次の日も、フルートたちは空が明るくなると同時に出発して、闇大陸を進み続けました。
彼らが目覚めた時には、深い森は熱帯性のジャングルに変わっていましたが、二の風が吹くと短い草が生えた草原になり、すぐにまた風が吹いて一面の雪景色になりました。
「めまぐるしいなぁ。目が回りそうだ」
とビーラーがぼやくと、フルートが真面目な顔で言いました。
「闇大陸には二の風がしょっちゅう吹く嵐の時期がある、と前に来たときに五さんが話していた。これがその嵐なのかもしれないな」
「ま、進めねえ場所が出てきても、すぐにまた場所が変わるから、俺たちにはむしろありがたいかもしれねえけどな」
とゼンはのんびり構えています。
そこへどっと雪まじりの風が吹きつけてきたので、一行は思わず首をすくめました。腕を顔の前にかざして風をよけます。
とたんにレオンは大きなくしゃみをしました。鼻の中に雪が飛び込んできたのです。くしゃみがおさまった後に、ぶるっと身震いをします。
「大丈夫かい? 寒いんじゃないのか?」
とフルートが心配すると、ゼンが言いました。
「寒さはそれほどじゃねえぜ。この様子ならもっと寒いはずなんだけどな。レオンの守りの魔法か、そうでなきゃおまえの金の石の守りが効いてるんだろう」
そうか、とフルートは言いました。彼自身は魔法の鎧を着ているので、外界の暑さ寒さを感じ取ることができないのです。
レオンは肩をすくめました。
「寒いのはまあ平気だけど、空腹だよ。君たちはお腹がすいてないのか?」
「そりゃすいてるに決まってる!」
「腹ぺこだよ!」
ゼンとフルートが即答します。
「でも、このあたりに食べられそうなものはないよね。雪ばかりだ」
とビーラーが言うと、ポチは尻尾を大きく振りました。
「ワン、そんなことはありませんよ。ほら、あの雪の上に足跡が残ってるもの。あれはどう見てもウサギですよ」
「そうだな。おい、ポチ、ビーラー、早いとこ足跡を追いかけてウサギを見つけ出せ。俺たちの朝飯だ」
「ワン、わかりました!」
「よし、行こう!」
犬たちは張り切って駆け出しました。足跡を追って雪の上を駆けていき、まもなく雪が積もった茂みの陰からウサギを追い出します。それは全身白い毛でおおわれた雪ウサギでした。ゼンが百発百中の矢を放って仕留めます。
「さぁて、本当の勝負はここからだな。レオン、手伝え」
そう言ってゼンが荷袋から取り出したのは、薄い防水布でした。地面に広げると、レオンに端を持たせます。
「この上でウサギをさばくのか?」
とフルートは聞き返しました。そんなことをしたら布が汚れるのに、と心配したのですが、ゼンは首を振りました。
「いいや、そうじゃねえ。ウサギは雪の上でさばくさ。おまえはこれだ。雪をいっぱい詰め込め」
と荷袋から手のひらほどの大きさの円盤を取り出して、フルートへ放ります。
雪を詰め込む? とレオンやビーラーは目を丸くしましたが、フルートは慣れた手つきで円盤を手に取ると軽く引っ張りました。とたんに円盤が直径四十センチほどに広がります。次に円盤の中央のつまみをつかんで引っ張ると、ガシャン、と音をたてて縁が立ち上がり、円形の器に代わりました。太い針金の持ち手がついているし、つまみがある上部は外すと蓋になります。
驚いているレオンたちにポチが言いました。
「ワン、あれは折りたたみ式の鍋なんですよ。ジタン山脈に移住したドワーフとノームが、ぼくたちの旅の邪魔にならないようにって、それぞれの技術を出し合って作ってくれたものなんです」
「そういうことだ。ドワーフとノームの初の合作品だからな。軽いしかさばらないから便利だぜ。ああ、フルート、その蓋は布の上にひっくり返して置いてくれ」
「わかった」
フルートは言われたとおり鍋の蓋を防水布の上に置くと、降り積もっている雪を鍋の本体に詰め込んでいきました。ゼンのほうは別な場所で手早くウサギをさばき、切り分けた肉を蓋に載せていきます。皿替わりにしているのです。
