ギャァギャアァァ……というすさまじい鳴き声に、フルートたちは耳をふさぎ、立ちすくんでいました。
鳴いているのは知らせ鳥の雛でした。あらかじめ定めてあった時が来たので、卵から孵って鳴き声を上げているのです。
「ワン、うるさい! 話ができませんよ!」
と耳をふさげないポチが頭を振ると、ビーラーが顔をしかめながら言いました。
「知らせ鳥はじきに鳴きやむよ。ちょっとの我慢なんだ――」
すると、本当に、ぴたりと雛が鳴きやみました。レオンの手の上に残っていた卵の殻に座り、灰色の頭で周囲を見回します。
と、その姿が薄れて崩れ始めました。あっという間に卵の殻ごと雛が消滅してしまいます。
驚くフルートたちに、レオンが言いました。
「魔法で作られた卵だからな。時間が来て雛が鳴けば、あとはもう役目は終わりなんだ」
すると、彼らの周囲をものすごい勢いで流れていた場面が、速度を落とし始めました。次第にゆっくり流れるようになり、やがて完全に停まります。
そこはまだパルバンでした。灰色の空と乾いた大地が広がり、風が音を立てて吹き抜けていきます。ただ、そこにはもう黒い塔もなければ、カザインやフラーもいませんでした。もちろん、エリーテ姫やハーピーもいません。
「俺たちは戻ってきたのか?」
とゼンが言いました。周囲は落ち着きましたが、彼自身は全然警戒を解いていません。
フルートはパルバンを見回し、近くにあった岩に歩み寄って手を伸ばしました。手が岩に触れずにすり抜けたので、ゼンもポチもビーラーも、はっと息を呑みます。
「戻ってないな。相変わらず、ぼくたちはパルバンとは別の空間にいるみたいだ」
とフルートが言うと、レオンも溜息をつきました。
「そうだ。ただ、時間の流れは落ち着いたようだな。これ以上、急激に時間が過ぎることはないだろう」
「ワン、じゃあ、時間は元に戻ったってことですか?」
「ああ、ぼくたちが元々いた時間にね。だから、時間もすごい勢いで流れるのをやめたんだ。理(ことわり)がぼくたちに一気に時間を返してきたんだろう」
レオンの説明に、うん? とゼンは腕組みしました。一生懸命頭をひねってから、確かめるように尋ねます。
「おい、元の時間に戻っても、ここはやっぱりパルバンだよな? てぇことは、ここにいると、相変わらず向こうの世界ではどんどん時間が過ぎるのか?」
「パルバンの動きが普通に見えているからには、そういうことになるな。こっちの一日はあっちの世界の一か月だ。早く戻らないと、また時間だけが過ぎることになる。だけど――」
そこまで言ってレオンが口ごもってしまったので、フルートがその後を続けました。
「さっきもレオンが話したとおり、別空間にいる限り、ぼくたちは闇大陸の入り口をくぐることができない。つまり、ぼくたちは元の世界に戻ることができないんだ」
ポチやゼンは飛び上がりました。
「ワン、帰れないんですか!?」
「おい、どうすんだよ、レオン!?」
レオンは仲間たちから目をそらしました。
「どうすることもできないよ。さっきから、この空間をパルバンに戻すことを試しているんだけれど、まったくだめだ。ぼくたちをパルバンから引き離しているのは理だし、理の力にはどんな魔法もかなわないんだから……。結局、ぼくたちは知ってはいけないことを知ってしまったのかもしれないな。だから、理がぼくたちをここに閉じ込めたのかもしれない」
「ワン、それじゃぼくたちは幽閉されたってことですか!?」
「元に戻れねえって言うのかよ!? 馬鹿言え! それじゃメールたちはどうなる!? ロムドや世界はどうするんだよ!?」
ポチやゼンに詰め寄られて、レオンはそれ以上何も言えなくなってしまいました。うつむいて唇をかみます。
すると、フルートがまた言いました。
「焦るな。まだ戻れないと決まったわけじゃない。考えて、なんとか脱出方法を見つけるんだ。ぼくたちが元に戻らなかったら、セイロスはまたロムドや世界に襲いかかる。ひょっとしたらポポロも――」
そこまで言って、フルートも黙り込みました。これ以上できないというほど真剣な顔で、じっと考え始めます。
