「エスタ国で一番の勢力と言えば、なんと言っても、国王陛下を頂点とするグループです」
トーラがそう言いながら指を振ると、一番長い蝋燭がエスタ王の姿に変わりました。でっぷりと太った中年の男性で、立派な服に身を包み、手には真実の錫(しゃく)を持っています。一見すると気がよくて優柔不断そうなおじさんという印象なのですが、実際には大国の王としての実力を持つ人物でした。今はセイロスに誘拐されて行方不明になっています。
思わずそれを見つめてしまったフルートたちに、トーラは言いました。
「当然のことですが、国王陛下と陛下に付き従う領主たちの勢力は、国内で最大です。人数も多いので、軍事力も財力も他の勢力を大きく引き離しています。それもこれも陛下が国の頂点に立ち、真実の錫の力も使って諸領主たちを治めていらっしゃるからなのですが、その陛下が誘拐されたとなると、国内の勢力関係は変わってしまうかもしれません」
心配するようなトーラの声と共に、エスタ王の姿がゆらりと揺れて、蝋燭に戻っていきました。
トーラがまた燭台に指を振ると、今度は二番目に長い蝋燭が揺れて、黒髪に黒い瞳の痩せた男に変わりました。鋭い目つきでこちらを見ています。
トーラは話し続けました。
「エスタで次に大きな勢力を持っているのは、このウンノ伯爵を筆頭とする一派です。以前は三番手のグループだったのですが、四年ほど前から人数が増えて、今では国王陛下に次ぐ実力者になっています。王弟エラード公の一派が王位転覆を謀った罪で処罰されたので、繰り上がって二番手になったのです。本心ではもっともっと勢力を伸ばしたいと考えているはずですが、陛下が持つ錫の力が怖いので、表面では陛下の従順な家臣という態度をとっています」
それを聞いてゼンは顔をしかめ、メールは、ああ、やだやだ! と声をあげました。裏表を持たない自然の民の彼らには、人間のこういう態度はとても受け入れられないのです。
「三番目の勢力は誰? 王の弟のエラード公って人?」
とルルが尋ねました。ルルやポチは背が低くて床からでは蝋燭が見えないので、椅子に飛び乗ってテーブルに前脚をかけています。
トーラは首を振りました。
「三番手はオグリューベン公爵が率いる一派です。オグリューベン公爵は皇太子殿下の母君の叔父に当たる方で、殿下が誕生してから勢力を伸ばしてきています」
三本目の蝋燭が中年の男性に変わりました。武人と言ってもいいような体つきをしていて、見事な剣を腰に下げています。
さらに四本目の蝋燭も男性に変わりました。こちらは小柄な老人で、丸い眼鏡の奥から狡猾そうにこちらを見ています。
「四番手はこのスー公爵です。スー公爵は王家の血筋ですが、遠縁なので王位継承権はありません。昨年、自分の孫娘を陛下の側室に送り込みました。王子が生まれたら皇太子にして、自分はその後ろ盾になって実権を握ろうと企んでいると、もっぱらの噂です」
「王子が生まれたら皇太子にする? でも、エスタ王にはもう皇太子がいるんでしょう?」
とルルが不思議がると、ポチが答えました。
「ワン、スー公は皇太子の暗殺も企んでいるってことだよ。王室にはよくある話さ」
「なによ、それ! とんでもない話じゃない!」
とルルがあきれます。
すると、フルートが首をひねりました。
「エスタには皇太子が誕生していたんですね。知りませんでした。エスタ王には跡継ぎがなかったために弟に王位を狙われていたから、今も皇太子はいないんだとばかり思っていました」
「皇太子殿下の母君は、お后ではなく側室なのです。殿下は今四歳です。陛下にはお后がいらっしゃるし、側室も大勢いるのですが、何故か生まれてくるのは王女ばかりで、長らく跡継ぎの王子に恵まれませんでした。エラード公が闇魔法使いに呪いをかけさせて、王子が生まれないようにしているのだろう、という噂もあったほどです。陛下がエラード公を排斥して間もなく王子が誕生したのですから、噂は本当だったのかもしれません」
「エスタ王が天空王様からいただいた真実の錫には、聖なる力があるわ。もしかしたら、その力が呪いを破ったのかも」
とポポロが言いました。
二本の蝋燭が同時に揺れて、オグリューベン公爵とスー公爵の姿が消えていきます。
「そして、五番手の勢力が、陛下の弟のエラード公の一派です」
とトーラが指を振ると、最後の一本から中年の男性の姿が浮かび上がってきました。エスタ王と同じ灰色の瞳をしていますが、もっと引きしまった顔と体つきをして、立派な服を着ています。顔だちは王族らしく上品なのですが、にらむような目つきをしているので、印象はあまり良くありません。
とたんにゼンがどなりました。
「この野郎は忘れたくても忘れられねえぞ! 俺たちに刺客を差し向けたり、偽の金の石の勇者を送り込んだりしてきたんだからな!」
「ワン、風の犬の戦いのときのことですよね。フルートもゼンもぼくも、危なく本当に殺されるところだったんだ」
とポチが言うと、メールは肩をすくめました。
「あたいとルルは直接には知らないよ。あたいたちが仲間に入る前の事件だもん」
「私は関わっていたんだけどね……。覚えていないわ」
とルルがしょんぼりしたので、ポチはその顔をなめて慰めました。事件を引き起こした風の犬の中に、魔王に操られたルルもいたのです。
フルートがトーラに尋ねました。
