エスタ国で三番目の勢力を誇るオグリューベン公爵は、武人のような体格をした中年の男性でした。
大きな体に仕立てのよい服を着込み、髪を綺麗に刈り揃えて、こざっぱりした格好をしていますが、その表情はさえません。椅子に座って、手にした文書を読んでいたのです。やがてそれを膝に置くと頭を抱えてしまいます。
公爵の部屋には他に人はいませんでした。手の込んだ刺繍のタペストリーを飾った壁には暖炉があって、薪がはじけながら燃えています。
やがて、公爵はうめくようにつぶやきました。
「そんな馬鹿な……ありえん」
言ってから、自分の声に驚いたように頭を上げて周囲を見回し、相変わらず誰もいないことを確かめると溜息をつきます。
やがて、公爵は立ち上がると、のろのろと暖炉まで歩いていって、文書を火の中に放り込んでしまいました。薄い羊皮紙が炎に包まれて燃え尽きるまで、じっと見つめ続けます――。
すると、背後からいきなり誰かが言いました。
「なんだよ、今の? 手紙か?」
「燃やしちゃうなんて、よっぽどまずいことが書いてあったのかい?」
まだ若い男女の声です。
オグリューベン公爵は飛び上がり、部屋の中に四人の少年少女が立っているのを見て、また仰天しました。いつの間に入ってきたのか、まるで気づかなかったのです。少女たちは丸腰ですが、少年たちは防具を着けて剣や弓矢を身につけていました。おまけに二匹の犬まで足元にいます。
くせ者だ!! と公爵が声を上げようとすると、それより早く二人の少年が動きました。青い胸当ての少年が公爵を抱きかかえ、金の鎧兜の少年が公爵の口をふさぎます。すると、公爵は動くことも声を出すこともできなくなってしまいました。胸当ての少年は驚くほど力が強くて、大人の公爵でも振りほどくことができません。
目を白黒させる公爵に、鎧兜の少年が言いました。
「無断で侵入してすみません。ぼくたちは危害を加えたりはしないので、安心してください。騒がずに話を聞いてほしいだけなんです。ぼくは金の石の勇者のフルート。ここにいるのは、ぼくの仲間たちです」
公爵は目をむき、まじまじと相手を見ました。彼がうなるのをやめたので、少年のほうでも手を放します――が、胸当ての少年はまだ公爵を抱きかかえたままでした。二人の少女と二匹の犬は、そんな彼らを見守っています。
公爵は一行をにらんで言いました。
「おまえたちが金の石の勇者だと? そんなはずはない! 彼らはもっと小さな子どもだ!」
「あれ、公爵は金の石の勇者を見たことがあるんだ」
と背の高いほうの少女が言いました。女だというのに、ドレスやスカートの代わりに半ズボンをはいて、薄い布をショールのように肩に絡めています。
「いったいいつの話だよ? ひょっとして、風の犬の戦いのときか?」
と胸当ての少年は舌打ちしています。
金の鎧兜の少年がまた言いました。
「ぼくたちは本当に金の石の勇者の一行です。前回ぼくたちがエスタに来たのは四年も前のことですよ」
「ワン、フルートもゼンもあのときにはまだ十二歳でしたからね」
と白い小犬が人のことばを話したので、うわっと公爵は抱えられた格好でまた飛び上がろうとしました。
「あら、なぁに? どうしてポチが話すと驚くのよ?」
と茶色い雌犬も人のことばを話し、白い小犬がそれに答えました。
「ワン、エスタにはもの言う動物が苦手な人が多いんだよ。闇の怪物を極端に嫌う人が大勢いるし、怪物はよく人のことばを話すからね」
「やぁだ、失礼しちゃうわね! 闇の怪物と私たちを一緒にしないでほしいわ!」
と雌犬はぷりぷりします。
鎧兜の少年は歳に似合わない落ち着いた口調で公爵に話し続けました。
「金の石の勇者の一行は、二人の少年と二人の少女、それに二匹のもの言う犬たち。そういう話は聞いていらっしゃいますよね? ぼくたちは本物です。あなたと内密の話がしたくて、彼女の魔法でここに来ました」
と赤いお下げ髪の小柄な少女を示します。とたんに彼女の服装が変わっていきました。青い上着に白い乗馬ズボン、薄手のマントという服装が、星のきらめきを抱いた黒い長衣になります。
とたんに公爵も、ああ、と言いました。その姿に見覚えがあったので、ようやく彼らが本物だと納得がいったのです――。
