一方、こちらは少女たちとエスタ皇太子がいるアーペン城。
メールが震えながら部屋に戻ってきました。
「ただいまぁ。ああ、寒かった。雪が降ってきたよ」
薄着が好きな彼女ですが、さすがに外に行くときには毛皮のコートを着込んでブーツをはいています。
暖炉の前からルルが振り向きました。
「皇太子とのお散歩、お疲れさま。私が行っても良かったのよ」
「いいさ。ルルはしょっちゅう皇太子の遊び相手をしてくれてるもんね。少しは休まないと。それにさ、城の中庭を歩きまわってたら、面白いものを見つけたんだよ」
「面白いもの?」
「古い温室さ! 昔野菜か何か育ててたみたいだね。今は荒れ放題になってるんだけど、ちょっと修理すれば花も育てられそうなんだ」
「でも、いくら温室でも、今から種をまいたんじゃ花が咲くのは春よ。そんなに長くここにいるつもり?」
とルルが驚くと、メールは、違う違う、と手を振りました。
「ポポロの魔法を使えば花を咲かせることはできるだろ? 温室の中でそれをやれば、咲いた花が寒さで枯れたりしないと思うんだよ。寒くなってきたら、木の葉の動きが悪くなって、操りにくくなってきたんだ。その点、花はあたいの言うことを本当によく聞いてくれるからね。やっぱり花がほしいんだよ。ねえ、ポポロ。いいだろ――?」
ところがポポロは返事をしませんでした。椅子に座ったまま遠いまなざしで天井を眺め、ときどきひとりごとのように何かをつぶやいています。
おっと、とメールは口を抑えました。
「フルートたちと通信中だったのか。邪魔しちゃったね」
「ううん、もう大丈夫よ」
とポポロは急に答えて振り向きました。ヴィルド城にいるフルートたちとの会話が終わったのです。
「向こうに変わりはあった?」
とルルが尋ねます。
「うん。オーダが辺境部隊を引き連れて応援にやってきたんですって。オーダは部隊長に出世したらしいわ」
「えぇ、オーダが隊長!? 大丈夫なのかい!?」
とメールはゼンと同じような反応をしました。
ルルが首をかしげます。
「味方になりにきたのはオーダだけ? 他の領主たちはどうなのよ?」
「それも大勢来てるって。オグリューベン公爵の派閥の領主はもちろん、国王派や、二番目に大きなウンノ派からも協力の申し出が来るようになってるらしいわ」
「あれ? ウンノって、確か国王に代わって自分が王様になろうと狙ってるんじゃなかったっけ? それなのに、エスタ王を助けに行こうとしてるんだ?」
とメールが聞き返すと、ポポロはうなずきました。
「フルートが言うには、オグリューベン公爵の動向を見張るために、ウンノ伯爵が自分の派閥から領主を送り込んできたんだろうって。それでも一応味方だからありがたい、って言ってたわ」
「なぁに、それ。それでも味方って言えるの? なんだか心配ねぇ」
とルルは鼻の頭にしわを寄せました。
「でも、おかげでウンノ派の領主たちが雪崩(なだれ)をうってセイロスの陣営に流れる心配は少なくなった、ってフルートは言っていたわ。まだ全然協力を言ってこないのは、四番手のスー派の領主と、エラード派の領主たちですって」
「エラード派が協力するわけはないだろ。セイロスと手を組んでるんだからさ!」
とメールがあきれます。
ポポロは膝の上で手を組み、真剣な顔で話し続けました。
「フルートが言うにはね、国内の領主たちがこっちに協力するようになったことに、そろそろセイロスが勘づく頃だろうって。皇太子をかくまっていることも知れる頃だから、今まで以上に気をつけてくれって言ってたわ」
「そんなら、なおさら温室の修理を急がなくちゃだね。城代に頼んでみるか」
とメールは言いました。オグリューベン公爵に代わって出城を守っている城代は、メールたちを優遇してくれているのです。
善は急げ、とメールが城代を探しに出たので、ポポロとルルも一緒に行くことにしました。三人で通路を歩いて行きます。冬の通路は寒いのですが、雪が降る外に比べれば、まだほのかに暖かさを感じます。
すると、どこからか音楽が流れてきました。戦に備えて作られた出城なので、外見も内装も無骨なアーペン城ですが、聞こえてくる音色は優美です。
ポポロが遠いまなざしをしてから言いました。
「ブリジットさんだわ。チェンバロを弾いているのよ」
「ふぅん。さすが王宮で国王に仕えてるだけあるか。芸達者だよね」
とメールは言いました。音楽には詳しくなくても、聞こえてくる演奏が非常に優れていることはわかったのです。
すると、ルルが首をかしげました。
「うまいけど、なんだか沈んだ音よね。聞いてるうちに気が滅入ってくるわ」
