「こんなふうにして、セイロスは金の石を、ロズキさんは炎の剣を手に入れたのか……」
目の前に繰り広げられる過去の場面を見ながら、フルートはつぶやきました。金の石も炎の剣も今ではフルートの元にあります。フルートはセイロスとロズキが所有していたものを一身に負っているのです。
「この頃にはセイロスはまだ本気で世界を救うつもりでいたんだな。ずいぶん真面目なことを言ってるじゃないか」
とビーラーが言ったので、ゼンは渋い顔で腕組みしました。
「結局のところ、奴はデビルドラゴンに誘惑されて、闇に転んじまったからな。このあたりはまだ、まともだったんだ」
「ワン、この後、セイロスは金の石の勇者になって、光の陣営の総大将になったんですね」
とポチが言うと、レオンがうなずきました。
「そうだ。世界中から光の戦士が種族を越えて集まったらしいな。海の民やドワーフやノーム、海の生き物や獣や鳥たちまでが参戦するようになったのは、セイロスが光の陣営の総大将になってかららしい。もちろん、人間や天空の民も新たに光の陣営に加わった。おかげで光の陣営はそれまでの何十倍もの規模にふくれあがって、一気に闇の陣営を押すようになったんだ」
フルートはそれを聞いて考え込みました。
「そのことは光と闇の戦いの概論にも書かれていたな……。ただ、そうやって光の陣営が一気に闇に勝つのかと思ったら、闇の陣営にも新たな大将が現れた。それがデビルドラゴンだったんだ」
「世界は常に光と闇の二つの勢力のバランスで成り立っている。バランスが崩れたときには世界の崩壊が起きるから、どちらかの勢力が強まったときに、もう一方に匹敵する勢力が現れるのが理(ことわり)なんだ」
とレオンが答えたので、ポチは驚いて聞き返しました。
「ワン、光の勢力が強まっても、バランスが崩れて世界が崩壊するんですか? 光は善でいいもののはずなのに」
レオンは苦笑しました。
「光も度が過ぎれば有害さ――。天空の民の貴族は昔、自分たちは光の使者でなくてはいけない、正しいことしかしてはいけない、と極端な考え方をするようになって、その結果、第二次戦争を引き起こして闇の民を生み出してしまった。人も世界も光と闇の両方を内に持つ存在だ。極端に光であろうとすれば、やっぱりそれは崩壊につながるんだよ」
すると、ゼンが腕組みしたまま肩をすくめました。
「俺には難しい理屈はわかんねえが、光のほうに偏りすぎるとやばいってのは、こいつを見てりゃよくわかるぞ。この馬鹿は、ほんとにしょっちゅう破滅しそうになるからな」
ゼンに顎で示されて、フルートは思わず赤くなりました。
「最近はもうそんなことはしてないじゃないか!」
「いいや。おまえは今でも充分危なっかしい」
「そんなことないって!」
フルートとゼンが言い合いになりかけたので、レオンはまた苦笑しました。手を振って話し続けます。
「とにかく、セイロスが金の石の勇者になって闇を駆逐するようになったから、それまで姿を隠していた闇の竜が、ついに表舞台に現れたんだよ。その後はまた、光と闇の両陣営が勝ったり負けたりする、五分五分の戦いに戻ってしまったんだ」
「それで、セイロスは闇に効果のある術が使えるシュンの国の人々に、協力を求めたんだな」
とフルートは言いました。
「ワン、シュンの国は今のユラサイ国で、シュンの国王はユラサイ最初の皇帝の琥珀帝になったんですよ」
とポチも言います。
彼らとカザインたちの目の前では、また人や景色が変わっていました。
そこは森の中の一本道でした。両脇から木々が張り出す薄暗い道を、二頭立ての馬車が車輪の音を響かせて走っています。
馬車には屋根がかかっていなかったので、乗っている人の姿がよく見えました。御者の両脇と馬車の後ろには武装した兵士が三人いて、座席には四人の男女が座っています。
そのうちの一人がエリーテ姫でした。灰色のフード付きマントで身を包み、緊張した顔つきで行く手を見つめています。他の男女はどうやら姫の付き人のようで、姫以上に緊張しながら周囲を見回していました。森の向こうから激しい爆発の音やどなりごえのようなものが聞こえていたのです。