ゼンから解放された公爵は、しびれた腕をさすりながら言いました。
「それで? 金の石の勇者たちが私になんの用だ」
するとフルートは暖炉を指さしました。
「たぶん、あれに書かれていた内容に関係していると思います。あれはエスタ城からの緊急の知らせだったんじゃありませんか?」
オグリューベン公爵は、ぎくりとしました。そのまま口をつぐんでしまったので、メールが言いました。
「隠す必要なんてないさ。エスタ王がセイロスに誘拐されたってことは、もうロムド城にも伝わってきてるんだからさ」
公爵はまた驚き、暖炉の中を見ました。先ほど彼が火にくべた羊皮紙は、燃え尽きて灰になっています。
フルートは話し続けました。
「エスタ城の鍛冶屋の長のピランさんが、ロムド城まで矢に乗って飛んできて、エスタの危機を知らせてくれました。カルティーナの都はジャーガ伯爵という人の軍隊で包囲されているそうです。ロムドからは間もなく国王軍が出動することになっています」
「そ、そうか」
と公爵はようやく返事をすると、安堵の溜息をつきました。先程まで座っていた椅子に座り直して言います。
「あの手紙はエスタ城にいる姪が鳩の脚につけてよこしたものだ。今、君が言ったようなことが書かれていたが――そうか、ロムドが陛下の救出に兵を派遣してくれるか」
「ジャーガ伯爵はエスタ王を誘拐したセイロスと手を組んでいるようです。ワルラ将軍はカルティーナを解放した後、ジャーガ伯爵からエスタ王の居場所を聞き出すつもりです」
とフルートが言うと、公爵は驚きました。
「大陸に名高いロムドの大将軍が来てくれるというのか!? なんとありがたいことだ!」
公爵がとても感激しているので、ルルは面白くない顔になりました。
「ワルラ将軍より先に私たちがエスタに来たのよ? 私たちにはありがたく思わないわけ?」
そんなひとりごとをポチが聞きつけて苦笑します。
フルートは話し続けました。
「ジャーガ伯爵はワルラ将軍とロムド軍に任せておけますが、エスタ城にいらっしゃる皇太子のことが心配です。この状況では誰かに命を狙われるかもしれないし、セイロスがまた城に侵入して皇太子まで誘拐していくかもしれません。一刻も早く手を打たなくちゃいけないと思ったので、ぼくたちがやってきたんです」
「では、勇者たちは皇太子殿下を救出すると?」
「そうです。皇太子をエスタ城から助け出してきます。そして、あなたの城に保護してほしいんです」
ところが、フルートがそう言ったとたん、オグリューベン公爵は予想外の反応をしました。
エスタの皇太子は公爵の姪の子どもで、公爵とは親戚関係にあります。公爵の今の勢力は皇太子のおかげなのですから、フルートたちが皇太子を助けると言えば大喜びで協力するだろうと思っていたのですが、意外にも彼は考え込んでしまったのです。とまどうフルートたちを前に、かなり長い間、何も言わなくなってしまいます。
と、公爵はちらりとまた暖炉のほうを見ました。その様子に、くん、とポチが鼻を動かします――。
やがて、公爵は思いきったように言いました。
「そうだな。君たちの言う通りだ。皇太子殿下を野心にまみれた薄汚い者どもから守らなくては。だが、私のこの城は殿下をかくまうにはあまり適当ではない。殿下の命を狙う領主たちにすぐに見つけられてしまうだろう。私の領地の南にアーペン城という出城(でじろ)がある。守りの堅い砦だから、そこならば殿下を安全に保護できるだろう」
フルートはうなずきました。
「アーペン城ですね。わかりました。皇太子をそこへお連れします」
「感謝する。それから、君たちにもうひとつ頼みがあるのだが」
「ぼくたちにできることで、状況に不利になるようなことでなければお引き受けします。なんでしょう?」
「エスタ城にいる姪も一緒に助け出してほしい。姪は皇太子殿下の母親だ。名はブリジットという。母親と子は引き離すべきではない。ぜひ殿下と一緒に姪も助け出して、アーペン城に連れていってほしいのだ――」
と公爵は熱心に話し続けました。膝の上の両手を握り合わせたり離したりしています。
ポチがまた、くんくん、と鼻を鳴らして首をかしげましたが、フルートは言いました。
