ロムド城を出発したワルラ将軍は、直属の部隊を率いて街道を東へ進軍していました。
すでに国境は越えたので、エスタ国内に入っています。薄緑の絨毯のような麦畑や収穫を終えたブドウ畑の間をぬいながら、騎馬隊を先頭に千人を越す兵士が進んでいきます。
ワルラ将軍自身は隊列の先頭に近い場所を馬で進んでいました。堂々とした体に濃紺の鎧兜を着け、ロムドの紋章を染め抜いたマントをはおった老将軍です。
その両脇には副官のガストと従者のジャックが馬で従っていました。二人はロムド正規軍の銀の鎧兜を身につけ、ジャックはその上から従者の上衣を着ています。
そこへ後方からひとりの男が駆け上がってきました。兵士たちは武装していますが、この人物は防具の代わりに赤みがかった茶色の長衣を着て、長い杖を馬につけていました。ロムドの魔法軍団のひとりで、栗色の魔法使いと呼ばれている人物です。
「将軍、ロムド城より連絡がありました」
と魔法使いが呼びかけたので、ワルラ将軍は聞き返しました。
「定時連絡だな。向こうの様子はどうだ?」
栗色の魔法使いは心話が得意だったので、将軍の部隊に同行して、ロムド城にいる魔法軍団と連絡を取り合っていたのです。
「ロムドでは都にも国内にも大きな変化はないとのことです。鳶色(とびいろ)の魔法使いが監視のためにエスタテト峠に派遣されましたし、アリアン殿も引き続き峠を見張っておいでですが、どちらからも異常の報告はないそうです。エスタ城やエスタ国王に関しても、新たな情報は入ってきていません」
ふむ、とワルラ将軍は考え込みました。
「飛竜部隊が動き出す気配はまだないというわけか。セイロスめ、本気でエスタ国内に足がかりを作るつもりでいるな。ユギル殿はエスタ王を探し続けているだろうが、誘拐した犯人がセイロスとなると、簡単には見つけられんだろう。やはりジャーガ伯爵を捕まえて白状させるのが近道か――。で、勇者殿たちはどうした? 城に戻ったか?」
「いえ、それが……」
魔法使いの急に口ごもったので、横で聞いていたジャックはひそかに舌打ちしました。フルートが総司令官の役目をオリバンに押しつけて、仲間たちと単独行動に出てしまったことは、ワルラ部隊にも伝わっていたのです。
将軍も引き上げた面おおいの下で、渋い顔をしていました。
「勇者殿にも困ったものだ。よもや我々より先にカルティーナへ飛んで、ジャーガ伯爵を締め上げているのではあるまいな。そんなことをしたら、それこそ向こうの思うつぼだぞ」
「いや、まさかそれはならさらないでしょう。勇者殿は分別のある方ですから」
とガスト副官が取りなすように言いましたが、ジャックは心の中で、どうかな、とつぶやいていました。頭はいいし常識もあるように見えるフルートですが、こうと思い込むと、誰もが驚くような行動に出ることを、幼なじみの彼はよく知っていたからです。
そのあたりのことはワルラ将軍も承知しているようで、気がかりそうな表情は消えませんでした。
「まったく。今頃どこで何をしているのやら」
と将軍が空を振り仰いだので、ジャックもつられて空を見上げます。
冬間近の空はよく晴れていて、青空に白い雲が光っていました。綿の塊のような雲の間に、長い筋を引いた雲もたなびいています。
まるで風の犬みたいじゃねえか、とジャックは心の中でまたつぶやきました。フルートも今頃風の犬になったポチやルルに乗って、空のどこかを飛んでいるのかもしれません。将軍たちにあんまり心配かけるんじゃねえ! と筋引く雲に文句のひとつも言いたくなります。
すると、筋雲がすぅっと動いたような気がしました。
ジャックが目を丸くして見つめると、筋雲がまた思いがけない方向へ動きます。
ジャックは雲へ目をこらし、突然大声を上げました。
「いた! あいつらだ!」
筋雲の上に、かすかに人影が見えたのです。
とたんに筋雲が大きく向きを変えました。空の上から離れるように急降下を始め、みるみるこちらに近づいてきます。
それは確かにフルートとゼンを乗せたポチでした――。
