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第26巻「飛竜部隊の戦い」

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25.契約

 セイロスと名乗った青年はどう見ても二十代半ば程度の若さでしたが、自分よりはるかに年上のエスタの領主たちを前に、落ち着きはらって座っていました。ロムド国の真の国王だ、と当然のことのように言ってのけます。

 五人の領主たちは彼から目をそらすことができませんでした。セイロスの強いまなざしが一同の視線と心をわしづかみにしていたのです。それはまさしく王者の目でした。下々が自分から目をそらすことを許しません。

 さらにセイロスは全身から言い知れない気迫も発していました。相手を圧倒する威厳と共に、名状しがたい何かをまとっています。領主の中でも気配に敏感な者が、怯えたように後ずさります。

 すると、セイロスは急に傍らを振り向きました。とたんに領主たちは視線から解放されて息ができるようになりました。知らないうちに息も止めていたのです。全身から冷たい汗が吹き出してきます。

 セイロスが振り向いたのは、領主たちを案内してきたもうひとりの青年でした。

「これは私の腹心の部下のギーだ。諸君も何かと彼から話を聞くことが多くなるだろう。見知りおいてくれ」

 とセイロスから紹介されて、ギーという青年は得意そうに胸を張りました。二本角の兜の下には、金色の髪とちょっと気のよさそうな顔があります。

 

 領主たちはまだ気後れしていましたが、最年長の領主が勇気をふるって例のダイヤモンドを取り出しました。

「わ、我々はジャーガ卿からこれを贈られ、ここに集まるように、という伝言を受けた。だが、ジャーガ卿はここにはいなかった。我々を呼び集めたのは貴殿なのか?」

「ジャーガ伯爵は私の協力者だ。私に力を貸してくれそうな領主として、貴殿たちを教えてもらったので、招待状を送ったのだ」

 とセイロスは言いました。ことばづかいは穏やかですが、その目や声には相手を問答無用で圧倒する強さがあります。

 質問した領主はぶるっと身震いすると、声を振り絞って言い続けました。

「しかし、このダイヤモンドはいったい――。こんなものすごいものを我々に送りつけて、何を協力しろとおっしゃるのです? 我々は戦に参加しようにも、投入する兵をほとんど持っておりませんのに」

 自分でも気づかないうちに、相手に敬語をつかってしまっています。

 すると、セイロスは薄く笑いました。

「それは諸君たちへの借地料だ。諸君たちの領地に私の砦を築かせてもらいたい。また、諸君たちに兵を与えよう。ジャーガ伯爵にしたようにな」

 領主たちは目を丸くしました。彼らの領地はどれも主要な街道から離れた辺境にあります。そんな場所に砦を築いても、戦略的な意味はないように思えたのです。しかも、彼らはジャーガ伯爵が兵を率いてカルティーナの都を包囲していたことを、まだ知りませんでした。兵を与えると言われても信じられなくて、顔を見合わせてしまいます。

 それを見てセイロスは言いました。

「何故、私がこんなことを言っているのか、理解できないようだな。では、これを見ろ」

 と椅子に座ったまま、さっと右腕を上げます。腕をおおう黒い水晶の鎧には、赤い線模様が血管のように浮き上がっています。

 

 すると、部屋から壁と天井が消えました。床も彼らがいる場所だけを残して消え、周囲は一面の青に変わります。足元に雲が浮いていたので、領主たちは悲鳴を上げました。一同は空の真ん中に立っていたのです。

 セイロスやギーも空の中にいましたが、彼らは平然としていました。その背後から何かが空を飛んで近づいてきます。それは翼を広げた生き物の集団でした。鳥のようですが、近づくにつれて蛇のような首と尾が見えてきます。背中には人影もあります。

「飛竜だ!!」

 と領主たちは叫びました。飛竜を直接目にしたことはなかったのですが、噂だけは嫌というほど聞かされていたのです。

 じきに空は飛竜でいっぱいになりました。その上には人がひとりずついました。男も女もいますが、彼らが竜の背に無造作に立っていたので、領主たちはまた仰天しました。手綱も鞍もないのに、竜に振り落とされないのです。

 飛竜の大群はみるみる接近してきました。セイロスやギーのすぐ背後まで迫りますが、それでも停まろうとしません。激突する! と領主たちが思った瞬間、セイロスたちをすり抜けるようにして前に出て、今度は彼らに迫ります。

 領主たちが思わず後ずさると、先頭の飛竜が頭を突き出し、牙が並んだ口をぱっくり開けました。

 キェェェェェ……!!!

