明るい花野の中にひとりの少女がいました。
日だまりにかがみ込み、咲き乱れる花を一心に摘んでいます。
フルートはそれを眺めて、ああ、綺麗だ、と心でつぶやきました。少女が着る黒い服の上では、星の光がきらめいています。
その光景に見とれていると、少女が顔を上げました。宝石のような緑の瞳に赤いお下げ髪のポポロです。フルートと目が合うと、ぱっと顔を輝かせ、摘んだ花を抱えたまま駆け寄ってきます。
「フルート、どこに行っていたの? ずいぶん長いこと留守にしていたのね」
え、あの……とフルートは思わず口ごもってしまいました。闇大陸のパルバンに行っていたんだ、と彼女に言うわけにはいかなかったからです。フルートが何も言わないので、ポポロは怪訝そうな顔になります。
すると、花野の中からもうひとりの少女が立ち上がりました。
「なにあわててんのさ、フルート? どこに行ってたのか、ポポロにも言えないってのかい? なんだか怪しいねぇ」
メールです。彼女は緑の髪を後ろで束ね、花柄の袖無しシャツにうろこ模様の半ズボンといういつもの格好をしていました。腰に両手を当てて、いかにも疑わしそうにフルートを見つめています。
フルートはすっかりあわてふためいてしまいました。なんだかおかしい、どうして彼女たちがここにいるんだろう、と一瞬思いますが、焦る気持ちのほうが先に立って、考え続けることができませんでした。
「あ、怪しくなんてないって。ゼ、ゼンやポチやレオンたちと一緒にいたんだ……」
しどろもどろで答えながら友人の少年たちを探しましたが、彼らは近くにいませんでした。フルートだけが少女たちの前に立っています。
なんとか話をそらそうとして、フルートは話題を変えました。
「それより、ルルは? 元気になった?」
とたんにポポロとメールは笑顔になりました。
「ええ、もちろんよ!」
「さっすが天空王だよね! あっという間にルルを元気にしてくれたんだよ!」
すると、ワンワンと声がして、もう一匹の少女が花野から飛び出してきました。茶色い雌犬のルルです。フルートに飛びつき、抱き止められると、ぺろぺろフルートの顔をなめて言います。
「私を心配してたの? 馬鹿ね、大丈夫に決まってるじゃない! 私はもうすっかり元気よ!」
フルートはルルを抱きしめました。
「本当に良かった! もう大丈夫なんだね!?」
「もちろんよ! いつでもまた闇大陸に行けるわよ! ポチやゼンはどこ? パルバンに竜の宝を探しに行きましょう!」
張り切るルルにそんなことを言われて、フルートはまたあわてました。ゼンもポチももうパルバンにいます。自分だってそうなのです。彼女たちを置いていったことがばれたら、彼女たちは絶対に黙っていません。猛烈に怒って少年たちに文句を言ってくることでしょう――。
そのときになって、フルートはようやく、あれ? と思いました。どうして彼女たちはここにいるんだろう? ぼくはパルバンにいたはずなのに、どうして彼女たちと会っているんだ? そんな疑問が頭の中を駆け巡ります。広がる花畑を眺めながら、ここはどこだ? とも考えます。
すると、遠くからうなるような風の音が聞こえてきました。
誰かが叫びます。
「また来たぞ! 三の風だ!」
あっという間に鉛色の雲が押し寄せ、猛烈な風がフルートたちに吹きつけてきました。三の風です。
とたんに、フルートの腕の中でルルが形を失い始めました。犬の輪郭が崩れてなくなり、落ちていきそうになります。フルートがとっさに抱き直すと、羽根の感触が手に触れました。ばさばさと羽ばたく音も聞こえます。ルルはまた翼に変わってしまったのです。頭も体もない一対の白い翼です。
「ルル!」
とフルートは叫びました。飛び去ろうとする彼女を引き留めながら、どうして!?と考えます。どうしてまた翼になったんだ!? 天空王に治してもらったはずなのに――!
ばさばさばさ……羽音はいつまでも続きます。
すると、ゼンの声が聞こえてきました。
「おい、どうしたんだよ、フルート!?」
「放せ! 放せ!」
女の金切り声も聞こえてきて、翼がフルートの顔に当たります。
それで、ようやくフルートは我に返りました。彼の腕の中には本当に翼がありましたが、それは白ではなく青灰色をしていました。
ハーピーが片方の翼をつかまれてもがき、もう一方の翼でフルートをたたいています。
「放せ!」
フルートはあわててハーピーを放しました。
ゼンが驚いたように話しかけてきます。
「どうしたんだよ、いったい? いきなりハーピーを捕まえたりしやがってよ」
近くにはレオン、カザインとフラー、ポチとビーラーもいて、やはりびっくりしたようにフルートを見ています。
ごめん、とフルートはもう一度言うと、周囲を見回しました。そこはパルバンでした。彼らは銀色の繭の中にいて、その外側を三の風がうなりながら吹きすぎています。もちろん、ポポロやメール、翼になったルルなどはいません。
ハーピーが翼をなめながら、恨みがましく言いました。
「フルートはものすごい力でつかんだ。翼が治ったか羽ばたいてみただけなのに」
「ごめん。本当にごめん」
フルートは一生懸命謝りながら、吹き過ぎていく三の風を横目で見ました。先ほどから三の風が次々に吹いてきて、彼らは前進ができなくなっていたのです。風の音を聞くうちに、フルートは眠気がさしてきて、少女たちの夢を見てしまったのでした。
ポチが足元から言いました。
「ワン、フルートはポポロの名前も呼んでましたよね。夢でも見たんですか?」
フルートは思わず赤くなり、少年たちは、なぁんだ、という顔になりました。
「さてはポポロの夢を見てやがったな! それでハーピーを抱きしめたのかよ!」
「ハーピーをポポロと勘違いしたのか? フルートもけっこうやるなぁ」
ゼンやビーラーにそんなふうに言われて、フルートはあわてました。
「ち、違うったら! メールやルルも夢に出てきたんだよ!」
すると、カザインやフラーまでが興味を持って話に加わってきました。
「それって誰なんだい?」
「あなたたちの仲間なの? 女の子たち? どんな子?」
「ああ、あいつらは――」
とゼンは説明しようとして急に黙りました。理に禁じられて、また声が出なくなってしまったのです。
ゼンは顔をしかめると、端的にこう言いました。
「あいつらは俺とフルートとポチの恋人だ」
まぁ! とフラーは歓声をあげました。
「仲間同士で恋人同士か。ぼくやフラーと同じなんだな」
とカザインも笑います。こちらはもう結婚もしている二人です。
「ずっと会えないでいるんじゃ、彼女たちの様子が気になるでしょうね。向こうもきっと君たちの心配をしてるわよ」
とフラーに言われて、フルートたちは苦笑してしまいました。もちろん、彼女たちのことは気になるし、向こうにもこちらを心配していてほしいと思います。けれども、彼らと彼女たちの間に共通の時間は流れていませんでした。フルートたちがこれだけの旅をしていても、ポポロたちのほうでは一秒だって時間は先に進んでいないのです。
「彼女たちが無事なのはわかっているんです。それは確実なんです」
そう話しながらも、夢に見た少女たちの様子をまた思い出してしまったフルートでした――。