すると、その最中に二の風が吹いてきました。たちまち一面の雪景色は薄れて消えていき、代わりに枯れた木が灰色の石柱のように林立する場所が現れます。
雪の上に飛び散ったウサギの血も消えてしまいましたが、ウサギのほうはゼンがしっかり握っていたので消えませんでした。肉や蓋も、レオンがつかんでいた布と一緒に地面の上に残っています。
そうか! とレオンは気がつきました。
「ぼくたちが身につけたり持ったりしているものは、二の風が吹いても場と一緒に移動してはいかない。だから布を敷いて、それをぼくに持たせたんだな!」
「おう。せっかくの朝飯が風と一緒に消えていっちまったら、たまらねえからな」
とゼンは笑いました。難しい理屈はわからなくても、実際の生活に関することならば人一倍配慮も工夫もできるゼンです。
「こっちの雪は溶け始めたよ。ここは少し暑いようだね」
とフルートは雪の入った鍋を布の上に置きました。
ゼンは切り分けた肉を雪に突っ込み、残骸は蓋を器にしてポチとビーラーたちに与えました。こちらは犬たちの朝ご飯です。
「このあたりの木は薪には向かないようだから、ぼくが魔法を使おうか。魔力はひどく弱くなっているけれど、温めるくらいならできると思うぞ」
とレオンが言うと、ゼンはまた笑いました。
「忘れたのか、レオン? こういうときは、こいつの出番なんだぜ」
とフルートを指さします。
フルートのほうも心得た様子で背中の剣を抜きました。黒い柄に赤い石がはめ込まれた炎の剣です。刀身を下に向けて、おもむろに鍋の中の雪へ突き刺します。
すると、雪がみるみる溶けて水になり、小さな泡を立て始めました。泡はすぐに大きくなって、ぐつぐつと沸騰を始めます。
「よぉし、そのぐらいでいいぞ、フルート。これ以上やったら全部蒸発しちまうからな」
とゼンは言ってフルートと交代しました。まだ沸騰を続けている鍋に、荷袋から出した乾燥野菜や調味料を振り込んでいきます。
「本当に、君たちはとんでもない連中だな。二千年前の大戦で使われた伝説の魔剣を料理道具にしてしまうんだから」
とレオンがあきれると、へっ、とゼンは笑い飛ばしました。
「伝説より今日の朝飯のほうが重要だぜ。伝説じゃ腹はふくれねえんだからな――。そら、できた。ウサギ肉の香草煮込みだ。食おうぜ」
「ぼくはさっき椰子(やし)の実を拾っておいた。これも朝食の足しにしようよ」
とフルートはリュックサックから丸い実を取り出します。
その間にもまた二の風が吹いて、あたりは枯れた林から霧が漂う草原に変わりましたが、レオンがまだ防水布を握っていたので、食べ物はしっかり残っていました。その上をひんやりと湿っぽい風が吹き渡ってきます。
「ワン、こんな場所でウサギ料理と椰子の実だなんて、すごい組み合わせですよね」
とポチは笑いました。
「最高だろうが。さあ、冷めねえうちに食おうぜ」
「ワン、ぼくたちはもうお先にいただきましたよ」
とポチは言いました。ウサギの残骸は犬たちの腹にすっかり収まって、ビーラーが鍋の蓋まで綺麗になめているところだったのです。
「おまえもたくましくなってきたな、ビーラー。天空の国じゃそんなものは食べなかったのに」
とレオンはまたあきれ、手渡されてきた料理の器を受け取りました――。
彼らが食事をしている間に、草原に漂う霧はどんどん濃くなり、食事が終わる頃には、あたり一面真っ白になってしまいました。近くにいる仲間は見えますが、周囲は白一色になって、見通しがまったく利きません。
「こりゃ、すぐには動かねえほうがいいな。足元が見えねえから危険だ。場が変わるのを待とうぜ」
とゼンは言いましたが、そういうときに限って、なかなか二の風が吹いてきませんでした。
鍋や防水布を荷袋に戻しても、まだ霧は晴れなかったので、彼らは雑談を始めました。パルバンまであとどのくらいあるんだろうか、とか、次はどんな場所に出るだろう、などという話をするうちに、フルートは昨夜の見張り中のことを思い出しました。