風の犬が街道脇の休耕地に着地すると、あたりに土埃まじりの風が巻き起こりました。風がぴたりとやんで土埃が収まると、小犬の姿に戻ったポチとフルートとゼンが現れます。
「勇者殿!」
とワルラ将軍が馬を走らせようとすると、それより早くジャックの馬が飛び出しました。
「ジャック」
フルートは駆け寄ってきた幼なじみへ笑いかけました。成長してもう少女には見えなくなったフルートですが、金の兜からのぞく顔は相変わらずとても優しげです。
「よう、久しぶりだな」
とゼンもジャックに言いました。こちらはジャックに負けないほどふてぶてしい顔で、懐かしそうに笑っています。ポチも嬉しそうに尻尾を振っています。
ジャックは馬から飛び降り、呑気そうな一行をどなりつけました。
「久しぶり、じゃねえ! おまえら今までどこで何をしていた!? ロムド城じゃ、おまえらがいなくなったんで大騒ぎになってるんだぞ!」
フルートは目を丸くしました。
「ぼくはオリバンに総指揮官を頼んできたんだ。ぼくたちがいなくても困らないはずだよ」
「ワン、今はまだセイロスや飛竜部隊もロムドに攻めていってないはずですしね」
とポチも言います。
なんだとぉ!? とジャックがまたどなろうとしたところへ、ワルラ将軍がガスト副官と一緒にやってきました。
将軍が馬から降りながら厳しい声を出します。
「作戦行動を部下に伝えないまま指揮官が本陣を離れるのは規約違反ですぞ、勇者殿。これまでどこで何をされていました」
フルートは老将軍へ頭を下げました。
「ご心配をおかけしてすみません。実は仲間たちと一緒に、エスタ国の皇太子の救出保護にあたっていました」
「エスタの皇太子の? だが、皇太子はエスタ城にいるはず――」
と将軍が言いかけると、ジャックがまたフルートをどなりつけました。
「てめぇ、やっぱりカルティーナに行ってやがったな!? 行くんじゃねえって将軍たちに止められたっていうのに! いつもいつも勝手なことばかりしやがって!」
ジャックの拳がフルートへ飛んだので、居合わせた人々は、はっとしました。
「ジャック!!」
ワルラ将軍とガスト副官が制止しようとしますが間に合いません。
すると、フルートが動きました。体を反転させながら拳をかわすと、後ろ向きに間合いを詰めてジャックの腕を捕まえたのです。次の瞬間にはジャックの脚に脚をかけ、勢いを利用して投げ飛ばしてしまいます。
ガシャン!!
ジャックの巨体が音を立てて転がったので、人々はのけぞって驚きました。
「よぉし、体落(たいおとし)! 決まったぜ!」
とゼンが言います。
地面にたたきつけられて動けなくなったジャックを、ポチがのぞき込みました。
「ワン、フルートを殴ろうとしても無理ですよ。もう昔のフルートじゃないんだから」
「うるせえ!」
とジャックはどなり返し、とたんに背中が痛んでうめきました。
と、その痛みが急にひいていきます。
ジャックが驚いて目を開けると、フルートが金の石のペンダントを彼に押し当てていました。目が合うと、すまなそうに笑って言います。
「ごめん、つい体が動いちゃったんだよ」
ジャックは苦虫をかみつぶしたような顔になると、ペンダントごとフルートを押しのけて起き上がりました。
「本当に、とことんやな野郎だぜ、てめぇは!」
懐かしい口癖が飛び出してきます。
すると、ガスト副官が言いました。
「下がれ、ジャック。将軍が勇者殿とお話し中だったのだぞ」
上官の命令にジャックはすごすごと引き下がりました。代わりにワルラ将軍がフルートの前へやってきて言います。
「幼なじみとは言え、わしの部下が大変失礼をしました、勇者殿」
「いえ、こちらこそ説明が不充分ですみませんでした。ぼくたちはエスタ城に行って、皇太子と皇太子のお母さんを助け出しましたが、ジャーガ伯爵に手を出したわけではないんです。ただ、エスタ王が誘拐されたことと、皇太子を保護したことを、カルティーナ中に知らせました。そうしたら、ジャーガ伯爵は兵をまとめて一目散に退却していったんです」