「戦場が近いのね……セイロスがどこにいるのか、おまえたちにはわかる?」
とエリーテ姫は従者たちに尋ねましたが、彼らはいっせいに首を振りました。そこへまた、どかん、と激しい音がしたので、従者たちは悲鳴を上げて頭を抱えます。
「戦闘がこちらに近づいているので、いったん離れます!」
と御者席から兵士が振り向いて言い、馬車は道を外れて森の奥へ向かい始めました。エリーテ姫は馬車の縁を握りしめて、戦闘が起きているらしい方向を見つめました。セイロス……と唇が動いたのが見て取れます。
すると、いきなり馬がいなないて馬車が停まりました。馬車の目の前に、数十人の人間が飛び出してきたのです。人々のほうも森の奥に馬車がいるとは思わなかったようで、驚いて悲鳴を上げました。転んで馬に踏まれそうになった人もいましたが、御者が手綱を引いたので、すんでのところで怪我をせずにすみました。
「何者だ!?」
武装した兵士たちが気色ばんで飛び降りると、人々はおびえて後ずさりました。
「お許しを、お許しを……!」
「我々は逃げてきたんです!」
「闇の怪物や悪魔が村に入ってきたんです!」
彼らは近くの村の住人でした。大人も子どもも老人もいますが、全員が着の身着のままで、荷物もほとんど持っていません。敵にいきなり襲撃されたので、村を脱出してくるのがやっとだったのです。
エリーテ姫は馬車の上から乗り出して、人々に尋ねました。
「この先で光の軍団が闇の敵と戦っているのですね? セイロスもいましたか?」
セイロス? と人々がとまどったので、姫は続けました。
「光の軍団の総大将です。紫水晶の防具を着て、聖守護石の輪を額につけています」
「ああ、その人なら見ました。光の軍団の先頭に立って、闇の敵に突進していました」
とひとりの農夫が答えたので、エリーテ姫は喜びの声をあげました。
「やっぱりいらっしゃった! 神よ、お引き合わせに感謝します!」
と両手を握り合わせて天を振り仰ぎます。
ところが、別の農夫が言いました。
「あっちに行っちゃなんねえ。闇の敵を倒すのに、光の軍団が雨のように魔法を降らせてるからな。せっかく実った麦も、大事に育ててきた豚や牛も、全滅だ」
エリーテ姫は笑顔を消しました。農夫の声には暗く深い怨嗟(えんさ)があったのです。
逃げるぞ! と人々の中から声が上がり、彼らはまた森の奥へ逃げ出しました。
「あんた方も早くここを離れなせえ。戦渦に巻き込まれるからな」
恨みごとを言った農夫も、エリーテ姫たちにはそう言い残して離れていきます。
ところが、逃げて行く集団の中から、あっと声が上がりました。
飼い猫を抱いて避難している少女がいたのですが、その腕から猫が飛びだし、激戦の音が聞こえる方角へ駆け出したのです。
「ピシー、だめ!」
少女が猫の後を追いかけていったので、少女の家族は驚きました。
「戻って、フリカ!」
と母親が金切り声を上げます。
「馬鹿、何をしている!? 逃げるんだ!」
と父親もどなりましたが、少女は戻りませんでした。駆け戻っていく猫を追って、森の中に消えてしまいます。
腹を立ててどなり散らす父親に、母親が言いました。
「ピシーの仔猫たちを納屋に置いてきてしまったのよ! ピシーはそれを連れにいったんだわ!」
「猫なんぞどうでもいい! 先に行くから早くフリカを連れ戻してこい!」
と父親はまたどなりました。周囲には他の子どもたちや年老いた祖父母がいて、猫を追っていった少女を心配して立ち止まっていたのです。
父親は家族を連れて先へ逃げ、母親は娘を追いかけていきました。懸命に娘を呼びますが、少女は戻ってこようとしません。
エリーテ姫は顔色を変えました。
「あの人たちを助けなくては!」
戦火の気配はすぐそこまで迫っていました。木立を隔てたすぐ向こうで、激しい爆発の音や怪物の叫び声、戦士たちの雄叫びなどが聞こえてくるのです。
けれども、従者たちも護衛の兵士も姫の願いを聞き入れませんでした。こんな状況で戦場の方向へ向かうのは自殺行為だったからです。姫を乗せたまま、村人たちが逃げて行ったほうへ馬車を走らせようとします。
すると、エリーテ姫が言いました。
