白い竜から、迎えに来た、一緒に光の仲間の元へ来てくれ、と言われて、エリーテ姫は目を見張りました。やつれて青白くなっていた顔に、さっと赤みが走ります。思わず希望を持ったのです。
けれども、姫はすぐに暗い顔に戻ると、竜から目をそらしました。
「それはできません……。セイロスは私に抑止の力を分け与えました。私が彼の元から去れば、彼を抑えるものがなくなってしまいます……」
話しながら姫はますます悲しげな顔になっていきました。
「逃げ出そうとしたことはあったのです。彼は私をこの城に置いたまま、幾日も幾日も、ときには数週間も戻ってきませんでしたから。城の門の跳ね橋はいつも下ろしてあるし、見張りの者もいません。逃げる気になればいつでも逃げられたのです。けれども、彼が城に戻ってきて私がいないことに気がつくと、彼は本当に暴れたのです。先に彼が与えた災厄からようやく生き延びて、助け合いながら暮らしを再建していた人々を容赦なく焼き殺したり、彼に従順を誓った町や村に闇の怪物をけしかけて、住人を子どもや赤ん坊まで怪物の餌にしてしまったり、大津波を引き起こして世界各地の沿岸を壊滅させたり、他にも……。私が彼の元に戻るまで、彼の暴走は止まらなかったのです。この忌まわしい場所から逃げ出したいのは山々ですが、どうしてもできません。私が逃げれば彼は世界を破滅させてしまいます……」
姫はうつむいたまま涙をこぼし始めました。姫の体を縛る鎖などはないのですが、セイロスは彼女の心に見えない鎖をつけたのでした。
白い竜は何かを言いかけましたが、急にやめて宙で一回転すると、姫に告げました。
「我々の王である竜王が、あなたと直接話をされたいそうです。私の体を使ってお出ましになります」
とたんに白い竜の体がふくれあがり、みるみる伸びていって、空の半分をおおうほど巨大な竜になりました。白いうろこが輝き出し、姫がいる塔の中までまぶしく照らします。
エリーテ姫は思わず後ずさりましたが、巨大な竜が彼女を見つめているので、おそるおそる尋ねました。
「あなたが竜王なのですか? シュンの国王を守っているという……」
「いかにも」
と巨大な竜は答えました。先ほどまで話していた竜と同じような色形ですが、全身から放たれる威厳がまったく違います。
姫は気後れしながら話し続けました。
「私に話とはなんでしょう……? 私はセイロスによって無理やり彼の一部にされてしまいました。私が彼の元から逃げれば、彼は全世界を破壊してしまいます……」
すると、竜王は哀れむような目で姫を見ました。
「奴はあなたを手元に置くために、あなたの心を牢獄につないだ。あなたがいなくなれば世界を滅ぼす。世界を滅ぼされたくなければ、永遠に自分のそばにいろ、と。だが、それは真実ではないのだ」
エリーテ姫は顔色を変えると、窓辺に駆け寄りました。
「それはどういう意味ですか!? セイロスは私がいれば世界を破壊しないと言いました! あれは嘘だったというのですか!?」
「いいや。奴は世界を破壊しないだろう。だが、それはあなたがそばにいることとは関わりがないのだ」
姫はいぶかしい顔になりました。眉をひそめ、確かめるように竜王に聞き返します。
「それはどういうことでしょう? 私がいてもいなくても、セイロスは世界を破壊しないという意味ですか?」
「その通りだ」
竜王の返事にエリーテ姫は窓から身を乗り出しました。
「何故ですか!? セイロスが闇の竜の力を全開してしまえば、彼は大地も海も空も徹底的に破壊して、命がひとつも残らなくなるまで暴れ続けます! 現に、私が姿を現して引き留めるまで、彼は破壊と虐殺を続けたのです! それなのに、私は抑止に関係ないとおっしゃるのですか!?」
竜王はまた哀れむような目と声になりました。
「あなたがそばにいてもいなくても、奴は世界を破壊することができないのだ、エリーテ姫。確かに、あなたのその内側には、常識では考えられないほど巨大な魔力が送り込まれている。奴が自分の行動を制御するための力だ。その力が奴から離れれば、奴は闇の竜の力を制御できなくなるだろう。だからこそ、奴は暴れることができなくなる。何故なら、世界を破壊しつくすことは、奴の望みではないからだ。世界が破壊されてしまっては、奴は世界の王になることができない」
エリーテ姫は呆然としました。立ちつくし、やがてまた竜王に確かめます。
「では……私がいないほうがセイロスはおとなしくなるのですか? いったん暴れ出せば世界を破壊し尽くしてしまうから、彼は最初から暴れることができなくなる……そういうことですか?」
「我々はそう考えている」
と竜王は重々しく答えます。
エリーテ姫はまた泣き出しました。両手で顔をおおって言います。
「私は……セイロスを止めるために彼のそばにいなくてはいけないと思っていました……。だけど、本当はそばにいないほうが、もっと彼の行動を止められたのですね……。そんなことも思いつけなかったなんて、愚かでした。私は本当に愚かでした……」
「奴があなたにそう思い込ませたのだ。あなたを束縛するために――。我々の元へ来て協力してくれるな、エリーテ姫? あなたが奴の宝であることは真実だ。あなたが我々の元へ来れば、奴は必ずあなたを取り戻しに現れるだろう。そこへ罠を張り、奴を捕らえるのだ。協力してほしい」
エリーテ姫は泣き顔をあげました。青ざめて聞き返します。
「彼を捕らえて殺すのですか? そのために私に囮(おとり)になれと?」
「いいや。奴は闇の竜と一体になった。我々には闇の竜を殺すことはできない。だが、奴を捕らえて、この世界へ出てくることができないようにすることはできる。世界の最果ての牢獄に幽閉するのだ」
「幽閉……」
エリーテ姫は繰り返して立ちつくしました。そのまま長い間考え込み、やがてまた聞き返します。
「私が行けば、本当に彼を止めることができますか? 彼を――暴走した彼の野望を止められますか?」
「あなたと私たちにそれができなければ、他にできる者はいない。聖守護石は奴の裏切りで砕け散ってしまったのだから」
竜王の声は重々しく響きます。
エリーテ姫はうつむき、すぐにまた顔を上げて言いました。
「わかりました。あなたたちのところへまいります。一緒に彼を止めましょう。世界を彼の野望でめちゃくちゃにさせるわけにはいきません」
「勇敢な姫君に感謝する」
と竜王は言うと、急に縮んでいって、元の白い竜に戻りました。その竜も大蛇ほどの大きさがあったのですが、巨大な竜王を見た後の目には、いやに小さくなってしまったように映りました。
白竜は若い男性の声でエリーテ姫に言いました。
「私に乗ってください。光の軍団の生き残りが再集結した砦へお連れします」
「それはどこなのですか?」
豪華なドレス姿で窓を乗り越えながら、姫は尋ねました。
「西の海にある闇大陸です。パルバンと呼ばれる荒野に我々の唯一の砦があるのです。乗りましたね? では、まいります!」
竜は背中にエリーテ姫を乗せると、風の音を立てながら城の塔を離れ、空の彼方へ飛び去っていきました――。