「そういえば、昨夜、ぼくたちのそばに何かがいた気がするんだよ。森の中をすごい速度で飛び回って、木の中に飛び込んでいった音がしたんだ。敵かとも思ったんだけど、音はそれっきりだったんだ」
「森の中をすごい速度で飛び回ってた? ムササビじゃねえのか?」
とゼンが言いました。木の枝から枝へ、前肢と後肢の間にある皮膜を翼のように広げて飛び渡るリスの仲間です。
フルートは首を振りました。
「ムササビならぼくでもわかる。魔の森にいたからな。それよりはるかに素早い音だったんだ。風の犬になったポチたちだったら、あれくらいの速度で飛べるかもしれないけれど、音がしたほうには何も見当たらなかったんだ」
「ワン、ということは、あのハーピーでもないってことですね」
「なんだろう。ちょっと気味が悪いな」
とポチやビーラーが言います。
レオンは考えるように少し黙ってから、おもむろに言いました。
「心配ならあたりを調べてみるよ。ちょっと待っていてくれ」
と眼鏡越しに周囲へ遠いまなざしを向け、ぐるりと一回り眺め渡してから、また言います。
「危険なものは何もいないな。ここは草原だから、上空をトビのような鳥が飛んでいるけれど、これも危険な感じはない。静かなものさ」
一同は安心しました。
「ひょっとしたら、別々の木の上に生き物がいたのかもしれないな。それが続けざまに動いたから、飛び渡ったように聞こえたのかもしれない」
とフルートが言います。
「そうとなったら、少し休もうぜ。霧が晴れるまでは動けねえんだからよ」
とゼンは寝ころがりました。霧に濡れた草の上ですが気に留めません。
実際には朝起きて出発してから、まだいくらも進んでいませんでしたが、この状況では前進できないので、他の仲間たちもあきらめて休むことにしました。それぞれに寝ころんだり腹ばいになったりします。
「ワン、ルルは今ごろどうしているかなぁ。天空の国で元気になれたかしら」
とポチが思い出したように言うと、レオンが答えました。
「まだどうもなっていないさ。あっちの世界では時間はまったく過ぎていないんだからな」
どうやら、誰もが同じようなことを考え、同じ結論に至るようでした。
ゼンはもういびきをかいて眠ってしまっています。
フルートも仰向けの格好で目を閉じました。戦士はいつでもどこでも寝ることができます。食べられるときに食べておき、休めるときに休んでおくのが鉄則だからです。ゼンと同じように、すぐに眠りに落ちていこうとします。
ところがそのとき、ザザザ、と草の中を何かが走っていく音が聞こえました。たちまち遠ざかり、次の瞬間、まったく別の場所からまた聞こえてきます。
フルートとポチとビーラー、それに寝たはずのゼンまでが同時に跳ね起きました。
「音が!」
「何かいるぞ!?」
と音のしたほうを見ますが、霧にさえぎられて何も見ることができません。
ゼンはまだ横になっていたレオンを蹴飛ばしました。
「寝てる場合じゃねえぞ! 起きろ!」
「君の目で音の正体を見つけてくれ!」
とフルートも言います。
「正体って……」
レオンは蹴飛ばされた脇腹をなでながら起き上がりました。かなり痛かったようで、顔をしかめています。
すると、さぁっと音をたてて霧が流れ始めました。風が吹いてきたのです。
それは二の風でした。白一色の景色が急速に薄れて、明るい世界が現れます。
レオンが叫びました。
「まずい! ここは――!」
他の仲間たちも思わず息を呑みました。彼らの下から地面がなくなったのです。
霧は完全に消えていました。光があふれる青空が頭上に広がっていますが、目を下に向ければ、そこには一面の銀鏡がありました。吹き渡る風に、鏡の表面にさざ波が走ります。
「湖だ!!」
とフルートたちも叫びました。とたんに重力が彼らを捕まえて墜落が始まります。
泳ぐことも魔法で息をすることもできなければ、飛んで越えることもできない湖に、彼らはまた出くわしてしまったのでした――。