「三の風がこっちに来る! 避難しろ!」
とハーピーは叫ぶと、青灰色の翼を大きく広げて飛び立ちました。
「あ、危ない!」
フルートたちは引き留めようとしましたが、間に合いませんでした。ハーピーは金の光を飛び出すと、猛烈な勢いで上昇していきます。
「ワン、上空に逃げて三の風をやり過ごそうとしてるんだ」
とポチが気がつきました。
「俺たちはどうするんだよ!? 俺たちは空になんて逃げられねえぞ!」
とゼンがわめきます。
三の風は二千年前にパルバンにかけられたさまざまな魔法がぶつかり合うことで発生する、強烈な魔法の嵐でした。パルバンを囲む霧の壁には打ち勝つ金の光も、パルバンの三の風は完全に防ぐことができません。
鉛色の煙はますます大きくなって、地平線を呑み込んでいました。三の風がこちらに向かってきているのです。
フラーは息でも詰まったようにうめき声をあげて、喉元に手を当てました。
「まだこんなに離れているのに、ものすごい力を感じるわよ。私の防護服じゃ太刀打ちできないかも……」
二人が着ている紫のマントは、三の風が押し寄せる前から激しくはためき出していました。ケープをふきとばされそうになったカザインが、頭を押さえて舌打ちをしました。魔法で風を押し返そうとしたのですが、三の風の力が強すぎて歯が立たなかったのです。
ポチは空を見上げました。彼らを何度も助けてくれたハーピーは、頭上に遠ざかって点のようになっています。ハーピーも相手が三の風ではただ逃げることしかできないのです。
全員が立ちすくみ、近づいてくる嵐を呆然と見つめてしまいます。
ところが、フルートは取り乱すこともなく、もうひとりの仲間へ言いました。
「レオン、頼む」
レオンは思わず目を見張ると、下がりそうになった眼鏡を押し上げました。
「頼むって、どういう意味だ、フルート? ぼくにあの三の風をどうにかできるとでも思っているのか?」
「思ってる。だって、君は準備万端整えてから、ぼくたちのところへ来てくれたからな。前回ぼくたちの行く手を阻んだ三の風だって、なんとかする方法を見つけたんだ。そうだろう?」
信頼を込めたフルートの声に、レオンは渋い顔になりました。
「ぼくは時々君が怖くなるぞ。あんまり人がよすぎてさ。この状況でどうしてそこまで信じられるんだ――」
「じゃあ、やっぱり三の風を防ぐ方法はないのか!?」
とビーラーが恐怖にかられて叫ぶと、レオンは愛犬の背中をたたいて落ち着かせました。
「そうは言ってない。もちろん準備はしてきたさ」
「そんならさっさとやれって! ったく、素直じゃねえ奴だな!」
とゼンもわめきます。
レオンは一歩前に出ました。
「これから見ることは、外では他言禁止だぞ。いいな?」
と仲間たちに念を押してから、迫りくる嵐へ言います。
「来い! ぼくたちを三の風から守るんだ!」
それは三の風に向かって言ったことばではありませんでした。何が起きるのだろう、と全員が見守っていると、彼らの周りで急にきらきらと透き通ったものがきらめき始めました。地面に近い場所から円を描くように連なっていって、たちまち周囲に輝く壁を作っていきます――。
「ぼくたちの周りに何かいるぞ! いったいなんだ!?」
とカザインが言いました。めまぐるしく周囲へ視線を向けますが、「それ」を見つけることはできません。
フラーのほうは目を丸くして輝く壁を眺めていました。金の石が放つ守りの光のさらに外側を、銀色に光る壁が繭(まゆ)のように包み込んでいくのです。銀の壁のところどころには、ガラスのように透き通った水色や細い金色も織り込まれて光っています。
ついにフラーはその正体を知りました。
「これは壁の木ね!? しかも生きているわ! 壁の木を生きたまま糸にして周りを囲むだなんて、なんてこと――!!」
壁の木? とフルートたちは首をかしげました。どこかで聞いたことがあるような気がしましたが、思い出すことができません。
ところが、ビーラーは感心したように言いました。
「そうか、壁の木で三の風を防ごうっていうんだな! 壁の木なら、あらゆる魔法を防ぐ力があるから!」
それを聞いて、フルートも思い出しました。
「壁の木っていうのは、天空の国で家と家の間の生け垣に使う木だったな。天空の国には魔法使いばかりが住んでいるから、お互いの魔法がぶつかり合わないように、魔法を防ぐ壁の木で家と庭を囲むんだ、ってポポロやルルに教えてもらったことがある」
