暗くなった過去の場面がまた明るくなって、見たことがないような場所を映しました。
大理石の柱が並ぶ大広間にエリーテ姫とセイロスがいます。
セイロスは黒曜石をちりばめた椅子に座り、エリーテ姫はその前の床に座り込んでいました。姫は王妃が着るような豪華なドレスで身を包み、宝石をちりばめた冠をつけていますが、両手で顔をおおったまま頭を上げようとしませんでした。泣いているのです。
セイロスの瞳は血のように赤く、肘置きに載った手には黒い爪が伸びていました。紫水晶の鎧兜は身につけたままですが、聖守護石が消えた額の輪はなくなっています。黒いもやのようなものが、セイロスの周りでゆらめいていました。
「何故こんなことをなさったのですか……!?」
エリーテ姫は泣きながらセイロスを責めていました。
「味方を裏切り、何の罪もない命を数え切れないほど殺して、それで何をなさろうというの!? しかも、私をこんな場所に連れてきて! ここはどこなのですか!?」
「ここは要の国だ。おまえはどこにも移動してはいない。ここは我が城だ」
えっ!? と姫は顔を上げて周囲を見回しました。
「そんなまさか……城が全然違います!」
「あんな古くさい城は塵(ちり)に帰して、新しい城を作ったのだ。ここが我が王国の新たな拠点だ」
それを聞いて姫は真っ青になりました。
「城を塵に帰した……? では、陛下や王妃様は? 家臣たちはどうしたのです……?」
「一緒に芥(あくた)となった。私の新しい王国に古いものは何も必要がない。要の国も住人ごと闇の光で焼き尽くしてやった。無論、そこにはおまえの両親も含まれている」
エリーテ姫は悲鳴を上げました。また顔をおおうと、背中を震わせて言います。
「あなたはなんということを! 自分が引き継ぐはずの国を自分自身の手で破壊するなんて! あなたは国を作ったのではなく、国を失ったのですわ――!」
姫はわっと泣き伏すと、両親を呼んで嘆きました。姫とセイロスは要の国の最後の住人になってしまったのです。
けれども、姫がどんなに泣いても、セイロスに心を動かされる様子はありませんでした。椅子の肘置きに頬杖をついて、冷ややかに姫を眺めています。
「私に古いものは何も必要がない。私は闇の竜の強大な力を手に入れた。これがあれば世界中を私の支配下に置き、新たな国を作ることができる。新しい家臣、新しい領民、新しい城や砦……私は世界中を新しくしていく。そのために闇の竜をこの身に呼び込んだのだからな」
姫は泣きながら頭を振りました。くぐもった声で何かを言ったので、セイロスが聞き返します。
「今、何を言った、エリーテ」
すると、姫は顔を上げ、涙を流しながらセイロスをにらみつけました。
「あなたは間違っています――! 闇の竜は破壊と破滅の悪神! そんなものの力を借りて、新しい世界が作れるはずがないわ! 闇の竜はあなたをだましています! 新しい世界を作るためと言いながら世界中を破壊して、最後にはすべての命が失われた死の世界を作るつもりです! そんな無意味な世界の王になることが、あなたの望み――きゃぁっ!」
突然見えない手に殴り飛ばされて、エリーテ姫が倒れました。大理石の床にたたきつけられ、頭から冠が吹き飛びます。
セイロスは赤い目を鋭く光らせて言いました。
「私を侮辱するつもりか、エリーテ! 私がそんなことも想像できずにいたとでも思うのか? そうとも、闇の竜の真の望みは全世界の破壊と破滅だ。今も荒れ狂う破壊の欲望は私の体の内側に渦巻いている。もっと壊せ、もっと殺して焼き尽くせ、とな。だが、私はその手には載らん。奴に私を支配させるのではなく、私が奴を支配して、奴の力を使いこなすのだ。私が世界の王となったとき、世界はまったく新しい時代を迎え、新しい夜明けを見るだろう」
エリーテ姫はまた顔を上げました。その頬はひどく殴られたように腫れあがっていましたが、ひるむことなく言い続けます。
「あなたに世界を治めることはできません! あなたは共に戦ってきた光の戦士たちを容赦なく殺していった! 味方を惨殺する王に、人は従っていかないのです! それは歴史が証明しています!」
セイロスは自分にとことん反論するエリーテ姫を見下すように眺めました。
「おまえのようにか? 確かにおまえはこんな状況でも私に逆らい続けている。だが、これを見てもまだ私に反抗することができるか? 私に逆らえば、おまえもこれと同じ目に遭うのだぞ」
彼らの間に黒い光が湧き上がって寄り集まり、何かが床の上に現れました。
エリーテ姫はまた悲鳴を上げました。それは赤と銀の防具を血で染めたロズキの遺体だったのです。
ロズキは剣を握ったまま息絶えていました。仰向けになっているので、血の気の失せた顔がよく見えます。
「ロズキ!」
エリーテ姫は駆け寄ろうとして、壁にでも突き当たったように跳ね飛ばされました。
「無駄だ。おまえは奴に触れることができん」
とセイロスは冷笑しました。姫がまた泣き出したのを見て、満足そうに言います。