「あれ、そうかい?」
「そうよ。私はポチみたいに感情をかぎ分けることはできないけど、音色の質みたいなものはわかるの。この音はあまり好きじゃないわ」
「ルルは犬だから耳がいいのよね──あ、そうだ」
ポポロ急に何か思いついた顔になると、音楽が流れてくるほうへ片手を上げました。おもむろに呪文を唱えます。
「レーナニチターカテツマツアーヨクガンオノミヤーナ」
「え、なんの呪文よ、それ?」
ルルたちが驚いていると、彼女たちの目の前に透き通った糸の束のようなものが現れ、一カ所に集まり始めました。たちまち透明な薄紫の塊になります。
「なにさ、これ?」
とメールも尋ねると、ポポロは言いました。
「ブリジットさんのチェンバロの音よ。実体化させたの」
メールとルルは目を丸くしました。なんのためにそんなことをしたのか、さっぱりわかりません。
すると、ポポロは薄紫の塊へまた呪文を唱えました。塊がたちまち形を変え、小さな人のような姿になります。チェンバロの音色が実体化して変わったのですから、さしずめチェンバロ人形です。
人形は二本の足で通路に立っていました。音楽が流れ続けてくるので、それを取り込んで少しずつ育っていますが、それでもせいぜい三十センチほどの背丈しかありません。
ポポロは人形にかがみ込んで話しかけました。
「ブリジットさんが奏でている音楽なら、ブリジットさんの心のこともわかるわよね? ブリジットさんは何をそんなに悩んでいるの? 何かを隠しているように見えるんだけど、それは何?」
チェンバロ人形に顔はありませんでしたが、頭の部分に口のような穴があくと、人のことばを話しました。
「ソレハ言エマセン。人ニ知ラレテハイケナイト命ジラレテイルカラ」
「音楽がしゃべっているの!? そんな魔法、聞いたことないわ!」
とルルは驚きましたが、とたんにチェンバロ人形が激しく震えたので、しっ、とメールがたしなめました。
「なんだっていいさ。ブリジットさんの隠してることを知ってるっていうなら、教えてもらおうよ――。ねえさぁ、あんた、人に知られちゃいけないって言うけど、それって人間に知られちゃいけないってことだろう? あたいもポポロも、もちろんルルも、みんな人間じゃないんだよ。人間みたいに見えても、あたいは海の民だしポポロは天空の民なんだ。だから心配しないで話しなよ。ブリジットさんは何をあんなに悩んでるのさ?」
けれども、人形はとまどうように少女たちを見回しました。なかなか話し出そうとはしません。
そこでルルが進み出ました。
「それじゃ、私に話しなさいよ。私は犬よ。全然人じゃないわ」
その説明には納得がいったのでしょう。人形はルルに向かって口を開きました。
「コレハ皇太子ニツイテノ秘密。皇太子ハ私ノ息子デハナイノデス」
やっぱり、とポポロとメールは顔を見合わせました。
ルルは人形に尋ねました。
「皇太子があなたの子どもじゃないって言うなら、誰の子どもなの?」
「ワカリマセン」
と人形は答えて、また身震いしました。人形が震えると、体の中からチェンバロの音が響きます。
「四年前、オ后サマガ生マレテ間モナイ赤ン坊ヲ私ノモトヘ連レテキテ、今日カラコノ子ヲ陛下ノ子トシテ育テルヨウニ、トオッシャッタノデス。ダカラ、私ハ言ワレタトオリニシテキマシタ」
「なによ、それ? お后が連れてきたの? 誰と誰の子どもなのよ?」
ルルは重ねて尋ねましたが、人形は震えるだけでした。
「ワカリマセン。ワカリマセン。ワカッテイルノハ、私ハ皇太子ノ母ナドデハナイ、トイウコトダケ。ソレナノニ皇太子ト一緒ニ命ヲ狙ワレルナンテ――怖イ、怖イ――叔父上ニ助ケテイタダキタカッタノニ、叔父上モスグニオ帰リニナッテシマワレタカラ――」
人形からはチェンバロの音がこぼれ続け、流れてくる音楽と不協和音を生み出します。
と、人形は急に崩れて形を失っていきました。紫の糸の束のようになり、それもすぐに消えていってしまいます。
「あたしの魔法が切れたわ」
とポポロは言いました。チェンバロ人形を出すのに魔法を二つ使ってしまったので、もう一度同じ魔法をかけることはできません。
気がつけばブリジットが弾くチェンバロの音色も止まっていました。代わりに女性のすすり泣きが聞こえてきます。ブリジットの泣き声に違いありませんでした。
メールは溜息をつきました。
「案の定というかなんというか――。とにかく、ちょっと考えたほうが良さそうだね。フルートに報告しようよ」
ポポロとルルも異論はなかったので、彼女たちは回れ右をすると、自分たちの部屋へ戻っていきました。