「エラード公の一派が処罰されたというのはさっき聞きましたが、エラード公自身はどうなったんですか? 今はどこにいるんです?」
「ワン、そういえば、エラード公はエスタ王の真実の錫に罰せられて豚になったとか、ものすごい年寄りになってしまったとか、もっぱらの噂でしたよね。本当のところはどうなんですか?」
とポチも尋ねます。
トーラは苦笑しました。
「それは単なる噂です。エラード公は北の辺境のウフマンにある牢獄に投獄されました。一度入ったら二度と生きて出ることができない場所です」
エラード公も揺れて蝋燭に戻って行きます──。
フルートは考えながら言いました。
「ということは、エラード公が王族として戻ってくることはありえないんですね。エラード派の領主たちの権利が復活する望みもない。だから、エラード派のジャーガ伯爵はセイロスと手を組むことにしたのか」
とたんにメールとゼンとルルが騒ぎ出しました。
「そんなことしたって権利復活なんかありえないだろ! 相手はセイロスだよ!?」
「おう、使うだけ使われて、ボロ雑巾みたいに捨てられるに決まってらぁ!」
「そんなこともわからないで、目先の欲だけで悪魔と手を組むなんて、馬鹿としか言いようないわね!」
フルートは手を振って仲間たちをなだめると、改めてトーラに言いました。
「やっぱりジャーガ伯爵と同じエラード派の領主たちは、セイロスの陣営に寝返る危険性がありそうですね。他の領主たちはどうでしょう?」
「二番手のウンノ伯爵も敵に寝返る可能性があります。先ほども話した通り、伯爵が国王陛下に忠誠を誓っていたのは、陛下が持つ真実の錫が恐ろしかったからです。陛下がセイロスに捕まったと知ったら、喜んでセイロスに協力して、陛下を亡き者にしようとするかもしれません」
胸の悪くなるような話です。
「そういえば四年前に偽勇者を送り込んだ人がもうひとりいましたよね。オーダの雇い主だった人です。名前は確か……」
「デルフォン卿ですね。卿も確かに領主の一人ですが、問題外です。彼はもともと国王派で、しかもかなり下のほうの地位だったので、国王陛下に認められたくて偽の金の石の勇者を送り込んだりしたのです。それがばれたので、陛下から更迭(こうてつ)されてしまいました。今は田舎の領地に引っ込んで、ひっそり隠居生活を送っています。兵力も財力もほとんどないので、セイロスに荷担することはできません」
「そうですか──。だけど、他の国王派の領主たちは、エスタ王を人質として前面に出されたら、セイロスに協力するかもしれませんよね? エスタ王を殺されるわけにはいかないんだから」
それを聞いて、仲間たちはまた騒ぎ出しました。
「それじゃ、エラード派、ウンノ派、国王派の領主たちが全部セイロス側に寝返るっていうのかい!?」
「やだ、領主の半分以上じゃないの!」
「ワン、そんなことになったら、あっという間にエスタとロムドの間で大戦争ですよ!」
「だから、陛下たちはぼくたちにエスタへ行くなと言ったんだよ。もしもエスタ王がジャーガ伯爵のところに捕まっていなかったら、エラード派の領主たちはいっせいにぼくたちに反発するし、エスタ王が誘拐されていることも公になって、領主たちの離反を招くかもしれないんだから──」
とフルートは言って拳を口元にあてました。どうしたら良いのか考え始めたのです。
仲間たちは顔を見合わせ、名案が浮かばないのでまたフルートを見ました。彼が何か思いつくのを期待して見守ります。
すると、フルートがふと気づいたようにトーラに尋ねました。
「エスタの皇太子は、今どこにいるんですか? エスタ城にはいないんですか?」
「いいえ、殿下は陛下と一緒にエスタ城にお住まいです」
とトーラは答えました。それが何か? と言いたそうな顔をしています。
一方、フルートも意外そうな顔で考え込んでいました。
「エスタ王は誘拐されたけれど、皇太子までさらわれたという話は聞かなかったよな……どうして……」
他の仲間たちは、フルートが何を疑問に思っているのかわからなくて、きょとんとしてしまいます。
すると、フルートはますます関係なさそうなことを言い始めました。
「三番手の勢力で、皇太子の親族に当たっているのは、オグリューベン公爵でしたよね? 公爵はどこにいますか?」
トーラは目を丸くしました。
「オグリューベン公ですか? たぶん、自分の城においでだと思いますが……」
「その城の名前は?」
「ヴィルド城です」
仲間たちはいっせいにフルートを取り囲みました。
「そんなこと確かめてどうするつもりさ、フルート?」
「行くのか、エスタに!?」
「でも、私たちがエスタに行ったらまずいんでしょう?」
と口々に質問を浴びせます。
フルートは手を挙げて仲間たちを落ち着かせました。
「ぼくたちが行っちゃまずいのは、カルティーナを取り囲んでいるジャーガ伯爵のところだよ。そこにさえ手を出さなければ大丈夫なんだ」
ポチは耳をピンと立てました。
「ワン、もしかして、オグリューベン公爵って人に、エスタ王救出の協力を頼むつもりですか?」
「でも、そんなに簡単に協力してもらえる? エスタ王が誘拐されたことって、まだ秘密になっているんでしょう……?」
とポポロが心配そうに言います。
「違う。ぼくたちは皇太子を守りに行くんだよ」
とフルートは答えると、ますますわけのわからない顔になった仲間たちを見回しました――。