小一時間後。
レオンたちは天空の国へ、勇者の一行はロムド国へ戻っていき、ペルラも渦王に東の大海へ送られていったので、海上からは人影が消えていました。
魔法の出口を消した反動で大荒れになった海はすっかり鎮まり、今はもうゆったりと波を揺らすだけになっていました。白い雲を浮かべた空が広がり、水平線で海と手をつなぎ合っています。本当に、何事もなかったような穏やかな景色です。
すると、海上に広がる青空の一カ所に、急に白い縦筋が走りました。筋の中から人の両手の指が出てきて、まるでカーテンを押し開けるように、空を左右へ開いてしまいます。
その隙間から頭を出したのは、なんと幽霊のランジュールでした。透き通った頭を突き出してきょろきょろと周囲を見回し、空にも海にも誰もいないことを確かめると、安心した顔になります。
「どぉやら、みんないなくなったみたいだねぇ。どれ、よっこいしょっと」
ランジュールはかけ声と共に空をもっと大きく開き、隙間から外へ出てきました。その体はもう飛竜とは合体していませんでした。白い長い上着をはおった青年の姿です。彼がすっかり出てくると、空はまたくっつき合って、元の青空になってしまいました。
やれやれ、とランジュールは溜息をつくと、海風に乗って空を漂い始めました。
「ほぉんと、危なかったよねぇ。あのお人形さんったら、めーないちゃんを捕まえてものすごい力で引っ張るんだからさぁ。あぁ、かわいそぉなボクのめーないちゃん。お人形さんとあっちで二人きりになっちゃった――」
ランジュールはどこからか白いハンカチを取り出すと、目に当ててさめざめと泣き出しました。魔法の出口を引き戻されて行く瞬間、彼は飛竜の体を捨てて脱出していたのです。
そこへ幽霊蜘蛛のアーラが現れました。ランジュールの肩の上から、話しかけるようにチチッと鳴きます。
ランジュールはたちまちハンカチを放り出しました。
「えぇ? めーないちゃんを助けに行くのかってぇ? そぉんなのムリムリ、ぜぇったいムリ! ボクにはあの空間に行く力はないしぃ、行ったら戻れなくなっちゃうしぃ。しょぉがないから、めーないちゃんにはあっちでお人形さんと留守番しててもらおうねぇ。そぉれぇにぃ――」
嘘泣きをしていたランジュールの顔に、急になんとも言えない笑いが浮かびました。
「あの魔法使いのお嬢ちゃんのステキな秘密があるもんねぇ。勇者くんたちは自分たちだけの秘密にするつもりでいたけど、そぉは問屋が卸さないんだなぁ。こぉんな面白そうな話、内緒にしてたらぜぇったいにつまらないもんねぇ。うふふふふ……」
残酷と非情と陽気さが入り混じった笑い声が、海の上に響きます。
アーラは首をかしげるように体を傾けて、チ、とまた鳴きました。
とたんにランジュールが笑うのをやめます。
「秘密をセイロスくんに教えるのかってぇ? うぅん、そぉだなぁ、どぉしよっかなぁ……」
と顔をしかめて迷い始めます。
「だぁってさぁ、セイロスくんってあの通りだよ。こっちがどんなに一生懸命協力してあげても、ありがとうも言わないで、威張って命令するだけだもんねぇ。ボクのかわいい魔獣たちは片っ端から使えなくしていくしさぁ。そのセイロスくんに親切に教えてあげるのって、なぁんか面白くないんだよねぇ」
チチチ。またアーラが鳴くと、ランジュールはますます渋い顔になりました。
「じゃぁ、どうするのかってぇ? うぅん、どぉしよっかなぁ。みんなをびっくりさせたいしぃ、勇者くんも困らせてあげたいしぃ、だけどセイロスくんを喜ばせたくはないしぃ……うぅん」
ランジュールは髪をかきむしりました。その拍子に前髪が揺れて、隠れていた右半分の顔がのぞきます。破魔矢に撃ち抜かれた右の眼窩では、目が現れたり消えたりを繰り返していました。セイロスに秘密を教えるかどうかを、本気で悩んでいるのです。
「どぉしよっかなぁ、どぉしよっかなぁ……ホントにホントにどぉしよっかなぁぁ……」
まるで歌うようなひとりごとを繰り返しながら、ランジュールは海風に吹かれて流されていきました。大蜘蛛のアーラも一緒です。
彼らの姿は海上を遠ざかっていき、やがて水平線の向こうに見えなくなってしまいました――。
The End
(2017年1月12日初稿/2020年5月7日最終修正)