ゼンたちも騒ぐことができなくなって、フルートを見つめました。ひどく長く感じられる時間が過ぎていきます……。
すると、ビーラーが急にぴんと耳を立てました。
しばらく頭を傾けてから、仲間たちへ言います。
「今、何か聞こえなかったかい? 誰かが呼んでいたような気がするんだけれど」
「ワン、ここは別空間ですよ?」
「誰かって、誰だよ?」
「そこまではよくわからないけれど――君たちには聞こえなかったのかい?」
ビーラーにそんなふうに言われて、ポチとゼンも耳を澄ましてみました。レオンも周囲へ聞き耳を立てます。別空間にいてもパルバンの音はそのまま聞こえていました。吹き抜ける風が荒野の砂や小石を吹き飛ばす、ぴしぱしという音が伝わってきます――。
すると、本当に声が聞こえてきました。誰かが遠くから彼らを呼んでいるのです。
「おぉい……おぉぉい……」
「誰だ!?」
と少年たちが周囲を見回したとたん、声がいきなり大きくなりました。
「やったぁ! やっと合流できたぁ! んもぉ、おぉいって呼んでるんだから、返事してくれなくちゃダメじゃないかぁ! キミたちって気が利かないんだからさぁ!」
文句と共に現れたのはポポロたちではなくランジュールでした。いつものように白い長い上着を着て、ふわふわと空中に浮いています。
少年たちはびっくり仰天しました。
「ワン、ランジュール!?」
「てめぇ、どうしてこんなところにいるんだよ!?」
「あれは幽霊? 君たちの知り合いなのか?」
ランジュールを初めて見たビーラーが驚いていると、レオンが言いました。
「ぼくは鏡の泉で奴を見たことがある。フルートやロムド皇太子の命を付け狙っている魔獣使いの幽霊だ。だが、本当に、どうしてここにいるんだ? いくら幽霊でも、こんな場所に自由に来ることはできないはずなのに」
うふん、とランジュールは笑いました。上着のポケットに透き通った手を突っ込むと、その格好でレオンたちに挨拶します。
「はじめましてぇ、天空の国の眼鏡くんとワンワンちゃん。といっても、ボクのほうではキミたちをずぅっと見ていたんだけどね。キミたちがボクに気づいてなかっただけでさぁ。うふふ、ボクは幽霊のランジュール。よろしくねぇ」
とたんにフルートは顔つきを変えました。
「ぼくたちをずっと見ていただと? いつからだ! どうやって!?」
ランジュールはくすくす笑いました。
「あらら、勇者くんったら怖い顔しちゃってぇ。そぉいう顔は男らしくなってきてるから、なかなかステキだよねぇ、ふふふ。いつからだってぇ? もちろん最初からだよぉ。キミたちが扉をくぐったところから、ずぅっと一緒にいたんだよねぇ。気がつかなかっただろぉ? ボクってやっぱり尾行の才能もあるよねぇ。うん、なにしろ幽霊だからさぁ……」
ランジュールは聞かれもしないことまで話し続けていましたが、フルートは険しい声でさえぎりました。
「ぼくたちと一緒に闇大陸に来ていたってことだな!? なんのために!? セイロスはどうした!?」
とたんにランジュールは笑うのをやめ、前髪からのぞく左目で、じろりとフルートを見下ろしました。
「あんなお馬鹿さんなおじいちゃんの話はしないでくれるぅ? ボクはセイロスくんとはもぉ縁を切ったんだからさぁ。皇太子くんたちから聞いてなかったぁ?」
「んな話、聞いても信じられるかよ!」
とゼンが割り込んでどなると、幽霊は不満そうに口を尖らせ、すぐに何かを思いついた顔になりました。
「そぉか、証拠がほしいよねぇ。ねぇねぇ、コレを見てくれるぅ? ボクがセイロスくんとホントに縁を切ったって証拠なんだけどさぁ」
そう言ってランジュールがかき上げたのは、自分の前髪でした。いつも隠していた顔の右半分があらわになります。そこには右目がありました。透き通った青い瞳が、糸のように細められたまぶたの間から、にぃっと笑いかけてきます――。
勇者の一行は驚きました。
「ワン、右目がある! どうして!?」
「てめぇ、確か右目はなかったはずだろうが! 魔法の矢に射抜かれてよ!」