 鋭い鳴き声と領主たちの悲鳴が重なります。

 

 けれども、竜の鳴き声はすぐに消えてしまいました。領主たちが竜に襲われることもありません。

 一同がおそるおそる目を開けると、もう飛竜はいませんでした。青空も消えて、周囲は漆喰と黒曜石の部屋に戻っていました。まるで夢でも見ていたようです。

 それでも領主たちが声を出せずにいると、セイロスが椅子の中から言いました。

「今のが私の擁する飛竜部隊だ。飛竜は空を移動するから、砦を築く場所が街道沿いである必要はない。諸君の領地で充分役に立つのだ。諸君には砦を作る土地と飛竜の餌になる家畜を提供してもらいたい。先ほどのダイヤモンドは借地料だ。飛竜の餌はこれで準備してもらおう」

 とたんに一同の上に金色の雨が降り出しました。大理石の床に当たると、ジャラジャラ耳障りな音を立てます。それは金貨でした。数え切れないほど大量の金貨が、天井に近い場所から湧き出して降りかかってきたのです。

 領主たちは息を呑みました。頭や肩を金貨が打つので、思わず頭上に手をかざします。足元が金貨でおおわれ、たちまち足首まで埋まってしまいますが、それでも金貨の雨は止まりません。

 セイロスがまた言いました。

「それは諸君のものだ。とりあえず、牛と豚を千頭ずつと鶏を三千羽準備するのだ。兵の募集も始めるがいい。砦は私が直接おもむいて、適当な場所に建設する」

 領主たちは目の色を変えて、すねまで届く金貨の山を見回しました。中には、あの借金を返したらあれとあれとこれを購入して……とさっそく計算を始めている領主もいます。彼らはエスタ王に全財産を没収されたので、金には本当に困っていたのです。

 

 ところが、バム伯爵だけは慎重にセイロスに聞き返しました。

「我々の領地に砦を築いて、貴殿は何をするつもりなのだ? 貴殿は魔法使いだろう。魔法で金や宝石を出し、飛竜の大部隊を我々に見せて、いったい何を計画しているんだ?」

 金がほしいのは山々でしたが、話があまりにうますぎるように思えたのです。

 ふん、とセイロスは鼻で笑いました。とたんに床を埋めていた金貨が消え失せます。

 領主たちは仰天しました。

「か、金はどこに行ったんだ!?」

「頼む、返してくれ!」

「私は貴殿に反対などしていないぞ!」

「私もだ! 喜んで貴殿に協力する! だから金貨を戻してくれ!」

 仲間たちから恨みの目でにらまれて、バム伯爵も真っ青になりました。慌ててセイロスへ弁解します。

「わ、私も協力しないとは言っていません! ただ、あなたの計画を知りたいと思ったのです――!」

 それでも金貨は戻ってきません。

 セイロスは肘置きに頬杖をついたまま、一同をねめつけました。

「私の計画についてはいずれ話す。諸君はただちに領地へ戻って準備に取りかかるのだ」

「で、ですが金がなくては……」

 情けない顔で立ちつくした領主たちに、セイロスは話し続けました。

「金貨はもう諸君の城へ送ってある。ただちに私が指示した準備に取りかかれ。私もじきに諸君の城を訪ねる」

 すると領主たちの姿が消えていきました。あっという間に部屋の中はセイロスとギーだけになってしまいます。

 

「連中はどこに行ったんだ?」

 と尋ねたギーに、セイロスは言いました。

「時間が惜しいから、金と一緒に城に戻したのだ。これで連中は私の手駒だ」

 けれどもギーは心配そうな顔をしました。

「そうは言うが、もしも連中が言うことを聞かなかったらどうするつもりだ? 金だけ持ち逃げして協力しないってことだってあるんだ。裏切ったらどうなるか、しっかり見せしめてから帰すべきだっただろう」

 すると、セイロスはまた薄笑いをしました。ぞっとするほど冷たい笑みが広がります。

「できるものか。連中は私と契約を結んだのだからな。私に背こうとすれば、その瞬間に契約が連中を裁くのだ」

 ギーは目を丸くすると、すぐに、なるほど、とうなずきました。その話はそれきりにして、話題を変えます。

「ところで、体のほうはもう大丈夫か、セイロス? 急に体調を崩して引きこもったから、本当に心配したんだぞ。食欲は戻ったか? 精のつくものを作らせるか?」

「いらん。心配は不要だ」

 セイロスはことさらぶっきらぼうに答えると、逆に聞き返しました。

「それより王はどうした。ちゃんと生かしてあるだろうな?」

 ギーは両手を広げて見せました。

「それはもちろん。あんたの言うとおりにしてあるよ」

「そろそろ食事を与えろ。死なれては大きな損失になる」

「わかった」

 とギーはすぐに出て行きました。さらわれたエスタ王はこの砦に囚われていたのです──。

 