「悲しいだろう。悔しいだろう。おまえの愛しい男はもうこの世にはいないのだ。私を裏切る者や私に逆らう者は、誰もがこのような目に遭う。それはおまえであっても同じことだ、エリーテ。死ぬのが恐ろしければ私に――」
とたんにエリーテ姫はさえぎって叫びました。
「馬鹿っ!!」
姫らしからぬ罵倒にセイロスが一瞬鼻白むと、姫は激しく言い続けました。
「あなたは愚かです! 闇の竜に乗っ取られて真実が見えなくなっています! 私とロズキの間には本当に何もありませんでした! あったのは純粋な友情だけ! 彼は最後の最後まで、あなたの忠実な家臣だったのに――!」
姫の頬を涙がとめどなく流れていきますが、姫は拭おうともしませんでした。床に広がるドレスの上で拳を握り、セイロスに向かって言い続けます。
「あなたに婚約を解消してもらったのは、私が別の殿方に心移りしたからではありません! あなたが心変わりしたからです! あなたの愛情が私から去ってしまったとわかったから、私のほうから解消を願い出たんです!」
とたんにセイロスはまた冷笑しました。
「馬鹿な。私が誰に心変わりしたというのだ。そのような女は存在しないぞ」
エリーテ姫は激しく頭を振りました。結い上げた金髪がほどけて落ちて、顔の周りに広がります。
「あなたが心奪われたのは女性ではありません! 世界の王になるという禁断の野望です! 聖守護石を手に入れて金の石の勇者になり、光の軍団を率いるようになってから、あなたは私を顧みなくなりました! あなたはいつも世界を見るようになり、世界を自分の手で支配したいと考え、そのためになら残酷な手段もためらわなくなった! あなたを変えたのは願い石でも闇の竜でもありません! あなた自身がそれを望んだから、あなたは変わり、闇の竜になったんです!」
セイロスは、じっとエリーテ姫を見つめました。薄く笑って言います。
「くだらない言い訳だ。ロズキと同じように殺されたいようだな。それがおまえの望みか」
姫はまたセイロスをにらみました。
「あなたがそうなさいたいと言うのならば、ご自由に。私たちの潔白は神がよくご存知です。でも、闇に墜ちたあなたには知ることもできないことでしょう――。私はあなたが闇の竜になって世界を破壊する様子なんて見たくありません。この場でひと思いに殺してください。それが私の最後の望みです!」
「実に強情な女だ!」
とセイロスはどなると、すぐにまたにやりとしました。
「そんなに死にたいというのであれば、望み通りにしてやろう。おまえに死の鉄槌を振り下ろすのはこの者だ」
セイロスが手を向けたは、血まみれで倒れているロズキの遺体でした。エリーテ姫が息を呑みます。
「何をなさるつもりですか? 彼はもう死んでしまったのに!」
「いいや、私には彼をよみがえらせる力もある。闇は死を司る力だからな。私の力でよみがえった者は、その瞬間から私の奴隷となる。私が命じれば、ロズキはためらうことなくおまえを殺すのだ。愛しい男に殺されるのだから、それこそ本望だろう、エリーテ」
姫はまた顔をおおってしまいました。
「あなたは……あなたという人は……!」
怒りと悲しみに息が詰まって、ことばが続かなくなります。
セイロスはロズキに向かって命じました。
「我が忠実なしもべロズキよ、目覚めて立ち上がり、手にした剣でエリーテを――」
ところが、セイロスは忌まわしい命令を最後まで言うことができませんでした。
ロズキは炎の剣を握ったまま息絶えていたのですが、その剣がふいに赤く光り出し、燃え上がる炎に変わっていったのです。
炎は石の床の上でみるみる大きくなり、剣の柄を呑み込み、さらにロズキの体まで呑み込んでいきました。
セイロスは顔色を変えて椅子から腰を浮かしました。
「何事だ!? どこから現れた力だ!?」
エリーテ姫も驚いて息を呑んでいました。ロズキの遺体はすっかり炎に包まれて見えなくなっています。
すると、炎はまた縮み出し、同時に形を変えていきました。ばさり、と音をたてて二枚の翼が広がり、さらに長い首とくちばしが現れます。それは全身が輝く炎でできた火の鳥でした。白鳥のような首を伸ばしてキーィッと鳴くと、炎の翼を打ち合わせて舞い上がります。鳥が飛び立った後にはロズキも剣も残っていませんでした。
セイロスは火の鳥をにらみました。
「貴様は炎の剣か。ロズキをどうした」
すると鳥が口を開きました。何故か老人のような声で答えます。
「わしは彼の肉体を焼いた。彼はおまえに誤解されたまま裏切られ、あまりに大きな未練を残して死んだので、安らかな死の眠りにつくことができないのだ。その彼を闇の傀儡(かいらい)にして、おまえの好きなようにさせるわけにはいかぬ。彼の魂はわしが預かった」
ばさりと火の鳥がまた羽ばたくと、炎の翼がゆらめいて輝く火花が飛び散りました。セイロスが思わず身を引くと、その隙に舞い上がっていきます。
セイロスは闇の弾を撃ち出しましたが、火の鳥は軽々とそれをかわすと、天井に吸い込まれるように大広間から飛び去っていきました――。