「うん、そぉそぉ。破魔矢とか言う悪霊退治の矢だったから、傷がちっとも治らなくてさぁ。しかたないから前髪で隠していたんだけど、セイロスくんと縁を切って離れたら、いつの間にか治ってたんだよねぇ。これって、ボクが悪霊じゃなくなったってコトだよねぇ? ボクが清廉潔白、正義の幽霊になったって証拠なんだよ。どぉ? 信じてくれたぁ?」
けれども、フルートたちは思いきり疑わしい顔をしていました。これまでランジュールがしてきたことを考えれば、信じろと言うほうが無理な相談です。
とはいえ、右目が元に戻ったランジュールは、それだけで急に人間らしくなったように見えていました。姿は相変わらず半分透き通っていますが、確かに悪霊の仲間ではなくなったように感じられます。
少年たちが返事をしなかったので、ランジュールはまた口を尖らせました。
「ホントだったらぁ。ボクはねぇ、セイロスくんにいいように利用されるのが、つくづく嫌になったのさ。セイロスくんは強い魔獣もくれないしねぇ。仕返しに、ぎゃふんと言わせたくて、セイロスくんの秘密がありそうな場所で見張ってたら、キミたちが来て、扉をくぐってここに移動したから、ボクもついてきたってわけぇ。いやぁ、びっくりするような場所だったよねぇ、ここって。パルバンって言うのぉ? こんなところに、セイロスくんの宝物が隠されていたなんてさぁ――」
少年たちは、はっとしました。
フルートがどなるように聞き返します。
「おまえはここで何を見た!? 言え!」
うふふ、と幽霊は女のような声で笑いました。
「むきになるねぇ、勇者くん。そぉだよねぇ。セイロスくんの大事な大事な宝物だったお姫様が、あの魔法使いのお嬢ちゃんに生まれ変わってただなんて、世界中のだぁれも知らなかったんだものねぇ――もちろん、セイロスくんもね」
フルートは思わず背中の剣に手をかけました。赤い石をはめ込んだ柄を握ります。
それを見て、ランジュールはまた笑いました。
「うふふ、めっずらしぃ。勇者くんが殺気立ってるよぉ。うんうん、セイロスくんに知られちゃったら大変だもんねぇ。お嬢ちゃんの魔法がものすごかったのって、デビルドラゴンの力を持ってたせいなんだから。セイロスくんに欠けてたのって、その力だったんだよねぇ。この秘密を知ったら、きっとセイロスくんは血相変えてお嬢ちゃんを奪い返しにくるよねぇ――おぉっとぉ!」
炎の弾がうなりを上げて飛んできたので、ランジュールは空中で身をかわしました。抜き身の剣を握るフルートへわめきます。
「ちょぉっと、びっくりさせないでよぉ! 確かに幽霊は炎も平気だけどねぇ! ボクは繊細でデリケートなんだから、驚いた拍子に心臓が止まって死んじゃったりしたらどぉするつもりさぁ! どぉ責任とってくれるのぉ!?」
「幽霊のくせにもう一度死ぬのか?」
とビーラーは思わず聞き返しましたが、他の少年たちはランジュールの文句を完全に無視しました。
「おまえはその秘密をどうするつもりだ? セイロスに知らせるつもりか?」
とフルートは炎の剣を構え直して尋ねました。相変わらず怖いほどの殺気を放っているので、仲間たちは密かに驚いてしまいます。
うふふふ、とランジュールはまた笑いました。
「どぉしよぉねぇ? さっきも言ったとおり、ボクはセイロスくんと縁を切ったから、教えてあげる義理なんてないんだけどさぁ――でも」
幽霊の細い目が、いっそう細くなりました。きらりと剣呑(けんのん)な光を放ちます。
「セイロスくんが秘密を知ったら、きっと相当本気になるよねぇ。キミもだよねぇ、勇者くん。今だって、お嬢ちゃんをとられたくなくて、そんなに本気で怒ってるんだからさぁ。ふふふ、そぉなると、なかなか楽しそうなコトが起きそうなんじゃなぁいぃ? それを見るのも面白そぉでいいなぁ、なんて考えてるんだよねぇ。ふふふふ」
笑っているランジュールの右目が急に黒く染まり始めました。黒は眼窩(がんか)全体に広がり、やがて虚ろになっていきます。
ランジュールの右目は再び消えて、穴が開いているだけになっていました――。