けれども、そう言われてもゼンやポチにはよく思い出せませんでした。そんな話をしたことがあっただろうか? という感じです。
カザインがレオンに尋ねました。
「これは君の魔法なんだな? だが、君は魔法が使えなくなっていると言わなかったか? どうしてこんなことができるんだ」
「魔法を使っているわけじゃありません。少なくとも今は」
とレオンは答え、また前に向かって呼びかけました。
「よし! 囲み終えたら繭とぼくたちを三の風から守るんだ!」
すると、いきなりレオンの前に何かが立ちました。一行を包む銀色の繭の向こうに姿を現したのです。
それは人のような形をしていましたが、普通の人間よりずっと背が高く、手足は異常なほど細く、鼻も口も髪の毛もないのっぺりした頭に、大きな赤い目が二つありました。服は身につけていませんが、全身が白くつるりとした肌をしているので、まるで白い鎧で身を包んでいるように見えます――。
「戦(いくさ)人形だ!!」
とフルートたちはいっせいに叫びました。その中にはカザインとフラーの声もありました。
「二千年前の戦争で使われた人形が、どうしてここにあるんだ!? しかも動いているじゃないか! どうやって動かしているんだ!?」
「信じられない! これって使い方が忘れられた、古い古い人形のはずよ!」
フルートはレオンに言いました。
「ずっと、何かが一緒にいるような気がしていたんだよ。ぼくや君たちを危機一髪の状況から助けてくれたのは、戦人形だったんだな」
「ワン、天空の国の消魔水の井戸から持ってきたんですか?」
とポチも尋ねます。
レオンは人形を見ながらうなずきました。
「番をしているシーサーに頼み込んで、こっそり一体持ち出してきたんだ。見つかれば厳罰だから、ずっと内緒にしていたのさ。闇大陸に来れば魔法は使えなくなると思ったから、あらかじめぼくたちを守る命令を下して、壁の木の糸も人形の体内に仕込んできたんだ」
それを聞いたゼンが、ん? と首をひねりました。
「そういや、おまえは闇大陸に来てすぐに、どこからか食い物を出したよな。魔法は使えなくなってたはずなのによ。あれは戦人形に持たせてた食料だったのか」
「ああ。ただ、壁の木の糸もあったから、食料はたくさんは持ち込めなかったんだ。結局ハーピーに盗られてしまったから、ほとんど役に立たなかったけどな」
けれども、それがきっかけで青灰色のハーピーは彼らに興味を持ち、後をついてくるようになったのです。
そのハーピーは、今は彼らの頭上はるかな場所で、円を描きながら飛んでいました。かすかに声が聞こえたような気がします。
「来るぞ――三の風が――来るぞ――」
鉛色の煙はもう目前まで迫っていました。それは渦巻く雲でした。崩れながら押し寄せてきて、ごぉっという音と共に襲いかかってきます。
風は地鳴りをさせながら彼らを鉛色の雲に呑み込みました。ねじれ、絡みつき、押しのけ合う雲の中には、稲妻のように無数の光がひらめき、岩や石が木の葉のように飛び回っています。
ところが、嵐は銀色の繭の中に入り込むことができませんでした。風も雲も稲妻も繭の表面を滑りながら通り過ぎて行きます。
さらに繭の前では戦人形が両腕を広げていました。その長い腕は金属製の細長い板に変わっていて、石つぶてが風と共に飛んでくると、板で素早く跳ね返します。
戦人形と壁の木の繭のおかげで、三の風は完全に防がれました。中にいるフルートたちには、まったく影響がありません。
フラーは力が抜けたようにその場に座り込んでしまいました。自分たちを守っているものを眺めながら言います。
「負けたわ……こんな守りの道具、私にはとても作れないわよ。壁の木は確かに魔法を防ぐ力があるけど、生きていなくちゃその力は発揮できないんだもの。それを生きたまま糸にして、戦人形に使わせるだなんて……信じられない」
「君たちは本当に何者なんだ? なんだかこの世の人間じゃないような気がしてきたぞ」
とカザインがまた尋ねてきましたが、フルートたちは困ったように笑い返すしかありませんでした。相変わらず、理に正体を話すことを禁じられていたからです。
三の風はごうごうと渦巻きながら吹き荒れ、やがて通り過ぎると、パルバンの荒野を遠ざかっていきました――。