「レマート!」
停止の呪文です。
とたんに馬車はぴたりと停まり、彼女を引き留めようとしていた侍女も、行く手をふさぐように立ちはだかっていた下男たちも、護衛の兵士や御者さえも、凍りついたように動かなくなってしまいました。
「うまく効いて良かった」
と姫はつぶやくと、馬車を飛び降りました。村へ戻っていった母娘の後を追いかけていきます。
じきに森は明るくなり、姫は森の外に飛び出しました。足元は草地になっていますが、その先に畑に囲まれた村がありました。村に向かって走っていく少女と、それを追いかけて走る母親の姿が見えます。小さくてよくわかりませんが、少女の先には仔猫の元へ走る母猫もいるはずでした。
ところが、行く手の村ではすでに戦闘が始まっていました。村の向こう側で畑が炎を噴き上げ、その火が村にも燃え移り始めています。村の中からは、火にあぶり出された怪物や闇の民が次々飛びだしてくるところでした。奇妙な形の生き物たちが、炎の前で黒い影絵になって飛び跳ねています。
エリーテは走りながら必死に呼びかけました。
「だめよ、止まって! 戻って!!」
けれども、少女が立ち止まらないので、母親も走ることをやめませんでした。二人とも怪物のいる村へ近づいていきます。
「レマート! レムーネ! レドモニリーモ!」
姫は次々に魔法を使いましたが、距離があったので、母娘を止めることはできませんでした。
「ピシー!!」
少女が猫を呼んで村に駆け込んだので、母親は悲鳴を上げました。髪をかきむしり、ものすごい勢いで村へ飛び込んでいきます――。
そのとき、上空から村の上へ軍勢が舞い降りてきました。
風の犬、ペガサス、グリフィン、大鷲。さまざまな空飛ぶ生き物の背に、白い布を首に巻いた戦士たちが乗っています。何百騎という数です。
その先頭に紫に輝く防具を着た戦士がいるのを見て、エリーテ姫は歓声をあげました。セイロスだったのです。
セイロスは大きなペガサスにまたがっていました。エリーテ姫には気づかずに、村をじっと見下ろしています。その厳しい顔つきに、姫はまた顔色を変えました。彼は村の中でうごめく闇の敵しか見ていなかったのです。
姫は叫びました。
「だめよ! 攻撃してはだめ! 下をよく見てちょうだい! まだ人がいるのよ――!」
セイロスがいる場所までは距離があるので、姫の声は届きませんでしたが、セイロスの近くにいた戦士が母娘に気づいたようでした。村を指さしてセイロスに何か言います。
エリーテ姫は空を見上げ続けました。祈るように両手を握り合わせ、セイロスの姿を見つめます。
すると、セイロスは首を横に振りました。何かを答えたようでしたが、それはエリーテ姫には聞こえませんでした。紫の籠手をつけた腕を振って、味方の軍勢へ合図を送ります。
とたんに、空にいる戦士たちが攻撃を始めました。魔法や稲妻が雨のように村へ降り注ぎ、さらに無数の革袋が小石のように落ちていきます。魔法は村を直撃し、革袋は落ちると炎に変わりました。村に潜む怪物が爆発や火にまかれて叫び声をあげます。
「だめよ、セイロス!! だめ!!」
エリーテ姫は悲鳴を上げてまた駆け出しました。集中攻撃されている村へ向かいます。崩れていく家々の間に、娘を抱いて立ちすくむ母親が見えました。すぐに火袋が落ちてきて、燃え上がった炎の陰に隠してしまいます――。
すると、セイロスが全軍に合図をしました。たちまち攻撃がぴたりと止まります。
攻撃の音がやむと、あたりはごうごうと村が燃える音に充たされました。沈黙より静かな、炎の音の静寂です。
けれども、それは一瞬だけのことでした。セイロスが再び手を上げ、さっと振り下ろすと、本物の一斉攻撃が始まりました。魔法、稲妻、炎、光の槍……ありとあらゆる攻撃が束になって村を直撃して、目もくらむような光で包みます。
次の瞬間、光はふくれあがって破裂し、猛烈な風に変わりました。四方八方へ広がり、狂ったようになびく麦畑を一瞬で焼け野原にしていきます。
同じ風はエリーテ姫にも襲いかかりました。
姫は吹き飛ばされ、そのまま、景色は暗くなっていってしまいました――。