ハーピーが人のことばで話しかけてきたので、一行はぎょっとしました。
鳥の体に女性の上半身という姿ですが、胸元は青みがかった灰色の羽毛でおおわれ、両腕は大きな鳥の翼になっています。人に似ていて人のことばを話しても、やはり怪物です。
フルートは用心して答えました。
「ぼくたちは旅人だ。闇大陸を旅している」
すると、ハーピーは鳥のように首をかしげました。鋭い目で彼らを見つめながらまた言います。
「闇大陸とはナンだ? オマエたちはどこから来てどこへ行く?」
やはりあまり抑揚のない平板な話し方です。
フルートはさらに用心しながら答えました。
「闇大陸とはここのことだ。ぼくたちは外から来た。行き先は決まっていない」
よそ者であることは隠せないと思ったので正直に話しますが、パルバンを目ざしていることは伏せておきます。
ハーピーはせわしなく彼らを見回しました。その顔は人間そっくりでしかも美しいのですが、金色の目は鳥の瞳でした。表情らしい表情もほとんど浮かべていません。
あれっ? とポチは急に不思議そうな顔になりました。くんくんと匂いをかぐように鼻を鳴らして、また首をかしげます。
すると、ハーピーはいきなり翼を広げました。岩から飛び上がってこちらへ向かってきたので、彼らはすぐに応戦態勢をとりました。フルートは剣を構え、ゼンは弓に矢をつがえ、ポチとビーラーは変身するために低く伏せます。レオンでさえ、とっさに片手を挙げて魔法の構えをとります。
ところが、ハーピーはそんな彼らの頭上を飛び越えていきました。背後に舞い降り、ばさばさとうるさく翼の音をたてます。
振り向いた一行は、あっと声をあげました。ハーピーが彼らの食事を食い荒らしていたのです。まだいくらも食べていなかった食料が、みるみる怪物の口に消えていきます。
「泥棒!!」
とポチとビーラーは叫んでハーピーに飛びかかっていきました。ゼンも弓矢を放り出してハーピーを捕まえようとします。
すると、鳥の怪物はまた空に舞い上がってしまいました。かぎ爪がある両足に魚やパンをつかみ、口にはソーセージをくわえています。
「ワン、返せ!」
「待て、泥棒め!」
犬たちは後を追いかけようとしましたが、風の犬になることができませんでした。ここは変身できない場所だったのです。
「こんちくしょう!」
ゼンは急いで矢を放ちましたが、狙いをつける余裕がなかったので、大きく外れてしまいました。ハーピーは食料を抱えたまま飛び去ってしまいます。
「あの鳥野郎! もったいつけて何をするのかと思ったら、ただのこそ泥じゃねえか!」
とゼンは地団駄を踏んで悔しがりました。
犬たちも悲しげな顔で自分たちの食事を眺めました。食い散らかされたり持ち去られたりして、ろくな食料が残っていなかったのです。
レオンは髪をかきむしりました。
「そうだ! ハーピーは古いことばで『かすめとるもの』っていう意味だと、前に学校で習ったことがあった! そういう怪物だったんだ!」
「ちっくしょう! 今度あいつを見かけたら、百発百中の矢で撃ち落として、丸焼きにして食ってやるからな!」
とゼンがまたわめいたので、レオンやビーラーはたちまち顔をしかめました。いくら空腹でも、ハーピーを食べる気にはなりません。
ところが、フルートだけは仲間たちの騒ぎに加わらずに、自分の盾の表面をじっと眺めていました。やがて低い声で言います。
「食料を奪われたくらいですんで良かったのかもしれないぞ……ほら」
差し出された盾を見て、仲間たちはまた驚きました。
フルートの盾は大きな円形をしていて、鏡のように磨き上げた上を聖なるダイヤモンドという特殊な石でおおってあります。強度抜群の防具なのですが、その表面に蜘蛛の巣が張ったように白い細かいひびが広がっていたのです。
「嘘だろう、おい!?」
とゼンは思わず声をあげました。
