「私はエリーテ……闇の竜の力を与えられた、セイロスの宝です」
パルバンの最果て。黒い柱の上に現れた女の顔はそう言いました。やつれきった頬の上には、とめどなく涙が流れ続けています。
カザインとフラーは呆然とそれを見上げていました。あまりにも予想外の話に、とっさには理解できなかったのです。ハーピーも、地面に倒れたまま、首をねじって女を見上げていました。やはり驚いた顔をしています。
けれども、彼らと同じ場所にいる少年たちは、それどころではありませんでした。仰天して口々にわめき始めます。
「あれがデビルドラゴンの宝だってのか!? ただの女の人じゃねえか!」
「ワン、でも顔だけですよ! 全然普通の人じゃないでしょう!」
「相変わらず強力な闇が放出されているところをみると、闇の竜の力が人格化したんだろうか。それを『宝』と称したのか?」
「とすると、精霊のようなものなのか、レオン? でも、どうしてあんなにやつれているんだ? 精霊はあんなふうにはならないだろう」
騒々しく話し合いますが、カザインもフラーもハーピーもいっこうに気に留める様子がありませんでした。少年たちの声は彼らには聞こえていないし、姿も見えてはいないのです。
「おい、フルート、これはどういうことなんだよ!? 黙ってねえで説明してくれ!」
とゼンに背中をたたかれて、考え込んでいたフルートは口を開きました。
「ポチの言うとおり、あれが普通の人間のはずはない。竜の宝がここに隠されたのは二千年も前のことだ。人間はそんなには生きられないんだから。ただ――」
「ただ!?」
仲間たちはいっせいに聞き返しました。
「どこかで聞いたことがあるような気がするんだよ。エリーテっていう名前を」
仲間たちは目を丸くしました。思わず顔を見合わせてしまいます。
「俺は聞いたことがねえぞ」
「ワン、エリーテって、ありそうでない名前ですよね」
「レオンはどうだ? 天空の国や地上の有名な人物の名前はほとんど知っているんだろう?」
「丸暗記しているだけだよ。待ってくれ、探してみるから」
レオンが目を閉じて、自分の記憶の中を探り始めます――。
一方、カザインたちはようやく最初の衝撃から解放されたようでした。
怪しむ気持ちもありありと、カザインが尋ねます。
「おまえは何者だ!? セイロスというのは、闇の竜に魂を売った伝説の勇者のことだぞ! おまえがその宝だというのは、いったいどういうことだ!?」
「あなたからは人間の気配がしないわ! かといって幽霊でもない! あなたはいったいなんなの!?」
とフラーも言います。
すると、女は目を開けました。相変わらず頭部しか柱から現れていませんが、最初の幻のような頼りなさが薄れて、実在感が出てきていました。濃い青の瞳がカザインたちを見下ろします。
「私の名前はエリーテ……要(かなめ)の国は清風の地の領主、カイランゾの娘です。こんな姿になっていますが、私もあなたたちと同じ人間なのです……」
「ワン、要の国ってことは、セイロスの国の人だ!」
とポチが言いましたが、柱の上の女性は何も答えませんでした。彼女にも少年たちは見えないし聞こえないのです。
レオンが目を開けて眼鏡を押さえました。
「だめだな。エリーテという名前の著名人は過去に何人かいるが、今彼女が言ったこととは合致しない」
「要の国ってのは昔、ロムドにあった国だぞ。セイロスはそこの王子だったんだから、セイロスと関係ある奴に違いねえだろう」
とゼンが言ったとたん、フルートは、あっと声をあげました。思い出したのです。
「そうだ! 真実の窓の戦いで占いおばばに過去を見せてもらったときに、セイロスとロズキさんで話し合っていた人の名前だ! エリーテ姫! セイロスの婚約者だった女性だ!」
「なに!?」
