流れとなっております。エスタ国の東部は闇の霧におおわれていて、見通すことがかなわないのですが、それ以外の場所では、勇者殿の輝きと皇太子の存在によって、多くの力が集結しております」
「エスタ王は敵に捕らわれている。王に万が一のことがあったときを考えて、皇太子の陣営についておこう、と彼らは考えているのだろうな」
とロムド王は言って、心配する表情になりました。宰相がそれをことばにします。
「エスタ国では領主間での勢力争いが活発です。自分の利益のために、昨日までの味方を簡単に裏切って敵へ走るようなことも、しばしば起きます。勇者殿たちはまだお若い。そんな争い事に巻き込まれて大丈夫でしょうか?」
けれども、ユギルの声は心配する響きも同情の色も帯びませんでした。ただ淡々と占盤の象徴を読み解いていきます。
「これは勇者殿ご自身が領主たちへ仕掛けた作戦でございます。味方を増やし力を集めるために、毒を毒と知りながら、あえて呼びかけておいでなのです。勇者殿たちのすぐそばには大食らいな熊が寝そべり、有利なほうに付こうと勇者殿と闇の陣営を見比べておりましたが、つい半日ほど前に勇者殿と手を組むことを決めたようでございます。とりあえず、この熊が勇者殿を裏切る心配はなくなりました」
「大食らいの熊──何者か思い当たるか、リーンズ?」
「おそらくエスタ国のオグリューベン公爵でございましょう。勇者殿が公爵と協力してエスタ皇太子を保護したという報告は入っておりますし、オグリューベン家の紋章は三頭の熊でございます。また、公爵はエスタ皇太子の母君の叔父に当たっていて、権力に対する執着も非常に強いと聞いております」
「その人物が勇者たちの同盟者であるのか。なかなか厳しそうな状況だが、裏切りの気配が消えたというのであればなによりだ」
と王は言いましたが、完全に安心したような顔にはなりませんでした。王位をめぐる権力争いの厳しさや恐ろしさは、ロムド王も充分に承知していたのです。
すると、ユギルがまた言いました。
「権力を求める者たちは、信頼に危ういことが多いのですが、勇者の元には決して裏切らない味方も駆けつけております。白い雪を従えた黒い風でございます」
初めて聞く象徴に、ロムド王たちは目を丸くしました。
「それは誰のことだ? 我々も知っている人物か?」
「御意。白いライオンを従えた黒い鎧の戦士、と申し上げれば、陛下や宰相殿にも想像はおつきでございましょう」
「オーダ殿ですか! エスタ国の傭兵の!」
と宰相は即座に気がつき、王もうなずきました。
「なるほど。彼が連れていたライオンの名は確か、吹雪だったな。彼が勇者たちの助っ人に駆けつけたか」
「大変頼もしい味方でございます。万が一、勇者殿を裏切って危害を加えようとする者が現れれば、オーダ殿はためらうことなく切り捨てて、勇者殿たちを守ってくださることでしょう」
「それは確かに頼もしい」
とロムド王は心から言いました。裏切り者を出さないためには厳罰も必要なのですが、その役目を勇者の少年少女たちにやらせるのは、あまりにも酷だったからです――。
ユギルのほうは、相変わらずなんの感情も感じさせない遠い声で、占盤が知らせてきたことを語り続けました。
「エスタ国の東部では、濃紺の壁の命令を受けた者たちが、逃げる者に迫っております。闇の霧は目前ですが、間もなく追いつくことができましょう」
「濃紺の壁――ワルラ将軍のことですね。とすると、逃げる者というのはジャーガ伯爵のことですか」
と宰相が言うと、ユギルはうなずきました。
「ジャーガ伯爵はセイロスの将です。カルティーナの包囲に失敗して敗退しましたが、すぐに戻ればセイロスの怒りを買うと考えたようで、エスタ国内を遠回りしながら東部の自分の領地へ引き返しております。セイロスがジャーガ伯爵の領地に潜んでいることも、間違いないと思われます」
「彼らは首尾よく目的を達することができそうか?」
とロムド王が尋ねると、占者はまた厳かな声になって言いました。
「それはこの場ではお答えしかねます。彼らは敵の闇に非常に近い場所に来ております。ジャーガ伯爵を捕らえようとして、セイロスに気づかれる可能性もございます」
思わず唸った王へ、宰相が取りなすように言いました。
「追跡部隊には深緑の魔法使い殿も同行していらっしゃいます。必ず目的を達成して、無事にお戻りくださいます」
すると、ユギルも言いました。
「追跡部隊には、鍛え直された剣もおります。かの者の活躍が、目的の達成を大きく左右することでございましょう」
「鍛え直された剣?」
また初耳の象徴が出てきたので、王と宰相は顔を見合わせ、いったい誰のことだろう、と考えてしまいました――。