「おまえの盾は特別製なんだぞ! ダイヤモンドや魔金にだって傷つけられねえし、魔法攻撃だって跳ね返せるようになってるのに、なんでこんな有り様なんだよ!?」
フルートはひびの上を指でなでました。表面のダイヤモンドがはがれ落ちることはありませんでしたが、防御力は下がってしまったように見えます。
「さっきのハーピーだよ。奴が飛び過ぎていったときに、盾にものすごい衝撃を受けたんだ。ぼくは魔法の鎧を着ていたからこらえられたけれど、そうでなかったら弾き飛ばされて、盾ごと腕を持っていかれたかもしれない。レオンがかけてくれた守りの魔法にも助けられたのかもしれないな」
「でも、いつの間に……」
とレオンも呆然としました。ハーピーを間近で見ていたのに、いったいいつフルートを攻撃したのかわからなかったのです。
「とにかく、ハーピーには注意しよう。他にもとんでもない敵がいるかもしれないから、気をつけたほうがいい」
とフルートに言われて、ゼンはいまいましそうに舌打ちしました。
「さすがに闇大陸だな。一筋縄じゃいかねえぜ」
仲間たちが思わず周囲を見回していると、そこへまた二の風が吹いてきました。
小石と岩だらけの砂漠が消えた後に現れたのは、耳をふさぐような轟音が響く滝の風景でした。目の前に切り立った山がそびえ、その頂上から水が滝壺めがけて落ちてきます。彼らは滝から流れる川のほとりに立っていました。ひんやりと湿った空気があたりに充満し、川から少し離れると、人の背丈ほどもあるシダの森が広がっています。
「昼食がなくなってしまった」
とビーラーがいっそう悲しそうに言いました。ハーピーが荒らした痕に散乱していた食料が、砂漠の景色と一緒に消えてしまったのです。下に敷いておいた白い布も見当たりません。
ゼンは肩をすくめました。
「しょうがねえ、やっぱり食い物を探そうぜ。ここなら、なにかしら食える獲物に出くわすだろう」
「トカゲやサソリはごめんだぞ!」
とビーラーがあわてて言ったので、ゼンは、にやりとしました。
「それじゃリスにしておいてやるよ」
「え、リスって食べられるのか!?」
「そ、それも遠慮するよ――!」
レオンやビーラーがますますあわてたので、ゼンは笑い出しました。
「ほんとにおぼっちゃまな連中だな!」
とからかいます。
一方、まだ真剣な顔で盾を見つめていたフルートに、ポチが話しかけました。
「ワン、さっきのハーピーなんですけど、ちょっと気になることがあるんです」
「こんなに強力なんだから、気にならないはずはないよね。でも、具体的に何が?」
「ワン、匂いが――感情の匂いがほとんど感じられなかったんです」
フルートは驚いてポチを見ました。
「ハーピーが感情の匂いをさせていなかったってこと?」
「ワン、皆無ってわけではなかったんだけど、すごく弱く感じられました。あんなふうに食料を奪うときには、鳥や獣だって人間だって、そのことにすごく集中して貪欲になるんです。でも、あのハーピーはそういう貪欲さを匂わせていませんでした。ぼくたちのそばに来たときもそうで、感情の匂いがほとんど感じられなかったから、ぼくはハーピーが来てるのに気がつかなかったんです」
フルートは眉をひそめ、少し考え込んでから聞き返しました。
「それってどういうことなのかな?」
「ワン、わかりません。例えば精霊だったら生き物じゃないから、ぼくは感情の匂いなんか感じられないんだけど、あのハーピーはどう見ても生き物だったし……よくわからないんです」
フルートはうなずきました。彼にもその理由はわかりません。わからないのだということがわかったのです。
「とにかく、充分用心していこう」
とフルートは言って、パルバンがある方向へ目を向けました。
けれども、そちらには切り立った崖と轟音をたてて落ちてくる滝がありました。滝は水煙を上げて滝壺に落ちています。
「ずいぶん回り道をすることになりそうだな……」
滝を見上げながら思わずつぶやいたフルートでした。