あたりは再び明るくなりました。
繰り広げられる過去の景色の中で、エリーテ姫が目を覚ましたのです。
姫は地面に倒れていて、そこに背の高い青年がかがみ込んでいました。銀の鎖かたびらの上に赤い胸当てをつけ、肩まで伸びた赤茶色の髪をしています。
「ロズキ……」
エリーテ姫が夢でも見ているような口調で言うと、青年は急に顔を真っ赤にしてどなり始めました。
「エリーテ、どうして君がここにいるんだ!? 私が気づくのがもう少し遅かったら、一斉攻撃に巻き込まれて消滅していたぞ!」
その声で姫も完全に正気に返りました。跳ね起きて叫びます。
「村は!? あの人たちは!?」
「あの人たち?」
ロズキが怪訝そうに聞き返します。
彼のすぐ後ろには白いペガサスが立っていて、さらにその背後には火の海が広がっていました。ごうごうという炎の音はまだ続いていますが、先ほどまであった村や畑は火に呑まれて見えなくなっています。
エリーテ姫は立ちすくみました。炎の中から何かが燃えて崩れていく音が聞こえてきます。建物が燃えながら倒壊していく音に違いありません。
姫が泣きだしたので、ロズキは驚いて聞き返しました。
「本当にどうしたっていうんだ? 何があったんだ?」
「村に人がいたのよ! 女の子とその子の母親が! あなたたちは気づかなかったの!?」
姫に責められて、赤毛の青年はいっそう驚いた顔になりました。
「まさか! 総攻撃の前に村人が全員避難したのは確認したんだぞ。中に残っていたのは怪物と闇の民だけだ」
「いたのよ! 私はその人たちを止めようと思って追いかけていたの! でも、セイロスは――」
そこまで言って、姫は、はっと声を呑みました。セイロスが母子に気づきながら攻撃を続行したことを思い出したのです。炎に照らされた姫の顔が青ざめていきます。
すると、そこへ大きな茶色のペガサスが舞い降りて、背中から紫の防具の青年が降りてきました。セイロス自身がやってきたのです。
「エリーテ、何故あなたがこんな場所にいるのだ!? 怪我はなかったか!?」
セイロスにも叱られ心配されて、姫の目からまた新たな涙があふれました。顔をおおいながら言います。
「ひ、必勝祈願のタペストリーが完成したので、それを届けに来たんです……。皆が戦場を恐れて志願しなかったので、それで私が……」
「タペストリーだって!? そんなもののために、こんな危険な場所まできたのか! もう少しで攻撃に巻き込まれて命を落とすところだったんだぞ!」
とロズキがまたどなりましたが、セイロスはそれを制して言いました。
「我々の勝利のために、危険を冒して来てくれたのだな。あなたは本当に勇敢な人だ――。先ほど兵士たちがあなたの乗ってきた馬車を森の中で見つけた。供の者も無事だ。タペストリーは確かに受け取って兵士たちに披露しよう。きっと皆が勇気づけられるはずだ。だから、あなたはすぐにここを離れて城に戻りなさい。この一帯は戦いの最前線で非常に危険な場所なのだ」
穏やかですが、相手に有無を言わせない強さのある声でした。エリーテ姫にただちにここを立ち去るように命じているのです。
姫はすすり泣き、おおった手の間から聞き返しました。
「セイロス……あなたは村に戻っていった村人を見ましたね? 小さな女の子と母親です。女の子は飼い猫を助けるために戻り、母親はその子を助けるために戻りました。あの二人はどうなったのですか……?」
セイロスは目を見張りました。すぐに頭を振り返します。
「あなたも気づいていたのか。あの母子には気の毒なことをしてしまった。だが、攻撃は止まらなかったのだ」
とたんに姫は顔を上げました。
「いいえ、攻撃は止められました! あなたが攻撃命令を下す直前に、あなたはあの二人に気づいていたんですから! それなのに――気づいていたのに、何故攻撃なさったんですか!? あの二人にはなんの落ち度もなかったのに!」
激しい非難に、セイロスは気の毒そうな表情を消しました。驚くほど厳しい顔つきに変わって答えます。