 部屋にひとりきりになると、セイロスは自分の腕を見つめました。

 かつては透き通った紫色だった鎧は、今はどす黒く変わっていました。籠手の表面はうろこのように無数にひび割れ、赤い筋模様が血管のように走っています。

 ふん、とセイロスは鼻を鳴らすと、無造作に腕を組んでつぶやきました。

「手駒が足りん。もっとだ。もっともっと必要なのだ」

 すると、その声に応えるように、椅子の背後から黒いものが伸び始めました。

 それはセイロスの髪の毛でした。彼は兜をかぶっていなかったのですが、後ろでひとつに束ねた長い黒髪がひとりでにほどけて、周囲に広がったのです。そのうちのひと筋が蛇のように伸びて、先端が竜の頭になりました。赤い瞳でセイロスを見つめて話しかけてきます。

「ナマヌルイナ。何故コンナコトニ時間ヲカケル? 我々ガ一声呼ベバ、味方ガ殺到スルデハナイカ。人間ノ味方ヤ基地ナド不要ダゾ」

 セイロスは冷静に竜を見返しました。

「その手には乗らん。我々に招集されてやってくるのは闇の怪物の大群だ。我が領民となる人間を食い尽くされてはたまらん」

 ククク、と竜の頭は笑いました。悪意のある笑い声です。

「ソレハ頭ノ悪イ連中ガスルコトダ。上位ノ連中ニ監督ヲサセレバイイ。連中ハ空モ飛ベル。飛竜ナド、ワザワザ準備スル必要ハナイ」

「私に闇の連中を呼び出せと言うのか」

「ソウダ。オマエハ我。闇ノ帝王ニシテ、世界最強ノ闇魔法使いナノダカラ、ソノチカラヲ使エバイイ」

 誘うような竜の声に、セイロスはいっそう冷ややかな顔になりました。ひとこと命じます。

「去れ」

 けれども、竜は立ち去りませんでした。逆に広がったセイロスの髪がさらに大きく広がり、やがて、ばさりと羽音を立てます。四枚翼のデビルドラゴンが現れたのです。

「我ラハ、チカラガ必要ナハズダ。敵ヲ打チ砕クチカラ、世界ヲ我ラニ屈服サセルチカラ。制限ナドセズ、チカラヲ奥底カラスベテ使エバ良イノダ。オマエハタチマチ約束ドオリニ世界ノ王トナル。タメラウコトハナイ」

「ためらってなどいない」

 とセイロスはまた言いましたが、やっぱり闇の竜は背後で翼を広げていました。一筋の髪の毛の先で、竜の頭がククク、とまた笑います。

「ノンビリ策ナド練ッテイテ良イノカ? グズグズスレバ、アイツガ必ズ動キ出ス。マタアイツガ邪魔ヲシテクルゾ──」

「立ち去れと言っている!!」

 セイロスが大声を出したとたん、髪の毛の先から竜の頭が消えました。デビルドラゴンが黒髪に戻ってばさりと落ち、彼の体にまとわりつきます。

 

 セイロスは顔を歪めて椅子の肘置きを握りました。大きな力を使った後のように息が上がっています。

 彼はエスタ城から王をさらい、ジャーガ伯爵を軍隊ごとカルティーナ近郊に送り込んだ後、こんな戦いを五日間も続けていたのです。今も、少し力を使い過ぎると、すぐにまた闇の竜が姿を現します。

「この程度のこと、『あれ』さえ手元にあれば──」

 とセイロスは言いかけて口をつぐみました。椅子から立ち上がると、黒髪を後ろへ払いのけて、部屋の中央へ進んでいきます。磨き上げた床が彼を映すので、部屋には二人のセイロスがいるように見えます。

 足元の自分を見ながら、セイロスは言いました。

「おまえの考えていることが私にわからないと思うのか。おまえは闇の怪物を無限に呼び出して、この世界を破壊させようとしている。私が統治するはずのこの世界をな。そうはさせん」

 床に映った彼は返事をしませんでした。見据える彼を見つめ返すのは、冷たい野心に燃えるまなざしでした──。

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