「わかりました。皇太子のお母さんも一緒に助け出してきましょう。アーペン城の場所を教えてください」
「いいとも、喜んで!」
ここに来てようやく公爵は笑顔になると、椅子から跳ね起き、地図を持ってこさせるために召使いを呼びました――。
「ワン、公爵はぼくたちに何か隠してますよ。そんな匂いがしました」
オグリューベン公爵の城を飛び立って再び空に戻ると、ポチはすぐにそう言いました。今はもう明るいので、地上から見つけられないように雲の上を飛んでいます。
フルートはうなずきました。
「そんな感じだったな。ぼくたちが皇太子を助けに行くことと、それ以外の何かを比べて、ぼくたちと手を組むほうが得になると判断したんだ」
公爵と快く協力の約束をしたように見えたフルートですが、ちゃんと公爵の不自然さには気づいていたのです。
「何かって何さ? 皇太子を助けてもらうことより大事なことってあるわけ?」
「俺たちはちゃんと皇太子の母ちゃんまで助け出す約束をしただろうが」
とメールとゼンに言われて、フルートは今度は首を振りました。
「それは今はわからないよ。でも、エスタ王を助け出すためにも、エスタを同盟に引き留めるためにも、どうしても公爵の協力は必要だからな。あえて詮索はしなかったんだ」
ルルは顔をしかめました。
「ほんとにやぁねぇ。王室が絡むと、どうしてこうわけがわからなくなるのかしら」
「王のいるところに国中の権力が集中するからさ。出世して偉くなったり金持ちになったりしたい人が大勢集まっているんだ」
とたんにメールとゼンは肩をすくめました。
「そんなことのために人をだましたり殺そうとしたりするわけだろ? どうして人間ってそうなのさ」
「まったくだ。毎日お天道さんの下で元気に動けて、食うものがちゃんと手に入って、自分の好きな連中と一緒にいられたら、他にどんな大事なことがあるっていうんだよ? そんな簡単なこともわかんねえんだから、まったく人間は馬鹿だぜ」
相変わらず彼らは人間に辛辣(しんらつ)です。
フルートは思わず苦笑すると、人間を擁護する代わりに話題を変えました。
「そういえば、ポポロはさっき公爵の城に侵入するときに、姿隠しの肩掛けを使うのを渋ったよね。だから魔法を使ってもらったんだけど。肩掛けがどうかしたのかい?」
「え、あ、うん……」
ポポロはちょっと口ごもると、肩からさげている小さな鞄を引き寄せました。中には魔法の肩掛けがしまってあります。
「肩掛けがね、傷んできたみたいなの……」
「傷んできた!?」
仲間たちはいっせいに聞き返しました。
ヒムカシの国のオシラが織った魔法の肩掛けは、ポポロが身につけると彼女が見えなくなるだけでなく、ポポロに触れたり手をつないだりした人の姿まで隠してくれる便利な道具でした。今までも、それを利用してずいぶんいろいろなことをしてきたのです。
ポポロは困ったような顔で話し続けました。
「端からほつれてきてるのよ……。もらってからずいぶんたつし、手荒に扱うこともあったから、魔法がほつれて織り目までほどけてきたようなの。直せるものなら直したいんだけど、オシラの魔法で作られてるから、あたしの魔法では修繕できないのよ」
「ワン、ヒムカシに行ってオシラに直してもらうしかないってことですか」
とポチは言いましたが、ヒムカシは東のはるか彼方にある島国なので、ちょっと飛んでいって直してもらってくる――というわけにはいきませんでした。
「まだ使えそうかい?」
とフルートは尋ねました。
「肩掛けを出すたびに魔法がほつれて織り目が切れるのよ。たぶん、あと二、三回が限度だと思うわ……」
「たったそれだけ!?」
と仲間たちがまた驚いたので、ポポロは自分が悪いことをしたようにうなだれました。ごめんなさい、と涙ぐみます。
そんな彼女をフルートは抱き寄せました。
「ポポロのせいじゃないさ。なんにでも寿命があるってだけのことだ。ただ、残り回数がそれだけになっているなら、よくよく考えて使わなくちゃならないな。肩掛けで姿を隠して皇太子を助け出すつもりだったんだが、作戦変更だ」
思い通りにいかないことがあっても、決してあきらめないのが勇者の一行です。彼らは夜空を飛びながら、皇太子の救出方法について相談を始めました──。