「我々は村の住人に避難できるだけの時間を与えた。それなのに彼らは戻ってきてしまったのだ。責任は彼らにある。あのとき、村に潜んでいた闇の敵は空に舞い上がろうとしていた。空中戦になれば、兵士たちと激戦が始まってしまう。味方に損失が出る前に敵をたたかなくてはならなかったのだ」
「でも、味方の中には魔法使いもいたはず! あの二人を魔法で助けることだって、きっと――!」
エリーテ姫が食い下がると、ロズキがその肩をたたきました。
「よすんだ、エリーテ。セイロス様がおっしゃることは正しい。非情なように聞こえるかもしれないが、二人の村人を助ける間に、十人の光の戦士が敵に殺されたかもしれない。そうなれば、その戦士たちが倒すはずだった百匹の敵が生き延びて、千人の罪もない住人を殺すことになっただろう。味方にできるだけ被害を出さないように戦うのが戦争だ。ここは戦場なんだよ」
ロズキのほうは、そんな話をしながらも、沈痛な表情をしていました。エリーテの気持ちは充分にわかっているのです。
エリーテ姫がまた泣き出します。
セイロスは手綱をつかんで茶色のペガサスにまたがりました。
高い場所からロズキに言います。
「エリーテを馬車に送り届け、安全な場所まで護衛しろ。私は指揮に戻る。敵が逃亡しているので、追撃しなくてはならないのだ」
「お気をつけて、セイロス様。私もすぐに追いかけます」
とロズキが答えると、セイロスは飛び立ちました。翼の馬と共に燃える村を飛び越えていきます。
「ゴグ、お願いだ、彼女を乗せてくれ」
とロズキは白いペガサスに言って、エリーテ姫をその背中に乗せました。自分も後ろに飛び乗って舞い上がります。ただ、彼らが向かうのはセイロスとは反対の方角でした。燃える村から遠ざかりながら、エリーテ姫はいつまでも泣き続けていました――。
「馬鹿な!」
そう叫んでいきなり足踏みしたのはフルートでした。かなりの勢いで地面を踏みつけたのですが、音はしません。
「助けられなかったなんて、そんなはずはない! あのタイミングならあの母子を助けられた! セイロスには絶対にできたはずだ!」
フルートは両手を拳に握って身震いしていました。燃える村を見つめる目には、涙が浮かんでいます。
ゼンも吐き出すように言いました。
「だよな。しかも、セイロスは金の石を持ってるんだぞ。闇の敵がやばいって言うんなら、そいつを光らせて消せば良かったはずだ」
「ワン、要するに、セイロスは村の母子より戦闘を優先したんですね。ロズキさんが言うとおり、それは正しいことなのかもしれないけど――」
とポチが言いかけると、フルートが激しくさえぎりました。
「何が正しいもんか! 助けられる命を助けもしないで、誰の命を助けるって言うんだ! それで世界を救うだって? ふざけるな!!」
いつも温厚なフルートが激怒しているので、レオンやビーラーは驚いていました。普段めったに見せることがない熱い姿です。
一方、カザインたちのほうではハーピーがしきりに尋ねていました。
「あの二人は死んだのか? エリーテが助けてと言ったのに、誰も助けなかったのか? どうして助けなかったんだ?」
フラーは何も言わずに頭を振りました。先ほどから泣いていて、声が出なくなっていたのです。代わりにカザインが答えました。
「セイロスは光の軍勢の総大将だ。たった二人の命より、大勢を救う戦闘のほうを優先したんだよ。非常に冷静な判断だ」
けれども、そんな説明ではハーピーは納得しませんでした。
「どうしてだ? 人間は助け合う生き物なのだろう? それなのに、どうしてあの二人を助けなかったんだ? あの女の人は助けてと叫んでいたぞ。あの子どもは猫を抱いて泣いていたぞ。二人とも助けが来るのを待っていたのに」
カザインはことばに詰まりました。ハーピーから目をそらすと、つぶやくように言います。
「これは二千年も前の出来事なんだよ。どうしようもないんだ」
苦いものがあたりを充たす中、過去の景色が変わっていきました――。