フルートの話にワルラ将軍もガスト副官も、ジャックも驚きました。
「退却した? エスタ王が誘拐されたことを知らせたというのに、ジャーガ伯爵はカルティーナの包囲をあきらめたのですか。それはまた何故?」
「ぼくがオグリューベン公爵と一緒にエスタ王を救出すると宣言して、エスタの領主たちに協力を呼びかけたからです。そうしたら、伯爵は大慌てで逃げてきました」
それでもジャックは理由がよくわかりませんでしたが、副官と将軍はうなずき合いました。
「伯爵は先陣にされるのを恐れて逃げ出したようですね」
「セイロスに刃を向けては命がなくなると考えたのだろう。奴がセイロスとつながっているのは間違いないな」
「それで、将軍たちにお願いにあがったんです」
とフルートはまた言い、振り向いたワルラ将軍たちに話し続けました。
「ジャーガ伯爵がセイロスと共謀しているのは確実ですが、証拠がありません。伯爵は今朝、カルティーナから逃げ出しましたが、この後、どこかでセイロスと連絡を取り合うはずです。そこを捕まえて問いただし、エスタ王が監禁されている場所を突きとめてほしいんです」
「なるほど、そこは当初の予定通りというわけですか」
とワルラ将軍はうなずくと、すぐに部下たちに命じました。
「ガスト、ジャーガ伯爵の軍を追跡するために、ただちに騎馬隊を編制しろ。ジャックは近くの町に行ってエスタの地理に詳しい者を案内人に雇ってこい。伯爵が自分の領地に逃げ込む前に捕まえて、セイロスの居場所を白状させるのだ」
「了解!」
「承知しました!」
ガスト副官とジャックはすぐに別々の方向へ駆け出しました。副官は追跡隊を編成するために部隊長を招集し、ジャックは自分の馬に飛び乗って近くの町へ向かいます。
すると、フルートが呼びかけました。
「ジャック、道案内はエスタの東部に詳しい人を雇うといい! ジャーガ伯爵の領地は東部にあるんだ!」
「おう、わかった!」
ジャックは片手を突き上げながら馬で遠ざかっていきます――。
すると、ワルラ将軍がまた話しかけてきました。
「騎馬隊には伯爵を追跡させるとして、わしたち本隊はどうしたらよいでしょうな、勇者殿。わしたちが行くまでもなく、カルティーナは解放されてしまったわけですが」
「将軍たちは予定通りカルティーナに向かってください。エスタ城のシオン大隊長に、将軍がやってくることを伝えてあります。シオン隊長はとても心強いと言って喜んでいました」
それを聞いて、将軍はいかつい顔をほころばせました。
「勇者殿は各地を飛び回って、エスタ国内の陣営を整えていたようですな。先ほどは失礼なことを申し上げました、総司令官殿。ご命令は確かに承りましたぞ」
老将軍が分厚い胸に拳を押し当てて敬礼したので、フルートも頭を下げました。
「よろしくお願いします」
話が決まったので、ポチは風の犬に変身しました。休耕地にまた風がわき起こります。
「勇者殿たちはどちらへ? エスタ城ですか?」
と将軍に訊かれて、フルートは答えました。
「オグリューベン公爵の居城のヴィルド城です。なにしろぼくたちは公爵と協力関係を結んでますから」
「ワン、公爵はエスタ皇太子のお母さんの叔父さんなんですよ」
「皇太子たちを保護してやったら、その後、急に渋りやがったから、フルートが強制的に仲間に引き込んだんだ」
とポチとゼンも口々に言います。
将軍はまた目を丸くすると、すぐに、はっはっと声をあげて笑い出しました。
「相変わらず勇者殿は策士ですな」
「ぼくは金の石の勇者です。策士でも軍師でもありません」
とフルートは生真面目に答えると、ゼンと一緒にポチに乗りました。土埃を巻き上げながら空に舞い上がっていきます。
ワルラ将軍はそれを見送りましたが、そのときになってようやく、勇者の少女たちが一緒にいなかったことに気がつきました。
「勇者殿たちも主力部隊と別動部隊に別れているようだな」
灰白のひげを撫でながらそんなことをつぶやいた老将軍でした――。