エリーテ姫をカザインから守ろうとしたハーピーは、一同の目の前で姿を変えてしまいました。一対の黒い翼となって、姫が囚われている塔を抱きしめています。
フルートは混乱していました。強烈な既視感に目眩さえ覚えて立ちつくします。黒い塔を抱きしめる黒い翼――それは彼が以前パルバンで見た光景そのものでした。まさか……とつぶやいてしまいます。
エリーテ姫が囚われている塔は、強力な闇魔法に染まっているうえに、パルバンを吹く三の風にもさらされています。三の風と同じように、生き物を怪物に変えてしまう魔力を持っているのに違いありません。だからハーピーも塔に触れたとたん一対の翼などという姿になってしまったのです。
ただ、この姿は翼になったときのルルとまったく同じでした。大きさも形もほとんど違いがありません。翼の色だけが違っていて、目の前のハーピーは黒い翼ですが、ルルは白い翼です。
ということは……とフルートは考え続けました。
ハーピーが闇の塔や三の風で翼になるのだとしたら、ルルも元々はハーピーだったということになります。闇の大陸でパルバンを守っていたものが、何かの理由で三の風に吹かれて翼になってしまい、さらにどういうわけか天空の国へ行って、雌犬のルルになったのでしょう――。
けれども、そう考えようとするフルートの中で、もうひとりのフルートが厳しく言っていました。
そうじゃない! そうじゃないはずだ。現実を見ろ! と。
何かの理由とか、どういうわけかとか、そんな曖昧な経緯を想定しなくても、明快な答えがすでに目の前にあったのです。
今、フルートたちがいるのは、彼らが生きている時代から十六年ほどさかのぼった昔でした。それは、ルルがこの世に犬として生まれてきたのと、ほとんど同じ時期です。それに、これまでに何度も翼に変わってきたルルは、最初の頃は白ではなく闇のような黒い色をしていました。しかも、ここへ来るまでの間、フルートたちは翼の怪物を一度も見かけなかったのです。目の前のそれが世界で唯一の存在のように――。
塔の上で必死にエリーテ姫を抱く翼を、フルートは顔を歪めて見つめました。心の中でつぶやきます。
ルル、君なのかい? と……。
同じ光景を見上げながら、ゼンが言いました。
「おい、ハーピーが翼になったぞ!? しかも、これはフルートが見たって言ってたヤツじゃねえか! どういうことだよ!?」
驚いているだけなのですが、何故か怒っているような口調になっています。
「じゃあ、フルートが見た翼の正体はハーピーだったのか!? ハーピーはこの後もずっとエリーテ姫を守り続けているのか!」
とビーラーも驚いています。
ところが、ポチは翼を見上げながら頭を振りました。
「いいえ、きっと違います……。さっきレオンも言ったじゃないですか。フルートが見たのは大地の記憶かもしれないって。フルートはきっと、この場面を見ていたんですよ。だから……」
ポチはそれ以上続けることができませんでした。泣き出しそうな顔で、食い入るように翼を見つめます。
代わりにことばにして言ってくれたのはレオンでした。
「多分あれはルルだ。ルルの正体は、ぼくたちと一緒にいたあのハーピーだったんだよ」
ゼンとビーラーは目を見張り、フルートとポチは黙って翼を見つめ続けます――。
すると、重なる翼の下からエリーテ姫の声がしました。
「だめよ、ハーピー! 私から離れて!」
とたんに塔から強い光が広がり、翼が塔から跳ね飛ばされました。強い風に吹き上げられたように舞い上がり、そのまま遠くへ飛ばされてしまいます。
ああっ!! と少年たちは思わず叫びました。追いかけようとしますが、翼は空の彼方に見えなくなります。
エリーテ姫は涙を浮かべていました。
「ごめんなさいね、ハーピー。この塔には闇の竜の魔力が宿っているの。このまま触れていたら、あなたはどんどん闇の怪物になってしまうわ。姿だけでなく心まで……」
そして、姫は呆然としているカザインとフラーに言いました。
「今のうちです。ハーピーが戻ってきたりしないうちに、私を消滅させてください。お願いです」
姫の目からまた涙がこぼれます。
カザインは立ちつくしたまま、ためらっていました。本当は彼もエリーテ姫を消滅させたくなどなかったのです。その気持ちを押し殺して魔法を使おうとしたのですが、ハーピーに捨て身で妨害されて、気持ちが萎えてしまっていました。エリーテ姫からすがるように見つめられると、思わず目をそらしてしまいます。
「お願いです!」
とエリーテ姫が強く懇願します。
すると、それまで両手で口をおおっていたフラーが、腕を下ろしました。祈るように両手を胸の前で組んで、おもむろに進み出てきます。
「名案を思いついたわ。聞いてちょうだい」
「名案?」
とカザインが聞き返しました。
エリーテ姫も驚いて彼女を見下ろしましたが、すぐに諦めたような笑顔に変わりました。
「名案なんて、そんなものは……。私の体はもうこの塔と一体になってしまって、どんな方法でも分離することができないんですから。私を自由にするには、この塔ごと私を破壊するしかないのです」
けれども、フラーは首を振りました。優しい声で言います。
「そんなのはだめよ、エリーテ。死んで自由になるだなんて。あなたは生きなくちゃ」
「だが、どうするつもりだ? 彼女が言う通り、彼女をあそこから解放する方法はないんだぞ?」
とカザインが尋ねると、フラーは彼を見上げてほほえみました。何故かまったく関係ないようなことを言い出します。
「ねえ、あなた、ここに来る前、二人で話し合ったわよね。このお役目が終わったら町の中に私たちの家を建てて、私たちの家庭をつくりましょうって。私たちの赤ちゃんを産んで、その子を二人で守り育てて。ねえ、そう話したわよね?」
「あ、ああ……」
それがどうしたんだ? と言いたそうにカザインが返事をすると、フラーはまた、にっこり笑いました。夫に向かって言います。
「彼女を私たちの子どもにしましょう。私たちの赤ちゃんに」
「え?」
と思わず聞き返したのは、カザインとエリーテ姫だけではありませんでした。彼らから見えない存在になっているフルートたちも、この思いがけないフラーの提案に呆気にとられてしまいます。
その場の全員の注目を浴びながら、フラーは塔へまた一歩近寄りました。
「あなたの体がもう塔に同化しているというなら、そんな肉体は捨ててしまえばいいのよ。私と彼があなたに新しい体をあげるから。あなたは魂になって、もう一度赤ちゃんになって、生まれ直すの。そして人生を生き直すのよ――。私たちの娘になりなさい、エリーテ!」
フラーはそう言うと、エリーテ姫に向かって両腕を大きく広げました。