レオンとビーラーはまた仰天しましたが、フルートと一緒に占いおばばの元へ行ったポチは、思い当たった顔になりました。
「ワン、そういえば……。おばばの水晶玉に、セイロスが金の石と一緒に光になりに行こうとする場面が映って、そのときにセイロスとロズキさんがセイロスの婚約者の話をしていましたよね」
ロズキというのは、セイロスがまだ人間だった頃に彼の右腕として活躍した側近の青年です。今は南大陸の火の山の地下で、巨人クフの鍛冶仕事を手伝っています。
ゼンは思いきり顔をしかめました。こちらもはっきりと思い出したのです。
「その場面、俺はメールやルルと一緒に、ジタン山脈の時の鏡で見たぞ。セイロスとロズキは同じ女の人を愛していたんだ。でもよ、セイロスはエリーテ姫にふられたはずだぞ」
ゼンは不機嫌そうでした。エリーテ姫を巡るセイロスとロズキの関係が、ポポロを取り合って衝突したフルートとゼンのようだ、とルルに指摘されたことも思い出したのです。
ということは……? と少年たちは柱の上を見上げました。
エリーテ姫はまるで柱に閉じ込められているように、頭だけを現して泣き続けています。
カザインがまた尋ねました。
「過去の国の身分高い人物なんだな!? それがどうしてそんな場所にいるんだ!? しかも、闇の竜の宝だと言うのか!? いったいどういうことだ!?」
地上からエリーテ姫がいる柱の上まではかなりの高さがあるので、カザインはどなるような声になっていました。
「わけがあるのです。長い長いわけが……」
とエリーテ姫は答えました。こちらはごく普通の声で話しているのですが、地上まではっきり聞こえてきます。
「よし、それじゃ、そのわけを聞こう!」
とカザインは答えました。フラーはハーピーを助け起こすと、一緒にエリーテ姫を見上げます。
姫が言いました。
「本当に長い間待ったのです……昔、世界で何があったのか……私が何故セイロスの宝になってしまったのか……真実を伝えられるときが来ることを。あなたがたにそれを見せましょう……。そして、過去の真実を見た後で、どうか私の願いを聞いてください……」
「わかった!」
とカザインはまた答えました。エリーテ姫と約束したのです。
姫は、にっこりと笑いました。痩せ衰えて屍(しかばね)のようになった顔が、一瞬だけ輝くような美しさを取り戻します。
すると、黒い柱から姫が抜け出してきました。
いえ、彼女自身はまだ柱からやつれた顔をのぞかせています。そこから魂が抜け出すように、ふわりともうひとりのエリーテ姫が出てきたのです。みるみるその姿が生気を取り戻し、輝く金の髪にふっくらとした薔薇色の頬の、美しい少女になっていきます。
姫は紺色のドレスを着て立っていました。いつの間にか、周囲からパルバンが消え、黒い柱も消えて、見たこともない庭園に変わっていたのです。濃い緑の木々が葉を茂らせる中に、小川と池が水面を広げていました。鳥のさえずりも聞こえてきます。
少女になったエリーテ姫は手を振ると、明るい声で呼びかけました。
「ここ、ここ! 私はここよ! 早くいらして!」
すると、キョウチクトウの茂みの陰から若い男の声が返ってきました。
「エリーテ、こんなところにいたのか!」
「ずいぶんあちこち探したよ!」
花咲く茂みを押しのけるように姿を現したのは、二人の青年でした。どちらも長身で、ひとりは黒髪に黒い瞳、もうひとりは赤茶色の髪に灰色の瞳をしています。二人とも体格は立派ですが、黒髪の青年のほうが顔立ちが整っていて、物腰に優美さがありました。赤毛の青年はどこか気のよさそうな雰囲気を漂わせています。
エリーテ姫は青年たちがやってくるのを待って言いました。
「二人が来てくださるのを待っていたのよ。風がとても気持ちいいわ。ねえ、ボートに乗りましょう、セイロス、ロズキ」
そう言って、姫は二人の青年ににっこり笑いかけました――。